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ツキノオモイビト

作者: 四阿 彰人(アズマヤ アキト)

渡太陽 主人公


天野月 ヒロイン


月と太陽は惹かれ合う。



ツキノオモイビト


 雨、頭では分かっている。いつも分かってはいるが、雨というは心を淀ませる。


こんな気持ちで、いつもより早めのバスに乗り込み、いつもより人の多いバスの中で音楽を聴き、自分の世界に入っていく。そんないつもの雨の日。


そうなるはずだった。


自分の乗り込んだ、停留所から二つ目の停留所だった。そしてそれは起きた。


雨の中で傘を差しスマホを見つめ、バスが来たことを確認するために顔を上げた時だった。その姿に、自分はどうしようもないほど、どうにも致し方ないほどに、見惚れてしまったのだ。


綺麗な髪、丸く可愛らしい輪郭、スッと通った鼻筋、吸い込まれそうな瞳。


こんな感情は人生で生まれてこの方初めての経験だった。人生といってもまだ、齢十六ほどの人間が何を言と、言われてしまいそうだが、それでも、この感情は今後の人生でもう二度と出会わない感情ではないかと思った。


大業に聞こえると思うが、決してそうではない事を、自分は感情とも、理性とも、知性とも、違う、「何か」によって確信していた。


ではその「何か」とは何なのだ?と聞かれようにも、自分は上手く答える事ができない。いや、言い表すことができない。と言う方が正確なのだろう。自分の中では得心が行っている事なのだけれど、存外それを他人にメタ認知的に伝えていく作業が、自分は殊に上手くない。


故に自分はその「何か」としか表現しようがないのだけれど、自分の精一杯の語彙や知識を用いれば、「神の啓示」や「直感」と言った所が近いようなのである。


しかし、そのような表現はやはり妥当かと言われれば、違うだろう。「神の啓示」と言えば、なにやら、宗教臭さを感じてこの「純」な思いとは懸隔がある様に思えるし、反対に「直感」と言えば、何やら生物的、欲情的な叙情や、安直な考えであるかのような表現になってしまう事を危惧した自分は、結局のところ、「何か」と表現する事が相応しい様に思えたのだ。


そうしてその「何か」に導かれるように、その人の動向から目が離せなくなった。


 「すいません。すいません。」


雨で利用者の多い車内の人垣をかき分け、彼女は自分の近くにやってきた。その姿に更に鼓動が早くなるのが分かった。しかし、あくまでも平然とした姿を保ちつつ、チラと視線を横にやる。


「ごめんなさい。バック邪魔ですよね。すいません。」


そう言って彼女から話しかけられた時は心の中では狼狽した。


「いやぁ、全然大丈夫です。あ、あの、タオル使いますか?バックとか少し濡れてるみたいだし。」


そう言って自分が部活終わりに使うために持ってきた、柔軟剤の香りがするタオルを渡す。


「え?ああ、すいません。ご親切にどうも。」


そう言って当初こそ少し驚いてはいたが、制服姿の自分の格好を見ると安心したのか、そのタオルを素直に受け取った。タオルを受け取った彼女は軽く「ポンポン」と首筋を拭くと、次に頬を、そうして額を拭いて、最後に顔全面にタオルをあてがって水気を取っていた。その仕草に自分はいたる所から熱を帯びる感覚に襲われた。


これでは欲情の様な、畢竟、生物学的欲求に傾倒しているのではないか。と訝しげに思われてしまうかもしれないが、決してそうではないのだ。彼女の存在は非常に可憐で、美しいと形容に値する人物であるし、それに関しては嘘偽りは決して無く、心の内から出た本心である事を約束しよう。


その可憐さ、美しさは、自然のそれを褒賞するのと同じで、決して「邪」な思いではないのだ。


その可憐で美しい彼女が、タオルで水気を含むその所作、その所作、そのものもまた惹かれる要因であるし、そして、彼女から香る春を告げる香りにまた、より強い想いが内から飛び出そうになった事もまた、事実ではあるけれども。


