復活した元勇者
「ところでここはどこなんだ?」
エルガーは疑問を持つ。
毒を飲まされて死んだという記憶は残っているため、死後に行ける世界なのはたしかなのだろうが。
(うん?)
頭を働かせていると「暗黒神の世界」という情報が浮かび上がる。
どうやらラスターの力と権能を取り込んだ副作用で、知識も流れこんだらしい。
「暗黒神は闇勢力の一角ではあるが、冥王とはまた違うのか……」
死んだ後に遭遇したので、てっきり冥界かと思っていたのだが違うようだ。
暗黒神ラスターは元々エルガーに目をつけていて、彼の魂が冥界に旅立つ前に介入したらしい。
死者は冥界に行くのが摂理というものだが、エルガーはラスターにとって代わって暗黒神となったため、そのルールからは解放された。
「つまり地上に戻れるわけか……」
アランたちへの怒りと憎しみがあふれ出しそうになるのをかろうじて堪える。
ただ殺すだけでは許せない。
「裏切られ、踏みにじられた俺の心は晴れない」
ならばどうすればいいのだろう。
元々頭を使うのが不得手なエルガーは、妙案が何も思いつかなかった。
王子にして剣豪のアラン、魔法使いのオスカーの二人がよく相談してエルガーに最終的な判断を求めるのが常だった。
今にして思えば何らかの思惑があったのかもしれない。
「ギリッ」
思わず歯ぎしりをしてしまったので、深呼吸をする。
「まずは地上に戻ることだ……」
それからどうするべきか考えよう。
王国に行くのは復讐方法を思いついてからのほうがよさそうだと思いながら、エルガーは初めて神の力を行使する。
闇に満ちた世界は消えて彼はまったく知らない場所へと現れた。
あたりを見回してつぶやく。
「参ったな。ここはどこだ?」
勇者だった時代に世界各地を回ったが、すべての国や大陸を訪問したわけではない。
運がいいのか悪いのか、一度も訪問したことがないところに出てしまったようだ。
「神になりたてだからか……? 未知の力を得ていきなりコントロールできるほうがおかしいか。ましてや神の力だもんな」
とエルガーは独り言をつぶやいて自分を納得させる。
「となると、コントロールできるように訓練したほうがいいな」
勇者だった時もそうだ。
最初から力をコントロールできたわけではなく、長い訓練の末に強くなったのだ。
「問題はどこでどうやってコントロールするかだが……」
と言いながらもう一度周囲を見回す。
左手には林と木造の小屋があり、右手には石造りの家が並んでいる。
右手はおそらく町だとは思うのだが、では左手は何だろうか。
気のせいでなければ異臭が左からただよってきている。
あまりいい感じはしない。
行ってみようと思ったエルガーが足を向けると少女の泣き声が聞こえる。
彼の心にはさざ波が起こった。
仲間たちの怒りが心を占めていても、暗黒神ラスターを取り込んで変化しても、少女の泣き声は届く。
(いや、同じじゃないな。駆けつけたくなるほどじゃない)
昔の自分だったら矢も楯もたまらず走り出していただろうとエルガーは思う。
たしかに変わった点があるのだ。
林の中を入っていくと、ほどなくして声の主を見つける。
ぼろぼろの服の少女とそのかたわらに老人が座り込んでいた。
犬のような耳と尻尾が生えていることから獣人だと見受けられた。
彼らは傷だらけで鞭で打たれたような傷があちこちらにある。
(どういう状況なんだろう?)
奴隷なのかと思ったが、それらしき首輪をしていない。
ならばいったい何だというのだろうか。
勇者として生きてきたエルガーの見識は深いとは言えない。
仲間だと思っていた面子に無知さを苦笑され、いろいろと教えてもらっていたものだ。
「どうかしたのか?」
迷った末にエルガーは彼らに声をかける。
話しかけられた獣人たちはビクッと体を震わせた。
彼を見た少女の青い瞳ははっきりと怯えを含んでいる。
「ヒッ」
エルガーが悲鳴をあげられたのは勇者となってからは初めてだった。
口を開きかけて彼は思いとどまる。
(今の俺はもう勇者じゃない)
正直、二度と名乗りたくはない。
いいように利用され、陰で笑われ、用済みになったら捨てられる道具。
それがエルガーにとっての勇者という存在だ。
しかし、他に名乗る名前を彼は持っていない。
エルガーという名前は魔王退治の旅のおかげで、世界に広まったはずだ。
この地域に届いていない可能性はあるかもしれないが、名乗るという選択肢は浮かんでこない。
みんなが安心する名前はもう使えなかった。
「俺は怪しいものじゃない」
「うそ!」
優しく話しかけたのにいきなり少女に拒絶され、エルガーは困惑する。
敵意はないが恐怖は多量に宿っていた。
念のため自分の姿を見てみるが、白いシャツに黒いパンツという暗黒神ラスターが彼に見せた服装と同じである。
少なくとも不審者扱いされる理由はないはずだ。
「ここは何という土地だ? 俺の知らない場所なんだが?」
そう問いかけても少女は震えながら見つめてくるだけで答えようとしない。
経験したことがない展開にエルガーは途方に暮れる。
「ここはハンプシャーという町です、謎のお方」
救ったのは彼女の隣で座っている老人だった。
「ハンプシャー……知らない名前だな」
「おじいちゃん!」
少女が祖父に抗議するように叫ぶ。
それに対して祖父は力なく笑う。
「大丈夫だ、アンナ。この方は敵ではあるまい。敵ならこうして話しかける必要などないだろう」
「それは……そうだけど」
アンナは力なく祖父の指摘の正しさを認める。
「まずは治療をしよう」
とエルガーは言い、そっとヒールの呪文を唱えてみた。
すると魔法は発動しない。
(暗黒神になったせいか? ヒールの魔法は光の神に頼る魔法だからな)
光の神と暗黒神は対立関係にあるという伝承にあったし、ラスターから流れてきた記憶でも変わらない。
魔王や魔族たちも光の神に関する魔法は使ってこなかった。
ではどうするか。
エルガーはラスカーの知識をさぐって闇の魔法を見つける。
「【ゲフュール】」
暗黒神としてじゃなくて勇者として使ったつもりだった。
それでも二人の傷は一瞬で完全に癒えてしまう。
「……え?」
アンナはポカーンとする。
自分の身に何が起こったのか彼女はすぐに理解できなかった。
「治癒魔法ですか……聞き慣れぬ呪文ですが」
老人のほうはすぐにわかったようであるが、驚きは孫娘と差がない。
「ありがとうございます。親切なお方。孫娘の無礼をどうかお許しください」
「いや、境遇から他者を警戒するのは理解できる」
エルガーは老人の謝罪に微笑んで答える。
彼がかつて助けた人たちは、全員が素直に感謝してくれたわけじゃない。
他人の親切を素直に受け入れられない、何かの謀略かと疑う人たちもいた。
それに比べたらアンナはただ警戒しているだけである。
誰かに優しくされることがなかったのだろうと思えば胸が痛む。
(……やっぱり俺は捨てられない。何も悪くないのに虐げられている人を、無視するなんてことはできそうにもない)
勇者となる前からのエルガーという存在の根本は、どうやら変質しなかったらしい。
「怯えさせてしまってすまない」
エルガーが頭を下げるとアンナがポカーンとする。
まさか相手のほうが謝るとは夢にも思っていなかったようだ。
「……ううん、私こそごめんなさい」
エルガーの落ち着いた対応で彼女は自分自身こそよくないと考えることができた。
気まずそうに謝る。
老人はそれを見てほっと安堵の息を吐き出す。