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第伍話:ゆう

 名前も知らない二人に連れられて歩いていると波の音が聞こえてきた。視界が揺らいでいるせいではっきりとは見えなかったが、その音によって今居るこの場所が海岸なのだと理解した。どうやら足元が凸凹でこぼことしている事から岩場を歩いているらしく、私に肩を貸している誰かは苦しそうに移動している様に思えた。何故私を運ぼうとしているのか不明だったが、私の背負っている物が邪魔になっているらしかった。


「待っ……て」


 その場に一旦座らせてもらうと腕と肩を動かして背負っていたリュックをその場に下ろした。何故こんなものを持っていたのか、中に何が入っているのかまでは分からなかったが、もうそれを考えるのも馬鹿らしくなっていた。そもそも私が何者で、この二人が何者なのかも分からず、今居るこの場所がどこでどういった状況に置かれているのかも何一つ思い出せなかった。


「ほら行こう!」

「先生ーウチらどこ行くん? じいちゃん言いよったよ。夜ん海には出ちゃいけんって」

「き、今日はいいんだよ? ほら来て……」


 相変わらず頭が痺れてグラグラと視界が揺らいで動けない私をその女性は再び立ち上がらせた。もうその場から動きたくなかったが、振り払うだけの体力も今の私には残されていなかった。いったい何をしたらここまで具合が悪くなるのか不明だったが、いずれにせよ抵抗出来ない私は大人しく謎の二人に連れて行かれるしか道は無かった。

 ようやく一番下まで降りられた私は小さな船の様な物に乗せられた。続いて私を運んだ人物が乗り込み、最後に小さい誰かが乗せられた。最早、視界が揺らいでいるのかも分からない程真っ暗な海の上で私が唯一知覚出来るのは波の音だけだった。


「……?」


 上手く表現出来なかったが、私は何かを知覚した。先程まで私が居たと思しき島の方に何かを感じ取った。目には真っ暗な闇しか映っておらず、耳には波音が打ち寄せるだけであった。それにも関わらず、私の中の何かは言葉では上手く表現出来ない何かを認識していた。


 ゆるさない           ゆるさない

       ゆるさない                  ゆるさない ゆるさない

                     ゆるさない


 私の頭の中に声の様なものが聞こえてきた。いや、声と言ってもいいものなのだろうか。直接耳に聞こえた訳ではなく、音という感じではなかったのだ。しかしそれは未だに響き続けており、気が付くと私の右手はゆっくりと前方に向けられていた。私の意思によって動かしたのではなく、いつの間にか自然と動いていたのだ。いや、自分で動かしたのだろうか。自分の意思を外れて体が動く事などあるのだろうか。


「お姉さん何しとるん?」

「ちょっと! 何やって……」

「ねんねこ しゃっしゃりませ 寝た子の かわいさ 起きて 泣く子の ねんころろ つら憎さ ねんころろん ねんころろん」


 記憶にない歌が自然と口をついて出てきた。リズムも歌詞も何も知らない筈だというのに、何故か今歌っているこれが正しいものだという確信があった。


「ねんねこ しゃっしゃりませ 今日は 九年さ 明日は あん子の ねんころろ 海詣り ねんころろん ねんころろん」


 肩を掴まれて体を揺すられる。しかし私の体は島の方を真っ直ぐに向いたままだった。私のものではない意思で、いや私の意思で、この体は歌い続けた。


「死出へ 参った時 なんと言うて 拝むさ 一生 あん子の ねんころろん 出でぬように ねんころろん ねんころろん」


 そうか……そういう事か。私は私であって私じゃないのか……今歌ってるのは私じゃないんだ。歌ってるのは最後の一人。怨み募る最後の一人。空っぽな私は依り代に過ぎない。怨みを果たすための入れ物に過ぎない。私は私であって私にあらず。私は彼らで、彼らが私だった。

