第二十話 エリザベスの放浪記3 後編
次の日の朝、私はエクセリア国の騎士の修練場へ向かう。
宿から三ブロックほどしか離れていないので、歩いてすぐだった。
修練場入口の受付で魔術師協会より発行してもらった依頼の請書を見せると、素直に中へ案内される。
どうやら、本日、私がここに来る事は既に連絡済みだったらしい。
魔術師協会と騎士隊の連携は密接のようだ。
その理由はしばらくすると解った。
案内された部屋へ入ると、その中には私の依頼主が待っていた。
煌びやかな紳士服を着た老紳士とその隣には・・・
「ア、アリスさん?」
魔術師協会の時とは違う動きやすそうな衣服を身に纏ったアリスがそこに立っていた。
アリスは驚いた私の顔を見ると朗らかに微笑む。
「リーザさん、おはようございます。良かったです。無事に来てくれて」
アリスが心配していたのは、私が道に迷う可能性の事だろうか?
それとも仕事現場に私が来ない可能性を考えていたのだろうか?
確かに、魔術師協会で契約して前金を貰った後にトンズラする不届き者も居るとは聞いていたけど。
そんな不届き者は登録抹消の上、魔術師の称号を剥奪される。
デメリットしかないため、私は絶対にしない。
そして、この場にアリスがいる。
いろいろと考えを巡らしていた私に、アリスの隣に座る老紳士が話し始めた。
「君がリーザ君かね? アリスお嬢様から良い人材がいると紹介を受けてね。あ、申し遅れた。私はこのエクセリア国の騎士隊を束ねるリスロー・ザンジバルだ。よろしく」
風貌は年老いた紳士だが、その口調は丁寧で、若々しく、熱意に満ち溢れていた。
老いても覇気あるとはこの事なのだろう。
「私は・・・リーザです。この場にアリスさんがいる事の意味は?」
私はリスローと握手を交わしながらも、いろいろすっ飛ばして、疑問を口にする。
その問いは、すぐにリスローが答えてくれた。
「アリスお嬢様は、このクリステ・・・いや、今はエクセリアでしたな・・・このエクセリアで有力なマイヤー家の当主です。お国復興のために身を粉にして働いておられるのだ」
「働いているって?」
いまいち回答になっていないリスロー氏。
私が訳が解らない顔をしていると、それを察したアリス自身が言葉を付け加えてくれた。
「ええそうです。午前中はこの騎士隊の修練場で魔法の指南。午後は魔術師協会の受付業の請負。今はどこでも人手不足ですから。あっ、私が指南しているのは水の魔法ですので、リーザさんとは被らないですから・・・」
アリスのそんな回答に、私はようやく理解できた。
「なるほど、納得いったわ。先のクリステの乱で貴族や市民に多数の死傷者を出したと聞くけど・・・それでアナタのような若い人も現場に駆り出されているのね」
「年齢はリーザさんと変わりません。それに今は私のように両親を亡くした人も多いのです。私達の世代がしっかりしないと国は支えられませんから」
「両親を・・・それはすまない事を言わせたわね」
「いいえ。いいのです。私の両親は立派に国の為に尽して死んだのですから、貴族として本望でしょう」
「・・・そう」
私は敢えて無感動を装う。
国の為にとは名門貴族として聞こえが良い。
しかし、その国が一体何をしてくれたのか。
私の様に不幸に陥れられた者もいるというのに・・・
少しだけ場の空気を悪くしてしまったが、そこで話題転嫁するのが老練紳士の役割のようだ。
「そんなところですが、早速仕事の話をさせて貰いましょう。リーザさんは火炎魔術師として有能な方とお聞きします」
「ええ、そうよ。炎の魔法ならば初級、中級、上級、ほぼすべてが使えるわ」
私は挨拶がわりに掌の上で小さなかがり火を無詠唱魔法で行使してやる。
無詠唱魔法は高等技術であるし、アピールとして申し分ない。
これにはリスローも目を丸くして驚き、アリスさえ口元に手をやっている。
どうだっ!