それら全てを含めた結論として、彼女の稀有さを物語っているように自分は思えた。


そうしてその彼女を見つめている内にこのまま関係を終えてしまう事は、どうにも出来なかった。故に半ば強引に会話をしようと、その糸口を探っては、その制服に目を付けた。


「あ、あの。その制服ってうちと同じ高校ですよね。」

「え?ああ、ホントだ!同じS高校の生徒さんにこんな所で出会うなんて、凄い偶然ですね!ここらではM高校の生徒さんが多いから、てっきり。」


そう言って驚いた仕草にもすっかり自分は心酔しきっていた。


まったく、本当になんで今の今まで彼女の存在に気づかないなんて。自分はこの半年間何をやっていたのかと、今までの自分を叱りたくなる心持ちでもあった。


「いや、ホントですね。タオルそのまま使ってください。学校に着いてからも使うと思うし。」

「ホントですか、ありがとう。あの、お名前は?」


そう言うと、少し微笑み、彼女は、自分の目の奥を見つめてきた。それに当惑しつつも、ボソッと口籠る様に名前を答える。


「じ、自分ですか、渡太陽です。」

「ワタリタイヨウ?さんですか。私は、天野月です。これ、なるべく早く返しますね!」

「あ、いや、そんな急がなくてもいいですよ!今度学校で返してくれればいいですから。」

「そうですか、本当に親切にありがとう。あっ、もう着くみたいですよ。電車乗り換えですよね?」

「あ、そうです!あ、あの、どうせなら一緒に‥」


と言いかけたときには遅かった。旧知の仲であるその友人と逢着すると、彼女は興味関心をそちらに取られ、今さっき出会ったばかりの「タオルの青年」の事など、忘却したのも同然であった。


「月!おそーい。駅のバス停で待ってて。ってどんだけ待たせんのよ!」

「ごめーん。弥生。雨でバスが遅れちゃって。」「ごめんなさい。渡さんでしたっけ。また今度学校で!」

「あ、ええ、学校で。」


そうして結局は彼女と連絡先も交換できず、何年何組かも聞かずに終わってしまった。


一学年10クラスもある自分の通う母校は、クラスメイトなら未だしも、他のクラスの生徒となれば、偶然に出会う。と言った確率は望みが薄く、この出会いが終焉を迎えたのではないかと、半ば諦めを決め込んでいた。自分は口惜しい事をしたなと、後悔の念が絶えなかった。しかし一方で彼女の登校時間が自分と同様に早い事に気づいた自分は、冷静に思考を巡らせる。そうして彼女のバックがテニス用であった事から推察するに、朝練のある部活で、テニスラケットを用いる。という多くの生徒の中から抽出すべき生徒を割り出す事に成功した時には、思わず下で「よし!」と拳を握り締めていた。


そうして余裕と感動を謳歌していた自分は、何の考え無しの「愚民」と化していた。故に本来乗り込むはずの列車に乗り遅れて、朝練に遅刻した事は、自分自身目も当てられない所業である。


 それでもようやく学校に着くと雨はほとんど止んでいたが、遅れた自分はそのまま校舎の昇降口を通り過ぎては、直に体育館へと駆けて更衣室に着く。


「おー、太陽。遅くないか?もう、始めてるぞ。」


そう言って、着替え終えても、なお更衣室に居座る奴。彼は同級生の一哉だ。


彼は一年生ながらスタメンで、バスケ部のエース。つまり自由人(許される人)なのだ。故に多少の問題は目を瞑られる事も多く、今日もまた、スマホゲームを更衣室で行っている最中だったのだ。


「おい、てか一哉も遅刻だろ。ここにいたら!」

「いいの、いいの。」

「なら、朝練に来た意味は?」

「まあな、しかしだ早起きは三文の徳という言葉がある。ここで言う三文はおよそ百円から三百円らしい。つまりだ、早起きをした俺は一回百円のガチャを3回は回す権利を得た訳だ。」

「いや、現実には一円も得てないだろ!」

「あ、確かに。まあ、いいだろ。気分的な問題だ。」

そもそも、その諺をそんな風に解釈している奴は一哉くらいなもので。だからといってここで「早起きは三文の徳」とは、としたり顔で言うは口幅ったいように思えるし、何より時間の無駄であると確信した自分は自制した。

そうしてスマホゲームに勤しむ一哉を放擲した自分は急いで練習を行う、真面目なバスケ部員の面々と合流する。


「おはよう!ごめん、遅れた。」


とみんなに挨拶を交わすと、遅れを殊に攻め立てる風潮は無く、単に


「おう!遅かったな。」「おはよう。」「アップ終えたらゲームするから準備頼むな!」


と言うような寛容な対応であって、割合すんなりと合流できた。それもそのはず、まだ各人がウォームアップを行う状態であったし、朝練は自主性が強く、高いモチベーションを持った部員しか集まらない練習であったが為に、そういった遅刻があっても許される土壌があったのも幸いしたと思う。


