第一話 開かれた戦火 ※
時はボルトロール王国より宣戦布告を受ける少し前となる。
ここはラゼット砦。
エクセリア国の東の国境を守る砦。
ここがエストリア帝国で東端の時代だったときからラゼット砦の役割は変わらない。
千年前よりエストリア帝国はゴルト大陸西側を支配してきたが、その領地は豊かで平地が多い。
平地は農業に適しており、豊な恵みのある土地なのは説明するまでもない。
それに引き換え、ゴルト大陸東側は山岳地帯が多い。
つまり、人が住むに適しているのは西側である。
特にこのラゼット砦より東側には険しい山岳地帯が続いており、この山岳地帯に住む人間の事をエストリア帝国人は『蛮族』として蔑んでいた。
その理由は明白である。
この蛮族はエストリア帝国が有している平地の領土が欲しくて堪らないのだ。
事ある毎に蛮族がエストリア帝国へ戦いを挑んできたのは過去の歴史が証明している。
そのような背景から、過去よりラゼット砦があるこの『境の平原』は国境をめぐる戦いの舞台となってきた。
そんな小競り合いがすっかり減ったのはここ最近の十年。
蛮族の国も東より侵攻を受け、国名がボルトロール王国に変わった時からである。
厄介事が減ったのは歓迎すべきであったが、それでもこの蛮族の国を支配しているのがあのボルトロール王国。
ボルトロール王国は、昨今、軍事国家として急拡大している国だ。
きな臭い噂も多数あり、最近のクリステの乱も裏ではボルトロール王国が手を引いていたという噂が有名である。
そして、ラゼット砦を運営する国家が、エストリア帝国からエクセリア国に変わってからも、国王ライオネルは決して油断する事なく国境警備を命じてきた。
しかし、このラゼット砦から見える風景は今日も変わらない。
『境の平原』と呼ばれる国境付近の平原は、農地も整備されず、ただ自然の草原が続く地帯。
草原が赤い夕陽に染まる風景と、その草原の向こう側に見える山岳地帯。
その山の裾には蛮族の住むフロスト村、そして、少し山側へ入ったところにはエイドス村がある。
ラゼット砦に在籍する者はそこに村がある事を知識として知っているが、その村に訪れた者は少ない。
何故なら、この地は過去より軍事的な衝突が多く、東側諸国とはあまり交易も持たないためである。
エストリア帝国とボルトロール王国との交易はゼロでは無いが、その大半は大型の街道が整備されているゴルト大陸南側の南岸街道を使うか、ゴルト大陸北岸側を回る海路のどちらかである。
態々、険しい中央の山岳地帯を超える意味はない。
そんな背景もあり、本日もこのラゼット砦からボルトロール側を警戒していた若い衛視は、普段どおりの変わらぬ景色にあまり興味が沸く事も無く、「本日も異常なし」と判断する。
本日の仕事を全うした彼は次の時間帯の衛視へ職務を引き継ぎ、定められた記録紙に「異常なし」と書き入れた。
昨日と同じである。
その記録紙を書庫に保管し、自分の上司に報告する。
「本日も異常ありません」
上司の『ラゼット砦の太守』も「うむ」と短く応えて、こうして彼の本日の仕事は終了した。
少し早いが、鎧を脱いで、食堂に足を向ける。
食堂からいい匂いが漂っていたから、それに誘われたのだ。
「うむ、今日はビーフシチューか」
彼は漂う匂いから今晩の献立が自分の好物だと解ると、直ぐに腹の虫が鳴いた。
このように、衛視や職員の士気が上がる良質な食事を提供している砦はこの世界でも珍しい。
歴史のあるラゼット砦は度重なる環境改善が成されており、現在はゴルト大陸で屈指の良い労働環境の砦でもある。
環境が良いのはこのラゼット砦が陥落せずに千年以上永きに渡り存続しているのが理由のひとつ。
継続的な改善が成されているためである。
そして、その砦は外部の城壁に硬質な石材が使われ、物理的な守りも申し分ない。
加えて、魔法を阻害する結界も施されている。
砦の規模も千人以上の兵が詰めており、その内側には井戸や簡易的な農地も整備されている。
長期間の籠城戦も可能だ。
そんな難攻不落のラゼット砦は既に村と同じ規模であった。
このような砦となっているため、ここには衛視、兵士の他に傭兵や一般人の多くが働いている。
食堂で働く給仕女性もそんな一般人のひとりだ。
彼女はいつもより早く来た若い衛視の顔を見つけて、声を掛けてきた。
「あら、衛視さん。今日は早いですね」
「うん。今日は食堂からおいしそうな匂いがしてきたので・・・」
若い衛視は自分の嗅覚を信じて、期待を込めた顔で女性給仕にそう問う。
その若い衛視の期待を察した女性給仕は笑顔で応えた。
「あら、食いしん坊ですね。今日の献立はビーフシチューですよ」
「やはり!」
