第63話 カーラを回収に行きました
さて、皇帝から呼び出されましたが、アリィシャちゃんを一人置いていく訳にもまいりません。
一方で、帝都の皇宮へ赴くのに付き人の一人もいない訳にもいかないのです。
私はリーナのところへ行き、カーラを引き取る一方でアリィシャちゃんを数日預かって欲しいとお願いをすることにしました。
例によって横倒しにしたトランクに腰掛けてアリィシャちゃんと二人で空を舞います。
「やっぱり、ロッテお姉ちゃんは凄いや。
こんな高い空を飛べるのだから。」
先程魔力切れで落ちた自分と比べてしまうのでしょう、私が高く飛ぶことに改めて感心しているようです。
春分を過ぎたとは言えまだ雪がちらつくシューネフルトの町は人影も疎らで、人目に付くことなくリーナの館のバルコニーに着地することが出来ました。
「ロッテ、どうしたの?まだ雪がちらついているのに空を飛んで来るなんて。」
バルコニーに面する私室の窓ガラスから私の来訪が見えたのでしょう、リーナが扉を開いて迎えてくれました。
「ちょっと事情があって数日アリィシャちゃんを預かって欲しいの。
外から訪ねて来ないと転移魔法のことがばれちゃうでしょう。」
そう話しながら私はアリィシャちゃんを伴って、リーナの私室に入れてもらいます。
リーナの私室のソファーに腰を落ち着けた私は帝国の皇帝から召喚状が届き、帝都へ赴かなければならないことをリーナに説明しました。
「それで、申し訳ないのだけどアリィシャちゃんを数日預かって欲しいの。
さすがに、皇宮に子供のアリィシャちゃんを連れて行く訳には行かないから。
それで、皇宮へ上がるのに付き人も無しという訳にはいかないでしょう。
少し早いけどカーラを引き取ろうと思って。」
「あら、そうでしたの。
帝都ですか、随分遠くまで行くのですね。
アリィシャちゃんを預かるのは数日でよろしいのですか?」
「それがね、よほど急ぎの用件らしくて転移を使って来いとのお召しなのよね。
母が使っていた転移魔法の発動媒体をそのままにしてあるという伝言付だったから。」
「なんか急な話ね。面倒ごとで無ければよろしいのですが。」
「本当よね。」
一通り事情を飲み込めたリーナはアリィシャちゃんに向かって言いました。
「アリィシャちゃん、今日からしばらくよろしくね。
夜は同じベッドで寝ましょうね。」
リーナはアリィシャちゃんが一人で眠れないことを知っています。
ちゃんと気遣ってもらえるようです。
「リーナお姉ちゃん、今日からよろしくお願いします。
今夜からはリーナお姉ちゃんと一緒に眠れる、うれしいな。」
アリィシャちゃんはそう言って礼儀正しくペコリと頭を下げました。
一人寝にならないで、安心したようです。
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しばらく、リーナと話していると、ヘレーナさんがカーラを伴って現われました。
「誰?」
私は思わず聞いてしまいました。
ボサボサだった栗毛のショートヘアは、肩甲骨の下まで伸びきちんとブラッシングされています。
ちゃんと手入れすると癖のない髪質だったようで、まっすぐサラサラの髪をハーフアップにまとめてあります。
まるで何処かのお嬢様のような雰囲気です、髪型を変えるだけで大分印象が変わりました。
「見違えたでございましょう。
いかがですか。貴族のご令嬢に仕える侍女という雰囲気に仕上がったと自負しておりますが。」
ヘレーナさんが自信たっぷりに言いました。
ヘレーナさんの後について歩くカーラは静々と小さな歩幅で歩き、我が家に居たときのような大股でドタドタ歩くようなガサツな動きは見られなくなっています。
立ち姿も背筋が伸びていてきれいですし、外見上はきっちり仕上がっています。
すると、ヘレーナさんの言葉を補足するかのようにリーナが言いました。
「カーラさんは凄いのですよ。この二ヶ月ほどで読み書きがとても上達したのです。」
以前、カーラの読み書きの勉強が捗らないで困っていると言っていましたが、その後何かあったのでしょうか。
「そうですの?何か短期間で読み書きが上達するような指導法が見付かったのですか?」
私が尋ねるとヘレーナさんがニッコリ笑いました。
「ロッテ様、読み書きを上達させようと思うのなら、文章に親しませることです。
そのためには興味を持つような書物を与えないとダメですよ。
聞くところによると、そちらのアリィシャちゃんは絵本が大好きで、読み進める間に上達したというではないですか。
カーラさんにも自発的に読みたいと思うような本を貸して差し上げたらグンと上達しました。」
どうやら読み書きの面でも、ヘレーナさんが手助けしてくれたようです。
「私の手許にカーラさんくらいの年頃の少女が好みそうな薄い本がたくさんあったので試しに貸して差し上げたら非常に気に入って頂けたようです。
文学的な表現の中々難しい文章もあるのですがしっかりと読みこなせるようになりました。
素晴らしい成果だと思います。」
カーラが好みそうな本ですか、冒険活劇か何かでしょうか。
そういえば、我が家にはその手の娯楽本は一冊もありませんでしたね。私が読みませんから。
今度、カーラが読みそうな本をハンスさんに仕入れてきて頂きましょうか。
「そうですか、どのような内容の本なのですか?
