第十話 白魔女+漆黒の騎士、対、龍(其の一)
「フフフ、なかなかの出来だ」
銀龍は自分の施した魔法の出来栄えを自画自賛した。
それはサハラを覆う六角柱の水晶の魔法の事だ。
その魔法は銀龍にして久しぶりに行使するものであり、手順を忘れているかとも思っていたが、どうやら上手くいったようだ。
最近、気分の優れない日々が続いていたが、これで少し上機嫌となる銀龍。
しかし、それを破る声が後ろから響いた。
「お前が銀龍ね! サハラちゃんを返してもらうわ!!」
そんな人間の女性の声を聞いた銀龍はゆっくりと後ろを振り返る。
そこで目にしたのは空中から落下してくる奇妙な仮面を付けた人間の男女とその人間に抱えられていた三人のエルフ達。
それは言わずと知れたハルやアクト達であり、銀龍の怒りの咆哮を聞き、事態が暗転したと思い、ここへ駆けつけたのだ。
銀龍は彼らの存在を解っていた。
銀龍の広い感覚により昼間から感じていた侵入者達。
されど、小さき者として放置していた者達でもある。
「人間め。ここまで侵入してこようとは・・・お前とお前は最近この『閉じられた土地』へと入ってきた奴だな」
銀龍スターシュートがそう言うように、アクトとハルについては少し前からこの地に侵入してきたのを察知していた。
南部のシロルカの花畑にて偶然彼らを発見したスターシュートはその場でこのふたりを滅したと思っていた。
しかし、その数日後に同じ気配を『溶岩の海』の西側で感じる。
銀龍は早速、自分の意のままに操れる魔物、『溶岩蛇』と『剛力』をそこに向かわせてみたが、意外にもこの人間達はその魔物を退けた。
そんなことは初めてであり、しばらく様子を見てみようと銀龍は判断する。
そうしているうちに次は紫色の雲の魔物をやっつけてしまったのは先程の話。
「人間にしてはやる・・・私の『溶岩蛇』と『剛力』、そして、『罪の雲』を破るとは・・・」
銀龍はそう評して、自分の塒に侵入してきた人間の顔と心を観る。
「お前は・・・漆黒の騎士アクト・ブレッタ・・・そして、お前は・・・白魔女ハル・・・ふむ、それ以上私に心を見せないとは魔法防御力が高い・・・お前達は本当に人間か?」
そんな銀龍の指摘に応えたのは白魔女ハル。
「銀龍は魔法で私達の心を観ようとしたのね。そうはいかないけど、私達の名前ぐらいならば教えてあげる。私達もアナタの名前をスターシュートだと知っているからね」
ハルは挑戦的にそう答える。
相手が巨大な龍でも臆さない。
少なくとも表面上はそうやって強がる。
そうでもないと、すぐにでも怖気付いてしまう。
それほどの迫力がこの銀龍から発せられていたからだ。
目測で全長は百メートル、全幅はまだ解らないが、その翼を広げるとおそらく八十メートルになると思われる。
そして、全身が銀色の鱗に覆われた巨大な爬虫類のような生物。
ハルの世界でこれ程の巨大生物を見たことが無い。
例えるならば、航空機ほどの大きさである。
そんな生物など、ただそこにいるだけで恐ろしいと感じてしまうのは、人間の感覚として正しいのだ。
そして、その銀龍はこの矮小な存在である人間に対し、フハハハ、と笑い飛ばす。
「これは愉快。その怖気付かない胆力。そして、私の作った三魔物を見事に倒した。その勇気に免じて、この場は見逃してやってもいい」
不遜であり、上から目線の態度を続ける銀龍。
そんな態度にハルは不服ながらも自分の言いたい事を言う。
「あら、ありがとう。ならば争わなくて良さそうね。サハラちゃんをさっさと返してくれれば、私達はここに用は無いわ」
「サハラと言うのはこのエルフの小童の事か?」
「ええそうよ」
「ならば、その答えは否だ。この小童はもう私のモノである。そこの邪なヴァンパイアからの献上品よ」
銀龍スターシュートが顎で示す先には絶命したシャムザの亡骸があった。