 体から私が抜け出したのを最後に私の意識は完全に消失した。




「……さん。お姉さん」

「……?」


 見知らぬ少女の声で私は目を覚ました。どうやら船に乗っているらしく、周囲は見渡す限り海だった。近くに島の様なものは見当たらず、船の上には私以外に二人居た。一人は私を起こした少女であり、もう一人は成人しているであろう女性だった。その女性は眠っているのか目を開けず、彼女の手元には手鏡が落ちていた。そして彼女の両手の指には赤い糸が結ばれており、その糸は私の両手にも同じ位置に結ばれていた。左手の薬指と親指、右手の小指と中指に一本ずつ結ばれ、それらの糸は私の同一の指に結び付けられていた。


「……」

「お姉さん。先生起きんの。何かな、急に横んなったんよ」

「先生……?」


 目を開けて一番最初の光景がこれとあって私の頭は混乱に包まれていた。目を覚まさない彼女は誰なのか。この少女は誰なのか。そして私は誰で、どうして海の上で漂流しているのか。分からない事ばかりであり、頭がどうにかなりそうだった。それにも関わらず何故かすっきりとした妙な気分でもあり、このまま悩んでいても仕方がないと考えた私は女性の足元に置かれていたリュックを開けてみる。

 中に入っていたのは私の指に結び付けられている赤い糸と同じ物が入っている小さくて透明な袋と、一冊の日記帳、そして財布くらいだった。


『2004年4月4日 かわたさんのところにあかちゃんがうまれたらしい。いっぱいあそんであげてっていわれた! きょうからおねーちゃん!』

『2004年4月7日 あかちゃんをみせてもらった! さわろうとしたらゆびをぎゅってされた! かわいかった』


 当然だが初めて見る日記であった。それだというのに何故かこれを読んでいると懐かしい気持ちが少しずつ湧き上がってきた。何も覚えておらずここがどこの海なのかも知らないというのに、私の心は確かに動いていた。


「お姉さんどうしたん? それ、先生の日記なん?」

「先生って、この人の事だよね?」

「うん。ねぇ先生起きて。どっか行くんじゃろ?」


 日記をペラペラと捲る。


『2009年6月6日 今日も千草ちゃんと遊んだ。いつもみたいに山でいっしょに虫とりをした。千草ちゃんは本当に上手。わたしは上手にとれなかったけど、でも千草ちゃんがうれしそうだったからいいか』

『2009年10月23日 千草ちゃんがカゼを引いたらしいのでおみまいに行った。わたしがお部屋に入ると飛び上がってうれしそうに引っついてきた。わたしはうれしかったけどおばさんは怒ってた。しょうがないよ。早く良くなるといいな』


 潮風を吸い込んでしまったのか少し喉が痛み咳をする。


『2011年2月14日 今日はバレンタインデー! 千草ちゃんが楽しみにしているのが分かったのでチョコを送った。あんまりお菓子作りは得意じゃないけど喜んでくれた。お返しにくれたのは変な形に固まったチョコだった。本人的には失敗してないらしい。素敵な笑顔だった』

『2011年3月30日 千草ちゃんのおばさんとおじさんが泣いていた。気になって聞いてみたけど初めは教えてくれなかった。だけど一生懸命お願いしたら明日教えてくれるって言ってた。何があったんだろう』

『2011年3月31日 何とかする』


 少女が私の体を揺する。


「ねぇ。先生が起きん……お姉さんも助けてや……」

「……その人、先生は……寝てるだけなの?」

「うん。でも起きんの!」


 日記帳を持ったまま女性の手首に触れる。空から差す真夏日のおかげか体温は高かったが、脈がまるで取れず心臓が停止しているのは明白だった。声を掛けたり頬に手を当てて小さくペチペチと叩いてみたものの、やはり返事は無く目を覚まさなかった。


「……この人は、もう……」

「な、何?」

「もう、起きないよ」


 なるべく直接的な死の表現を避けたつもりだったが、私の言葉を聞いて意味を理解したのか目からポロポロと涙を流し始めた。決して泣き喚きはしなかったが、それでも呆然としているのが見て取れたため、このまま放っておくのは良くないと考えて少女を抱き締める。そして彼女が泣き止むまでの間に日記を読もうと開く。


