第六話 襲来
「・・・それで、私達を敵だと思ったのね」
そう結論付けた白魔女ハルに、黒エルフのスレイプは謝罪の意思を示す。
「本当にすまない。お前達のことをレイガの追手だと思っていた」
素直に謝るスレイプをアクトは赦す事にした。
「もう気にしないでいい。実際に俺達は何も被害は無かった。スレイプさん達も怪我は無いんだ。これは偶然の出会いによるもの。事故だったと思うしかない」
アクトがそう結論付けてしまうほどにスレイプ達の状況はある意味で極限だった。
それがこのスレイプとローラの関係・・・禁断の愛による結果である。
この辺境の土地のエルフ族の社会に長く続く白エルフと黒エルフの確執。
少数派の黒エルフを支配している白エルフにとって、黒エルフの子を身籠るなど屈辱の極み。
それが、族長の娘・・・しかも、純潔を守る事が義務の『森の巫女』であるローラが、禁忌を犯してしまった事実は白エルフ族にとって大きな汚点だ。
そして、この問題はエルフ族だけではなく、辺境に住む知恵ある種族全体にとって大きな事件となったらしい。
この『森の巫女』という職は銀龍に仕える巫女とされていて、辺境に住まう亜人全体の代表のような存在。
それは昔々に亜人達がゴルト大陸で人間より迫害を受けていた時期まで遡る。
その時代において、人間からの迫害により種族滅亡の危機に瀕していた亜人達は一致団結し、自分達を迫害する人間とは隔離された世界の存在を望んだ。
そして、それを頼った先が銀龍である。
銀龍にその願いを伝え、代償として自ら命を捧げた存在がエルフ族の女性だったという伝承だ。
銀龍はその強い想いに応えて、自分の塒に近い辺境の土地を提供し、その周囲をシロルカの防壁で守り、人間達がこの土地へ入れないようにしたらしい。
それだから、そんな英雄的な生贄を輩出したエルフ族は、この辺境の地で亜人の代表であり、その伝承が『森の巫女』として引き継がれているのである。
そんな巫女が、自分の責務を放棄して純潔を捨てるなど・・・他の種族からすると大きな不祥事として笑い者になっているのだと言う。
白エルフの族長レイガはこの失態をひどく怒り、自分の娘であるローラを『森の巫女』からすぐに解任した。
そして、産まれたばかりの娘サハラを取り上げて軟禁しようとする。
しかし、それを認められないのがスレイプだ。
自分の子を愛する親として当然の行為であり、ローラとの関係はただ情欲に流された遊びでは無かった。
スレイプは隙を見て娘のサハラを取り戻すと、ローラを連れて逃亡する。
所謂、駆け落ちだ。
辺境の世界の中で五年間もの長きに渡り逃亡生活を続け、最近は自分の故郷である森の泉に帰ってきた。
そして、泉の畔で休んでいたハルとアクトを察知する。
これは絶対にレイガからの刺客だと思い、先制攻撃をしたのだ。
そして、現在へと至る。
「アナタ達が選択した事は何も間違っていないわ。巫女として純潔を守り続ける事に科学的な意味は無い・・・これは過去の業績に拘り過ぎた悪しき習慣だと思うわ・・・それに一生純潔を守り続けるって、女性にとってどれだけ屈辱なのよ! 子供を産んじゃいけないなんて、生物の摂理に反するわ」
エルフ族のしきたり・・・いや、辺境のしきたりに対して怒るのは白魔女のハル。
彼女としても今はいろいろあるが、いずれは自分の子供を産みたいと願っている。
それは女性として当然の権利と思う。
その機会を奪われてしまうのは、早速に生贄のような人生を送れと命じられるに等しい。
彼女が憤るだけの正当な理由がそこにあった。
これにはローラが少しだけ補足をする。
「いいえ、ハルさん。そこは『森の巫女』として五十年間の任期を務めれば、あとは引退となります。その後になって子供を産めば・・・それが本当は一番良かったのですが・・・」
「ご、五十年って気は確か!? もう、おばあちゃんになっているわよ!」
「い、いや・・・私達はエルフ族ですので、人間と比較して約二倍の寿命はあります。だからまだ大丈夫だったのですが・・・」
