Failure_5
命からがら、そんな思いでギルドに着くと門の入り口にはリオさんと、そして見知らぬ若いシッターさんとライラが待っていた。
「ライラ! おーい!! 帰ったよー! ははっ!」
「あ、おねーちゃんおかえり! おそいからしんぱいしたよっ!」
俺の呼びかけと共にこちらに気付いたライラが何故か、ファラに飛びつく。
ファラはそれをかがんで抱きしめるとライラの顔に頬をスリスリしていた。
「ん~ただいまライラちゃん~。帰り遅くなっちゃってごめんね~。ちゃんといい子にしてた?」
「うんっ!!」
「…………。」
あれぇ~~~???
おーい、おにーちゃんも、ここにいるよぉー?
…………。
ま、こーゆーのは男の役目じゃないもんね。
気にしない気にしないっ!
ライラはシッターさんに沢山遊んでもらったことを嬉しそうにファラに話した。
それにしても母親の事もあるというのに不安そうな様子は少しもない。
それもこれもすべてはこのシッターさんのお陰なのだろう。
「あの、ライラの事ありがとうございます。俺はシーヴって言います。」
「シーヴ様、これはご丁寧にどうも。わたくしはイスタ・キルマエラと申します。
ウタさんからお二人のお話は聞いておりますよ。」
俺はシッターさんに礼を言い、深々と頭を下げた。
お二人…俺と、ファラの事だろうか。
銀髪の綺麗なこの女性は「イスタ」という名前らしい。
そういえばウタさんの言っていた、イスタさんというのはこのヒトの事だろうな。
「イスタ、ウタはもう来ているか?」
「はい、ウタさんは今朝も早くからいらしてましたよ。
早速書類の山に埋もれてながら、今も頭を抱えてガオガオと唸っていたところです。うふふっ。」
そしてやはりメノさんとイスタさんは旧知の仲のようだ。
なにやら怪しく笑うイスタさんの話では、ウタさんはひたすらに多忙らしい。
ガオガオ……。
「あの、イスタさん。実は一つお願いが――」
「はい。ライラちゃんの事、ですね。わたくしに出来る事であれば、喜んで。」
「助かります。これからみんなで話をする時、ライラの傍に居ていただけませんか?」
ウタさんに会い、ライラにもそこで事情を話さなければならない。
そう思うと、正直不安だった。
どう切り出そうとも、きっとライラは母親の死という真実に耐え切れない。
だからせめて、イスタさんにはライラの傍にいてほしかったのだ。
「はい、勿論です。言われずともそのつもりで御座いました。」
抱擁感のある、とても落ち着いた優しい声。
凛として、それでいて温和な顔立ち。
オレンジ掛かった薄い黄色の、綺麗な瞳。
長い銀髪をハーフアップに纏めている。
俺のこんなボロ雑巾のような傷だらけの姿を見ても決して動じない。
この世界に天使がいるとしたら、きっとこんな容姿なのだろう――そう思った。
門をくぐり執務室に通される。
机に張り付いたウタさんは、相も変わらず山積みの書類を抱えていた。
最初顔が見えなかったが、俺達が入ってくるとその書類の山から横にひょこっと不機嫌そうな顔をのぞかせた。
「おう、来たか……。なぁおい、シーヴ……。おまえ、大丈夫か……? 何があった?」
「しー君、昨日帰り道で通り魔に襲われたのー。」
「……。まぁいい、何か飲むか?」
何かを察したように、自ら話を逸らすウタさん。
ヒトを呼び、飲み物の用意を頼んだ。
俺達は立派な2つのソファにテーブルを挟んで向かい合って腰かけた。
向こう側に左から、ウタさん、ライラ、イスタさん。
こちら側は左から、メノさん、俺、ファラ。
そうして向かい合う形で飲み物が来るまで暫く談笑した。
どうやらギルドに変質者が侵入したらしく、その後始末と報告のためにウタさんは早くから書類の山に埋もれていたそうだ。
「すみません……。」
「あ? 何か言ったか?」
「いえ……。」
「しー君、黙ってようよ……。」
「そうだな……。」
俺達は小声で密談した。
「それにしてもまったく、こうも堂々と子供をさらいに来るとはな。
恥知らずなドヘンタイのゴミクズ野郎がいたもんだ。」
グサッ……。
「託児所の警備も強化しなければならないし、いやな世の中になったよ。」
「えぇ、困ったものですねぇ……。」
「むぅ、しかし幼児への異常性愛保持者とは……。」
グサグサッッ!!
