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第肆話:むくい

 この島に伝わる忌々しい風習を止めるために私と秘色さんは準備を進めた。とは言っても特に何かを用意をするという訳ではない。護身用の包丁や食料くらいは家にあったリュックに入れて持っていくつもりだったが、下手に他に色々持っていくとなると身動きを取るのが難しくなってしまう。そのため、後はもしもに備えて秘色さんが魂結びの儀式用道具を持っていくだけとなった。

 準備を終えてまだ時間が残っていた私達は、失敗して魂結びを行わなければならない事態になった際に備えて島の反対側に小舟を用意しておく事にした。そうすれば少なくとも簸子だけは救う事が出来る。あくまで最悪の事態を想定したものであるため使わないに越した事はないが、何年も生贄の風習を続けてきた彼らが大人しく見逃してくれるとは思えない。あの子を捧げるためならどんな無茶をしてくるかは予測出来ないのだ。

 私達が海岸沿いの岩場の影に隠されていた小舟を用意した時には既に日は沈んでしまっており、まだ儀式まで時間はあるとはいえ都会よりも灯りが少ないためそろそろ隠れる場所を見つけておかなければ歩くのも大変になりそうだった。


「お姉ちゃん、そろそろ」

「うん……あの子だけでも助けないと……」


 秘色さんの案内を頼りに再び山へと入る。あの鳥居から入った事以外なかったため分からなかったが、どうやら他にも入り口や山道があり、そこを通っていけば儀式が行われる祠まで行く事が出来るとの事だった。

 最初は夏場という事もあってか様々な場所から虫の鳴き声や飛び回る音が聞こえてきたが、どんどん奥に進むに従ってそれらの音は何も聞こえなくなり、とても今の時期が夏だとは思えない程空気が冷たくなっていった。


「何か……変な感じ……」

「気を付けてね千草ちゃん。ここからはもう人間の領域じゃないよ……完全に向こう側だって事を覚えてて」

「私、人間って括りでいいのかな。この体の本体だった『千草』はもう居ない。今の私は水子とお姉ちゃんの魂が混ざった存在でしょ?」

「そうだね……今の千草ちゃんは千草ちゃんだけど『千草ちゃん』じゃない。でも、お姉ちゃんは人間だと思ってるよ。貴方は貴方だから」

「……ありがとう。そうだね……私は日奉千草。そういう人間、ね」


 祠の前へと辿り着いた私と秘色さんはそれぞれ反対側にある草むらに身を隠した。祠は大切にされているのか汚れなどは見受けられず、祠に掛けられている注連縄しめなわの様な物だけが少し汚れていた。

 少しずつ夜が深くなっていき、そろそろ足が疲れてきた頃、人の気配が山道からしてきた。懐中電灯を持っている島民が居るのか真っ暗な道が明るく照らされ、少し見てみた限りだと少なくとも十人は居るのが確認出来た。その内の一人は寝息を立てている簸子を抱いており、後少しで祠の前まで辿り着きそうになっていた。

 これ以上近付かせるのはまずいと感じてリュックから包丁を抜くと祠の前に立ちはだかる様にして飛び出した。秘色さんは少し遅れて私の後に続き隣に立った。先頭に立っていた老人が口を開く。その老人は朝顔を出していたあの人物だった。


「日奉さん……あんたァ何しよんね」

「皆さん! もう! もうこれ以上は止めましょう! こんな事続けてても埒が明きません!」

「何言いよんね。こん島に伝わっとる習わしじゃ言うんは日奉さんも知っとってじゃろう」

「御託はいいから。早くその子を放して」

「日奉さん。結局これはどういう事なんじゃ。なしてあん子が生きとるんじゃ」

「答えなくていいよ。……いいからその子を放して」


 包丁を向けながら近付くと懐中電灯を持った数人の屈強な男が老人を守る様に前に出てきた。明らかに体格差がある相手であり、いくら武器を持っているとはいえ一人で彼らを相手にするのは難しそうだった。秘色さんは私を守ろうして前に出ようとしていたが、彼女が動けなくなる事態だけは避けなければならないためそれを手で制する。


「……そうに助けたいんじゃったらお前がもう一回生贄んなったらどうじゃ?」

「どういう意味?」

「何じゃよう知らんが、神さんに連れて行かれても死なんかったんじゃろ? ほいならもう一回生贄んなりゃあこん子が死なんでもようなる」

「ふざけないでください! この子は! この子は……!」


 少しだけだったが頭に来た。彼らも仕方なくこういった儀式をしているものだと思っていたのだ。だから完全な悪人だとは思っていなかった。しかし今ので全ての見解が変わった。彼らに人の心なんて分かっていない。相手がどうなるかよりも自分達がいかに平和に生きていくかを考えているのだ。そのためならまだ幼い子供がどうなろうが何とも思わない人間なのだ。


