第九話 トゥエル山の魔物
シャムザがトゥエル山の山頂に到達するよりも半日前。
シャムザを追跡していたスレイプ一行は『溶岩の海』の北部岸壁までやってきていた。
煮えたぎる溶岩の熱波と火山性ガスの強烈な匂いは先日にアクトとハルが体験したものと変わらない。
アクトとハルは仮面に組み込まれた解毒魔法のお陰であまり影響を受けないが、そんな仕組みを持たないソロやスレイプ、ローラは辛そうにしていた。
それでもスレイプ達は精霊魔法が使えるので常人よりもマシである。
風の精霊にお願いして、熱波や毒ガスの影響をできるだけ受けないようにしていた。
そんな彼らでも口元を布で覆い、額から汗の止まらない状況が続いている。
そして、年長者であるソロはこれからの行動についてアクトとハルへ説明してきた。
「見てのとおり、ここは灼熱の地で『溶岩の海』と呼ばれている。ここを過ぎれば目的のトゥエル山へ着くのだが・・・」
ここで険しい表情になるのはソロを初めとしたエルフ組。
そんなエルフ達の変化を敏感に感じたアクトはここに何かがあるのだろうと思った。
「ソロさん、浮かない顔をしていますね。『溶岩の海』には一体何がいるのでしょうか?」
「ああいるんだ。今回の追跡で最も厄介な奴がな・・・それはこの『閉ざされた土地』でも最強の魔物『溶岩蛇』と『剛力』だ」
その言葉にスレイプとローラも頷く。
「俺達『閉ざされた土地』に住む亜人達には有名な話だ。この『溶岩の海』に住む魔物で、その強さは過去から語り継がれている」
「そうです。我々が遥か昔、銀龍様の元へ訪れるためにこの『溶岩の海』を超えましたようですが、ここに住む『溶岩蛇』『剛力』と戦い、多くの者が命を落としたと聞きます。最終的には、おとり部隊を犠牲にして本隊がこの『溶岩の海』を渡ったとされています」
ローラが悲痛な顔になるのは過去にここで散った同志の事を想ったのであろう。
そんな緊張が支配する現場にあってもハル達は冷静である。
「ふーん。それでその魔物と出会ったらどうするの?」
「基本的に『溶岩蛇』と『剛力』には勝てないと思うべきだ。出会えば逃走の一選択。もし、挟み撃ちされたら、私とスレイプがおとりになる。私達が敵の気を引いているうちに逃げてくれ」
「随分な敵なのね・・・そして、足場がこれだけだとすると、確かに行動の自由度は少ないわね」
ここで白魔女のハルが指摘したのは岸辺より『溶岩の海』を経てトゥエル山へつながる一本道。
その一本道が『溶岩の海』の中を一直線に走っている。
これがトゥエル山に続く唯一の道であり、馬車ひとつ通れるかぐらいの石の道だった。
「『溶岩蛇』は溶岩の中に潜み、この一本道を渡る生物を常に狙っている。突然『溶岩の海』の中から現れる厄介な敵だ。そして、『剛力』は地中を自由に動く事ができる岩の巨人の魔物。出現する場所は丘の陸地だったり石の道の途中だったりと、ともかく地面ならばどこからでも現われる厄介な魔物。外装の岩が極端に固く、今まで『剛力』を傷付けたと言う記録はない」
強敵の特徴を説明するソロにアクトが質問をしてきた。
「その魔物達の出現率は?」
「神出鬼没だが、この『溶岩の海』北側にある石の道ではほぼ確実に出現する。トゥエル山に近付く者を排除する役割を銀龍より貰っていると言われるのはその為だ」
「ふーん、それでこの個体はどれほどいるの?」
「個体って・・・こんな魔物がウヨウヨ居たら私達の祖先はトゥエル山に辿り着けないぞ!」
半ば何の冗談かという感じで返してくるソロであったが、質問するハルの方は割と本気だ。
「だから、個体数を聞いているのよ。エルフの森に来る途中に私達も一体ずつ倒しているから」
「「「えっ?」」」」
驚きの声を発したのはエルフ組全員である。
そんな事などあまり気にせず、ハルは続けた。
「アレはまあまあ強かったけどねぇ」
「ああそうだったね。でも、アレグラで戦ったハドラ神の幼体ほどではないと思うよ。動きも遅かったし」
「そうかもねぇ」
「「「・・・」」」
何気ない日常会話のように緊張感なく会話しているアクトとハルに、エルフ達は信じられない者を観るような視線を送った。
「も、もしかしてハルさん達は『溶岩蛇』と『剛力』を倒したのですか?」
