アラタ
2024/03/04_改稿済み。
稲川モブA先輩との間に修復不可能な溝が出来てしまった後味の悪い昼食のあと、俺はひとり、誰もいなくなった休憩室の清掃に取り掛かっていた。
掃除を始めてから体感で一時間前後、時刻は24時を回った頃……地球の感覚では、だいたい昼の2時くらいだろう。
改めて休憩室内の家財を物色していてふと思ったが、この部屋の家財はどれも上等である。
先日座ったソファは、この星特有の革を使っているらしく、まるで雲の上にでも寝転んだかのように体に深くふわっと馴染む。
食卓に並ぶ椅子は、なにかヨーロッパ風の伝統的な雰囲気の模様が彫り込まれていて、酷く使い込まれてはいるが、それ故に味わい深い質感を存分に獲得している。
主に食卓として使われている2つの長テーブルは頑丈で傷にも強く、また恐らくは一本の高密度の樹木から削り出されたもののようで、一人では持ち上げることさえ難しい。
テーブルの表面は滑らかで、新鮮なハチミツを思わせる琥珀色をしており、表面に指を這わせると、キュルッと、ホワイトボードにマーカーで線を引いたような耳障りの良い音が鳴るほど、味わい深く丁寧な仕上がりになっている。
要するに、素人でも質の良さを感じ取れるレベルの一級品ばかりが、無法者ばかりのこの空間に無駄にひしめき合っているのだ。
「ここで働いてる人たち頭おかしいチンパンばっかなのに、それなりに儲かってんだろなぁ。」
さて、大方掃除も終わった頃、不意にどこからともなく、カン……コン……と、ハシゴか階段を上るような不気味な反響音が近づいてきて、俺は辺りを見渡した。
「なんだ、この音……。下の方から聞こえるような……。」
やがて、ガジャゴン……という、どこかで聞いたことがあるような、嫌に重苦しく、錆まみれの機械的な金属音が重く響き渡り、俺は音の出所が、裏口の脇にある”開かずの扉”であることに気が付いた。
先日同様、ギギィィィ……という建付けの悪い不気味なヒキズリ音と共に、独りでにゆっくりと開かれていく扉。
封印を解かれた扉の向こう側から侵食してくる、重厚な闇と、殺戮的な刺激臭。
間違いない、これは――。
「あ、アラタさん、いたんですか……。」
絶望の妖気を従えて、扉の向こう側から現れたのは、死神班長のアラタさんだった。
「う……もう朝かよ……。」
「いや、昼ですけどね。」
グニャリと曲がった猫背のアラタさんは、夜な夜な徘徊する虚ろなゾンビみたくヨタヨタと現れ、まるで二日酔いの朝のように青ざめた顔と寝ぐせまみれの頭を抱えて呻いていたが、昼だ。
狙いすましたかのようなボケに俺は思わずツッコんでしまったが、昼だ。
「おう、新入り。掃除かい。勢が出るね。」
アラタさんは俺に気が付くと建付けの悪い扉を閉め、金属質のやたらにゴツい南京錠を用心深くかけた。
「はぁ、どうも。アラタさん、もしかしてここに住んでるんですか?」
「いや、なに、残業でな。昨日遅くまで地下で仕事してたもんで、気が付いたら朝だったってわけさ。」
「いや、だから昼ですけどね。てか、もしかして寝てないんですか?」
「あぁ、地下に籠ると、夢中のあまりコチラの時間に疎くなっていけねぇや。気が付いたら地上はもう”朝”になってた。」
「はぁ、そうですか。それは”おそ”ようございますね。」
「う、ニコポン(ニコチン)、足りねぇ……。」
まったく俺の話を聞いていないと思われる世紀末ニコ中班長は、寝ぼけた事を言いながら無気力な調子でおもむろにタバコをくわえると、ワナワナと危なっかしく震える両手でマッチを擦って、サッと慣れた様子でタバコの先端に火を灯す。
内容物不明の有害物質をフィルター越しにスーッ……と深く吸い込み、フゥッ……とありったけ吐き出すと、アラタさんは曲がった背筋を後ろに反り返えらせて、だらしない姿勢をグッと正した。
しかし、腫れぼったい瞼はなんとも億劫そうで、トロンと垂れた目はますます虚ろな調子となり、未だ夢中遊行から覚めていないようにも思え、俺は「だから何故こんなヤツが班長に……」と、またも呆れた。
そして、やはり臭い、臭すぎる、ニコポンではなく、扉の奥の暗闇から漂ってくる肉の腐ったような不快な臭いの方。