私が私費で購入して、この館に勤める他の十人の下働きにも読ませてみようと思うのですが。」
リーナも私と同じようなことを考えたようでヘレーナさんに尋ねます。
「思春期の少女が好むのは恋愛物と相場が決まっています。」
恋愛ものですか……。そういうジャンルの本は一つも読んだことがありませんね。
「恋愛ものですか?」
リーナが確認するように尋ねます。
「ええそうです。
私がカーラさんにお貸しした本は、館のお嬢様と侍女の禁断の恋の物語が多いですね。
侍女がお嬢様のピーにピーしてピーする話しが挿絵付きで展開するのです。
カーラさんったら、興味津々で夜遅くまで読んでいましたよ。
翌日に解らない語彙や構文を次々質問してくるので、非常に学習が捗りました。」
バリバリの艶本ではないですか、しかも偏った嗜好の人向けだし……。
やはり、この人に預けたのは失敗だったかもしれません。
「それ、恋愛ものですか?
女性と女性ですよね?なにか耳慣れない言葉も聞こえたような気がしますし。」
「リーナ、もうこの話はヤメにしましょう。
人には色々な嗜好があるんだと思っておけば良いわ。」
リーナには何時までも純真な心でいて欲しいです、ヘレーナさんの偏った嗜好に毒されてはいけません。
「は、はあ…。」
リーナはいまひとつ腑に落ちないようですが、この話はお終いです。
「読み書きの件はわかりました。
覚えた語彙に偏りがある心配はございますが、成人向けの本が読めるようになったのです。
後は語彙を増やすだけで良いでしょう。よくやってくださいました。
それで計算の方はどうにかなりましたか。」
私は話題を変えるために算術の進捗状況を尋ねてみました。
「ええ、その辺も抜かりはございません。
カーラ、あなたのお給金は今幾らですか?」
「はい、ヘレーナお姉様。月々銀貨二百枚です。」
お姉様?
「私がカーラにお貸しした本はだいたい銀貨三枚で買えます。
あなたの月々の給金では最大何冊買えますか?」
ヘレーナさんの買っている艶本って一冊銀貨三枚もするのですか。
中々庶民には手がでませんね。
「六十六冊です。ヘレーナお姉様。」
「正解です、それで手許に何枚銀貨が残りますか?」
「二枚です。ヘレーナお姉様。」
信じられません、足し算引き算ですら指折り数えて計算していたカーラが割り算を暗算でしました。
三ヶ月でこの成果ならば文句なしです。
「良く出来ました。良い子ね子猫ちゃん。今晩たっぷりご褒美を差し上げますね。」
「ヘレーネお姉様、カーラ嬉しいです。可愛がってくださいね。」
えっ……。
チョッと待ってください、何故カーラはあんなうっとりとした顔をしているのでしょうか。
ご褒美っていったい?
これはアブナイ兆候な気がします、早々に連れて帰るのは正解のようです。
「ヘレーナさん、良くやってくださいました。
期待以上の成果です。
姿勢も良いですし、物腰も穏やかになりました。身だしなみも完璧です。
おまけに読み書き計算も上達したようです。
予定より早いですがカーラは今日連れて帰ります。
約四ヵ月、本当に有り難うございました。」
私がヘレーナさんに感謝の言葉を告げると、目の前の二人があからさまに落胆しました。
「そんな……、ヘレーナお姉さまのご褒美が……。」
カーラから呟きがもれます。
「ロッテ様、まだ夜のご奉仕の方の調教…、いえ、指導が十分ではないのですが。」
今、ヘレーナさんの口からポロっと不穏な言葉が零れそうになりました。
慌てて言い換えましたが聞こえていますよ。
「そういうのは結構です。私は侍女にそのようなことは望んでいませんので。
艶本の世界と現実を一緒にしないでください。
さあ、帰りますよ、カーラ。」
ヘレーナさん、この人は本当に信頼して良いのでしょか?
リーナが毒牙にかからないか心配です。
落胆するヘレーナさんを放置のままで、私は少し変な性癖に目覚めかけているカーラを連れて帰ることにしました。
侍女としての教育はきちんとしてくれたみたいです。
これであれば帝都の皇宮に伴っても粗相をすることはないでしょう。
出かける支度を整えたら、早々に帝都へ行くことにしましょう。
お読み頂き有り難うございます。