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第弐話:せいかん

 風呂から上がった私は相当疲れていたのか食事を摂るのも忘れて自室に入ってすぐに眠ってしまったらしかった。気が付いた時には既に朝になっており、空腹を知らせる音で、ようやく夕飯を食べ忘れたという事に気が付いたのだ。秘色さんには悪い事をしてしまったと思い、せめて朝はきちんと食べようと畳から体を起こすと障子へと手を掛けた。しかしその時、聞き覚えの無い人間の声が聞こえてきた。


「なして……もん、連れ……ね」

「ですから……あの子……でして」


 秘色さんが誰かと話していた。声を聞くに恐らく60代程の男性と思われたが、内容は断片的にしか聞こえてこず何の話をしているのかは不明だった。しかし、「あの子」という言葉から何となく私に関連している内容なのだろうと予測をする事は出来た。


「あげな……るんよ。ようやっと……」

「はい……ええ、それはもちろん……」


 秘色さんは話し相手に申し訳なさそうな声を出していた。詳細は不明だがこの島の人達にとって、私は邪魔な存在なのだろう。思い返してみれば港に居た人々がこちらをジロジロと見ていたのも「厄介者が来てしまった」という思いからだろう。昔の私がここで何をしてしまったのかは分からなかったが、一つだけ確かなのは忌み嫌われるレベルの事をしてしまったという事だ。

 これ以上罪の無い秘色さんに謝らせるのは忍びないと感じ、障子を開けて玄関へと移動する。話をしていた老人は私の顔を見るとギョッとした表情になり、何も言わずにそそくさと帰っていった。正座をしていた秘色さんは小さく息を吐くと立ち上がった。


「ごめんね千草ちゃん。起こしちゃったよね」

「別にいいよ。それより、さっきの人は?」

「あっ何でもないんだよ。ほんとに何でもなくて……」

「そんな訳ない。お姉ちゃん、さっき私の事話してたんでしょ? それとも昔の『千草』の話?」

「あっ! お腹空いたでしょ? 昨日食べずに寝ちゃってたもんね! 朝ご飯作ってあるから食べよっか!」


 秘色さんはあからさまに何かを隠している様子でドタバタと台所へと足早に向かっていった。その様子を見るに私の事、あるいは『千草』の事を話していたのは間違いないが、本人に隠さなければならない様な事とは一体何なのか想像出来なかった。

 彼女にこれ以上尋ねたところで無意味だと感じた私は、彼女が用意した朝食を食べて一人で調べてみる事にした。昨日の彼女の言動のせいで以前の私はいい子だったのではないかと考えていた。しかし先程の島民の様子を見るに、かつての私はただのいい子ではなかったらしい。顔を合わせれば逃げられるレベルの人間だったのだろう。別に今の私とは関係のない事ではあるが、理由も分からないのに嫌われているというのは少し気持ちが悪く感じる。


「じゃあ千草ちゃん。お姉ちゃんお仕事に行ってくるね? お昼は冷蔵庫に昨日のご飯が入ってるからね?」


 私が食事を終えたのを確認すると秘色さんはそう言って家を出た。彼女が何の仕事をしているのかは分からなかったが、仮に尋ねたところで答えてくれないのは目に見えていた。更に家を出る前に彼女は追加でこう言った。


「あんまりお外出ないでね? 迷子になっちゃいけないからね?」


 どう考えても嘘だった。もう16歳にもなろうという人間が迷子になるのを心配するというのはあまりに不自然である。大方、島民が私の事を嫌っているから出てはならないという意味だろう。

 秘色さんが出て行ってからしばらく自室で待機すると内鍵を開けて玄関の外へと出た。空は今日も青々しく晴れており、眩い太陽が島全体を照らしていた。

 そんな光に少し目を細めるとここに入ってくる時に使った鳥居の下を潜る。昨日一度通った順路を逆向きに歩けば麓に着くだろうと考えた私は、昨日の道を逆戻りしながらいくつもの鳥居を潜っていった。

 そうして何度目かの鳥居を潜ったところで、何とか麓へと辿り着く事が出来た。この辺りはあまり住居も商店も無いせいか幸いな事に誰かに見られているなどという事は無かった。


「えっと……」


 まずはどこから調査をしようかと思案したものの、今の私であればどこを歩いても注目されて気付かれてしまうと考えたため、まずは町がどういう構造になっているのかを調べてみる事にした。

 色々と見て回り始めたものの住宅街の中に時折商店が混ざっているという特に変わった所の無い町であり、強いて一つ変わっている所を上げるとするならば至る所に小さな祠の様な物が置かれているという点だった。その祠の中には地蔵が入れられており、そのどれもが顔面部分が削られたかの様につるつるしていた。記憶を失っている私でも、それが異常な様相である事はすぐに分かったものの、それが何を意味しているのかまでは理解出来なかった。


「お姉さんそこで何やっとるん?」


 突然横から声を掛けられて驚いてそちらを見てみると、小学校低学年と思しき少女がこちらを見ていた。髪はボブカットになるくらいに切られており、左右の瞳の色合いが違っている様に見えた。


「えっと……初めて来た場所だから見て回ってただけ」

「そうなん? でもじーじ言いよったよ。お姉さんが帰って来た人じゃって」

「……そうらしいね。でもよく覚えてないんだ」

「ほうなん? ケホケホッ……お姉さんも大変なんじゃねぇ……」


 少女は具合が悪そうに咳をしていた。その際に見えた眼球の動きを見て、彼女の片方の瞳は色素が薄くなっているのではなく、機能しなくなっているのだと気が付いた。その目だけが動いていなかったのだ。