故に更衣室にいて、遊戯に没頭する一哉のことをあれやこれやと煩く言う様な先輩方や、同級生もいないのは自明の事のように思われた。


しかし何があったのか、血相を変えた一哉が更衣室から出て来た。

その格好と言うよりは、その持ち物がスマホ一つ。な辺りが証左であるとは思うが、どうにもバスケをする気になった様子には一向に見えない。しかしその表情と息絶え絶えの様子からは唯事ではない事は容易に予想できた。


「おい一大事だ!2組の後藤が告白してるぞ!」


そう言い放った一哉は週刊誌のスクープ記者と同じ目をしている。所謂「邪」な目だ。


「な、何?それは一大事だ!相手は!」


と盛り上がり返事を行う部員達の心根の部分は、さして変わりはしないが、その大衆の興味を惹く関心事である事は間違いない。


「分からん。更衣室の窓から、見えるから、来いよ!」


と言い終わる前に皆、更衣室へと走る。なんやかんやと言いつつも、自分も付いて行ってしまうのだから、自分も思慮浅薄であることは否めない。


「うーん。誰か相手分かる奴いない?あの人。」


自分は二階の窓に群がる部員達をかき分け、覗き見る。そう言われて見れば、見た記憶があるような気がしていた自分は、脳の海馬に記憶照会をかけていく。


「あーあ、あれは天野だよ。天野月。テニス部だろ。間違いない。」


照会を終える前にそう言った誰かの言葉に、自分は呆然と固まってしまった。今朝の初恋が、今朝の失恋となるかの瀬戸際にあることを理解したからだ。


そこからは彼の一世一代の場面に固唾を飲んで見守った。いや、見守ると同時に必死に聞き耳を立てた。


「実は入学してから、ずっと好きだったんだ。よかったら付き合ってください!」


そう言ったように聞こえた。何せ二階から聞き耳。は二階から目薬状態で、はっきりとは聞こえはしない。


「へえ、そう。」


彼女の声は思ったより、反応が薄く、朝とはトーンが違うような気がした。


「そ、そう、だから、付き合うことを考えてくれないか?」

「へえ、そう。だから?」

「ええっと、だから、俺は君のことが好きだ!付き合ってくれ!」


冷たい反応を無かった事のように、それははっきりと、堂々と告白した後藤に、案外気概のある男だと思う反面、彼女の対応からその答えは既に見えているように思えた。


「ふーん。それって私になんの得があるわけ?」


ん?得?なんだか既聴感のあるセリフのような…と首をかしげていると、その間にも二人のやり取りは進んで行く。


「いや、得って言われても‥。俺は君のことが好きだから、君も俺を好きになってくれたら…」

「ふーん。それってさ、今現在は私には得がない。ってことだよね。」

「う、うん。そうなるかな‥でも、これから俺のことを知っていって貰って好きになってもらえば‥」

「いや、なんで?なんで私が、忙しい中あなたをじっくりと知った上で、好きになると言えるの?そのエビデンスを示してって言ってるの。」

「そ、それは‥」

「あのさ、人の時間をなんだと思ってる訳?私は朝練をやっていた。それをあなたのせいで、中断したわけ、それでも、聞く価値のあるものだと証明して。」


彼女の無慈悲なまでの言葉に蹴落とされた後藤は、既に退散するしか道は残されていなかった。


しかし、これで、彼女がどこの誰であるかもわかったし、初恋が、朝が終わる前に失恋へと変わることは免れた。これは安堵すべき事だ。

それにだ、彼女の少々気の強い所、論理的思考は考えようには好ましいのではないか?加えて言うなれば、この事を一笑に付すくらいの度量でなければ彼女に相応しくないという事だろう。そう言って自分に言い聞かせてみたものの、想像と現実の径庭には自分の中でもすぐに納得し、処理でき得る。なんてそんな生易しいものの類ではなかった。


 あれやこれやと迷った挙句、放課後、自分は部室棟で、彼女を待ち伏せた。正直、彼女に今日話しかけるのは危険な様な気もしていたが、折角のチャンスを逃す訳にはいかない。その一心だった。