身体の半分だけが綺麗に骨だけとなっていて、内部の内臓や肉、脳は吹き飛び、もう生きていないのは誰の目にも明らかである。
無残な死骸に少しだけ眉を顰めるハル。
よく見てみれば、似たような亡骸がこの巣に点在していた。
銀龍がここで亜人を殺害するのは、よくある事なのだとハルは思う。
「シャムザから献上されたのかも知れないけど、それは取り消しね。サハラはまだ子供。親の元に帰されるべきよ」
「そ・・・そうです。サハラは私達の娘。銀龍様、返してください。私が身代わりになります」
恐れと畏怖から、それまで声を出せなかったローラだが、自分の娘が捕らわれている姿を見て、意を決した。
そんな怖気気味のローラの姿を観て、銀龍はニヤッとする。
「なるほど、お前が先代『森の巫女』・・・名はローラか・・・そして、お前が夫のスレイプ・・・こっちはその親のソロだな」
銀龍は次々と名前を言い当てる。
魔法で心を探ったからである。
エルフ達は心に守りの魔法が掛かっていないため、容易に探る事ができた。
「娘を返せと言うが、それはならん。先程も言うとおり、この小童はもう私のモノ。返すつもりなど無い」
そう言い切る銀龍にローラは食い下がった。
「そこを何とかお願いします。私が娘の代わりに生贄となります。だから、娘を・・・サハラを返して!」
「くどいぞ! それに、そこのヴァンパイアも『生贄』、『生贄』と勘違いをしていたが、それは違う」
そう言い躯となったシャムザを指す。
何かに失敗して銀龍に殺されてしまったシャムザに一瞬視線を移すローラであったが、彼女は勇気を振り絞り、再び銀龍と向き合い会話をする。
「『生贄』でないとするならば、一体何のためにサハラを・・・」
「それは簡単な事・・・この小童は私の先兵となって貰う。人間を滅ぼす先兵となるのだ」
「に、人間を滅ぼす・・・どうして!?」
ローラは銀龍の突然の言葉に信じられないと思う。
これまでの銀龍とは中立の立場。
人間やエルフなど人の営みには無関心に近いと言われていたからだ。
そんな銀龍が突然に人間を憎む理由が解らない。
「折角、この場に人間もきているのだ・・・教えてやろう」
クククと銀龍は静かに笑い、言葉を続けた。
「それは簡単な事。私は偉大な方よりお告げを受けたからである・・・『人間を滅せ』と・・・」
さも決定事項のようにそう短く述べる銀龍。
「人間とは悪しき存在。この世界に巣くう病魔。このままではゴルト大陸は穢され、堕落してしまうのは必至。そこで偉大な方は『人間の滅亡』を願われた・・・しかし、私は別の偉大な方からも制約を受ける身・・・人間の数を多少減らす事は許されているが、滅亡させるまでの権限はない・・・そこでお前ら亜人達を先兵として使う事に決めてったのだ。それならば、私が直接手を下すのとプロセスは違う。今までこの地に住まわせてやったのだ。今こそ恩を返す時ぞ。さあ、亜人の代表よ。我の意思を履行する時が今来たのだ!」
「・・・そ、そんな・・・」
ローラは青ざめる。
銀龍が望んでいるのは亜人と人間との全面戦争。
そんな命令に打ちのめされてしまうローラ。
少し前の彼女であったら――敬虔な銀龍の使徒である『森の巫女』の時ならば――今回の銀龍の決定に従ったのかも知れない。
しかし、今は駄目だった。
過去にエルフと人間はいろいろとあったのかも知れないが、現在のローラは人間の印象が変わっている。
それはハルとアクトの存在。
彼らは不憫な自分達の事を友人として認めてくれて、そして、ここまで一緒に来てくれた仲間。
そんなハルやアクトを『信じられる仲間である』と思い始めている。
そんな彼らを裏切るような真似をエルフとしてはしたくないとローラは思う。
それに加えて、ハルの魔法で見せられた外の世界の情報。
