第82話 今度はセイレーン?
さて、私達が乗っていることになっている『海の女神号』は順調に航海を続け半月後にはポンテス海を抜けてアクデニス海へ入りました。
狭い海峡を抜けてアクデニス海に入るとそこはアーキペラゴと呼ばれる海域で、狭い海域に大変多くの島が点在します。
その島の一つ一つが、地形やそこに住む人たちが形作った町の風景に個性があり、海を行き交う人々の目を楽しませてくれます。
私達もゲーテ船長からアーキペラゴの風景は見ないと損だと言われて、その日は朝食の後も館には戻らず船長お勧めの風景を堪能することにしたのです。
甲板に上がると大小の島々が幾つも点在し、ゲーテ船長の言う通りその一つ一つが異なる表情を見せています。
「今日は船に残って良かったですわ。
あの白い丘に連なる家々、白亜の壁が青い海に映えてとっても素敵な景色ですね。」
「ああ、この辺りには島全体があの白い石でできている島が多いんです。
柔らかい石で加工し易いので、島の建物の殆どがあんな風に白い石で造られているんですよ。」
リーナがすぐ近くの島の美しさを称賛していると、それを聞いていたゲーテ船長が横から説明を加えてくれました。
「きれいな景色でしょう、船のお客様にはこの景色を見逃さないようにお勧めしているのです。
でも、美しい景色とは裏腹に私達船乗りにとっては、気の抜けない海域なのですよ。
島が多いということは、岩礁も多いのです。
座礁しないように細心の注意を払って航海をしなければならないのです。
しかも、このところ、座礁して沈没する事故が多いのです。
救助された連中の中にはセイレーンが出たなんて訳の分からない事を言っている者も多くてね。
船乗りの間で変な薬でも流行っているのではないかと警戒しているんですよ。」
ゲーテ船長は幻覚症状が出るようなあぶないクスリが船乗りの間に流行っているのではと言っていますが…。
先日、ペガサスを目にしたばかりの私はセイレーンがいても不思議ではないと思ったのです。
リーナも同じ事を考えていたようで、私の顔を見て苦笑しています。
その時のことです。
「~♪~~♪~♪~~♪」
とても優しい歌声が何処からともなく聞こえてきました。
噂をすれば影というのはこのことですね。
「なんだ、この歌声は?いったい何処から聞こえてくるんだ?」
突然、船の外から聞こえ始めた歌声にゲーテ船長は狼狽しています。
無理もありません、周囲は海なのですから…。
ゲーテ船長は慌てて周囲を見回しますが、歌声が何処から発せられているかはわからないようです。
結論から言えば、ここにいるのはセイレーンではないようです。
ゲーテ船長の先程の言葉、救助された人は「セイレーンが出た」と言っていたのですよね、「セイレーンを見た」ではなく。
船から二十ヤードほど離れた岩礁、遠くて良く見えませんがそこに歌声の発生点がありました。
何故わかるかって?だって、そこから魔力が流れてきていますから。
魔力の流れを感じ取ることのできるリーナとアリィシャちゃんも歌声が何処から聞こえてくるか分かった様子です。
(アクアちゃん、ちょっと、あの子を連れてきてもらえる。
取り敢えず、歌うのをやめさせてもらえるかな。あの歌声はあぶない。)
私はそばに浮かんでいるアクアちゃんに思念を送ります。
(あー、あれは危険ですね。すぐにやめさせましょう。ここでは何ですので船室に戻って待っていてください。)
そう返事をしてアクアちゃんは岩礁に向かって行きました。
それからしばらくして歌声は止みました。
「歌が消えた、いったい今の歌声は何だったのだ。一瞬意識が朦朧としたぞ。」
ゲーテ船長が呟きました。
そうでしょう、あの歌声、魔力が乗っていましたものね、眠気を誘う類の。
それは、こんな岩礁の多いところで船乗り全員が居眠りをしたら座礁もするでしょうとも。
ただ、あの歌声、わざと眠気を誘っている訳ではないですね。
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船室に戻ってアクアちゃんの帰りを待っていると、同じサイズの精霊を連れてアクアちゃんは帰って来ました。
私達が腰掛けるソファーの前に置かれたローテーブル、その上にアクアちゃんともう一人の精霊が実体化しました。
「ロッテちゃん、連れてきました。」
アクアちゃんが言うとそれに続いて。
「こんにちは。初めまして~、マリンと~申します。」
寝起きのような少し間延びした声でマリンと名乗った水の精霊がペコリと頭を下げました。
「あなた、ネームド(名持ち)なの?契約者がいるのね。」
いきなり実体化したので驚いたのですが、どうやら契約者がいる精霊のようです。
「いいえ~、わたしが~、契約していた方は~もう何百年も~昔に~お亡くなりに~なりました。」
へえ、精霊って契約者が亡くなってしまっても実体化できるのですね、知らなかったわ。
あれ、そしたら母や祖母の契約精霊って何処に行ったのかしら?