「何もふざけとらん。こん島ん平和はのぉ、ワシらが昔っからずぅっと守ってきとるんじゃ。それに今までに捧げてきた子ぉらも幸せじゃろう。人ん役に立っとるんじゃけぇな」

「私は覚えてないから分からないけど、その子がそうだとは限らないでしょ」

「昔っからよう言いよったぞ。『人に迷惑ばっかりかけよったけぇいつか皆を助けたい』言うてな」


 心臓の拍動が速くなる。きっと彼らは本気で言っているのだろう。自分達を正当化しようとしているのではなく、それが本当に正しい事だと考えているのだ。自分達こそが正義であり、島を守る事こそが正義であり、そのために命を捧げるのはむしろ光栄な事だとそう思っているのだ。


「簸子ちゃんは! その子はそういう意味で言ったんじゃないです!」

「こん地に生まれた異様ことさまの定めじゃ。こん子も理解しとった筈じゃろう」

「コトサマ……?」

「この人達は……千草ちゃんや簸子ちゃんみたいに障害を持って生まれた子をそう呼んでるの……」

「人ならざる者として生まれたんじゃ、当然じゃろうに。初めっから神ん子として産まれたんじゃ」

「そういう事……」


 包丁を握り込み、一歩前に踏み出す。私の行動を見ても彼らは全く引かなかった。


「取りあえず言い分は分かったよ。でも悪いけどそれを認める訳にはいかない。これが最後の警告だよ。その子を降ろして」

「……捕まえェ」


 老人のその合図によって目の前に立っていた男が私を捕まえようと迫る。もう話し合いは無駄だと分かった。口で止められないなら、もうこれしか無かった。

 包丁を構えて前方に体重を傾けると、いとも容易くそれは体にめり込んだ。人を刺す感覚というのは初めてだったが、意外と大した事は無かった。もっとも私が正常な人間の感性を持っているのかという疑問もあったが、こうしてやってみても何も罪悪感が無いというのは現状有難い事だった。

 男が倒れる。


「千草ちゃん……」

「警告は終わり。放さないなら今から一人一人やるよ」

「何を怯んどんじゃ! 早ぅ捕まえェ!」


 私が本気だというのを察したのか他の数人はあっという間に私を取り囲むと、後ろから羽交い絞めにして包丁を奪い取った。あまりに圧倒的な力の差を実感し、このままでは二人して口封じに殺されるのは目に見えていた。秘色さんは私を助けようと動いてはいたが他の数人に取り押さえられ、簸子を抱いている人物は祠の方へと歩き始めた。

 脈が速くなり頭が痛くなり始める。嫌な汗まで出始め、呼吸まで苦しくなってきた。押さえつけられているからこうなっているのか、単にこの体に残っている過去の記憶が何かに反応しているのかまでは分からなかったが、少しずつ体が苦しくなってきているのは事実だった。


「千草ちゃん!」

「っふぅ……放して……っ」

「さっさと終わらせぇ。そこん寝かせるだけじゃ」

「駄目! 簸子ちゃん!」


 その時だった。私の体から何かがふっと抜ける様な感覚に襲われた。すると羽交い絞めにしてきていた男が突然唸り声を上げながら私を手放した。私だけでなくその場に居る全員が何が起こったのか分かっていない様子だったが、声を上げていた男はやがて静かになり動かなくなってしまった。あまりの事態にその場に居る全員が呆然としており、私でさえこの不可解な現象を理解出来なかった。


「ち、千草ちゃん今のは!?」

「わ、分かんないけど……」


 何が起きたのかは分からなかったがとにかく今こそがチャンスだと感じた私はすぐに祠の方へと向かっている島民へと駆け出し、相手の首元に組み付いた。そのまま倒れれば簸子が怪我をする可能性もあったため重心を移動させて自分が下になる様にして倒れ込んだ。

 背中を強く打ち付けて肺の中の空気が大きく漏れ出したが、何とか止める事に成功した。彼女を抱いていたその人物も先程の男と同じ様に突然呻き声を上げて苦しみ出し、叫び声の様なものを上げたかと思うと電源が切れたかの様に動かなくなった。

 その時、ふと私の頭の中から何かが消えていくのを感じた。それが何だったのかは思い出せないが、とても大切な帰る場所だった気がする何かだった。そしてそれによって初めて私は自分が何をしているのかを理解した。突然苦しみ出した様に見えていたが、これをやっているのは私だったのだ。

 倒れた衝撃のせいか簸子が目を覚ます。


「ん……あれ? ここどこ……? あれ、お姉さん? 何しとるん?」

「こっちにおいで……」

「え? なして皆ここに居るん? なしておじちゃん寝とるん?」

「いいから……」


 何が起きているのか分かっていない様子の簸子を近くに抱き寄せると、秘色さんを押さえつけている島民の方に手を向けて意識を集中させる。すると体から再びふっと抜ける感覚がして島民達が苦しみ始めた。秘色さんはまだ私が何をしているのか分かっていない様子だったが、それでも何かをしているというのは理解したらしく急いでこちらに駆け寄った。