恐る恐る聞いてくるローラ。
「先程からアナタ達の話を聞いていると、多分これの事だと思うけど」
ハルはそう言って光の魔法を掌に展開する。
そして、その展開された映像にはハルとアクトの戦った『火炎を纏った蛇』と『岩の魔物』が映っていた。
「た、確かにこれは『溶岩蛇』と『剛力』の姿だ・・・姿だが、信じられん」
そう呟いてしまうのはソロ。
彼らにしてこの魔物は倒せない存在であると決めつけていただけに、そんな言葉が出てしまう。
「ソロさんが信じられないのならばしょうがないけど、溶岩の海の西側に『溶岩蛇』の亡骸があるから、今度行ってみてよ。あ、あと『剛力』とか言う岩の怪物はアクトが粉々にしちゃったから何も残っていないのよねぇ」
「失敗したよ。コアを保存しておけば良かったのかな?」
そんな軽い会話を続けるアクトとハルに、唖然とするしかないエルフ達であった・・・
『溶岩の海』に浮かぶ一本道を進む一行。
煮えたぎる溶岩が両岸に迫る馬車一台ほどの幅の道だが、見た目以上に安定しており、程よい温かさを感じる地面を小走りに進む。
そして、一行は三時間ほどで『溶岩の海』を渡り切った。
「ふうーー」
大きな息を吐くのはローラ。
彼女は女性である事に加えて、この中で一番弱いと自覚している。
それ故に、ずっと緊張が続いていたが、溶岩の中の一本道を無事に渡り、ようやく一息つけたのだ。
「本当に『溶岩蛇』と『剛力』は襲ってきませんでしたね。今までの記録からすると、どちらか一体は必ず現れるのですが・・・これでハルさん達が倒したというのが事実だと思います」
過去の伝承と照らし合わせて、今回、最強の魔物が現れなかった事実を受け止めて、そう結論付けるのは元『森の巫女』である。
これにはスレイプも同感。
「ああそうだ。伝説の魔物を倒すなんてとても信じられないけど、彼らの実力を考えると本当の事なのだろう」
そう言ってアクトとハルを認めるスレイプ。
「しかし、これは少し計算違いだ。良かった誤算として俺達は楽できたし、助かった。悪い誤算としては、その恩恵がシャムザにもあったと言う点だ」
ソロはそう言い、目の前に聳えるトゥエル山とその山頂へ視線を移す。
「そうですね。シャムザは吸血種の族長。ヴァンパイアは地中に潜る事もできます。今もこのトゥエル山のどこかに潜んでいる筈。そして、地中を進むとなると・・・この垂直の山を登るのは私達よりも得意でしょう」
「くっそう。シャムザが溶岩で魔物と戦って足止め喰らっていれば、その隙にサハラを取り戻せのだけど・・・」
悔し顔になるスレイプ。
彼の指摘どおり、断崖絶壁のトゥエル山の登るのは大きな労力である。
これに対し、シャムザは魔法で地中に潜んだ状態でも移動できるため、地面さえ続いていれば垂直方向の移動も訳はない。
「済まなかったわ。私達が安易に倒してしまって」
「いや、これはハルさんが謝る事ではない。それよりも『溶岩蛇』と『剛力』を倒した事が称えられるべきだ」
大慌てでスレイプはハルからの謝罪を否定した。
彼らにアクトとハルの行動を責める理由は何処にも無いのだ。
本来ならばアクトとハルは無関係を通して、あのまま別れて北へ目指す事もできた。
それでも彼らはこの件に関して、ここまで一緒に来て貰ったことは感謝の気持ちこそあれども責める事などできない。
その心を観たハルはスレイプとローラを善良な人であると再び評価する。
「ともかくよ。急ぐ必要はあるのだけども・・・」
ハルはそう話題を変えて、ほぼ垂直に切り立つトゥエル山の山肌を見る。
赤茶色の岩に覆われた山であり、土や緑はほとんど存在しない。
トゥエル山は火山地帯の環境の中に聳える一本柱の山であるため、山肌が殺伐なのは納得できた。
そして、トゥエル山の中ほどの岩場には何かの黒い魔物が蠢いており、その空には禿鷲のような巨大な鳥が数羽舞っている。
更にその上空を見ると、不気味な紫色の雲・・・どう見ても嫌な予感しかない。
ハルはこれらが次の障害になる予感する。
「まさに魔境ね。それに、アナタ達はどうやってここを登る気?」
ハルからの質問にソロはこう答える。
「それは、こうすればいいさ」
ソロは岩の精霊にお願いをする。
