第十八話 フランチェスカの旅(其の四) ※
私の旅は続いている。
私達を匿ってくれると言うクレスタ家所縁のある神父を頼り、神聖ノマージュ公国のディレル村まで来たが、目的の人物は不在だった。
一週間前に教団本部から招聘が掛かり、首都アレグラに赴いたのだと。
また、ここには偶然、以前の私の婚約者もいたが・・・もういい、彼の事は忘れる事にした。
過去にあれほど彼に夢中になっていたと言うのに・・・偽りの愛だったと知れば、急激に下に彼への愛は覚めてしまった。
こうして、私達はアレグラへ向かう事になる。
そして、そのアレグラでは目的だった神父リュートと言う人物にすぐ出会う事ができた。
彼はそれなりに有名人らしく、アレグラの街に入る際、衛視に彼の事を聞くと簡単に教えてくれた。
「ああ、リュートなら知っている。この前、アイツにはタバコを貰ったからな」
そんな口調で喋ってくる衛視はあまり素行の良くなさそうな風貌。
この時、私は何となく嫌な予感がしたが、当の神父リュートを見て納得した。
その人物は『不良中年』という言葉がぴったりと似合う人物だ。
以前の私ならば、下賤者として全く相手にしなかっただろう。
しかし、今は違う。
この神父リュートと言う人物、あの人と同じ匂いがするのだ。
フィッシャーの父、アリガン・クレスタと同じ匂い。
見た目に反して、根幹には正義の心があると思った。
そう見えてしまうのは私の勘違いだろうか?
クレスタ家の縁者だからそう見えてしまうのだろうか?
そんな自問自答もあったりしたが、今のところ私の直感は間違っていないようだ。
この神父リュートと言う人物、口調は荒かったが、それでも彼の思考は論理的であり、情報をひとつずつ積み上げて事実へ迫る姿は、政治の世界に居た私にとって接しやすい考え方の人間だった。
彼は秘密任務を受けており、アレグラで失踪した法王を密かに探していたが、気が付けば、私が彼の助手のような立場となり、情報整理する仕事をやらされていた。
これも嫌いじゃない。
こんな私でも人の役に立てる事が妙に嬉しかったりする。
そんなアレグラの生活だが、私が驚いたのは、ここに『あの魔女』が居た事だった。
灰色のダボダボローブを着た魔女――名前はハルさんと言う。
その女性と初めて出会ったのはスタムの街中だった。
私達がスタムの役人に追われているところを助けてくれた魔女。
魔女はスタムで「アナタの事は直接知らないけど、フィッシャーの事は知っている」と言っていた。
その時には訳が解らなかったけど、今になって知るのは、このハルさんが妹のユヨーと同級生だったことである。
アストロ魔法女学院を優秀な成績で卒業し、フィッシャーとも合同授業で一緒だったので、当然フィッシャーとは顔見知り。
そして、ハルさんの傍らには漆黒の仮面を被った紳士な男性が居た。
この人があのラフレスタで英雄のアクト・ブレッタだと知り、二度目の驚き。
一時は私達と敵対関係の人物だったので、正直なところ複雑な気分だが、それでも現在はそんな英雄のひとりであるフィッシャーの夫人となっている私の姿もあり、人生とは解らないものだ。
仮面を被るアクト・ブレッタもハルさんに対して丁寧にふるまっている。
自分の彼女だから当然なのだろう。
しかし、そんな関係にないフィッシャーでさえも、ハルさんには一定以上の敬意を払っている。
「敬意を払う」とか関係ない世界に生きるフィッシャーが、そんなことをするなんて驚きだ。
確かに、美人で珍しい青黒い髪を持つ彼女はミステリアスな魅力もあるのだが、それ以上にこの魔女には何か特別な秘密があると思った。
そんなハルさんは、私には苦手な人。
だから、私よりも年下で平民の立場あるはずの彼女に対しても、何故か「さん」付けで呼んでしまう。
高貴な生まれの私にとってこんなことは初めての経験だったけど・・・しかし、その理由は直ぐに解った。
ハルさんはとても大物だったのだ。
彼女は私達がラフレスタの乱で傷を受けたことを知ると、それをなんとか治療できないかとアレグラの治癒師に聞いてくれた。
技術的な問題もあるが、それ以上に政治的な問題がある事を知ると、ハルさんはその解決に向けて直談判をする。
先ずは、まるで近所のお姉さんを呼ぶかのように、新生のエクセリア国の王妃を気軽に呼び出すと、そこからの伝手でエストリア帝国の帝皇デュラン陛下を呼び出し、私達の治療の許可を取り付けた。
気楽に接する帝皇デュラン様の姿にとても驚かされたけど、このハルさんは自分の用件を済ませると、すぐに通信を切ってしまう。
そんな大物ぶりにも、唖然とするしかない私達。
そして、あとは技術的な問題だけになったとアレグラの治癒師に言うが、その技術的な問題も難しいことを知ると、彼女自身が動いてくれた。
ハルさんは希代の魔道具師だったのだ。
そして、持ち合わせた才能で、あっという間に妹のヘレーナには義手、私には傷を隠す変化の魔道具を作ってくれた。
私も魔術師の資格を持っている。
それだから解る。
ここでハルさんの作った魔道具がどれだけ高度な技術なのかを・・・
生身の素肌と変わらない感覚を持つ変化の魔道具だが、それに要する魔力消費は極めて小さい。
