第四話 森の泉の住人
「ふぅ。やはり森だと少し落ち着くわよね」
ハルはそうしみじみ言う。
辺境に入って六日目の夜。
彼らは辺境中央部のトゥエル山周辺の溶岩の海エリアを超えて、辺境北部の森エリアに入っていた。
最強の彼らであっても、四六時中に敵の眼があるというのは精神的に疲れる。
荒野エリアや溶岩エリアは隠れるところも少なく、常に敵の視線に晒されて落ち着かない状況が続いていたが、これが森となれば身を隠すところも多く、魔物との遭遇率も更に下がった。
最近はほぼ確信している彼らであったが、どうやら辺境内部は外苑部よりも魔物の生息密度が低いようである。
強力な魔物が生息している辺境内部だが、彼らとしても弱い魔物から頻繁に襲われるよりも、戦闘回数の少ないこちらの方がまだマシだと感じている。
そんな辺境の内部を進む彼らだが、推測するとこれで辺境の六割以上縦走できた事になる。
計画どおり・・・いや、計画よりも少し前倒しである。
前倒しになった理由としては、辺境中央部で思いのほか魔物との遭遇が少なかったためだ。
悪い意味で想定外だったのは銀龍との一戦だけ。
圧倒的な強さ故に死にそうになった彼らであるが、それでも逃れてしまえばどうと言う事はない。
『銀龍と絶対に戦わない事』・・・それだけを守れば、この辺境でも仮面を付けた状態のアクトとハルならば難無く往なせる自信もついてきた。
そんなハルだから少し油断したのだろう。
今宵、彼らは森の中の綺麗な円状に広がる泉の畔にいた。
ここでハルは良い事を思いつき、ローブを脱ぎ始める。
「お、おい。ハル、何をやって・・・まさか!」
心の共有で彼女の考えを察したアクトが焦る。
ハルはフフと挑戦的に笑うと、ローブを一気に脱いで、あっという間にその見事な身体を露わにする。
しかし、そこで披露したのは・・・水着姿。
そして、その水着は普段のハルならばまず選ばないような大胆な意匠。
黄色生地の面積がとても少ないトップスとパンツ。
彼女の豊かに育った双丘を惜しげなく主張されている。
そして、現在の彼女は白魔女。
透き通るような白い肌と銀色の長い髪が完璧な女性を演出していた。
「い、いつの間にこんな水着を・・・」
「ウフフ、どう? 綺麗でしょう?」
アクトの質問に白魔女ハルは真面目に答えず、その代わりに身体をくねらせて、自分のくびれと胸元を強調した。
今宵は赤い月しか出ておらず、薄暗かったが、それでも黒仮面の力で視力が強化されているアクトの眼にはハルの白魔女としての完璧なスタイルが映る。
白い肌に括れた腰、悩ましい臍に豊かな乳房と臀部・・・褒めるところが一杯あり過ぎて困る。
「美しい・・・そして、綺麗だ」
アクトは素直に彼女の完璧な肉体を褒めた。
それは嘘偽りないアクトの本心だ。
心の共有を果たした彼らの間に嘘は不可能。
その事を解っているハルは、また、フフと笑う。
「ありがとう、アクト。今の私の姿は白魔女なので本当の私の姿ではないけども、それでも褒めて貰って嬉しいわ。アナタの身体も見たてみたい」
ハルはそう懇願し、漆黒の騎士のアクトの衣服に手を掛ける。
アクトも現在は黒仮面を装着しているので、黒いマントを纏い、黒い燕尾服のようなスーツと黒いシルクハットを被っている。
辺境を進む冒険者としては全くの場違いな格好をしている気もするが、それでもこれが漆黒の騎士の正式な姿なので仕方がない。