「大丈夫?」

「うん。ごめんなぁ。ウチ昔っから体弱ぉてねぇ」

「外に居て大丈夫なの?」

「うん。先生ェんとこに行く途中じゃけええんよぉ」

「先生?」

「うん。ウチの事診てくれとるの」


 詳しく話を聞いてみると彼女の言う先生なる人物は彼女が幼い頃から診てくれているらしい。そして毎日ここにある様な祠を周って参拝する様にとその先生から言われているそうだ。科学的に治療を行う医者らしくないオカルト的な指示だと思ったが、彼女の様に幼い子供にはそういった神頼みをさせて気持ち的に楽にさせるのかもしれないと解釈した。


「あっ、そろそろ行かんとウチ怒られるわ!」

「そっか。あのさ、えっと……」

「ウチ、葦舟簸子あしふねひるこっちゅうんよ」

「えっと、じゃあ簸子ちゃん。今日ここで私と会った事は誰にも話さないで」

「ええけど何で? 何かあるん?」

「……その、ちょっと秘色さんにサプライズ的なのを仕掛けたいから」

「おー! エホエホッ……分かった! じゃあ誰にも言わん!」


 簸子は楽しそうに笑いながら駆け出し、咳き込んだかと思うとこちらに振り返って手を振った。とても病弱だとは思えない程明るく元気な子であり、今初めて出会った仲ではあるが健康になって欲しいと思えた。彼女の姿が見えなくなるまで見送ると、再び地蔵の入っている祠に目を向けた。

 顔の部分がつるつるしているのが一番不自然な点だったが、よく見てみると供え物などがどこにも見当たらないのも少し気になった。こういったものには普通は何がしかが供えてあるのが普通だと思っていたのだが、目の前のそれには何も置かれていなかった。私自身の常識がおかしいのだろうか、それともやはりこの地蔵が異常なのか。

 これ以上思案しても何も分かりそうにないと考え、手の甲を擦りながらその場から離れる。次に行く場所が決まっている訳ではなかったが、いずれにせよ自分の足で調べなければ私が嫌われている理由は分かりそうになかった。


「お供えが無い……」


 考えない様にしようと思っていたものの、どうしても先程の地蔵の事が気になってしまい擦る手が止まらなくなっていた。このままモヤモヤしたまま調査を続けるのはどうしても落ち着かないので、仕方なく他の地蔵も調べてみる事にした。とはいえ町の人間に見つかれば間違いなく嫌な顔をされる上に秘色さんに報告される可能性があるため、なるべく気付かれない様に行動する必要があった。

 まずはバレない様に人気ひとけの少ない場所を重点的に調べようと山の周りから見てみる事にした。しばらく歩いていると先程の祠と同じ物が置かれており、中にはやはり何もお供えされていない地蔵が入っていた。そしてその顔はやはり存在していなかった。


「同じもの……」


 一つだけ顔が無いのであれば何らかの要因――例えば潮風による風食――によって無くなったという予測も出来たが、ここにある地蔵も全く同じ様に顔が存在しないというのは異様に感じた。自然と無くなったという感じではなく、何者かの手によって人為的に削られてこの様な姿にされていると考えた方が自然だった。

 その後、自らの説の立証を行うために更に山の周りをぐるっと一周してみたが、そこで見つけた地蔵全てが顔を削られていた。自分が見逃していなければ山を取り囲む様に四つの祠があり、それら全てに顔の無い地蔵が入っていた。

 太陽は既に空の真上に昇っており、丁度正午辺りになっていた。これ以上調査を続けると人目を引いてしまうかもしれないと考えて今日は一旦引く事にした。順路通りに鳥居を通って家へと帰ると、まずは秘色さんが夕飯として作ってくれていた料理を冷蔵庫から出して電子レンジへ入れる。


「地蔵か……」


 顔の無い地蔵というのは誰から見ても不可解な存在である事には変わりなかったが、それとは別にして私の中には奇妙な感覚が残っていた。あんな物は初めて見たというのに何故か郷愁の様なものを感じてしまっていた。昔の私が何かあの地蔵に縁のある人間だったのだろうかという予想も出来たが、過去全ての記憶が抜け落ちている私に「懐かしむ」という感覚がある事自体が奇妙なのではないかと感じた。

 温め終わった秘色さんの料理からラップを外すと、一人考え事をしながら食事を摂った。港町という事もあってか魚を塩焼きにして端に副菜を添えた様な料理であり、美味しいとは感じたがそれに懐かしさは感じなかった。私にとっては何故か顔無し地蔵の方がより強く懐かしかったのだ。


「……ごちそうさま」


 食事を終えた私は食器類をシンクへと持っていくと適当に水を張って置いておいた。自分で片付ける事が出来ないという訳ではないのだが、秘色さんが普段どんな方法で綺麗にしているのか分からないため勝手なやり方をするべきではないと感じたのだ。

 今日はこれ以上家から出るべきではないと考えた私は自室へと戻るとスーツケースの奥にぺったりと押し込まれていたノートを開くと、畳の上に寝そべって午前中に発見した地蔵に関する事を自分なりにまとめる事にした。


「顔が無い……山の周りには、四つ……お供えも無し……」


 お供えが無いという事はあの祠は形だけのものであり信奉されていないのだろう。簸子は先生なる人物の言いつけを守って律義に参拝しているらしいが、彼女は何もお供えしていないのだろうか。親や先生に言われてお供えはしない様にしているという可能性も考えられるが、そこまでする理由は何なのだろうか。顔が削られているという部分にも何か関係しているかもしれないが、そうだとしてもどういった理由なのだろうか。


「うーん……」


 手の甲を擦りながら頭を捻ってみたが答えは全く湧いてこず、食事で胃が満たされたからか少しうつらつつらと意識が微睡まどろみ始めた。何とかして意識を保とうとしたが、まるで何者かに乗っ取られるかの様に私の意識は眠気の霧に包まれていった。

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