魔法技術にそれほど素養を持たない私が使っても、一日中は問題なく使える代物。
もし、こんな魔道具をラフレスタ家が有名どころの魔道具師に発注すれば、金貨一千枚相当――一千万クロルを要求されてもおかしくないだろう。
そんな高級品を、何でもないようにポンと準備してしまうハルさんには驚きを通り越して、我々とは違う人間だと思ってしまう。
そして、それがそのとおりだと知る事件が起こる。
『主礼拝堂の虐殺』――後にそんな名の付く大事件が勃発したのだ。
私達も現場にいた。
アクト・ブレッタに来た招待状を見て怪しいと勘繰り、私達――太陽の小鹿――全員で主礼拝堂に潜入したからだ。
そこには聖女と呼ばれるマリアージュが居て、その彼女がハドラ神の手先となり暴走して人々を喰らう大事件。
主礼拝堂の内と外で犠牲になった人々を合算すると約八百人の犠牲者が出る大惨事だったのだけど、それを解決したのが漆黒の騎士姿のアクト・ブレッタとハルさんだった。
このとき、ハルさんが白魔女の正体だった事を初めて知る。
驚きの連続だが、これですべての事を納得できたりする。
帝皇様を初めとした大物政治家がハルさんに対して一目置いていた事。
いつも強気な彼女の態度。
そして、類稀な魔道具師としての技術。
すべてが納得いくのだ。
そんなハルさんの正体を当然フィッシャーも知っていて、私達には「絶対に内緒だ」と言ってきた。
解る。
もし、この事が他人にバレると、どんな厄介事に巻き込まれるのか・・・
私の持つ政治的感覚でこの事を瞬時に理解し、妹のヘレーナに対しても「この事は絶対に他人に漏らさないに」と釘を刺しておいた。
こうして、漆黒の騎士アクト・ブレッタと白魔女ハルさんの滅茶苦茶な戦闘が始まる。
ふたりは常識外の強さで・・・あっという間に事件が解決した。
この事件の首謀者は神父パパという邪教信者の仕業だったけど、更にその黒幕にはボルトロール王国がいたのも驚きであった。
ボルトロール王国は私達のラフレスタ領とラフレスタ一家を無茶苦茶にした相手だったので、私の心も穏やかじゃない。
そんな現場だったけど、ここで失踪していたこの公国の法王様も見つかった。
大図書館で本の罠に囚われていた法王様は、神父パパがまさかの時に残していた切り札。
それを白魔女のハルさんが解放する。
捕らわれていた法王様はそのお礼にと記憶喪失のアクト・ブレッタを治療して一件落着。
記憶を取り戻すために、アクト・ブレッタとハルさんの結婚式がとり行われたのだけれども、それがとても素敵だった。
私が羨ましがっていると、それを見たフィッシャーが「俺達もここで結婚式をやろう」と豪語する。
私は自分の為にそう言ってくれた嬉しさもあったが、法王様に対して身の程知らずの要求をしてしまったフィッシャーに対する恥ずかしい気持ちが勝っていた。
「ち、ちょっと、フィッシャー。駄目です! 相手は法王様ですよ」
私はフィッシャーを戒めたが、ここで法王ヤコブ様は寛容だった。
「よいだろう。折角この地まで来た三人のためじゃ。儂が立ち会い、正式な結婚式を挙げてやろう。この機会にエイル坊とシエルもどうじゃ? そして、ハルさんも、もう一度挙げてやろう。しっかりとアクト・ブレッタの自我を持つ時に結婚式を挙げるべきじゃっ!」
こうして、私達を含む三組の結婚式が急に決まってしまった。
ここでハルさんが大活躍して、私達の花嫁衣装と新郎の白い礼服、指輪を用意してくれた。
私はいきなり過ぎて戸惑うが、この結婚式は滞りなく終わってしまう。
何だか解らないほどのバタバタな経験だったが・・・それでも、とても嬉しく、幸せな気持ちになったのは間違いない。
そして、今の私の左手の薬指には銀色に光る指輪。
そこに法王ヤコブ様が立ち合った事を示す刻印が神聖魔法によって彫られている。
こんな指輪を付けさせて貰えるなんて、まるで王侯貴族だ。
私達エストリア帝国では帝王デュラン様ご夫妻ぐらいかも知れない。
両親に話せば、とても誇りに思うに違いない。
それほど自慢になる逸品の指輪。
しかし、今の私の心はそれ以上に高揚している。
それは初夜。
ハルさんによって速攻で作られた純白の花嫁衣裳を纏った私とヘレーナ。
上品に作られたそれは帝国式の正式な意匠。
つまり、女性の身体の起伏を強調している。
そんな花嫁姿の私達を両脇に抱えたフィッシャーは緊張しているのがよく解る。
最近、私はこのフィッシャーの性格がだんだんと解ってきた。
彼の本当の姿は初心な少年なのだ。
男だから舐められてはいけない・・・そんな誤魔化しのために、彼は常に威勢を張っている。
それが父親に似ているのか、それとも憧れているのか。
少なくとも、本当の彼は心優しき少年であり、女性好きに見えるその行動も、本心ではないと思う。
軽々しく話せる相手は、どうでも良い相手に対してできる事。
本気でない相手にならば、そんな行動ができるのだ。
そして、今の彼は黙り口数が少ない・・・それは裏返すと本気だと言う事・・・少なくとも私はそう思いたい。
私もいつからだろうか、彼の事は嫌いじゃなくなった。
好きなのだろうか?