「おお、これは素晴らしい。アリス嬢から勧められて、間違いない人物と思っていたが・・・」
「私だって驚いていますよ。書類上はここまできると書いませんでしたから」
当り前よ。
無詠唱とかできるなんて達人級。
それまで書くと疑わしいと思われて、経歴書を詳しく調べられちゃうじゃない。
そうすると私がリーザという偽名もバレるかも知れない。
私は流れ者の魔術師・・・そういう事にしましょう。
良く回る自分の頭を自画自賛しながらも、私はパッと掌に現れた魔法の炎を華麗に消してみせた。
「これは期待できる。早速、修練場内へ案内しよう」
気を良くしたリスローは私を連れてこの部屋から出る。
「エイヤー」
「トウッ!」
当然だが、ここは騎士の修練場。
構内にはむさ苦しい男共が詰めて、訓練をしている。
発奮する声が響いて、汗臭さが漂っている、そんな場所はあまり好きじゃない。
組み手の模擬訓練をする男がそこら中に居て、なんだか昔のラフレスタ警備隊の修練場を思い出してしまう。
あれは一年前の事だが、それでも随分と昔の事のような気もした。
あの頃の私は今と全く違う世界に居て、自分が高貴な者であり、下々の者とは違う場所にいると信じていた。
人を顎で使うのが当たり前で、自分の言う事を聞いてくれる者が味方、そうでない者は敵。
ある意味解りやすい善悪の価値観。
本当に愚かで矮小だったと思う。
そんな事を思い出した私だが、ここのむさ苦しい男達は私達を見ると敬礼してきた。
「リスロー・ザンジバル卿、アリス・マイヤー様、おはようございます」
直立不動で挨拶する彼らは貴族制が廃止となった今でも名家の彼らに敬意を忘れる事はない。
貴族の価値とはそういうものだ。
永きに渡り家名と言うブランドで人々を支配してきたのだから、支配を受けていた側も早々簡単にそれを脱する事もできないのだろう。
「リッツ、キートン。全員を招集して。新しい魔法の先生を紹介するわ。ロンも確実に連れてきて。いつも身勝手なんだから・・・」
「ハッ!」
「解りました!」
アリスからの言葉を聞いた若い騎士達は小気味の良い返事で返し、方々へと散って行く。
それにしても若い騎士ばかりだ。
どうやら先の争乱で、騎士隊も人員的に大きな被害を受けたらしい。
そう思っていると、しばらくして中庭に若い騎士達が集められた。
少し高い演壇にリスローが立ち、私の紹介を始めてくれる。
「・・・であるからして、今日からお前達の魔法指南をしてくれる新しい先生を紹介しよう。彼女がリーザ先生だ」
少し長い前振りの後に、ようやく私の名前が呼ばれた。
ここで私も演台に立って、自己紹介を始める。
「私がリーザですわ。流れ者の魔術師ですが、炎の魔法に少しばかり自信がありまして、皆様の指南役を請けました。魔法の修練は剣と違う厳しさがありますけど、頑張って習得して下さい」
そんな物腰柔らかい挨拶をしてみる。
昨日のライオネル氏の言葉を真似て、人々に反感を与えずに、できるだけ友好的に。
きっとこの人達も私の狡猾な話術に騙されて・・・
「ちょっと待った!」
ここで、人々から感謝されて、収入アップを妄想していた私に厳しい声が掛けられる。
一体何!?と思い、その声の主を探してみると、隊列の隅に居た若い騎士からだった。
「俺は認めねぇ。そんな何処の馬の骨か解らない女魔術師に何ができる!」
私はその失礼な青年に少し腹を立てて、抗議をしてみる。
「何ができるって、アナタ達に魔術を教える事が私に与えられた仕事ですわ」
「いいや。俺達は貴族だ。アリスに教えられるならば、まだ解るが、こんな平民から学ぶなんて!」
この騎士は生粋の貴族主義ね。
しかも、プライドだけは高い奴。
アリスとは知り合いのようだけど、アリスの方を向いてみると、彼女は私以上に怒っていた。
「ロン! リーザさんに失礼よ。魔術に平民も貴族も関係ないわ」
「いいや、俺は認められん。俺達、正当な騎士は只強くならばいい訳じゃないんだ。礼儀・作法・強さ・正義、求められる騎士の姿とはそこだ。ただ魔法の強さだけを求めるは暴力の追求でしかない」
このロンと言う男、尤もらしい正論を述べるようだが、自分の事がまるで解っていない典型的な莫迦者だろう。
彼の持つ強さと正義はどうだか解らないが、礼儀と作法は落第レベル。
初対面の私を、これだけ不快にさせる事は、はなから駄目駄目だ。
そして、次の一言が、私の堪忍袋の緒を切る事となる。
「しかも、こんな中途半端な年増女。もっと老婆ならば魔女らしいと思ったし、逆にもっと若ければ守ってやろうとも思うし」
「「ワハハ」」
乾いた笑いが若い騎士の数名から聞こえる。
この男の暴言を冗談として捉えたのか、それとも、私の姿を見て笑ったのか・・・
ブチーーン!
こうして、私の中の我慢の緒が切れた。
「わわっ、ロン! 止めて。リーザさんは私達と同じ年齢で・・・」
私の雰囲気が変わったのを察し、慌ててフォローするアリスだが、もう遅い!