そのスーツを脱がして、黒いシャツのボタンをひとつ、また、ひとつと魔女によって外されてしまうアクト。
その度に豊かに育つ魔女の乳房がアクトの身体のどこかに接触する。
大きく弾んでボヨンと変形するそれは、確実にアクトを誘う魔女からのアプローチ。
興奮を高めるアクトであったが、ここで注意を促すのは忘れない。
「ハル。ここは辺境だぞ・・・油断すると危ないが・・・」
「あら? でも、それを守ってくれるのがアクトでしょ? 騎士様ぁ」
ハルはそう甘えてキスをしてくる。
アクトもここまで来たらもうしょうがないと思い直し、ハルを受け入れた。
キスをキスで返し、ハルの豊満な胸を揉み、腰を引き寄せる。
白魔女の銀色の長髪と漆黒の騎士の黒い長髪が互いに混ざり乱れる。
さぁ、ここで興奮が高まり・・・と言うところで、アクトの視界の隅に邪魔者が映る。
「誰だ!」
アクトはここで愛の行為を止めて、ハルを守るようにして抱き寄せ、襲来した邪魔者に対して敵意を向ける。
その敵意を向けられたモノは、ワッ、と声を挙げて動きを止める。
本人達は自分達が気付かれるとは思っていなかったようだ。
その自信は隠ぺいの魔法が掛かけていた事によるようだが、魔法察知と抵抗に長けた漆黒の騎士の前では相手が悪かった。
そして、その襲来者とは、白い透明な羽根を生やした小さい女の子。
「邪妖精・・・では、ないか」
アクトが見たその小さな女の子は白い肌で顔は醜悪・・・ではなく、整い、美しい。
つまり、それは邪ではなく、本物の妖精の種である訳だ。
その妖精が二匹、アクトとハルの周囲を観察(警戒?)するように舞っていた。
「失礼ね。あんな奴らと一緒にしないでよ!」
「ねぇ、それよりも続きをやってよぉ。ローラとスレイプがしている時にも覗くのだけど、それを観ていると心がポアポアとするんだからさぁー」
一匹の妖精はプンスカと怒り、そして、もう一匹はこれからアクトとハルが始めようとしている愛の行為に興味津々だ。
その図々しさに呆きれるハルであったが、ここで気を持ち直し、脱ぎ捨てたローブで素肌を隠して抗議する。
「この助平虫! 私達は見世物じゃないわよ」
白魔女のハルがバチバチと魔法で電気を発するのは威嚇行動。
無詠唱で雷魔法を放電するハルだが、それが脅しであることは妖精達も解っているようで、あまり脅威に感じていなかった。
「ねぇ、ねぇ、遊ぼうよ。私達、暇なのぉ」
「そうよ。この泉はお客さんが少ないのよぉ。娯楽に飢えているんだからぁ~」
二匹はアクトとハルの周りをぐるぐると飛び回り、遊んで欲しいと懇願してくる。
あまりの警戒心の無さに再び呆れるハルだが、これでやる気が削がれたのも事実。
ハルは愛の行為を諦めて、魔法を行使してローブを装着し直し、アクトもそれ習った。
その魔法が鮮やかだったので、妖精達は面白かったようだ。
「わーー。凄い! 仮面を付けた変な人間だけど、魔法はすごーーい」
「ねぇ、もっと見せて、もっと見せてぇー」
目を輝かせてそんな要求をしてくる妖精二匹にハルは鬱陶しがる。
「えーーい、煩い。二度言うけど、私達は見世物じゃないっ!」
「そんな事を言わないでお願いっ! 最近じゃ、ローラやスレイプもピリピリしていて遊んでくれないのよぉー。サハラと遊ぶのも許してくれないしぃー。暇なのぉ。お願い、人間のおふたりぃー。新しい友達ーっ!」
「私達はアナタ達の友達じゃぁないわよ! それに、ローラって誰よ?」