『2011年4月4日 上手くいった。きっとこれで大丈夫』

『2011年4月5日 いやな夢を見た。あの子が死んでしまう夢だった。きっと大丈夫なはず』

『2011年4月6日 おじさんとおばさんが死んだ。海に身を投げたらしい』

『2011年4月7日 みんな何もなかったみたいに生活してる。このままじゃいけない。きっとまたやる』


 彼女は千草という少女の身を何らかの方法で救ったらしい。そもそも千草の身に何があったのかは分からないが、島と呼ばれる場所に住んでいる人々がそれに関わっているらしい。


『2015年7月16日 お父さんと釣りに行った時にあれについて聞いてみた。意外なことに簡単に教えてくれた。これで大丈夫。明日はお父さんの通夜だ』

『2015年7月17日 お母さんは泣いていた。島の人も悲しんでいた。あの子は平気で殺したくせに』

『2015年7月18日 葬儀に来ていた医者にコネを作る。しらばっくれても知ってる。あの人もグルだった』


 この辺りから日付が飛び飛びになっていた。日記を書くという習慣が薄れていったのだろうか。


『2015年10月4日 お母さんに相談事があると言って人が少ない場所に呼んだ。これで一人になれた。どうせ見つかりっこない。誰も海の底まで探さない』

『2017年1月1日 先生ご臨終。さぞ寒い年明けだっただろう。あの子が受けた苦しみに比べればずいぶんマシだが』

『2017年1月6日 ようやく正式に診療所を任された。ここからなら誰でも監視出来る。どんな家庭の事情にも潜り込める。もう死なせない』


 彼女は千草という少女の復讐のために両親や医者まで殺している様子だった。しかし気になる点が一つあった。以前の記述を見るに千草という少女は助けられた筈である。それなのに何故復讐をしているのだろうか。助けられた彼女はどこに行ってしまったのだろうか。


『2018年12月28日 町内会で次の生贄が決まったらしい。葦舟さんのところの簸子ちゃんだ。両親は自分の子供を差し出すのに躊躇していなかった。障害のあるあの子が邪魔なのか』

『2018年12月29日 定期健診と嘘をついて簸子ちゃんを呼ぶ。表向きだけでもとりつくろうために地蔵参りをするように伝えた。これでひとまずみんなの目は誤魔化せるだろう』

『2020年8月23日 うそだ』


 ページを捲ると今まで簡素に書かれていた筈の日記の文面が一気に多くなった。


『2020年8月25日 千草ちゃんは無事に保護されていたらしい。でも彼女の里親は不審死を遂げたらしく千草ちゃん自身も記憶喪失になったらしい。いったい何があったのだろうか。もう一度警察に電話しよう』

『2020年8月26日 千草ちゃんの里親が亡くなった理由は現在も不明で調査中らしい。引き取り手がいないらしいので私が保護することにした。きっと島の人間は不気味がるだろう。こっちに来たら家から出ないように言っておかないと』

『2020年8月28日 千草ちゃんが帰って来た。長い間会えていなかったけど一目で分かった。私のことを忘れてしまっているのは悲しかったけど生きててくれただけで嬉しい。でも鏡を怖がるような言動をしていた。昔のあの子からは考えられない。むしろ面白がって鏡が大好きな子だったはずだけど。いやそれでもいい。こうしてまた会えただけで幸せだ。今日からは私があの時以上にお姉ちゃんとしてがんばらないと!』


 日記はその日付で途絶えていた。記憶の無い私には今が何日なのかは分からなかったが、恐らくまだ2020年の8月なのであろうと予測出来た。

 少しずつ泣き声が小さくなってきた中、私は日記帳の次のページに綴られていたある文章を見つけた。それは今までのそれとは明らかに違った文体であり、これを見ている私に向けて書かれた様な文章だった。