私は中庭に生えている一本の木を指さす。
「んん?」
私の指に釣られてロンもそちら方を向くが、その瞬間、私の中で渦巻く怒りと魔力を解放してやる。
「ヤツクビノリュウよ!」
それは私の必殺技。
今回は大幅に詠唱を省略したが、魔仮面を付けていた過去の魔法行使感覚は覚えている。
あの時と比べて威力は百分の一ぐらいに減衰しているだろうが、本日の私の憂さ晴らしとしては最適。
私の身体からスゥーと魔力が抜ける感覚があり、その魔力が炎へと変換される。
この感覚は無詠唱魔法が自分にできると認めてから、だいぶ身体に慣れてきた。
私より出たその魔力の塊は一旦地中へと潜り、そこで炎として発現する。
そうしないと、発生する熱だけで被害者が出ると思った。
それほどの膨大な熱量。
威力は百分の一でも、絶対値が高いため、魔法抵抗の技術の無い一般人ならば、これだけで被害者が出る可能性もある。
私もそこまで頭に血は登ってないのだ。
そして、私の計算どおり、中庭に一本だけ生える木の地面からその八つの火柱が上がった。
ボワーーーーッ!
「何っ!」
驚くロンだが、まだまだこれからよ。
その火柱は木の高さまで上昇すると、中心の木に向かって炎が収斂する。
ドカーーーン
ここで、轟音と圧倒的な火力が発生して、木を燃やした。
「げぇーー!」
ロンは只驚き、口からそんな悲鳴を挙げる。
ロンだけじゃない、ここに集められた若い騎士の全員も、リスローも、アリスも、そして、騒ぎを聞きつけたここの修練場の関係者が、この火災現場を見て言葉を失っていた。
それはそうだろう。
こんな片田舎でこんな本格的な上級魔法なんてなかなか観られるものじゃないから、見世物として楽しかったんじゃない?
尤も、私はアストロ出身なので、これよりももっと凄い魔法だって見た事あるけど・・・
少しだけスッキリした私は、ここで私に向かって暴言を吐いたロンに言い返す。
「私、リーザは貴族ではありませんが、貴族・平民を平等に関係なく黒焦げにする能力は持っていましてよ」
「・・・」
「それに・・・私が思うに、騎士が守るのは礼儀・作法・強さ・正義ではありません」
「な、なんだ!」
少しは言い返してくるロンだったが、そこに先程の威勢はない。
あるのは大いなる恐れだろう。
フフフ、どうだ、参ったか。
私は自分の勝利を確実にするため、少々格好をつけてやった。
「騎士が守るもの・・・それは国民ですわ。大切な者を守ると言う気概。その覚悟がアナタにありまして?」
その後、いろいろとあったが、結論として魔法指南の仕事はとても上手く行った。
全員が――あのロンとか言う莫迦者も含めて――私に敬意を払ってくれて、スムーズに私のペースで魔法を教える事ができた。
やはり、人間には生物として強い者に従うという自然の摂理がその根底にあるのだろう。
私が指南する事になった騎士隊達は若者が多く、熟練度はいまいち。
そして、魔法素養を持つ者もたいした事は無い。
結局、私は魔術師とは素質が基本にあると思うが、努力によってあるレベルまでは補えるのも事実。
そのレベルに達していない者も多かった事から、この騎士達は鍛えての伸び代はまだあると思う。
これからの魔法の指導は楽しくなりそうだ。
そんな事を思う私だが、その後、アリスから結構本気の謝罪を受けた。
「ロンが大変失礼をしました」
「別にいいですわ。もう忘れましたから」
とは嘘。
私を『年増』呼ばわりしたことは、長い時間かけて後悔させてやろうと思う。
これからも指導が楽しくなりそうだ。
そんな邪悪な考えを察したのか、アリスから謝罪の意向もあり食事の誘いを受けた。
アリスは何も悪くないのにと思うが、どうやら例のロンなる男はアリスとは幼馴染らしい。
ロンの仕出かした事に連帯責任を感じているようだった。
あまり気を使われるのも煩わしかったので、私は『静かな夕暮れ亭』の夕食ならば、と受ける事にする。
あそこならば、アリスの家の隣だし、大した出費にもならない。
私だってプライドはある。
昨日出会ったばかりの人間に奢られるのも癪だと思った。
こうして、私達は夕食時にもう一度会う事になる。
「だから、私はぁ~」
ここでくだを巻くのはアリス。
実は彼女、お酒が飲めない。
私はその事実に早く気付くべきであった。
『静かなる夕暮れ亭』の特別室で始まった女子二人の食事会。
昨日に飲んだワインがとても美味しかったので、アリスにも勧めてみたが、一口飲んで彼女の様子が変わった。
とても喋り漏斗となり、私は彼女の話を聞くのに徹する状況となってしまう。
今日仕出かしたロンに対する謝罪から始まり、彼がいかに莫迦であるかという愚痴。