外の世界に住む人間の生活レベルの高さと人口の多さを改めて知る。
これは辺境に住む亜人と比較して圧倒的な戦力差であると言わざるを得ない。
そんな大多数と戦をしても、初めから戦略的に負けの未来しか見えてこない。
この状況で人間と戦争をしようものならば、本当に種族としてエルフの滅亡が待っているような気がした。
こうした政治的な感覚を持つローラは今回の銀龍の決定を受け入れる事ができない。
結局、どうしていいのか解らなくなり、ヘナヘナヘナとその場へ座り込んでしまうローラ。
そこにスレイプが駆け寄りローラを助けたが、その顔色は最悪だった。
そんなふたりを脇で黙って見ていたアクトだが、ここで一歩前に進み出る。
「銀龍よ。我々人間の居る前で随分と楽観的な宣戦布告をしてくれるものだな。俺達は人の数も多く、強い。貴様がエルフ達にこんな命令するのは『この辺境の民に死ね』と命令するのと同義だぞ。千年以上も彼らを守って来たのに、この地の為政者として責務は無いのか!」
アクトはそう言って、怒りを隠さない。
「黒い人間――アクト・ブレッタだったか――お前の指図は受けぬ。ここは私の支配地。その領民をどう扱おうと私の勝手だ・・・為政者とな? そんなものなど人の考えたシステム。人の世界で営む社会の代表者としての呼称以上の意味はない。私はひとりでも強く、そして、正しいのだ。その私はお前達が『辺境』と呼ぶこの地の支配者であり、このゴルト大陸の管理者でもある。それは偉大な方より任されている責務・・・まるで呪いのようだがな」
ここで、少し不満の色を覗かせる銀龍であったが、それは一瞬である。
そして、銀龍スターシュートは人間への攻撃を諦める素振りは一切見せない。
銀龍にそのよう絶対的な命令を与える存在について、アクトは問いただした。
「偉大な方・・・それは神なのか?」
「お前がどう呼ぼうと勝手だが、その存在が私にとって偉大の方である事に変わりはない。そのお方からの命令は絶対である・・・世界を終わらせろと言われればそうするし、人間を滅ぼせと言われれば、それを履行する・・・それが我ら龍の役割なのだ」
「偉大な方、偉大な方と・・・お前もいい年の大人なのだろう? 自分の意思は無いのか? 自分で善悪を判断できないのか?」
アクトは銀龍の盲目的な思考に苛つき、そう反論した。
巨大な相手に対しても全く臆さずのアクトらしい行動である。
そんな姿にはローラを初めとしたエルフ達は恐れを慄くが、アクトをよく知るハルは、よく言ってくれたと彼に惚れ直す。
そんなアクトの物言いに、ここで一番の反応したのは当の銀龍。
銀龍の雰囲気は一気に悪くなり、場の緊張感は高まる。
「人間の分際で生意気な! 私の作った三魔物を倒したから多少は目に掛けてやろうと思ったが・・・これ以上の無礼を続けるならば、今直ぐにでも滅ぼしてやろうか!」
「・・・」
銀龍が睨み、アクトが睨み返す。
ここで緊張は高まり、銀龍からは最終通告が出される。
「私は三魔物を倒したお前達を高く評価している。なので、今すぐここから去れ・・・さすれば、命だけは助けてやろう。人間との戦いになっても、お前達一族だけは見逃してやってもよい」
「・・・」
「・・・」
ここでアクトは大きく息を吸う。
「断る! 俺達の目的は今、貴様の虜となっているサハラちゃんを奪回する事だ。そして、ここでお前を『悪』として認定する。俺達『人間』を無条件に殺戮しようとしているお前を野放しにする訳にはいかない。ここで止めて見せる!!」
そう言い放ち、アクトは魔剣エクリプスを抜き、銀龍へと向けた。
「それは潔い。しかし、実力が伴うかなぁぁぁーーーーーーーーーっ!」
ここで銀龍の顎は大きく開けられ、叫ぶように吐息が放たれた。
放つ吐息の色は白。
全てを無に帰す銀龍スターシュート最強の吐息だ。
ゴォーーーーー!