俺は失礼を承知で右手でギュッと自分の鼻をつまみ、顔の前で左手を払いながら、こんな臭いの元凶とも言うべきアラタさんへの抗議の意を込めて眉をひそめた。
遠回しに「臭いから早くここから出ていけ」と、熱心に態度で訴えているのだが、彼女を煙たがっている俺の態度にアラタさんが気づく様子はない。
「相変わらず酷い臭いですね……。良い機会ですから、ついでにその部屋も掃除したいんですけど、良いですか。」
殆ど反射的に、僅かにピクッと、アラタさんの目元が上下する。
真っ黒な瞳のアラタさんは横目でジロリと俺を見ると、覇気のない表情のまますぐに視線を逸らして宙に泳がせた。
「いや、この部屋には構わなくていい。ここはウチ以外立ち入り禁止になってるからね。」
「え、でも臭いですよ? ちゃんと掃除とかしてるんですか? あんま臭いと、後で俺がマラクさんに怒られるんですよ。」
「心配しなくても、毎日してる。けど、地下でペットを飼っててね、その臭いがちょっとな。だから基本的に立ち入り禁止、入ったヤツは卒倒しちまうから。」
「いや、コレは卒倒どころじゃないでしょう……。いったい何を飼ってるんです? スカンク?」
「あー。ネズミだよ、ネズミ。”スカンク”ってなんだ?」
「ネ、ネズミ……?」
――絶対地下でヤバい事してるじゃんこの人……。
「そんなことより、昨日はすまねーな、ウチのバカ共が迷惑掛けたみたいで。」
どうやらよほど臭いの元凶と室内の現状惨状を知られたくないらしい、アラタさんは露骨に話題を逸らし、タバコの煙をプカプカ躍らせ、有害物質の漂う先を目で追いながら呟いた。
言わずもがな、ウチのバカ共とはつまり、養豚場のテロリストこと、ファーマーボーイズのキームとタークの事だろう。
「あいつらも昔は”痰の神に愛されし双子”と恐れられたいっぱしのストリートファイターだったんだけどね。今じゃただのゴロツキさ。」
「はぁ、つまりキームさんとタークさんも、この養豚場に来る前は、それなりに名の売れたケンカ屋だったってことですか。」
「まぁ、そんなところだ。」
「でも、どうしてそんな半端者たちがここに?」
「ソイツは話すと長くなる。けど、元々ここグッドシャーロットは、”先代”がグループを引退する時、”卒業記念”として、ボスが自ら作られた場所でね。そう、あの頃は――」
アラタさんはどこか得意げに昔話しを嬉々として語りながら、煙に巻かれた俺の真横を素通りして、表口脇の革のソファにゆったりと腰を下ろして足を組んだ。
「あの頃はどこに行っても勝ちまくりでよ。いくさ……。戦……。IXA……。毎日が血で血を洗う血祭り天国よ。そんな時に『天下取ってやろうぜ』って、チームの旗揚げをしたのがウチのボスだったんさ。そんでウチらは戦の中で力を合わせて領地を奪い、理想の縄張りを好き放題に広げてきた。そして奪った領地を売った金で、この養豚場”グッドシャーロット”を築き上げたんさ。つまりキームとタークも血祭騒ぎの戦利品。漏れなくウチらの支配下になったってわけ。」
「へー、すごーい。」
「ついでに言うなら、ここにある家財や備品は全て黄金時代に掻っ攫った戦利品の一部なのさ。ウチらはね、文字通り暴力と金に物を言わせて、富と名声、そして権力と誇りと自分たちの王国を手に入れた。あの日々の栄光は、まるで昨日の出来事のように鮮明に思い出せる。一瞬一秒がギンギラギンの太陽みたいに燃え盛っていたさ。」
「なるほどー。」
――なんか良い思い出みたいにメラメラと熱く語ってるけど、要はコイツら”悪の組織”なんじゃぁなかろうか。
「そういえば、俺はまだボスの方に会ってないんですよね。ここにはあまり顔を出さないんですか?」
「ボスは忙しいヒトだからね。なにしろもう一つの仕事が大変みたいで、最近はケズデッドの村にすらなかなか帰ってこれないのさ。」
「多角的経営ってやつですか。大変そうですねー。」
「ふ……。まぁ、新入りにこんな話しても意味ないか……。」
どこか他人事みたいに聞いていた俺の当たり障りの無い受け答えをアラタさんは鼻で笑うと、短くなった用済みのタバコをポイっと床に捨ててグリグリと執拗に踏みにじった。
