リンネ
改稿してんのにコンテストもクソもあるか。
――自分の名前が思い出せない。
その問題を自分の事として自覚したのは、目の前の過激な老人に名前を名乗ろうと思った時だった。
また、名前だけならいざ知らず、目が覚める前の自分がどこで何をしていたのか、自らの経歴や過去の記憶すらもほとんど曖昧だった。
完全な記憶喪失とまではいかないものの、日本では高校に通っていたような気がするという不鮮明な情報くらいしか、どうにも今は思い出せそうにない。
押しても引いてもビクともしない、固く閉ざされた重たい扉の向こう側へ、俺の記憶と存在が永久に幽閉されてしまったかのように思えて、それがとてももどかしく、自力で思い出せないことが、今はどうしようもなく悔しかった。
「そうか、自分のことを忘れたか。」
「はい……忘れたというより、抜け落ちたって感じですけど……。」
「ふむ。そうか。記憶が抜け落ちたか。」
振り上げた右手をようやく下げた老人は特に驚くわけでも哀れむわけでもなく、ただ淡々と俺の発言の意味を分析し、冷静に頷いた。
そう、俺は未だに自分の名前すら思い出せずにいる。
俺が何者で、ここが一体どこなのか――それすらもまだ、何一つ解っていないというのに。
俺はこんなにも混乱し、心細い思いをしているというのに。
これからどうしたらいいのか、それすらも解らずにいるというのに――。
「わしはウン・チーだ。よろしくな。」
――ウン・チーておまえ。
「さてと、長話の前に、おまえさんも腹が減っただろう。少し何か食べようじゃないか。おーい、ファラ。」
恐らくは記憶喪失の俺を励ますための軽い冗談として「ウン・チー」と名乗っただけのウン・チー(仮)は、おもむろに背後の扉の方へ首を回すと、この家に他にいるであろう「ファラ」という何者かに向かって声を投げかけた。
すると、ウン・チーの投げかけた声を合図に、まるで釣り竿のリールを巻き戻すかのように、ドタドタと無邪気で妙に聞き覚えのある元気な足音が扉の向こうの方から近づいてきた。
そのあまりに野性的なドタバタ音に、俺は最初、ペットの犬でも放し飼いしているのだろうと思ったのだが――。
「あ……人?」
しかし扉の向こうから軽やかに飛び出したのは人懐っこい大型犬などではなく、ただの無邪気な少女であった。
いや、彼女の第一印象を考慮するならば、この場合「若い女性」という方が正しいのだろうか。
彼女の身長は170㎝あるかないかで、俺は自分の身の丈すらも未だに解らずにいるが、しかしもしかすると俺よりも背が高いのではないかと思われた。
長く薄い金色の髪は、ハープの弦が如き力強さとしなやかさがあり、彼女の肘の辺りでスラリと整えられている。
また、空を漂う雲のようでもある淡い金髪は、彼女が動くたび、彼女の一挙一動を追いかけるようにふんわりと滑らかに波打つのだった。
それが最初に目に入った「ファラ」という情報である。
続いて、新鮮でキレイな魚でもそこに泳いでいそうなほど透き通った、水のように青く美しい大きな瞳と、目が合った。
勝気で親しみやすそうな弧を、これまた虹のように元気に描いた鋭い眉毛。
色白で目鼻立ちの整った綺麗なキツネ顔は、真夏の太陽を仰ぎ見るヒマワリのように勇ましく且つ眩しく思え、およそ貶めようのない絶対的な美しさだった。
けれど右目のすぐ下に痣のようにも見える小さなホクロがあり、それを蚊ほども気にしていない様子の彼女に、どこか後ろめたさを感じた。
そして何故だろう、希望に満ちた彼女の表情に、どこか初対面とは思えない、遠い親戚みたいな親しみやすさを覚えたのは。
色白である彼女が着古した夏向きの真っ白なロングワンピースは、一見すると安っぽく、またあまりにも質素に思えるが、しかし彼女の飾り気のない無邪気な笑顔や、健康的でスラっとしたシルエットを鑑みると、短絡的な服の好みも至極妥当に思えた。
とはいえ、彼女が今着ている白のワンピースも、恐らくはただの寝間着とかであろう。
足元は素足で、先ほど俺が彼女の存在を犬かなにかと思い違いをしたのは、彼女が素足のままペタコラと、それこそ犬のように木の床を自由に跳ね回っていたからであろうと思われる。
初見とはいえ、その美しく成熟した見た目に反して内面は、穢れを知らない子供のように飾り気のない無邪気で活発な印象を受ける。
肉体と精神という双方のポジティブなギャップから、彼女の年齢に関しては10代中盤~20代中盤と言えば、恐らく誰からどう見ても、それが嘘とは疑わないのではないだろうか。
また現状では、俺自身も自らの年齢というものを全く把握できていないのだが、彼女が年上か年下かで言えば、肉体的にはともかく、精神的にはずっと下に思えた。
さて、瞬時に言語化できそうな情報といえば、だいたいこの程度であるが……あとは――。
――胸、デカ。
――という部分はまぁ、俺が伝え忘れてしまいそうになるほど最後の方に気になった些細な印象のうち、たったの0.02%くらいなものだけど。
俺は無意識におっぱいをガン見した自分に、言い訳がましくそう付け加えた。
「ファラ、リンネの少年が起きたから、晩飯の準備を頼むよ。」