「確かにアナタ達の寿命は長いのかも知れないけど、そこまで待てるの? 私は『愛』って有効期限があると思う派よ!」
「ええ・・・結果的に、そうなりました」
少しだけ顔を赤くしてそう答えるローラ。
単なる初心ではなく、そこには母として成長した女性の余裕も籠っていた。
実はスレイプと関係を持ってしまったのは、スレイプの母親が亡くなり失意の底にいたそのときの一回だけである。
エルフとはそれほど妊娠率は高くない種族らしいのだが、つまり、その一回がいろいろな意味でドンピシャだったらしい。
その後に彼女はめでたく妊娠。
そして、出産、愛の逃避行が始まりと、目まぐるしい展開となった。
「しかし、私は後悔していません。どのような結果にせよ、神様が私達へサハラを与えてくれたのだから」
そう言い愛娘を強く抱くローラの姿は完全に母親の顔である。
自分の子を絶対に守ろうとする強い意志、それがローラを強い女性へと成長させていた。
その本気の決意を心の眼で観たハルはローラに感心する。
「ねえ、アクト・・・彼らの力に成れないかしら・・・」
「そうは言ってもハル、俺達も先を急ぐ必要があるし・・・」
ハルがこのローラ夫妻へ同情を示す理由も解るアクトであったが、自分達が力に成れる事なんて殆ど無いのも事実。
そんな葛藤をするハルの様子を見て、逆に興味を示したのが妖精達である。
この森の泉を住処としているサファイアとメサイアの妖精二匹が再び姿を現して、この家に上がり込んできていた。
これはとても珍しい事らしいが、今まで無かった訳でもないらしい。
スレイプとローラが初めてここの家に戻って来たときも、サハラの寝顔見たさに好奇心旺盛なこの二匹が上がり込んで来た事があると言っていた。
今回もそんな様子で、外から来たハルとアクトに興味津々。
「ねえ、人間のおふたりぃー。アナタ達のことを知りたいーぃ」
「そうそう。私達、もう友達ぃーだからぁ、お願いーっ! 娯楽に飢えているのぉー」
そう言い鬱陶しくブンブンと周囲を飛び回る妖精達にゲンナリとしてしまうハルであったが、そんな妖精の反応を見たローラとスレイプは珍しい事だと言う。
「ハルさん達、これはとても珍しいです。ああ見えて妖精は警戒心の強い種族。それがこうもハルさん達に懐くなんて」
「そうだな。妖精は相手の心が観えると言われている。ハルさん達が自分達にとって脅威でないと本能的に解るのだろう」
そう言うローラとスレイプに妖精のふたりは否定した。
「違うよぉー。人間おふたりの心が観えないのぉー」
「そうなのぉー。女の人は観ようとすると曲げられちゃうしぃー。男の人は真っ暗で何も見えないのぉー」
サファイアとメサイアのこんな比喩的な表現に首を傾げてしまうローラとスレイプだったが、ハルとアクトはこの表現が正しいと思う。
「私は魔力が強いからね。私は妖精から心を覗かれるのを魔法で阻止しているわ。そして、アクトは魔力抵抗体質者。彼に魔法は効かない」
そんな回答を聞いて、更に首を傾げてしまうローラとスレイプだったが、妖精のふたりはそれで納得した様子。
「なんたぁー、そうかぁー」
「早く言ってよぉー、人間ー!」
うんうんと納得するサファイアとメサイアに、本当に解っているのかと問い正したくなるハルであったが、そこはぐっと我慢する。
「人間、人間って呼ぶな。私達はハルとアクトという名前があるんだから!」
「えー、そうなのぉ?」
「何だか違う名前の気がするぅー」
鋭い指摘にガクッとうな垂れてしまうハル。
確かにこの妖精達は魔法的な力に加えて、野生的な勘も持つようで、ハルの正体を微妙に当てているようであった。
ハルはいろいろと諦めて、この妖精達に娯楽を提供してあげる事にする。
「もういい。私達のことを教えてあげるわ」
「おい! いいのか? ハル!?」
「ええ、構わないでしょう。ここで私の正体が知れても、だから何?って感じよ。もう、そんな気分になっちゃったわ」
ハルはそう結論付けて、自分の事をすべて話す事にした。