そうすると、直角に切り立つ岩の面に人ひとりが掛けられそうな足場が数段現れた。
精霊魔法で足場を作ったのだとハルとアクトは理解した。
「なるほどね。辺境に住む人達は逞しいわ」
「同感だね。俺達は仮面の力で何とかなるだろう。さぁ、先を急ぐか!」
アクトはエルフ達もこれなら大丈夫だと思い、先を急ごうとする。
しかし、ここでハルから待ったが掛かった。
「ちょっと待って。急ぐのも解るけど、その前に体力を整えるのも重要だわ」
そう言って彼女が止めた理由はここで夕食を摂る事であった。
太陽はまだ沈んでおらず、地面を潜るシャムザもどこかで休んで動かない筈。
そうなれば、足場の良い平地に居る間に食事を済ませておいた方が良いとはハルの考えである。
人である彼らも食料の摂取は重要な事である。
勿論、仮面の力で強化しているアクトとハルならば、数日間飲まず、食わず、寝ず、で活動もできるが、それでも食事が摂れるならばそれに越した事はない。
そう主張して、ハルは夕食の準備を始めてしまった。
先を急ぎたいスレイプとローラであったが、彼らも自分の腹の虫がそれを否定した。
グーー
ここで誰の腹の虫が鳴いたかというと・・・
それは本人の名誉を尊重して、誰からも追及されなかったのは余談である。
彼らは平地で食事を済ませ、その後にトゥエル山の登山を始める。
そして・・・
「来たぞ! 散会して迎え撃つ」
ソロからそんな言葉が飛び出したのはトゥエル山を三合目まで登った場所。
ここで、数匹の蜘蛛のような魔物が襲って来た。
人ほどもある大きな黒い蜘蛛であったが、器用に八本の足を動かし、高い場所の岩肌から転がるように降りてきた。
ブシャーーーッ
口から糸のような粘着質の唾液を吐いてきた。
「甘い!」
スレイプは自分に迫る敵の唾液を避けるために精霊魔法を発動する。
地の精霊にお願いをして、複数の足場が水平上にできる。
これを伝って水平方向へ移動し、唾液を躱した。
「精霊よ!」
ここで蜘蛛に反撃したのはローラである。
彼女が地の精霊にお願いしたのは「大きな段差を造る」こと。
それを蜘蛛の足場の手前に不規則な段差を複数造り、歩行を困難にした。
ギギャーーッ?
ここで蜘蛛の魔物は耳に不愉快な奇声を挙げ、足場を踏み外して、転んで空中へと投げ出された。
そのまま空中を落下して溶岩の地面に叩き付けられるかと思ったが、この山で育った魔物の経験値は違っていた。
ブシューーーッ
お尻より大量の糸を吐き出すと、その糸が岩肌へ張り付き、それがこの蜘蛛の魔物の自由落下を止める。
そして、振り子のようにして岩肌へ戻ってくると、着地して、今度は下から上へと登り、ローラを襲おうとする。
当のローラはまだ上から迫る別の蜘蛛に注目していて、自分が落とした蜘蛛のことなどは気にしていなかった。
そんな無防備のローラの背中に粘着状の唾液を叩き込もうとする蜘蛛の魔物。
ブシャーーーッ
「危ない。ローラさん」
そのピンチを救ったのがアクト。
ローラの横から迫り、サッと身体をすくい上げて横へと移動した。
ここで漆黒の騎士アクトは垂直に切り立つ岩肌に魔法を行使して、地面に対して真直ぐに立っていた。
足が岩に張り付く非常識な光景であったが、魔力豊富なアクトにとってそれほど疲労する魔法ではない。
そして、ローラが先程まで立っていた場所は、下から登って来た蜘蛛の魔物から吹き付けられた粘着状の唾液が通り過ぎ、それが上から駆け下りてきた別の蜘蛛の魔物へ偶然命中する。
フギャーーー
悲鳴と共にその魔物は粘着状の唾液で雁字搦めになり、足が縺れて落下した。
そして、その落下先には唾液を吐いた蜘蛛がいる。
ガシャーーーン
硬質な外皮同士が衝突する音がひとつ響き、二匹の蜘蛛の魔物は仲良く空中へ投げ出された。
今度は衝突によるダメージが効いたのか、たいした抵抗も見せずに落下していく蜘蛛達。
これを好機と見た別の魔物。
ヒューーーーン、ガシッ
日の落ちた暗闇の中でも飛び続けている禿鷲の魔物が、落ちた二匹の蜘蛛の魔物を両足で鷲掴みにする。
「ピーー、ヒョロロロロォ」
久しぶりの餌にありつけた禿鷲の魔物は喜びのひと鳴きを挙げるが、この弱肉強食の世界で油断は禁物。
更なる強者がこの禿鷲を狙っていた。
ゴゴゴゴ、ピカーーン!