白い光の濁流が漆黒の騎士アクトに向かって進む。
それを待っていたかのように、アクトは手首をうまく回転させて魔剣エクリプスをぐるぐると回す。
渦巻く魔剣にアクト自身の身体から沸く黒い魔力を最大限に注いだ。
ブォーーーン
そうすと、空気の揺らぐ音が発せられ、魔剣エクリプスの刃の回転を追いかけるように黒い霞が現れて、刃の回転に追従する。
そんな黒い魔力の回転に、白い吐息が襲い掛かった。
ドォーーーン!!!
ここで白光の濁流は洪水のように広がり、アクトを初めとしたこの銀龍の塒に侵入する全ての者達を飲み込むかに見えた。
しかし、アクトの黒い魔力は白い吐息をらせん状に切り裂き、この場の人達を守ることに成功する。
アクトは今回の旅で、南部のシロルカの花畑にて受けた銀龍の襲撃の事を思い出していた。
あの時は咄嗟にやった事ではあるが、白い吐息を自分が防いだ事実について考察し直していたのだ。
その時、白い吐息を防いだのは自分が持つ魔力抵抗体質の力によるもの。
最近は黒仮面の闇魔法の力に頼りっきりのアクトであったが、あの白い吐息を受けた時に自分とハルを救ったのはアクトが元から持つ魔力抵抗体質の能力であった。
その能力を黒仮面の魔力で増幅し、同じ魔力吸収能力のある魔剣エクリプスで集めれば、銀龍の必殺技『白い吐息』に対抗できるのではないか?
そう考えたのである。
そして、今、それを実行して、成功を確信する。
もの凄い魔法負荷となるが、それでも次々と押し寄せる白い吐息を無効化する事に成功できていた。
「やっぱり、アクトは天才だわ。頑張れ、頑張れ!」
このアクトを軽い調子で応援するのは白魔女のハル。
どっちみち、この状況でこれ以上の手は無い。
アクトを信頼し、全てを彼に賭けたハルは、もし、ここで銀龍に殺されても、それは運命だと、ある意味諦めの覚悟をしていた。
尤も、ハルは覚悟していたが、絶対にアクトが勝つと信じていたので、ここに悲壮感はゼロ。
ある意味で楽観的であり、ある意味で科学的な計算と過去の実績による彼女の予想と希望に近い直感であったが、その目論見が成功し、彼女は賭けに勝った。
計算違いだったのは銀龍の方である。
「な、何! 私の白い吐息を防いだだと! 信じられん!!」
銀龍は自身の必殺技である白い吐息をアクトが防いだのを知ると、もう吐くのを止めた。
これ以上続けても無駄だと悟ったからである。
こうして、銀龍の塒を蹂躙していた白い吐息の暴力的な魔力は晴れ上がるが、龍の吐息の射線上にあったものはここで綺麗さっぱりと無くなっていた。
それを見て、自分達が守られた事を理解するスレイプ。
彼がその周囲を見渡して、そして、後方の岩の壁面が完全に消失している事に気付く。
ぶ厚い岩壁が全て無くなっていたのだ。
そして、その丸い穴の先には夜空が見え、銀龍の圧倒的な破壊力を強烈に理解させられる。
これから、異次元のレベルの戦いが始まろうとしている・・・
そんな予感がして、そんな戦いに自分達の存在などとても矮小なものだと改めて思うスレイプであった。