掌から光の魔法を浮かべて、自分の生い立ちから丁寧に話す。
先ずは、自分がこの世界とは別の世界から来た事。
エストリア帝国の学園都市ラフレスタで学生生活を送っていた事。
そこで、白仮面という魔道具を開発し、白魔女と呼ばれる存在になった事。
次にアクトとの素敵な出会いについて説明する。
そして、ボルトロール王国の企みによりラフレスタの乱に巻き込まれてしまった事。
その後はラフレスタの乱を乗り越え、帝都ザルツで始めた新しい生活の様子。
煌びやかで、モノに溢れる豊かな帝都生活の様子を光の魔法で映したが、これを驚愕の思いで見るローラとスレイプ。
それとは対照的に「行ってみたい」と興味津々のサハラと妖精のふたり。
燥ぐ彼女達であったが、ハルから「行儀良くしないと続きは話さない」と叱ると、大人しくなった。
因みに、その後、ハルの本当の故郷であるサガミノクニの街の様子も魔法の映像で映してみたが、こちらはあまり反応が良くない。
彼らとして、それは発展し過ぎの世界であり、理解の範疇を超えていたのは余談である。
その後、アクトが悪者に拉致されて、砂漠の国に連れて行かれた話となり、その次に神聖ノマージュ公国へ赴き・・・と、ゴルト大陸を半周旅する光景が次々と映し出された。
その道中でアクトも黒仮面の力を得て漆黒の騎士になった話。
そして、戦争が始まった。
ここより北にあるエクセリア国。
そこに東からボルトロール王国が攻め入った事を知ったアクトとハルは、現場へ急行する事を決断する。
その近道として選んだ、今、現在が、この辺境の土地を通過している最中であった。
そんな話で締め括られる。
この話を最後まで行儀よく聞いていた妖精ふたりはこれで大満足。
「いやー、面白い話が聞けたぁねー」
「娯楽ぅ。娯楽ぅ。アクトとハルは正義の味方ぁ。悪いヤツをやっつけてぇー」
話を娯楽として素直に喜ぶ純粋な妖精のふたり。
そして、そんなアクトとハルに興味が増すサハラ。
いい意味でも悪い意味でもサハラは五歳の子供である。
人間より寿命が長いと言われているエルフであっても、幼少期の成長は人間と変わらないらしい。
五歳という年齢は、好奇心が大きく成長する時期なのは人間の子供と同じである。
そして、大人のローラとスレイプはハルとアクトの物語に、只、驚くだけであった。
外の世界がそんな事になっているなど全く知らなかったからである。
それだけではない。
この目の前にいるハルと言う魔女は自分達とは違う世界から来た人間。
・・・それが本当に信じられない。
しかし、ハルから見せられたサガミノクニの世界は精工で精密な映像であった。
彼女が嘘をついているようにも見えなかったし、例え嘘だとしても、ここで嘘をつくメリットなど何も思いつかない。
幼生も嘘の話ならば見抜くだろう。
「今の姿からすると、エミラルダさん、アークさんとお呼びした方が良いのかしら・・・」
かろうじてそんな言葉を出してきたのはローラ。
彼女が族長の娘として少しは政治の世界に生きていた経験からの胆力である。
「いや、今はいいわ。私達が偽名を使う必要があるのは人間の社会だけよ。ここでは本当の名前でいいと思う」
「尤も、君の本当の名は『江崎春子』だけどね」
と、茶化すアクトであったが、ここでハルから反撃がある。
「あれっ? 私ってもうアナタの妻よね・・・そうなるとブレッタ・春子になるのだけど?」
「あはは、そうだった」
参ったをするアクト。
その砕けた様子が仲睦ましく、この場の雰囲気を柔らかくした。
本当は過酷な運命の渦中にいるふたりなのに、そこに悲哀感など無い。
そんなふたりのやりとりが、ローラとスレイプ夫妻に少しだけ勇気を与える。
こうして朗らかな雰囲気に包まれたこの場であったが・・・
妖精達が急に騒ぎ出した。
「怖い人達が来るよ!」
「わっ、逃げよう!!」
サファイアとメサイアは急に飛び上がり、そして、天井の窓からあっと言う間に外へと逃げて行った。
何事かと思う残された人。
そして、ここでドアを激しく叩く音が響く。
ドン、ドン、ドン!