「お疲れ様。部活、もう大丈夫?」

「ええっと、ああ!太陽君か!びっくりしちゃった。今朝色々あったから。てっきり。そうだ、タオルだよね!明後日くらいには返せると思うけど。」

「そっか。それでなんだけど、タオルを返して貰うにも連絡先を聞いてなかったからどうしようかなって。いや、別にどうしてもタオルを返して欲しい。とかではないんだけど。」


無理くりなロジックで連絡先交換を申し出る事は、やはり不自然な様にも思われたけれど。そうでもしなければ、無理くりどころか、ロジックを超えた提案、もしくは、脅迫染みた方策になった事だろうから、これが自分の限界であると自負し、思い言い切った策ではあるが、そういう詭弁の様なものを用意して望んだ。


しかし、その結果としては慮外の結果であったから、自分自身、頭の中が「ボウッ」となり、意識が混濁した。とも言うべき、その妙な感覚があったのを覚えている。


「フフッ。いいよ、連絡先。私も返す時にいちいち出くわすのを待つのは大変だしね!」


 存外明るく返しをくれた事に、自分は呆気に取られた。てっきり今朝のように、一蹴されて終わるのかと思っていたのだから、自分は思わず反射的に、今朝と同じく下で「ギュッ」と拳を握り締めた。


「ありがとう!これで連絡できる。」


思わず零れた本音が彼女の可憐で美しい。それでいい可愛らしい最上の「笑顔」という表情を引き出す事に成功したのだから、自分は思わず天にも昇るような思いに浸った。


「フフッ。ありがとうって、それはこっちのセリフだよ。タオル絶対返すから!あと、たまには一緒に‥いやまた、今度!」


と何か言いかけて、やめた彼女は部室棟2階へと駆け上がって行く。胸につかえた思いがあるような心持ちがしていたが、駆け上がって行った彼女を、「待って!」と追いかけていく程の関係性の構築が済んでいない自分は、「アッ…」と後ろ姿の彼女の背中に、言葉を残すのが唯一出来た事であった。


そうして、暫し固まっていると、これまた今朝見かけた、彼女の友人が自分に声をかけてくる。


「お、君は朝の少年!月に用事か?」

「ああ、もう大丈夫。」

「そう。ああ、一応言っておくけど、月はそんな性格じゃないから。」

「えっ?」


いきなり、まさに唐突に、何の脈絡もなく話しているあたりから共通の話題である事は理解したが、その仔細については全く掴めずにいた。そうして、その彼女の友人の口から語られる、「そんな」という指示語を基にした話に、理解が追い付かなかった自分ではあるが、何となくのあたりをつけて予想しては、高度な会話を継続していた。


「だから、朝、告白されたの知ってるでしょ。月、本当はそんな性格じゃないから。」

「ていうのは?」

「あの後藤って奴さあ、朝一で、コートに泥だらけのスパイクで入って行ったかと思えば、あれでしょ。それで、月怒っちゃってさ。あんな風に。」


友人が呆れ顔で語る、事の顛末を聞くに、彼女の対応は彼女本来のものではなく、周囲の思いも代弁した上での対応であった事を知ると、俄然自分は彼女の事を「好いている」という感情が強まっている事を確信した。


「そうだったんだ。てっきり‥いや、そんな事だろうと。」

「ふふん。君は月狙いか。彼女の恋敵は手強いよ。人じゃないから。」

「人じゃない?」

「うん。月の思人はラブラドールのソレイユだから。」


それを聞いた自分は安堵した。渡したタオルは奇しくも犬柄のタオルだった。ソレイユ。いい響きに加えて、アカデミックさも感じる。学のない自分は何やら西洋風なレストランをイメージしたけれど、実際の意味は異なっていたようだ。


そんな思考をしていたとは知らないであろう彼女は、部室棟を後にする自分を彼女は実に最高の笑顔で見送ってくれていた事を自分は知らない。


嬉しそうに跳ねて歩く彼はきっと、「ツキノオモイビト」なのだろう。


上から見える彼をどこか微笑ましく見てる姿はそれを物語っていた。


「太陽君とソレイユか、彼はペットとか飼ってるのかなぁ。もしも名前がSUNなら、絶対に好きになれるだろうなぁ。」


そうして呟いた彼女の言葉を、友人はしきりに揶揄っては、彼女は恥ずかしそうに笑った。


彼女もまた、表現しようもない「何か」に惹かれて彼を「好いている」のだろう。


人の本当の気持ちなど予測でしか図れないのだけれど、


だからこそ、これだけは確かに言える。


これは「月と太陽」の物語。


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