突然の新キャラ登場に驚いた俺をよそに、ウン・チーはにこやかにファラへと話しかける。
するとファラの方は、俺を見て挨拶代わりにニコッと笑った。
「輪廻……?」
この時「リンネの少年」という、聞きなれない単語の事が少々気になったが、恐らくは記憶喪失中の俺を指して言っているのであろうことは一連の流れでなんとなく解った。
その後、ファラは何も言わず、再び無邪気に足音を響かせて「わーい!」と両腕を振り上げ、嬉しそうに扉の奥へと駆けていった。
「あの娘はファラ。キミと同じで、この世界に生まれたリンネだ。もっとも、あの子には親がいるがね。」
「はぁ……。」
新たなミッションの遂行に向けて意気揚々と出発したファラを見送って、ウン・チーは満足そうに微笑む。
どうやらファラには親がいるらしいことは解ったのだがしかし「俺と同じで、彼女もまたこの世界に生まれたリンネ」とは、どう意味なのだろうか。
そもそも「リンネ」とは、一体何なのだろうか――。
「あの『リンネ』ってなんですか。」
「リンネとはね『リィンカネーター』という、別の世界から転生してくる者たちや、その血族の事だよ。」
――ファラとウン・チー。
うんうん、なっほね~。
ウン・チーはともかく、ファラって名前は覚えやすくてよい。
「でもリィンカネーターなんて長いからね、みんな略して『リンネ』と呼んでいる。」
「あの、言ってる意味がよく解らないんで、犬に例えて説明してもらっていいですか?」
「え、犬? 犬って、あの犬? いきなり?」
どうやら俺の急転直下話題逸らしで混乱したらしく、突然ウン・チーは声を上ずらせ、ぎょっと目をひん剥いた。
「あれー、そのお題だと難しいんですかねぇー。俺の周りだとこれくらいの切り替えしは余裕というか、赤子の手を捻るくらい簡単な事なんですけど。」
「そ、そんなことは……誰でも出来るにきまっとる。犬にー……犬に例えるとー……。んー……。ちょいまちー……。」
俺の安い挑発に乗り、ウン・チーがキョロキョロときょどり始めた。
寝起きビンタの借りを返せたと思うと、いい気味である。
「えー、おほん。リンネを犬に例えると『毎日のようによその家から友達がいっぱいやってきて、その中から新たな家族も生まれて、どんどん仲間が増えて家の中が賑やかになっていく』的な……。」
「何言ってるんですか?」
「お前のせいだろ、このクソガキが。」
真顔で突き放すような俺の会心の一撃に、割と真面目に声を荒げる老人。
俺は内心でざまみろとほくそ笑んだ。
「さてと、無駄話はあとにして、さっさと飯じゃ飯。お前さんはそこで寝ておれ。」
「え、あの……俺も腹減ってるんですけど。というか俺お金もないんで、タダでなんか食わせてくださいよ。」
「ん……? 違う違う、ここに食卓を運んでくるだけだ。来たばかりのキミはまだ身も心も疲れておる。今日はやたらと動かん方がいいから、用がない限りはベッドの上でじっとしていなさいという事だ。というか図々しいな、貴様。」
「はぁ、どうも。ありがたくタダメシいただきます。」
という事なので、目の前に長テーブルとその上に食卓が自動で並べられていくのを淡々と眺めながら、俺は一人、自分が何者なのかについて、ひたすらに思考した。
が、結局、記憶のほとんどが抜け落ちてしまった今の俺に、そんな哲学的な事の深層は解るはずもなく。
今も、目が覚めてからの自分のまま、堂々巡りを何度もぐるぐると繰り返し、こうして淡々とベッドで寝転がっているだけだった。
唯一の記憶は、ただの記録のように、てんで内容はすっからかんの「高校二年生」という、たったの五文字の経歴と「日本人」というタダそれだけ。
――俺とは、一体何なのだろうか。
ピルバーグ作、キャラクタープロフィール
シーヴ(覚醒前)
28歳(肉体年齢、当時17歳)
身長 162㎝
体重 55㎏
利手 右
異性のタイプ
虫を食べない人、おつむが聡明な人、純情可憐な美少女(但しシルフィさんを除く)、タバコと酒をしない人、暴力を振るわない人、ねずみ講やマルチにはまらない人、車椅子を車椅子として使ってくれる人、とにかく常識人。
好きなもの
月、星、夜空、静寂、リンゴ、ファラの手料理、蛍、スズムシ、散歩、キレイな海、街を一望できる山、夏、ひまわり、花火、夏祭り、家系ラーメン、賑やかな食卓、ファラ、仲間、パトラッシュ、ヒケコイ。
嫌いなもの
雨、曇り空、自分の手料理、毛虫、蚊、ハエ、家にいること、冬、濁った景色、人の多いところ、あじさい、塩ラーメン、アケチコ、超魔剤モンスター・ブル ヤバダバドゥ味。
ピルバーグのインタビューと見解
シーヴ(覚醒前)という黒髪のヒュムの男は、やたらと緊張した面持ちで私の取材に応じた。
取材の間、なにやら浮かない顔になることもしばしばあったが、心根はお気楽で無邪気な少年といった感じだ。
しかしどちらかといえば内向的な性格の彼は、家に一人でいると嫌なことをよく思い出すらしく、日の当たる天気のいい日には、気分転換に散歩に行くことも多いという。
また、パトラッシュという名のペットを飼っているらしく、我が子のように溺愛しているが、現在パトラッシュは行方不明となっており、彼は酷く心を痛めていた。