「俺だ。開けてくれ、スレイプ!」
スレイプはその声に眉をしかめた。
聞いた事のある声。
いや、この声を聞き間違える筈は無い。
「親父め!」
その言葉に、誰が来たのかを察する一同。
アクトとハルは素早く立ち上がり一枚の布を取り出した。
「これは消魔布と言って姿を消す魔道具よ・・・私達はこれを使って隠れるわ。ここで他のエルフと会ってもトラブルしかないから・・」
そう言うと、ハルは自分とアクトの上から消魔布を被る。
そうすると姿が見えなくなり、魔法的な存在感も無くなった。
素晴らしい魔法だと思いつつも、スレイプも目配せしてローラとサハラに人間がここには居なかったように演技を指示する。
家族がそれに頷いた事を確認すると、スレイプはゆっくりと立ち上がり、現在も激しく叩かれているドアの鍵を外す。
こうしてドアは開けられたが、そこには予想に違わず、自分の父親であるソロが立っていて、焦り顔をしていた。
「煩いぞ、親父! どの面下げてここに戻って来た!」
スレイプが怒るのも無理はない。
彼が自分の父親と最後に会ったのは六年前。
それはサハラが産まれる前であったし、母が亡くなる前の事。
母の死に目に立ち会わなかった父に、文句のひとつも言いたくなる気分なのは人として当前の権利だ。
しかし、当のソロはそんな事などいちいち構わず、この家にいた人物を見て、おおー!とひとりで感動し、先程の焦り顔は消えてしまった。
「これは、これは。アナタがうちのバカ息子の嫁になってくれたローラさんですね。噂は聞いていましたよ。ここはひとつよろしく。そして、サハラちゃん。私がお祖父ちゃんだよー」
ソロは初めて見る孫のサハラが愛おしいようで、抱き着こうとした。
しかし、それはスレイプが間に割って入り、また、ローラがサハラを抱くようにして阻止する。
「わっ、ブハァーーー」
ここで、いきなりサハラに抱き着こうと迫るソロを捕まえて殴ったのはスレイプである。
派手に吹っ飛んで転がるソロだが、直ぐに立ち上がった。
「何をするスレイプ。いきなりの挨拶で、お前は父を殴るのか!」
そう言うソロだが、あまりダメージを受けていない様子。
殴られる瞬間に自分から急所を外した身の熟しは、実力の高さが見え隠れする。
そして、ここで怒るのはスレイプだ。
「俺は親父を殴る権利がある。母さんが亡くなった時、親父は何処にいた! 何故、死に目にここへ居てくれなかったんだ!」
怒る息子の言い分に、ソロはすまなそうにした。
「確かにそれは俺が悪かった・・・しかし、居ないのはお前も一緒だろう」
「うっ」
そう言われると立場の無いスレイプ。
その要因はローラも関わっていたため、彼女の顔つきも険しくなった。
しかし、それを敏感に感じたソロはすぐにフォローする。
「い、いや・・・この話はもうよそう。俺だってお前だって、もし、未来にそうなる事が解っていれば、ここに戻っていたさ」
ソロはそうかぶりを振り、この話を切り上げようとする。
そして、ソロはようやく、ここに来た理由を思い出した。
「そうだ。スレイプ、俺がここに来たのは他でもない・・・今すぐ逃げるんだ」
「何?」
その突然の展開に理解が追いつかず、怪訝な声を挙げるスレイプ。
当然、そんな反応を予測していたソロは、その理由をできるだけ簡潔に説明した。
「もうすぐしたらレイガ達がここに攻めてくる。白エルフだけじゃない。他の種族も今はお前達を探しているんだ」
「なんだとっ? どういう事だ!」
訳の解らないスレイプにできるだけ落ち着くようにして、ソロは言葉を選んだ。
「お前達・・・いや、銀龍様が『森の巫女』を所望しているからだ」
「どうしてだ? 理由は? 俺達は銀龍様に歯向かった事なんてないぞ!」
その言葉に元『森の巫女』のローラが話に入る。
「そうです。私達は今でも銀龍様に忠誠を誓っています。それに私は元『森の巫女』。今代は妹のシルヴィーナが『森の巫女』の筈です」