「ええー! ローラってローラだよ」
「だから誰よ! 私の知り合いにそんな人は居ないわっ!」
半ばキレ気味にそう答えるハルに、アクトはそろそろ仲裁に入った方がいいと思う。
ハルがそれほど気の長い性格ではない事をアクトはよく解っている。
どうしようか考えていると・・・
ガサガサと自分達の後ろで誰かが近付いてくる気配を感じた。
それを妖精たちもその事を解っていて、その名前を呼んだ。
「あ、来た! スレイプぅ。この人達、新しい友達だよー」
その妖精は森の奥から姿を現した人物に向かって飛び、アクトとハルの存在を教えた。
しかし、その人物の瞳に友好的な色は無かった。
寧ろ敵意。
褐色の肌で痩せ型長身のその男は、いきなり剣を抜いて、斬りかかってきた。
ガキーーン
金属同士のぶつかる音が泉の湖畔に響く。
「「キャーーー!」」
突然始まった戦闘に、妖精ふたりは飛んで逃げてしまう。
そして、残されたのは褐色肌の男とアクト達。
いきなり斬りかかってきた褐色肌の男の剣は、アクトが素早く自分の剣を抜いて迎え撃つ。
互いに剣を力で押す状況になるが、アクトはまだまだ手加減している。
褐色肌の男はこの一撃からアクトが只者ではないと察すると、パッと後ろに飛び、木を蹴って、そして、太い幹の上へ飛び登る。
素早い動きであり、とても人間技には見えなかった。
そして、その男はアクトとハルを見下ろすようにして警戒の声を発してきた。
「お前達、何者だ! ここは聖なる泉。妖精の宿る聖地だ。レイガの手の者・・・いや、違うか。お前達は人間だな!」
ひとりで話を進めるその褐色肌の男にアクトが応えた。
「俺の名前はアクト。確かに俺は人間だが・・・お前は、人間ではないな!」
アクトは相手の身体的特徴からそれを察した。
この褐色肌の男は人の言葉を喋り、顔は細い眼をした端麗の銀髪・・・美男子な顔付きをしている。
しかし、決定的に人間とは違う特徴を有していた。
それは耳が異常に長いこと。
この特徴は人間にはない。
細長い耳を持つ亜人・・・それは『森の妖精』と呼ばれる御伽の世界より伝説となっている存在。
それを本人も認めた。
「私はエルフ・・・黒エルフ族のスレイプだ。再び問おう、どうして人間がここに居る!」
そんなエルフの言葉にアクトはただ信じられないと思った。
「ほ、本当に『森の妖精』がいるとは・・・俺は幻を見ているのか?」
「何を感心している! ともかく、最近の俺は気分が良くない。特に我々エルフ以外がこの聖域に入る事は赦されない。死んでもらうぞ!」
スレイプはそう言い幹の上からアクト目掛けて飛び降りてきた。
今度は細身の剣を初めから抜いて、もの凄い速さで突き出してくる。
ヒュン、ヒュン、ヒュン
風切り音が舞い、スレイプのレイピアがアクトを一瞬の間に二、三回突くが、それはすべてが空振り。
アクトは巧みにスレイプの剣を躱し、全てを往なしていた。
空中を華麗に舞ってスレイプの攻撃を躱すアクトだが、途中で抱いていたハルを投げ、自分は後方一回転して水面の上へ立つ。
「くっそう。素早しっこいヤツめ。しかも魔法が使えるとは・・・お前は魔法戦士か!」
そう言うスレイプは何かを念じ、そして、魔力が動いた。
「聖なる泉よ。異物を喰らい、湖底へ沈めよ!」
スレイプがそう祈ると、アクトの後方の水面が浮き立つ。
静かだった水面が一瞬にして大きな波を立て、それが顎のようになりアクトを飲み込んだ。
ザバーーン!