今はそんなことを考えている時ではないわね、マリンちゃんの話を聞かないと。
「ええっと、マリンちゃんは何で、岩礁の上なんかにいたのかな?
それになんであんなところで歌っていたの?」
「わたし~、生まれた場所の~、泉を守って~いたのです。
なんか無性に眠くなって~、寝てしまったら~、樽に詰められて~船の中にいたのです。
一人ぼっちで寂しくて~、寂しさをまぎらわすために~、歌っていたら~、船が沈んじゃったんです~。
それで、気が付いたら一人ぼっちであの岩の上にいて~、寂しさをまぎらわすために~、歌っていたのです。」
どうやら、泉の水と同化して眠っていたら、水と一緒に飲み水として樽詰めされて船に乗せられたようです。
いけません、マリンちゃんと話しをしていたら眠くなってきました。
そう、このマリンちゃん、間延びした話し方と耳に優しい声質で、ただ話をしているだけで眠気を誘うのです。
先程聞こえてきた歌は、非常にきれいな歌声でとても上手な歌でした。
ただ、すごくスローな曲で、子守歌の様な耳に優しい歌だったのです。
それに、魔力を乗せて歌っていました。普通の人間ならば寝てしまうこと請け合いです。
「ねえ、マリンちゃん、あなた、何で歌声に魔力を乗せていたのかしら?」
「だって~、一人ぼっちで寂しいから歌っているのですよ~。誰かに気付いて欲しいじゃないですか~。
わたしはここにいるよ~って。」
ああ、そうですね。普通の人に精霊の声は聞こえないですものね。
普通の人に精霊の声を届けようとしたら魔力を乗せて増幅する必要がありますね。
どうやら、寂しがり屋の精霊の悪意のない行動が、人間に多大な迷惑を掛けていたようです。
「マリンちゃん、これからどうするの。
契約者がいないのでは帰る場所がないのではないですか。」
「そうですね~。ここにはお仲間が~たくさんいますね~。
わたしも~ここに~いても~いいですか~?
ここなら~寂しくないです~。」
私は別に構わないけど、私の契約精霊達はどうなのでしょうか。縄張りみたいなのがあるのかしら?
「ロッテちゃん、よろしいのではなくて。
ここには、私の他に、クシィやシアンもいます。
同じ水の精霊が多い方がマリンさんも楽しいでしょう。」
先回りするようにアクアちゃんが言いました。
アクアちゃんがそう言うのであれば、他の精霊達も異存はないのでしょう。
「じゃあ、マリンちゃん、これからよろしくね。
私はシャルロッテ、ロッテと呼んでちょうだい。
私の契約精霊のみんなを紹介するわ、仲良くしてね。」
「まあ~、ありがとう~。
これから~、よろしく~おねがいしますね。ロッテさん。」
こうして、眠気を誘う水の精霊マリンちゃんが仲間に加わったのです。
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