『2020年8月29日 これを見ているであろう千草ちゃんへ。きっとこれを読んでいる頃にはもう私は二度と貴方の顔を見れなくなっていると思います。きっと貴方は自分が誰でどうしてここに居るのかが分からないと思います。だけど心配しないで。貴方の記憶が無いのはそれが正常な状態なの。上手くは言えないけどそれが正常な状態。全部お姉ちゃんが上手くやっておいたから安心してね。お姉ちゃんがきちんと繋いでおいたから。貴方の隣に居るであろう女の子だけどね。その子は葦舟簸子ちゃん。貴方と同じで身寄りが無い子なの。だけど心配しないで欲しい』


 次のページに続いていた。


『私の上着のポケットに携帯が入ってる。充電しておいたから多分まだ使えると思う。110って打てば警察に繋がるからそれで助けてもらって。それと向こうに着いたらリュックの中に入ってる財布にカードがあるからそれで銀行からお金下ろして暮らして。多分数年は暮らせると思うから。番号はこの本の裏表紙の裏にメモしてあります』


 数行分の空白が空いており、そこには最後の文章が書かれていた。


『こんなことに巻き込んでごめんなさい。ただ千草ちゃんを助けられればと思ってた。でもこんなことになっちゃった。だからわたしにできることはこれくらいしかなかったの。最後まで勝手なおねえちゃんをゆるしてください。これから先もずっと二人のことを見守っています。これからもどうかおげんきで。さようなら。千草ちゃんのことが大好きなお姉ちゃんより』


 最後の一文は手元が覚束なかったのか線がヨレヨレになっており、辛うじて読める文字だった。最後の二ページには所々に水滴によって出来たと思しき染みの様なものが残っており、それが紙に皺を作っていた。

 日記を閉じると簸子ちゃんと書かれていた少女を抱き締める。きっと彼女ならそうしただろう。いや、きっと彼女に愛されていた私ならこうする。これがきっと正しい行いの筈だ。


「……ねぇ簸子ちゃん」

「な、何……?」

「これからさ、お姉ちゃんと一緒に居てくれる?」

「で、でもお父さんとお母さんが……」

「……おじさんとおばさんはね、しばらく忙しくて会えないみたいなんだ。実はお姉ちゃん、二人から簸子ちゃんの事頼まれてたんだー」

「そ、そうなん? じゃけぇあん時、あそこに居ったん?」

「……うん。お姉ちゃん寂しがり屋だから、一緒に居てくれると嬉しいな」

「ほ、ほいじゃったらしょうがないね! ケホケホッ……ウチが寂しゅうない様に一緒に居ったげる!」


 嘘をついた。本当はあの時というのがいつを示しているのかまるで分らなかった。しかし、この子のためなら嘘をつくのも悪い気分ではなかった。きっと今はもう起きる事はない『お姉ちゃん』も、私と同じ立場なら同じ様に答えただろう。別にこの人の事を知っている訳ではないが、不思議とそう確信出来る。彼女ならきっとそうする。

 お姉ちゃんの上着から携帯を抜くと書いてあった通りの番号に電話を掛けた


「……あっもしもし。警察ですか?」


 潮風が私の頬を撫でる。ベタベタしているがそんなに悪い気分ではない。少し目に染みて目元が潤んでしまうが簸子ちゃんに心配を掛けない様にぐっと堪え、自らの手の甲を擦る。

 電話を終えると持ち主である彼女に返し、空いている右手で眠り続けている彼女の手を握る。繋がれたこの赤い糸が解れても離れていかない様にしっかりと指を絡めた。そしてもう片方の左腕でもう一度しっかりと簸子ちゃんを抱き寄せる。目が合った彼女は嬉しそうに人懐っこい笑顔を見せた。そうして二人で笑顔を見せた後にお姉ちゃんの方を見ると、どことなくその顔は微笑んでいる様に見えた。

 海を反射しているかの様に真っ青なこの広い広い空の下で、私達を乗せた小さな船はゆらりゆらりと揺り籠の様に穏やかに揺れていた。

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