「けど、この星はボスの手中にあり、またボスが寛容で慈悲深くなければ、この世界の秩序はとっくに乱れ、こんな風に世の中が平和には成り立ってはいないからね。つまりボスはこの世界の神であり、そんでアタイらは神に拾われた異邦人ってとこかな。」
「はぁ……。」
「まぁ、アンタにもそのうち解る。この世界の方こそが、ボスという”絶対神”を祝福し歓迎するべき立場なんだってこと。そのことを世界が解っちゃいないだけなんだってこと。」
天井に停滞した有害物質の雲をうっとりと満足そうに眺めて、アラタさんはソファに全身を深く沈め、足をハの字に広げて投げ出して深呼吸をした。
まるで永い眠りにつく死体のように、宛もなく虚ろをさ迷う瞳をそっと閉ざし、胸の上で両手を組むと、すぐにスースーと幸せそうな寝息を立て始め、口角は薄っすらと気味の悪い笑みを浮かべている。
「zzz……。」
「ちょっとー、勝手に満足して寝ないでくださいよー。」
「むにゃむにゃ……すぴー。」
自由過ぎる彼女の半径1メートル以内は絶望の菌域と化しているために近づけないので、俺は遠くから声をかけてみたが特に反応はなかった。
どうやら今から寝直すらしいが「臭いし邪魔だなコイツ、豚舎でブタと一緒に寝ろよ」と俺が悪態ともとれる独り言を呟くと、すぐ後ろの方で裏口の扉が独りでに開き、笑顔のキームとタークが春の野山を駆け回る野兎が如きスキップでわーいと浮かれ調子に入って来るのが見えた。
「 『へへ、おサボりの時間だぜ~。』 」
「あ、キームさん、タークさん。」
「 『お、一番子分の"キムタク"!』 」
「むにゃ……? キームとタークだと?」
キームとタークが大声を揃えて俺を指さすと、峠を越えられなかった筈のアラタさんは瞬時にギョッと目を見開いて、ガバッと息を吹き替えした。
「 『げ、ア! アラタさんッ!! 何故ここに!?』 」
「まだ休憩の時間じゃねぇだろ、てめぇらここに何しに来たんだ。さっさと持ち場に戻らねーと――。」
「 『に、逃げろ!! 解体される!!』 」
「あ、逃げやがったなこの出来損ない共! 望み通り解体してやらあッ!……と、いけねぇ、ニコポンニコポン……。」
さっそく踵を返して裏口から飛び出した二匹の野ウサギを目で追って、アラタさんは急に元気になって追いかけようとしたが、すぐに我にかえってタバコを咥えると冷静にマッチで火を起こし始めた。
「よし……おらぁ! 待ちやがれぇ!」
「なんなんだ、アイツらは……。」
ピルバーグ作、キャラクタープロフィール
アラタ・デッドローズ
32歳
身長 167tm(およそ167㎝)
体重 39tg(およそ39㎏)
利手 左
好きな異性のタイプ
気高く強いヤツ、つまりボス。
好きなもの
寝ること、夜、夜更かし、夜遊び、巻きタバコ、ソーセージ作り、秘密基地、地下室、人体実験、ゾンビ、球体関節人形、死体、戦、二代目、ボス、キームとターク、ペット、ドナドナ
嫌いなもの
掃除、雑用、ツナギ服、力仕事
ピルバーグのインタビューと見解
アラタ・デッドローズという自称ヒュムの女は、引きこもり気質の変人だ。
そして、タバコの吸い過ぎなのかなんなのか、非常に肉付きが悪く色白で常に不健康そうに見える。
彼女の好きなものはネガティブで湿気っぽいものが多い印象だが、それは彼女の特技とも言うべき”秘密”が主な原因だという。
インタビューの際、彼女の地下室を覗かせてもらうという貴重な場面に出くわしたが、あまりの惨状だったので、最低限のマナーとして、ここでの記載は控えさせて頂くとする。
彼女は勝ち戦をシミュレートするのが好きらしく、自らが育てた兵隊で敵軍を蹂躙することに強い快感を覚えるそうだ。
しかし戦などと、そんな機会がこの平和ボケしたスチャラカポコタン星にいつ訪れるのかと尋ねてみると、彼女は「ボスがキレたら、すぐにさ」と虚ろな調子で笑った。
そんな痛々しい彼女はボスと二代目なる人物たちに固く忠誠を誓っているそうだが、俺は未だどちらの人物ともインタビューの機会を得られずにいる。