トゥエル山の五合目に漂う紫色の雲から雷鳴が轟く。
そして、その光の柱は狙いを定めた敵に向けて歪曲し、蜘蛛の魔物を得てご機嫌な禿鷲の魔物に直撃した。
「ギャゴーーーーーッ!」
雷撃を受けた禿鷲の魔物は悲鳴をひとつ挙げて即死。
禿鷲は焦げた煙と共に空中をゆっくりと落下する。
しかし、この魔物が地表の溶岩の海へ沈む前に、それは阻止される。
雷撃の魔法を放った紫色の雲の一部が漏斗を巻き、この竜巻が地表に向かう。
そして、落下中の禿鷲の魔物を攫うと、それを巻き上げて紫色の雲の中へと取り込んだ。
バリバリバリーッ!
紫色の雲の中で雷が縦横無尽に走り、そして、禿鷲の羽根が千切れて舞う。
どういう事が行われているのかは解らなかったが、これがこの紫色の雲の魔物の食事なのだろう・・・そんな事を思うアクト。
そして、上部を見れば、撤退して行く蜘蛛の魔物達。
仲間がやられて怖気付いたのだろう。
本当に弱肉強食の世界だと思ってしまうアクトであった。
そんなアクトにハルが近寄ってくる。
「魔物が撤退するようね。ローラさんも危なかったわ」
そう言い、こちらに来いと手を出す白魔女のハル。
その理由がしばらく解らなかったローラだが、思えば今の自分の状況はアクトに抱かれた状態である。
「アクトも男性だから、美人の異性を抱きたいのでしょうけど、これはあまり長く続けるものではないわよ」
「いやいや、これは不可抗力だ。他意はない」
「ホントウに? 役得だなんて思っていない?」
「・・・これっぽっちも」
そう答えるアクトであったが、ハルはアクトが微妙に視線を外すのを見逃さなかった。
取り敢えず、この場でそれを気付かない事にし、彼よりローラを受け取るハル。
そんなふたりの惚気に思わずクスッと笑えてしまうローラはこのふたりは本当に恋人同士だと思う。
既に――形式だけは――結婚式を終えたハルとアクトにしてみれば、恋人同士よりも進んだ関係にある。
しかし、母であるローラから見て、このふたりの関係は夫婦と言うよりも恋人同士が似合うと思った。
当然、その事は言葉には出さなかったが、それでも白魔女のハルにはそう思うだけで心は筒抜けである。
これにはちょっと抗議してみようかなと考えてしまうハルであったが、ここで突然に変化が訪れる。
ゴァーーーーーーーーーーーー!!!!