そうかも知れない。
そうじゃなく、親愛の情による気のせい?
・・・どうなのだろう?
答えを求めて、彼に身を擦り寄せてみた。
私の胸は妹のそれよりも成長していて、それが彼の腕に接触して柔らかく歪む。
その感触から逃げようとする初心な彼の姿を認めて・・・
か、可愛い・・・
不意にそう思ってしまう私は、本当に自分の趣味がどうなってしまったのだろう。
こんなダラシナイ男との関係を大切に思えてしまうなんて・・・
そんな私を見て妹のヘレーナから声が掛かる。
「お姉様、そんな必死に・・・解りました。最初はフラン姉様に譲ります」
「え?」
その時、私は自分の愛情と欲望に溺れていた事に気付く。
彼から情けを貰おうとして、卑屈な欲望に染まる下品な女の顔をした自分に気付いた。
彼の庇護に入ろうとして、必死な自分の姿があった。
いつも上品である事を自覚している私からは、とても想像のできない姿。
決して認めたくないが、己の欲望を晒す、あざとい女性の姿。
しかし、それは受け入れよう。
彼の前だけならば、存分に晒しても良いと思う。
彼が欲しいという欲望を認めて、その為ならば、何でもしようとする自分の心を認めた。
そうすると気持ちが良くなった。
数箇月前まで、自分が人生の底辺に居たことなんて、本当に嘘のようだ。
本当に莫迦のようだ。
「ありがとう、ヘレーナ。そうさせて貰うわ」
私は年長者の特権を利用して、彼の独占を主張した。
そして、その後、フィッシャーを引き寄せてキスする。
彼の唇は渇いていたけれども、私がキスするとその口元が緩んだ。
私は彼を夢中にさせるために口付けを深める。
こんな私の姿・・・彼は幻滅したかしら?
こんな、ふしだらな女なんて思わなかったのかしら?
そう想うと、身体の奥底が熱くなってくる。
私にされるがままのフィッシャー。
私は構わずに彼を引き寄せてベッドへ誘う。
今は妹のヘレーナの姿も、もう気に留めなかった。
今は私と彼だけが許された空間にいるのだと信じ、妹の存在なんて忘れた。
私がウエディングドレスを解く。
まだ下着越しだが、それでも妹より成長した身体を男性の前に見せることなんて初めて。
母の乳房が平均よりも大きかった事を鑑みると、きっとこれからも成長するのだと思う。
そんな成長過程の私の武器は、今は彼の目前へ晒している。
その武器に屈したフィッシャーは、私の乳房に顔を埋めてきた。
「あぁぁ」
私は溜まらず甘い声を漏らしてしまう。
だって気持ちいいのだもの。
私の誘いに乗ってきた彼が愛らしい。
それでスイッチが入ったのか、フィッシャーは残された私の服を脱がしてきた。
彼は興奮しているのか、私の服は荒々しく脱がされてしまったが、そのとき勢いで私のサーキュレットが外れて、掛けられた変化の魔法が解けてしまった。
「い、嫌・・・駄目」
私は醜い額の傷を必死に隠そうとしたが、その両腕は彼らよって取られてしまう。
無残な額の傷と私の身体の全てが、彼の前では隠せなかった。
私は恥ずかしさよりも、大好きな人の前で完璧じゃなかった自分を恥じた。
しかし、彼の言葉はそんな私の惨めな気持ちを吹き飛ばす。
「フラン。これは駄目じゃない。俺はフランの全てが好き。額の傷もフランの一部。フランの価値が下がる訳じゃないんだ」
「・・・」
「だから、その傷も愛すよ」
優しいキスをそこにしてくれた。
私は涙を流す。
このときの涙の理由は解らなかったが、私が嬉しいと感じた事だけは理解できた。
ひとりの男性が、私のために・・・私なんかのために・・・
彼は私の涙を拭ってくれて、そして、私への愛情表現が続く。
「この唇も好きだし、オッパイも大好きだし・・」
彼は私の唇にキスをして、右手で胸を揉まれる。
私は本当に嬉しかった。
私の受けた醜い傷なんて、彼と私の間では関係ない。