そして、アリスの両親の事。
クリステの乱で勇敢に戦って散った事。
自分が天涯孤独となってしまった事に対する不安。
そして、アリスの心の支えになっている憧れの彼氏の存在。
今日の一日で随分とアリスに詳しくなってしまった。
ちなみに、その彼氏とは私とは全く無関係の人間ではない。
「そのぉーー、とてもカッコいいんですよ。あの時、私が暴漢に襲われようとしていたところを、剣でシュパッ、シュパッ、シュパッと退治して、私を優しく抱てくれて・・・」
このアリスの回顧録はクリステ解放の時の話である。
クリステの乱は終盤となり、彼女も一介の魔術師として解放同盟に協力していた。
そこで敵側の奇襲に会い、襲われようとしていたところを英雄に助けられたようだ。
「あぁぁ、私のウィル・ブレッタ様~~っ。今は何処にぃ~」
アリスが熱い想いを巡らせているのはクリステ解放の英雄ウィル・ブレッタ。
そう。
私のよく知るアクト様の兄。
アクト様以上に天才剣術士であるとの噂もあり、この地で絶大な人気を勝ち得ている事も知っている。
もしかしたら、その人気はライオネル氏以上なのかも知れない。
それほどまでに彼の名は巷でよく聞くし、彼に思い焦がれているのはアリスだけじゃないと思う。
私はアクト様の事を思い出して、そして、昨年までの自分を思い出してしまった。
淡い恋・・・今ではそう想う事しかできない。
実際のアクト様は、もう、あの女のモノなのだ。
そんな過酷な現実を思い出してしまった。
ローリアンの結婚式であの女の顔を見た途端、私は逃げ出してしまった。
自分には絶対敵わない女。
生物として勝てないと思う存在。
まるで、今日の若い騎士のような気持ちだったのだろう・・・
私が弱い方の立場で、あの女が絶対強者だ。
だから私は逃げた。
尻尾を巻いて逃げた。
く、くっそう。
そんな過去を思い出してしまい、自分が惨めになってくる。
私にそんな負の感情に陥っている事なんて知らないアリスは、彼女の中で幸せの妄想でこう語りかけてくる。
「あーー、あこがれのウィル様ぁ。またエクセリアに来ないかなぁ~。もし、来られたら私がこのエクセリア国の新しくなった首都エクセリンを観光案内して、その後は・・・ウフフフ」
「ちょっと、アリスさん。気持ち悪い妄想しないで・・・それに、英雄なんて面倒なだけで、あまりいい事なんてないわ」
「何を言うんですかぁー! リーザさん。リーザさんも好きな人ぐらいいるでしょう!?」
「い、いないわよ!」
私は近付いてきたアリスを手で遠退けて距離を取る。
彼女は私に抱き着こうとしたのだろうか。
わ、私にそんな趣味は無いわよ。
このとき、彼女の体温を感じて、とても高い事が解った。
そして、眠そうだ。
ここまで飲ませたのは良くなかったのかも知れない。
私はそう思って、この長い食事会をそろそろ終わりにしようと考えていた。
しかし、ここで轟音が響く。
ドーーーーーーン!
低い空気の振動音が響き、扉もガタガタと振るえた。
突然の事で私は驚き、酔いも一気に醒めた。
「こ、これは!?」
「ふにゃぁ?」
意識が大分呆けていたアリスを放り出して、私は外に飛び出す。
これが魔法による攻撃だと解ったからだ。
それも物理的な攻撃に類するモノではなく、ただ、警戒音を発するだけの風魔法。
その目的とは・・・
私以外の人々も次々と外へ出てきた。
そう。
この魔法の目的は、人々の注目を集める事。
そして、今は闇夜の空に光の魔法でひとりの人物が現れていた。
この人物は、近代的な軍服を纏い、片目眼帯の男だった。
しばらくは何も喋らず、ただ闇夜の空に佇むだけ。
まるで何かを待っているようだ・・・
「リーザしゃん。いっらい、どうしたのれすか?」
少し呂律の回らなくなってきたアリスがようやく私の後を追いかけて外に出てきた。
そして、闇夜に浮かんだ巨大な男の映像を認め、口をアングリとさせる。
この男はようやくこの時になって何かを察したのか、口角をギィッと上げ、そして、声を轟かせた。
「私はボルトロール王国、西部戦線軍団総司令のグラハイル・ヒルトだ。本日、八月三十日午後十時零分を以って我が王国はエストリア国に宣戦布告をする!」
このボルトロール側の使者からの宣言は一方的であり、簡素に私達に敵意を向けるものである。
「ええーーっ?!」
この時、私ができた反応とは、突然始まってしまう戦争に、ただ驚きの声を挙げる事しかできなかった。
これにて第五章は終了です。登場人物の章を更新しました。
次話からは第六章『辺境編』がスタートします。
お楽しみに。