「お前……何したんじゃ」

「……天罰だよ。ここに居る神様が、怠け者だから……わ、私が、代わりに天罰を……下す!」

「先生? 先生もなしてここに居るん? ウチ、なしてこうな暗い所居るん?」

「ごめんね簸子ちゃん……先生が、先生が……悪かったの……」


 ここでようやく理解出来た。彼女が言っていた先生とやらが誰なのか。彼女が何故自分の仕事を隠していたのか。その両方が理解出来た。言えないのも当然だろう。彼女も表向きとはいえ生贄の儀式に関わっているのだから。


「……逃げよう」

「うん。ほら簸子ちゃん先生と来て」

「ええけど。じいちゃんは?」

「お姉ちゃん。連れてって。無理矢理でも……」

「うん!」


 秘色さんは私の考えを汲んで簸子を抱き上げると暗い獣道へと逃げ出していった。灯りになる様な物は持っていなかったが携帯の一つでも持っているであろう彼女であれば問題無いだろう。

 私は老人を先頭にした島民達と睨み合いながらゆっくりと秘色さんが逃げた方へと移動すると飛び出す様にして後を追った。後方からは私達を追う様に指示を出す老人の声が聞こえ、数人がガサガサと追跡してくる音が聞こえ始めた。

 前方に僅かに見える携帯のものと思しき明かりを頼りに進んでいたが、自分用の照明は持ち出さなかったため足元が覚束ず、足を滑らせてバランスを崩して転倒してしまった。後ろからは足音が近づいて来ており、このまま撒くのは不可能だと考えた私は手探りで近くの木を探すと、もたれ掛かりながら立ち上がった。こちらに近付いてくる光の一つに手を向けて再び意識を集中させる。

 私の体から私の魂の一部となっていた水子が抜け出した。彼は真っ直ぐに飛んでいくと光の向こう側へと消えていった。するとドサッという音と共に懐中電灯が落ち、その光は目を見開いて絶命している島民の顔を照らした。


「誰、だったっけ……」


 もう思い出せなくなった。いや、そもそも本当に覚えていたのかさえも分からないが、私を育ててくれた人の顔が出てこないのだ。誰かから倒れているのを発見したというのを聞いた覚えはある。しかしその彼らがどんな顔だったのかどんな名前だったのか、それが思い出せなかった。育ててくれたという記憶だけが私の中にこびり付いていた。


「そこに居るんか!?」


 他の島民の声が聞こえ、このままではまずいと考えた私は懐中電灯を拾うと一瞬だけ秘色さん達の方を照らすと、後は灯りを消して記憶を頼りに駆け出した。相手はどんどんこちらに近寄ってきており、後少しで山から出られそうな所に来た私は素早く振り返ると先程と同じ様に手を向けて自分の一部となっていた彼らの一人を解放した。

 上手くいったらしく叫び声が聞こえてきたが、突然強い揺れに襲われてその場に尻餅をついてしまう。視界がグラグラと揺れており、木々の葉がざわめいていない事から自分だけがこの揺れを感じているのだと理解した。

 何とか立ち上がろうとするものの、まるで地面から伸びる何かに引っ張られるかの様に体が動かず、その場から動く事が出来なくなっていた。


「……いっか」


 これ以上はどうあがいても無理だと感じて寝そべる。私の体は背中のリュックのせいで浮いていた。

 元々私は自分がどうして……いや、あれ? 何だったっけ……どうして私、こんな事しようと思ったんだっけ……。秘色さんは外に出ないでって言ってて、でも私は……出なくちゃいけない、理由があって……そこであの子と……うん? あの子……? あの子って誰……? いやそもそも秘色さんってどんな人だっけ……。いや……私って……誰だっけ……。

 グラグラ揺れる視界のせいか考えがまとまらず、最早自分が何を考えているのかも分からなくなってきた。どれだけ頭を働かせようとも何の情報も捻り出せず、ただただ頭だけが痛んで動けないという状況しか理解出来なかった。


「……! ……ちゃん!」


 聞き覚えのある誰かの声が聞こえる。誰か二人が私を覗き込む。その内の一人が私に肩を貸して立ち上がらせる。誰なのかは分からなかったが、その人の匂いはどこか懐かしい匂いがした。


「……いん? ……?」


 小さい方が何かを言っている。時折私の体を擦る。何をしているのかよく分からないが、どこか自分に似た匂いを感じた。


「…………ごめん……」


 私の口から最後に自然と零れ出たのはその言葉だけだった。

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