ローラは自分が解任される際に、その座を明け渡した妹の名前を言う。
あの解任された時に、妹より浴びせられた罵詈雑言を今でも覚えている。
それは要約すると、「蛮族の黒い獣と交わるなんて、穢らわしい。気が狂ったとしか思えない。私は姉妹の縁を切る」・・・そんな厳しい言葉であった。
しかし、その言葉の陰でシルヴィーナは気付かれないようにして笑みを浮かべていたのをローラは見逃していない。
今回の不祥事により、シルヴィーナが幼い頃より憧れていた『森の巫女』の座を姉より奪えた嬉しさがそこにあったのだから・・・
シルヴィーナが嘗てより「自分よりも数年早く生まれただけの姉に『森の巫女』を任されるのは不公平だ」と陰で言っていたのをローラは解っていた。
それほどまでに『森の巫女』という職に憧れていた妹のシルヴィーナ。
ローラは自分が失脚して妹はさぞ喜んでいるものだと思っていた。
そして、ソロもその当代である森の巫女の存在は解っていた。
「ああ、一昨日まではな・・・しかし、彼女は逃げたんだ」
「えっ?」
ソロのその一言に、一体何を言っているのか解らないローラ。
その理由はソロから説明された。
「銀龍様がお怒りの様子で、一昨日、白エルフの集落のひとつが焼かれた」
「え!?」
この森の泉は白エルフの集落からは遠く離れているため、そんな事実など今初めて聞き、驚くふたり。
「怒った銀龍様が、こう言ったらしい・・・『森の巫女』を連れてこい。我に大義を果たせ・・・と」
「そ、そんな要求を・・・銀龍様が・・・」
信じられないローラ。
大儀を果たせ・・・それは生贄に成れという命令。
銀龍とは、エルフ・・・いや、この辺境に住む知恵ある生物にとって神に等しい存在。
このような厳しい要求が出されるなんて信じられなかった。
しかし、現実は過酷。
「白エルフ達は怖気づいて『森の巫女』を差し出そうとした。しかし、シルヴィーナは怖くなって逃げてしまったらしい」
「そ、そんな・・・」
「だから、今のレイガは焦っている。先代『森の巫女』を引っ張り出し、それを銀龍様に差し出そうと・・・そんな動きが始まった」
「な、なんという・・・しかし、銀龍様が怒っているのは事実・・・それならば私が命を差し出して、それで納まってくれるならば・・・」
ローラは『森の巫女』の責務を思い出し、不甲斐ない妹の分も自分が責任を取ろうとした。
しかし、それはソロによって否定される。
「駄目だ。ローラさん。そんな事をしても銀龍様が怒りを収めてくれる保証なんてどこにもない。それに、残されたサハラちゃんをどうするんだ。俺はもう愛すべき人を亡くすのはコリゴリだ」
その言葉を聞いたローラはハッとなり、今抱いている自分の娘の存在を思い出し、心配な表情を続けるスレイプにも目を移す。
そんなローラの姿に未練の情を確認したソロは、次の行動を起こすよう促した。
「だから、早く逃げろ。ここにいてはじきに・・・」
しかし、ここでソロの言葉は別の人間によって遮られてしまった。
ダッダッダッダッ
「もう遅いぞ、ソロ! お前達は完全に包囲している」
素早く展開された長靴の足音と共に、低い声でそう唸るのは玄関先から見える老エルフの存在。
いつの間にか家の前には族長レイガが立っていて、その周囲を多くの白エルフ兵が包囲していた。
「ちっ、くっそう・・・奴ら。こんなときには早い」
ソロは忌々しくそう思うが、完全に包囲されているこの状況は最悪であった。
森の泉の守人のボロ屋は、その周囲に何重も完全武装の白エルフ兵によって包囲されていて、これでは蟻の子一匹たりとも逃げられない。
それが解るレイガだから、彼は落ちついていた。
「さあ、早く外に出て貰おう」
レイガから促されて、ソロとスレイプ一家は完全に観念し、家の外へと出された。
ここでスレイプが縛られる。
そして、ひとりの兵士が進み出て、この男にスレイブは殴れた。
パーーーン!