若い衛視は何かを噛みしめるように拳をグッとさせ、嬉しそうにした。
そんな姿を見た女性給仕は以前からこの男性に好印象を得ていたが、今日は特に良いと感じる。
「それじゃあ、衛視さん、こっちに座って。早く来たお礼に一番美味しいところを出してあげるから」
「ええ? 本当に!」
若い衛視は思い掛けないチャンスに喜ぶ。
勧められた席に座ると、一旦奥へ下がった女性給仕を期待の籠った眼差しで待つ事にする。
そして、しばらくすると、お盆に大盛のビーフシチューを乗せた女性給仕が再び現れた。
彼女曰く、一番美味しいところを持ってきたらしい。
若い衛視は幸運に胸が躍り、早速食べてみると、その期待は裏切られない味。
「うまいっ!」
喜んで、かき込むよう食べる青年。
そして、いつの間にか隣に女性給仕が座っていた。
「・・・だから、下階の食堂で働いている私の友達が困っていてね。傭兵からいつも厭らしい視線で見られるって・・・」
「ううん、そうだね」
若い衛視からの返事が多少散漫なっているのは会話に完全集中していないからである。
彼は美味しいビーフシチューを食べるのに忙しい・・・だけが理由では無い。
そのシチューの賞味さえも今は散漫になっている。
何故なら、彼の集中力の大半は隣に座る女性給仕の衣服の隙間から覗く胸元にあった。
彼の意識の何割かは、その豊かな胸元を見ることに費やしている。
女性給仕もその事は解っていた。
解っていてやっているから当たり前である。
彼女は巧みに自分の価値を男性にアピールしていた。
娯楽の少ないこの砦では、このように将来有望な若い衛視を誘う女性給仕の存在は珍しくない。
食事をしながらも、様々な幸運に心の中で小躍りしていた若い衛視だが、ここで邪魔が入る。
ガン、ガン、ガン
「こらぁ、アイリン! そんなところでサボるなっ! さっさとこちらに戻ってきて仕事をしろ!」
料理長がフライパンを叩き抗議する。
若い女性給仕はそれを聞いて、シャツの一番上のボタンを閉めてサッと立ち上がる。
素早い身の熟しであり、彼女が意識的に胸元を若い衛視に見せていた事実は料理長には解らせない。
よく慣れた技だった。
「ヤバッ! 行かないと」
女性給仕はそう言って、若い衛視の元から去ろうとするが、去り際にこう伝えてきた。
「私、夜十時に仕事が終わるの・・・そうしたら続きを・・・東南の塔のバルコニーで逢いましょう」
彼女の瞳の奥は熱を帯びている。
そんな積極的な女の誘いに、若い衛視は唖然としてしまい、手元からビーフシチューのスプーンを落としてしまうのであった・・・
「素敵っ!」
女性の声が響くのはラゼット砦の東南に聳える塔のバルコニー。
夜の暗がりの中、この場所で若い男女が睦み合う姿はこのラゼット砦で有名な事。
勿論、非公式ではあるが、娯楽の少ないこの砦で黙認されている事でもある。
今、給仕女性を抱く若い衛視も、過去の夜勤の際に同じような光景を見かけた事がある。
その時は『コノヤロウ』と羨まし気に思いながらも、通報しなかったのは先輩より続く風習。
そして、今晩は自分がその娯楽を楽しむ番となっていた。
この給仕女性から気に入られて、誘いを受け、そして、女を抱く。
口付けすれば、そこからはいい香りが漂ってきた。
男から理性を奪う魔性の匂いだと思う。
「ああ、なんて可愛い姿」
女の色香に男は堪らない声を挙げるが・・・ここでまたして邪魔が入った。
暗い闇の夜空に一筋の光が現れたと思えば、それが急に広がり、周囲が明るくなる。
「えっ!?」
「なんだ? どうした!」
男と女の逢瀬は止まり、突然に夜空へ展開する光に意識が向く。
そして、その光はゆっくりと収斂し、ひとりの男性の姿が映し出される。
彼らは呆気に捉われて、その姿をボーッと見るしかない。
光の魔法で映し出された男は近代的な深緑色の軍服姿を纏い、負傷したのか右目には眼帯をしていた。
そして、その男の口よりはゆっくりとボルトロール訛りのゴルト語が述べられる。
「・・・私は、ボルトロール王国、西部戦線軍団総司令のグラハイル・ヒルトだ。本日、八月三十日午後十時零分を以って我が王国はエストリア国に宣戦布告をする!」
「なんだって!」
若い衛視は驚きの声を挙げるが、その直後に東の山の中腹で何かが光った。
ピカッ!
「光った! 何が起こる?」
監視が仕事であつた若い衛視はその変化に素早く気付いて女性を抱きながらも何かが来ると感じ、身構えた。
ヒュルルルルルン
光の玉が凄まじい速度で接近し、そして、それがラゼット砦の東側城壁の中央部分へと命中。
その直後に受けた衝撃の大きさは彼がこの世で知る最大のものとなる。
ドカーーーーーーーーン!
