第83話 地獄の沙汰も…、と言いますが…
寂しがり屋の水の精霊マリンちゃんを保護したあと、甲板に戻るとゲーテ船長が突然聞こえなくなった歌声に首を傾げていました。
「いったい何だったのだろうか、あの歌声は…。」
「まあ、何だって良いではないですか、無事もなかったのですから。」
ゲーテ船長の呟きに、私はそうとだけ言っておきました。
精霊のことを余り他人に話すつもりはありませんし、座礁事故の原因となっていたマリンちゃんのことを正直に話すこともないでしょう。
今後、ここでセイレーンの歌声による事故は発生することはなくなった、それで良いではないですか。
さて、館に連れて帰ったマリンちゃんですが、いきなり役に立ってくれました。
シャル君ですが、逃亡生活や海賊に捕らわれるなど怖い思いをしたせいか、夜うなされてよく眠れないのだそうです。
夜うなされて目を覚まし、怯えた表情でフランシーヌさんのベッドに潜り込んでくる。
そんなシャル君のことをフランシーヌさんはとても心配していたとのことでした。
夜寝る前にマリンちゃんがシャル君のベッドの傍らで子守唄を歌ってあげると効果てきめんでした。
それ以来シャル君は、朝までぐっすりと眠れて、夜中に目を覚ますことが無くなったそうです。
フランシーヌさんはマリンちゃんにとても感謝していました。
そんなマリンちゃんは私やアリィシャちゃんの契約精霊に囲まれて毎日が楽しそうです。
こんなにたくさんの精霊に囲まれたのは久しぶりなのですって。
「わたし~、契約していた人が~、お年で亡くって~悲しくて~お墓で~泣き寝入りしちゃったんです~。
そしたら~、ずいぶんと時間が過ぎてたようで~、起きたら~精霊を見える人が誰もいなかったんです~。
精霊のみんなにもおいてかれちゃったみたいで~、悲しかったんですよ~。
でも、何百年かぶりに~、契約していた人の~子孫に会えて~嬉しいです~。」
「やはり、マリンさんの契約者はロッテちゃんの先祖でしたか。
初めて会った時、マリンさんからロッテちゃんと似た気配が感じられましたの。
きっと、異端狩りにあったという集落がマリンさんのいた場所だったのでしょうね。
機会があれば、ロッテちゃんに話してあげれば良いですよ。」
同じ水の精霊同士、気が合うのでしょうか。
良くマリンちゃんと話をしているアクアちゃんを見かけます。
何の話をしているのか知りませんが、仲が良いのに越したことはありませんね。
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『海の女神号』は小島や岩礁が多いアーキペラゴを抜けてアクデニス海の大海原に出ました。
再び周囲一面大海原という変わり映えしない景色となったため、私達は朝食と夕食の時だけ船に顔を出すという生活に戻りました。
そして、一週間ほど過ぎた頃、朝食の時間にゲーテ船長が顔を見せました。
「お嬢様、今日の夕刻ロマリアに入港し、明日補給のために一日停泊しますが、お嬢様はいかがなさいますか。
ロマリアはアクデニス海沿岸きっての名所ですし、聖教の教皇庁もある所です。
船旅をされる方は、ここで停泊すると必ず下船してロマリアを見物しに行くのですが。」
ゲーテ船長の話では、今日の夕刻にロマリアの港に入港し、明後日の朝一番で出港する予定とのことです。
聖教徒ではない私には聖教の総本山を崇める趣味は無いのですが、せっかくここまで来たのですから挨拶をしておこうと思ったのです。
機会を見つけて意思疎通を図っておかないといつまた異端認定を言い出す人が現れないとも限りませんから。
私は、明日の朝食後、教皇庁に出かけると告げ、先触れと馬車の手配をゲーテ船長にお願いしました。
翌朝、私はアリィシャちゃんを館に残し、カーラとリーナを連れて船に戻りました。
聖教徒のリーナは教皇庁を訪れることに興味津々な様子です。
ロマリアの市街地を抜け、その外れに位置する教皇庁の敷地に入ると荘厳な礼拝堂を有する大聖堂が正面にそびえます。
私達を乗せた馬車はその前を通り過ぎ教会の裏側に位置する教皇庁の本部棟に回り込みました。
宮殿のような教皇庁の正面で馬車から降りると、先触れを立てておいたため待たされることなく教皇庁の中に案内してもらえました。
案内されたのは応接室ではなく、どなたか高位な方の執務室のようでした。
私達が部屋入ると、執務机から立ち上がった聖職者が部屋の中央に置かれたソファーに私達を招きます。
「ようこそ、教皇庁へ。
私は、教皇庁の枢機卿の一人で、ラビエルと申します。
以後、お見知りおきを。」
ラビエル枢機卿の態度は素っ気なく余り歓迎されている様子ではありません。