「もしかすると業苦の一種ということも考えられるが……。
ペニーワイズのような猟奇的な前例もあるし、大事になる前に緊急討伐依頼を出した方が良いのではないか?
場合によってはまた『ナイン・インチ・ネイルズ』を招集する一大事になるかもしれんぞ。」
「子供を狙った陰惨で狡猾な大量殺人鬼――ペニーワイズ、か……。」
もう……。やめてよぉ……。
「確かになぁ……。しかしあの9人は腕は立つが、扱いが面倒でな……。
マスタークラスの奴らは捻くれ者ばかりでどうにも好かん。
ん、どうしたシーヴ。顔色が悪いぞ、腹でも痛いのか?」
「そうで、つね……。」
「しー君……。バレたら殺さちゃう……。気をしっかり……。」
「あぁ……。」
俺の変質者の如き挙動不審な様子に、メノさんもさすがに心配そうにしている。
「おぃシーヴ、大丈夫か?」
「え? えぇ……。
昨日の夜ワラジカツカレー棒食べ過ぎたみたいで、ちょっとお腹の調子が……。」
「ぷっ……。」
何言ってるんだ俺、ファラにも笑われたぞ……。
ふとイスタさんと目が合った、ニコニコと含みのある笑顔を浮かべている。
多分、バレてる。
そして状況を解っていて、それを見て楽しんでいるようだ。
このヒト、SかMで言えば、多分Sだ……。
「失礼します。」
扉が開かれ、事務員の一人と思われる男性の手で飲み物が各人の前に差し出される。
「おいしい!」
ライラは嬉しそうにオレンジジュースを飲み始めた。
「んん~~! サイ&コ~~~ウ!!」
ファラはそれはもうとてもとても嬉しそうにオレンジジュースをがぶがぶと飲み始めた。
…………。
しばしそんな様子を見ながら談笑は続く。
昨晩、泥酔したウタさんの介抱をメノさんがしていたこと。
メノさんが今朝初めてあじまんを食べたこと。
通行人に笑われながら、命からがらここまで逃げてきたこと。
…………。
――だって、だれもこんな話したいはずがないのだ。
少しでも動揺を紛らわしたい、そんな想いを誰に触れずとも感じた。
ふいにウタさんがタバコらしきものに火をつける。
肺を隅々までいっぱいに満たすように大きく吸い込み、ため息交じりに頭上へ吐き出した。
肺に収まりきらなかった有害物質の塊が空中に漂う。
空気が、変わった。
「それで、この娘の母親は?」
ぶっきらぼうな質問を皮切りに、劇は始まった。
ライラの顔が曇る、それに気づいたイスタさんがライラの小さな手を握り、ギュッと抱き寄せる。
嘘、これは仕組まれた演劇。
ウタさんも俺も、ファラもメノさんも、作られた台本に沿って話を進める。
母親には会えたこと。
その母親は、獣に襲われ瀕死だったこと。
どうにか救出できたが、手記を残して絶命したこと。
その手記はライラに向けたものであること。
この脚本に正しい真実は何一つない。
「昨日の報告は、以上だ。それで――」
そう言ってメノさんが立ち上がる。
ライラは静かに聞いていた。
その表情は、今までのどんな涙や不安とも違う。
翹望は失望へと変わり、ただただ、枯渇する。
無。
ー 安心して、必ずおかぁさんには会えるから、大丈夫 ー
ライラをここに連れてくるためについた嘘を思い出す。
俺がファラと旅に出る前夜、思えば希望に満ちたあの満月の晩、ライラの母親は獣となっていたのだろう。
ライラは母親のその姿を知らない。
醜悪な姿を見られないように満月の夜には、ライラとは別の場所にいたのかもしれない。
作り話を終えたメノさんが立ち上がりその手記をライラへ差し出す。
「これを、キミにと……。」
「もじ、よめないよ……。」
「そ、そうなのか? よし、ならオレが読もう。よ、読むぞ、うん。」
そういうとメノさんはワタワタと紙を広げた。
完全に動揺が露わとなり狼狽えていた。
大丈夫かなぁ……。
「いい。ききたくない。」
「……。」
沈黙。
時計の針の進む音が、響き渡る。
イスタさんがライラを抱きしめる。
ライラを苦しめる全ての悪意から、彼女を守るように、強く、優しく抱擁していた。
小さく嗚咽を漏らしながら、イスタさんの優しさに、ただその身をゆだねるライラ。
それでもその幼気な少女が、先日のように声を張り上げて、喚くように泣き叫ぶことは決してなかった。
静かに、ただ静かにその小さな嗚咽交じりの、か細い悲鳴を全員が聴いていた。