「ぐっ!」
「アナタっ!!」
スレイプを助けようとするローラであったが、それはレイガによって止められる。
縛り手で、誰も助けに入られない状況であったが、それでもスレイプは気丈で、自分を殴った兵士を睨み返す。
そうすると、その相手の白エルフもスレイプを見てニンマリとした。
その顔に・・・スレイプはひとりの男の名前をようやく思い出した。
「お前は・・・コニカか」
「へへへ、覚えていてくれたようだなぁ」
コニカとは、スレイプが幼い時に彼を散々虐めた白エルフの名前であった。
今も陰湿な笑みを浮かべていたが、それは幼い時から変わらないのがコニカの癖である。
「俺はお前の事が嫌いだ。黒いし、汚いし、臭せぇ~んだよーーっ!」
そう言いスレイプを蹴る。
縛られてたいした抵抗もできず、スレイプは蹴り飛ばされてしまう。
しかし、その目は負けておらず、コニカを睨み返した。
そんな反抗的な態度が、コニカにとっては昔からスレイプに対して苛々としてしまう要因だ。
「お前がどうやったかは知らないが、憧れのローラ様を奪いやがった。俺達、白エルフ良家の男達が五十年先の操の縛りが解けるまで手を出せないのを良い事にぃ! 横から盗みやがってぇ! コラ、コラ、コラーーッ!」
ドス、ドス、ドス!
完全武装の鉄の長靴でスレイプを蹴り倒すコニカ。
まるで積年の恨みを果たすように、コニカの顔は醜悪に染まっていた。
そんなコニカをローラが赦す筈はない。
「止めなさい!」
彼女は印を結ぶと精霊に願う。
――この男を排除せよ――と。
ローラは精霊使いとして高い適正がある。
その高い能力が開花したのは逃亡生活の中である。
辺境の過酷な環境が彼女の実力を否が応でも引き出していた。
そして、ローラがこの場で願うのは草の精霊に対してだ。
万物に精霊が宿るとはエルフの思想であり、その草の精霊がローラの願いに呼応して、自らの成長速度を上げて、一方的に嗜虐を続けるコニカへ迫る。
蔦がニュルニュルと伸びてコニカの足に絡まり、そして、身体を持ち上げた。
「わわっ。ローラ様、止めて!」
今更に自分が精霊魔法の攻撃を受けた事が解るコニカが、止めてくれ、とローラに懇願する。
しかし、ローラからしてこのコニカと言う白エルフはもう敵であった。
自分の家族に危害を加える悪しき存在として、彼女は容赦しない。
空中に高く持ち上げられたコニカの身体は、そこから地面へ強く叩き付けられる。
バーーン
大きな落下音と共に多大なダメージを受けるコニカ。
そして、動かなくなる。
殺したのか、それとも、あまりの苦痛で気絶してしまったのか・・・コニカの容体は解らない。
それでも、あの可憐で優しかった元『森の巫女』が、こんなに凶暴な女性になっているなど・・・美を求める白エルフ族の男性にとってこの攻撃は衝撃的な光景であったりする。
これには彼女の親のレイガも頭を振るしかない。
「あの優しかったローラがこうも凶暴になってしまうとは・・・やはり『黒』に毒されてしまったのか」
そんな事を言う親に対してローラはこう告げる。
「私は何も変わっていません。私は私を守るべき人を守っているだけです。さぁ、早く私を銀龍様の元へ連れて行きなさい。それでアナタ達が助かりたいのでしょう。それならば私は喜んでこの身を捧げましょう。私が守るべき人には今でもお父様は入っていますからね!」
ローラは気丈にそんなことを述べて、自らを縛れと両手を差し出す。
それにスレイプが遮る。
「だ、駄目だ、ローラ。俺が行けばいい。俺がローラを誑かしたんだ。罪は俺が被ればいい。俺の命で解決するならば、白エルフにとっても安いものだろう?」
「アナタ、駄目よ。銀龍様は『森の巫女』を要求しているわ。私がその役割。私が生贄になるから、あとはサハラの事をお願い。娘さえ生きていれば私は・・・」
「イヤ駄目だ。俺だ。俺が・・・」
と、押し問答が続く。
それを見たレイガは・・・ここで、どうしていいか解らなくなってしまった。
彼にとって本当に黒エルフは嫌な存在である。
特にスレイプは自分の娘を誑かした悪者だ。
しかし、ここでのローラの行動はスレイプの事を本当に愛している。
レイガは・・・すべてを冷酷に徹する事もできない人物だ。
本当に何が正解なのだろうか。
銀龍は一体に何を望んでいるのだろうか・・・それが判断できなくなるレイガ。
彼はただ銀龍の言われるままに『森の巫女』を差し出す。
本当にそんな事をして現状起きている問題を解決できるのだろうか?