やはり、急な面会を申し込んだのがいけなかったでしょうか。
「お初にお目にかかります。
私は、帝国にて伯爵位を賜りますシャルロッテ・フォン・アルムハイムと申します。
この度は突然の訪問にも関わらず、お時間をお取りいただき感謝いたします。」
それでも昨日の今日で時間を割いてくれたラビエル枢機卿に、私は感謝の意を示しました。
「いいえ、異教徒の方との折衝が私の職務ですのでお気になさらず。
それで、アルム山脈の麓に居られる異教徒の姫が今日は如何なされました。」
私が、聖教の言うところの『魔女』であることはご存じのようです。
というよりも、ラビエル枢機卿が異端関係の総元締めなのでしょうか、異教徒との折衝が職務と言っているし。
「異教徒の姫は辞めていただけませんか、シャルロッテもしくはアルムハイム伯とお呼びください。
私は精霊信仰は生活に根ざすもので宗教とは捉えていないのです。
ですから異教徒と呼ばれるのは好きではございません。」
「これは失礼しました、シャルロッテ嬢。
して、聖教の信徒ではないシャルロッテ嬢が遠路はるばるお越しになるとは如何なご用件ですか。」
「いえ、用件という程の事はないのです。
実はアルビオン王国へ蒸気機関なる物を視察に行こうと思いまして、その途中で船の補給のためにこの町に立ち寄ったのです。
せっかくの機会ですので、ご挨拶をさせて頂こうかと思いまして。
やはり、異なる信条を持つ者ですから、お互いの意思疎通をしておきませんと要らぬ衝突が起きないとも限りませんので。
カーラ、あれを。」
私は後ろに立つカーラに指示し、ビロードの袋を一つ出させます。
それをラビエル枢機卿の前に置いて言葉を続けました。
「これはお近づきの印です、些少ですがお納めください。
私は自分の信仰を他人に広げるつもりはございませんし、聖教の布教活動の邪魔をするつもりもございません。
これからも、お互い良き隣人であれたらと思っておりますの。」
私が差し出した袋の中身を見て、一瞬驚き、その後ラビエル枢機卿は表情を和らげます。
袋の中にはソブリン金貨を三百枚ほど詰めてあります。これは下級貴族の年収相当の額になります。
「これは大変ご丁寧に、有難うございます。
そう言えば、先日のご活躍、教皇の耳にも届いておりますよ。
お一人でセルベチアの大軍を撃退したとのことでしたね。
教皇も、シャルロッテ嬢の働きに大変ご満足されています。
私としても、今後とも良き隣人として手を取り合えたら幸いです。」
ラビエル枢機卿は手のひらを返したように上機嫌になり、舌も滑らかになりました。
やはり、先立つものは重要ですね。
「ええ、是非ともそう願いたいものですわ。
ところで、私、一つ困っていることがありますの。」
「どうかなされましたか?」
「実は、先日、ズーリックの大聖堂を見学しに行ったのです。
私、聖教徒ではありませんが、聖教の歴史的な建築物は非常に興味がありますのよ。
そしたら、ミシェル神父にいきなり斬りかかられまして、結局大聖堂を見ることが叶いませんでしたの。
ミシェル神父、あの方、どうにかなりませんの。
私を異端者として成敗すると言って、こちらの言う事を聞いてくれないのです。」
こちらはついでですが、ミシェル神父のことは一言苦情を伝えておこうと思っていたのです。
「ああ、あ奴、いまはズーリックに居りましたか。
いささか独断が過ぎるので田舎に左遷したのですが、シャルロッテ嬢のお近くに遣ってしまうとは失礼しました。
早急に極東の未開の地にでも異動させますのでご容赦ください。」
鼻薬はとても良く効いたようです、これでやっとあの頭のおかしい神父から解放されます。
「ところで、ズーリックの大聖堂に興味をお持ちでしたのなら、ここの大聖堂を見学して行かれたら如何ですか。
総本山の大聖堂は信徒でなければ立ち入りを許さないなどを偏狭な事は申しませんぞ。
良かったら、私が案内いたしましょう。」
「それは願ってもないことです。
私もこちらの大聖堂は一度拝見したいと思っておりましたの。
そうそう、紹介が遅れて申し訳ございません。
私の隣に座っているのは、私の友人で一緒にアルビオン王国へ視察に行く、カロリーネ・フォン・アルトブルク。
私とは違い、敬虔な聖教徒ですのよ。
今日、こちらに伺うのをとても楽しみにしていたのです。」
「おお、そうでしたか。
それなら尚更、私がご案内することにいたしましょう。」
ラビエル枢機卿は上機嫌で私達を案内してくれることになりました。
奮発した甲斐があったようです。
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