先程の魔物の断末魔とは比べ物にならないほどの大音響。
『咆哮』と言ってよい。
「な、何よ!?」
白魔女のハルは慌ててその波動が来た方向を見る。
それはトゥエル山の山頂・・・
つまり、龍の住処。
「く、膨大な魔力を感じるわね。あの山頂から・・・」
「もしそうならば、シャムザが既に山頂に到着して銀龍様と交渉を・・・しかし、これには怒りの波動が感じられます。精霊達が怖がっていますから」
ローラは周辺の精霊達が警戒しているのを感じた。
その気配から、銀龍が怒っているのを予想する。
「そうなると、予定変更ね・・・アクト!」
ハルはアクトに目配せする。
アクトもハルの意図をそれだけで理解し、垂直の岩肌を駆けて、ソロとスレイプを捕まえた。
「な、何を!」
突然に捕まえられたソロとスレイプはそんな声を出すが、アクトは涼しく応える。
「ソロさん、スレイプさん。ちょっと状況が変わりました。どうやら我々よりも先にシャムザが銀龍の元へ到着したようです。ちょっと急ぐ事にしますので!」
それだけを言うと、アクトはそのままふたり掴み、垂直の地面を走って登る。
グイーーーン
「う、うわぁーーー!!!」
あまりの加速にそんな悲鳴を挙げてしまうスレイプ。
これに対しソロは叫び声こそ挙げなかったが、それでもこの速度には仰天していた。
ふたりを抱えて走るアクトに続くのは白魔女のハル。
彼女もローラを片手に抱え、白い杖をひとつ魔法袋より取り出し、山の斜面を垂直に駆け登っていた。
そして、その杖を使い、呪文をひとつ唱える。
「ホーミング・アローーーーーッ!」
大幅に省略された詠唱ではあるが、それでも魔法の杖と言う触媒を介してのその施術。
白魔女のハルだから、これだけでもとんでもない事になる。
彼女の前に現れたのは百本以上の魔法の光の矢。
それが一瞬後に発射された。
ヒューーーーン、ドーーーン!
ヒューーーーン、ドーーーン!
ヒューーーーン、ドーーーン!
機関銃のように発射された魔法の光の矢。
発射音と破壊音がそこら中に木霊し、蜘蛛の魔物に加えて、物陰に潜んで、隙あらばと狙っていた大小様々な魔物にハルのホーミングアローが命中した。
どこに潜んでいようと、白魔女のハルが本気に成ればどうと言う事はない。
索敵については漆黒の騎士のアクトの方が多少得意なのだが、その差など常人からすると雲の上を更に突き抜けるようなところで比べるような差である。
そんなハルによって、完璧に索敵された魔物は全て光の魔法の矢が命中する。
一方的な殺戮に近い攻撃がこの場で行われていた。
そして、今は本気で走っている。
トゥエル山の一合を三十秒で駆け上がるこの速さ。
それは凄まじい速度であり、急激に気圧も下がる。
抱えられていたローラも思わず「ひゃーーー」と叫んでしまうが、ハルはそれに構わず上昇を続けた。
そして、この爆進を続ける彼らを阻もうとする魔物がひとつ現れる。
それは先程から空に漂う紫色の雲の魔物。
速く動くモノほど強く反応するその感覚により、アクトとハルを餌と認識して近付いてきた。
「鬱陶しいわね!」
そう言ったハルはホーミングアローの魔法一発をお見舞いする。
バリ、バリ、バリ!
紫色の雲の魔物に光の矢の魔法は命中したが、その直後に雷鳴が轟き、光の矢の魔法は撃ち落とされてしまった。
それを見たアクトが対処へと動く。
「俺がやろう」
アクトはそう言いって、両手で引っ張っていたソロとスレイプを左腕ひとつにまとめ、開いた右手で腰から魔剣エクリプスを抜く。
そして、そのエクリプスを紫色の雲の魔物に向かって力一杯投擲した。
ブーーーン
黒い刀身に赤い光の筋が一本走る魔剣エクリプスは闇夜の中を一直線で飛び、紫色の雲の塊に突き刺さった。
バリ、バリ、バリ、バリーッ!
激しく雷鳴で対抗してくる紫色の雲の魔物であったが、そんな魔法の雷など魔剣エクリプスにとって餌をくれるようなもの。
向かって来た雷の魔力をすべて吸収し、やがて、紫色の雲の抵抗は衰えてくる。
そして、最後の瞬間、ポンッ!という小さな音を立てて爆発し、小さい何かが雲から飛び出て落下した。
それが何かを確かめる前に魔剣エクリプスが自分のところに戻って来たため、それを受け取る事に意識を向けるアクト。
その間、地表の溶岩の海にて小さな爆発が起こる。
「よく見なかったが、きっと、紫色の雲の魔物の中心核が落下して、それがマグマと反応したのだろう」
アクトはそう結論付け、自分が過去に討伐した『剛力』と同じような仕組の魔物だろうと適当に思った。
「とにかく、先を急ごう」
紫色の雲の魔物にそれほどの興味が沸かなかったアクトはそんな言葉を残して再び斜面を垂直に走って登る。
こうして、アクト達がトゥエル山の山頂に到着したのは、その二分後であった。