民を統べる存在として・・・人の親として、銀龍からの命令を遂行する事に、一体何の価値があるというのか・・・
そんな心の迷いを見せるレイガ・・・
それを罵る存在が、ここで現れた。
「ふん。下らない茶番だ」
そんな声が周囲に響き、全員は一体誰が喋ったのかと、その声の主を探す。
それは低い声で、感情の全く籠らない声。
本能的に敵意を感じさせる声。
やがて、その声の主が姿を現した。
ぬぅーーっと立ち上がるのは、負傷して意識が無い筈のコニカ。
それが、明らかに自分の意思とは別の意思によって立ち上がった。
ここでコニカの手足が変な方向に曲がっているのは、上空から叩き付けられたときに折れたのだろう。
今の彼はそんな折れた足のことも気にせず立ち上がり、まるで糸で操られた人形の様に動いている。
「誰だ!」
只ならぬ気配にソロが警戒してそう叫ぶ。
しかし、その者の動きは早かった。
コニカがパッと駆け出すと、ソロに襲い掛かってきた。
ソロは反射的に腰のレイピアを抜き、コニカの攻撃を防いだが、その攻撃は重圧な剣の力だった。
コニカの折れた腕からは絶対に出せない重圧。
しかし、これは陽動であった。
悪意の本体はコニカが駆け出した時に彼の影より分離して宙を舞う。
素早い動きで宙を滑空し、そして、鉤爪で人をひとり攫った。
「わっ、嫌ぁ!」
ここで悲鳴を挙げたのは五歳の少女。
サハラである。
そのサハラを攫ったのが、異形の姿に背中から翼を生やした青白い肌の男。
その姿にレイガは見覚えがあった。
「お前は! ヴァンパイア族の族長シャムザ!」
巨大な人型の蝙蝠のような姿は『夜の王』とも呼ばれる吸血種を統べる王。
その吸血種の王シャムザはバサバサと翼を靡かせ、夜の空にサハラを捕まえたまま浮いていた。
「ママーっ! パパーっ! 助けてぇーーーっ! うっ・・・」
そう叫んでいたサハラの悲鳴が急に止む。
シャムザの魔法により強引に眠らされてしまったのだ。
「フフフ、初めからこうしていればよかったのだ。逃げた現役の巫女など使い物にならない。元巫女は経産婦で既に処女としての価値など無い・・・それならば、その娘に生贄の役割が回ってくるのは当然。そんなことも判断できないとは・・・白エルフこそが辺境を統べる種族だと自負していた者が・・・聞いていて笑えてくるぞ」
シャムザはさも当然のようにそんな事を呟く。
そんなシャムザの狼藉にサハラの親達が見過ごせる筈は無い。
「止めて。サハラを返して」
「そうだ! 娘を返せっ!」
自分の娘を攫われて憤るローラとスレイプから精霊魔法が宙に放たれた。
風に乗る針葉樹の吹雪、下から上に降る雨・・・そんな精霊魔法が。
しかし、その攻撃を余裕で躱すシャムザ。
残念ながら魔法技術としてはヴァンパイア族の方が秀でた種族なのである。
「フフフ、お前達の魔法などママゴトよ・・・ムムッ!?」
ここで、ひと際大きな光の魔法が自分へと迫り、それを避けたところで別の闇の魔法が翼の皮膜を貫通した。
「グワーッ。くっそう! 誰がぁ」
一瞬、自分に危害を加えたヤツの姿を探そうとしたシャムザだったが、その後に自分の直感により、逃亡することを選ぶ。
シャムザは伊達に一五〇〇年も生き続けている訳ではない。
直感と知恵は回るのだ。
負傷した翼を必死に羽ばたかせ、シャムザは夜の空を南に向かって飛んで逃げた。
それは銀龍の住むトゥエル山の方角。
そして、あっと言う間に夜の闇に紛れて見えなくなってしまうヴァンパイア。
ここで、そんな敵にダメージを与えた人物が姿を現す。
「く、逃がしたか・・・」
「ええ、そうね。これは厄介だわ」
面倒くさい事になったと話すのは、黒い仮面を付けた漆黒の騎士と、白い仮面を付けた魔女だ・・・