そう信じられた。
こうして、互いに興奮が高まり、次の段階へと移ろうとしていた時、その悲鳴に似た叫びが隣の部屋から轟く。
「わーーん、この馬鹿野郎ーっ!」
その叫び声に、私達は止まってしまう。
「・・・」
「・・・」
「・・・これって、ハルさんの声ですよね?」
「あ、ああ、そうだけど・・・」
どうしたのだろうか。
まさか、初夜でアクトさんからとんでもない事を要求されて・・・
そんな下品な想像をしてしまう私・・・
しかし、実際には違っていた。
その直後にハルさんから招集がかかり、エクセリア国とボルトロール王国が戦闘状態になった事を聞き、ようやく納得する。
その時のハルさんの叫びは自分達の初夜を邪魔されたことへの怒りの絶叫。
初夜を邪魔されたのは私達も同じ。
私は少しため息をつき服を着ようとしたが・・・その時に、妹のヘレーナが私達の姿を興味津々にジーッと観察していることに気付き、何だか急に恥ずかしくなってしまった。
私達はすぐに招集に応じたが、一番遅く来たのはエイルとシエラ。
彼らは互いにスッキリとした顔になっており、きっと最後まで済ませたのだろう。
それが妙に悔しかった。
気を取り直して、我々はエクセリア国のエレイナ王妃から現状を聞く。
その結果、結局、太陽の小鹿はエクセリア国の救済へ向かう事となる。
フィッシャーもそれに同行すると言い、私も反対しない。
私達のラフレスタを滅茶苦茶にしたボルトロール王国が赦せないのは事実だが、それ以上に私達はフィッシャーの隣以外に居場所がなく、選択肢など他には無い。
彼が行くと言えば、それに従うのが妻の役割。
フィッシャーもその事には勘付いていたようで、行く事を勝手に決めてゴメンと謝ってきた。
ここで私は思わずこう答えてしまう。
「いいのです。アナタの無茶はもう慣れましたから」
そんな言葉に一番目を白黒させたのはフィッシャー。
そして、その隣でニマッと笑うのはクレスタ家の召使いのセバス。
「おや!? フィッシャー様の奥様は、もう、ルミナ様と同じ事を言われている。似てきましたなー。ワハハハ」
そう言って笑うセバスの言葉にハッとなる私。
そうか・・・ここで、フィッシャーの母親のルミナさんの気持ちが解ったような気もした。
いつも無鉄砲で自分が弱いくせに、そんな事を鑑みず、現場へ突っ込んで行くのがクレスタ家の男子なのだろう。
それでも、そんな男子の事が大好きで溜まらない自分・・・そんな自分に対する呆れの言葉が「もう慣れた」であった。
そう思ってみねと、ルミナという女性にとても親近感を覚えてしまう。
参ったと思う私であったが、ここで、私は彼のことを正しく理解して、そして、愛しているのだと解った。
その後の話し合いで、もう案内は不要となったため、召使のセバスはスタムに帰される事となる。
これからは、私とヘレーナ、フィッシャーだけの旅だ。
次の目的地はエクセリア国。
太陽の小鹿の一員として彼らと同じ旅程となるが、それでも私達は夫婦だ。
私達だけの馬車を用意して貰おうと思う。
エクセリア国に到着しても、この旅は終わらない。
私とフィッシャーの心の旅は終わらない。
一緒に居るときに、彼を愛してあげようと思う。
まずは今晩だ。
アクト・ブレッタとハルさんは、明日から『辺境』という過酷な土地を踏破するために休息を取ると言っていたけど、私達にはその必要が無い。
あのふたりには申し訳ないけど、私達は私達。
今の瞬間が大切だと思う。
私はフィッシャーに熱い視線を送りながら、「解散」の言葉が早く来ないかと期待した。
そう・・・私達の旅はまだまだ始まったばかり。
この人生の旅は私が死ぬ瞬間までずっと続くだろう・・・
そして、この旅が終わるとき・・・私は決してひとりぼっちではないと・・・
そんな予感がした。