大きな水飛沫が発生して、アクトは一瞬のうちに水に囚われ、水中の深部へ引っ張られていく。
正に一瞬の出来事であった。
「ふふ、どうだ。ここはこの聖なる泉。人間や他の種族がここに入ることは赦されない。それが定められた習わし。銀龍様への忠誠」
アクトを倒したと思い、そんな勝利宣言するスレイプ。
しかし、それは宙に浮かんだままの白魔女が反論した。
「あら、もう勝った気でいるの? 色男のエルフさん」
「むむっ、そう言えば人間の女もいたか! 女は見逃してやってもいい。今すぐここから立ち去れ!」
「随分と余裕ね。しかし、アナタは自分の心配をした方がいいわ。私の夫がこの程度で負ける筈が無いもの」
そう言い指さす白魔女。
それは先程アクトを沈めた水面。
しばらくするとそこが盛り上がり、水が渦巻いて、そこの中心の空間が空いた。
「な、何ーーーっ!」
スレイプが驚きの声を挙げる。
その渦巻く水の中心からは黒い何かが勢い良く飛び出してきた。
ボカンッ!
その黒い塊は、直後、スレイプに直撃して、鈍い音と共にスレイプが倒される。
勿論、この黒い塊を放ったのは漆黒の騎士アクト。
放たれた闇魔法は鋼球のような固さを持つ魔力の塊であり、それがスレイプの顎をフックするように命中。
スレイプは脳を揺さぶられて、失神させられてしまう。
ドサッ!
糸の切れた人形のように倒れ込み、スレイプはあっという間に昏倒した。
「だから言ったじゃない。私の夫を舐めるなと・・・それに、まだ居るわよね。出てきなさい」
ハルがそう言うように敵はまだ居た。
敵意の魔力をプンプンと匂わせていたから、白魔女のハルでも十分に気配を察せたからだ。
その人物も自分の居場所はもうバレ居ていると観念し、木の隙間より姿を現してハルを狙った。
「よくもスレイプを! 死になさい!!」
女は悲鳴のような甲高い声でそんな事を言い放ち、同時に弓矢が放たれる。
これも普通の矢ではない。
飛来した矢をサッと躱そうとするハルだが、その矢は躱された直後にくるりと方向を変え、再びハルを狙ってきた。
「自動追尾って、なかなかやるわね。風の魔法・・・いや、少し違う」
ハルは自分へ迫る矢を見て、その魔法についていろいろと分析する。
そして、自分に再び迫ったところで、今度は逃げずにパッと両手を合わせて、向かって来たその矢を捕まえた。
「ええ? そんな!!」
高速で飛来する矢を素手で捕まえる・・・そんな非常識な現実に驚いて、目を見開いてしまう射手の女性。
しかし、当の白魔女ハルからすると、こんなことなど朝飯前。
それよりも、この射手の女が使う技に興味があった。
「それは・・・精霊魔法ね。神聖魔法に近い技術だと聞くけど、エストリア帝国では既に失われた技術・・・やはりアナタ達は本当にエルフのようだわ。教科書に精霊魔法はエルフの技と書かれていたからね」
そう言いハルは光の照明魔法をひとつ放つ。
パーーン
「きゃっ、眩しいーーっ!」
強烈な光の魔法は、闇夜を見るために進化してきたエルフの視覚にダメージを与える。
勿論、これは一時的なダメージであり、時間を掛ければ回復可能な閃光の攻撃ではあるが、当のエルフ女性には自分の目が焼かれるような思いである。
そんなエルフは、肌が白く、弓矢を肩から掛けた可憐な女性。
先程アクトを襲った黒いエルフとは違う種族だとハルは思う。
その白エルフの女性を無力化するために、ハルは彼女の頭上にピンク色の雲を召喚した。
それがハルの行使する『眠りの雲』の魔法である。
「わ、ナニコレ・・・嫌・・・ぐぅぅ」
白エルフの女は抵抗してみようとしたが、それも一瞬。
あっという間に彼女は眠りの雲の魔法で陥落し、地面へ崩れ落ちる。
「いきなり殺そうとするとは、なんて凶暴な種族なの。裸にひん剥いて吊るしてやろうかしら」
怒りの収まらないハルは、お仕置きをしてやろうと倒れた白エルフ女性に近付く。
しかし、ここでそれを阻止する存在が現れた。
小さい子供が木の陰から飛び出して、両手を広げて白魔女の邪魔をした。
そして、この幼子は魔女に対してこう懇願した。
「パパとママを虐めないで!」