その直後、壁は一瞬にして瓦解。
光の玉はそれだけでは止まらず、城壁を突き破り、司令部がある中央棟を正確に直撃して、建物を完全に破壊した。
ドーーーン、ガラ、ガラ、ガラ!
大きな音を立て崩れる中央棟。
そんな一瞬の崩壊・・・若い衛視は我が目を疑う。
「キャァーッ!!」
驚いた給仕女性からしがみ掴まれたが、衛視に興奮を感じている暇はない。
「そ、そんな!・・・ここは難攻不落のラゼット砦だぞっ!」
魔法防御や物理防御も完ぺきな鉄壁の砦。
それが一発の魔法攻撃で瓦解するなんて・・・とても信じられない。
中央棟には自分達が先程まで居た食堂もあったし、司令部、そして、衛視や兵士、傭兵の宿舎もある。
言うなればこのラゼット砦の要。
そこをピンポイントで狙われたと言う事は、つまりこれが敵からの攻撃である事は明白。
そして、その敵とは・・・
衛視がそこまで考えたところで、壁面より黒尽くめの一団が飛び出して来た。
「ヒャッハーーーッ。俺様登場だぜぇー!」
気を昂ぶらせた下品な男の声が辺りに響く。
現れたのは百名ほどの全身黒の集団。
その黒尽くめの集団は、手の甲に爪のような武器を携え、夜の壁を登の侵入した不審人物。
そのリーダーと思われるひとりが、そんな奇声を発して、スタッと東南の城壁の内側に降り立つ。
当然だが、それを見た若い衛視は声を荒げた。
「なぁ、何だ!! 貴様ら曲者かっ! まさかボルトロールの手の者・・・ぐわっ!」
「ああん? なんだ、この男は? ありぁ! 条件反射で殺しちまったじゃねーか!」
その男は鉤爪のような武器を使い、言葉よりも早く若い衛視の顔を串刺しにしていた。
一瞬で脳へと達する刃。
これで若い衛視の生命は奪われ、絶命する。
そして、遅れて血が噴き出した。
その返り血を浴びた女性給仕が、悲鳴を挙げようと口を開くが、それは叶わない。
何故なら、衛視を刺した人物が素早く彼女の口を塞いだからだ。
「う・・・」
「まぁまぁ、ネェーちゃん、あまり騒がないでくれよ。おっと、ここでイイことしていたのかなぁ?」
少し前まで男と抱き合っていた彼女の姿を思い出し、厭らしく舌舐ずりをする。
「おい、お前達ぃーっ、俺らは突撃部隊だ。本隊よりも先にこのラゼット砦を蹂躙してやろうと思っていたけどよぉ~、少し気が変わったぜ。まずはこの女を侵略してやるかぁ!!」
「へへへ、ギース隊長も面白い事を言いますねぇ」
彼の部下の男達もつられて厭らく笑う。
「もう、この砦の本部は新型兵器でぶち壊したんだ。大した敵なんて残っちゃいねぇよ。お前達だけでもここを制圧できるだろう。さっさと制圧して女を一箇所に集めろや。正規軍が来る前に済ませるんだ。早く仕事を終わらせたら、それまでは自由時間。いつもどおり楽しくやりゃいい!」
「おおーっ!!」
ここでやる気を出すボルトロールの兵。
そして、方々へと散って行く。
彼らは自分の隊長であるギースよりラゼット砦の制圧に加えて、女性に乱暴しても良いと許可を得たからである。
自分の欲に素直な彼らはボルトロール王国の西部戦線軍団所属の特殊突撃部隊。
超戦略級の魔法攻撃の後、ラゼット砦へいち早く侵入し、ここを制圧するのが彼らの任務。
そして、その制圧に障害が発生した場合、女性を少々懲らしめることも戦争屋の彼らには赦される行為であった。
それはボルトロール軍の軍規を拡大解釈した場合の話ではあるが、そのように認められた役得を逃す彼らではない。
「へへへ!」
盛のついた狼のように厭らしく涎を垂らし、エクセリア国の残された兵を次々と殺し回る彼らの姿は異常そのもの。
そして、ここに残っているのは、半裸の給仕女性とその特殊突撃部隊の隊長ギースだけ。
ギースは半裸の給仕女性を見て、気を昂ぶらせている。
「西の女は胸がでけぇって聞いているんだ。普段からいいもの食っているからなぁ!」
「ヒッ!」
「ヒヒヒ、さぁーて、これから楽しませてやるぜぇ~!」
厭らしい笑みのギースを見た女性は恐怖するしかない。
「い、嫌ぁーーーーーーー!」
給仕女性の声は絶望に変わり、その声が砦に木霊する。
しばらくすると、同じような女性の悲鳴が砦のあちらこちらで聞こえてきた。
それはギースのその部下達がこの砦で残された女性に乱暴の限りを尽くしているからだ。
戦争の悲惨な結末のひとつがここで起きている。
そんな女性達への凌辱はボルトロール軍の本隊がここへ到着するまで続けられる事になる・・・
こうして、ラゼット砦は歴史上初めて陥落する事になった。