第十六話 神の前で・・・
「待てーっ! 逃がすな!!」
聖堂騎士団隊長の激しい声が主礼拝堂に響く。
突然逃走を図ったマリアージュに、彼女を逃がすまいとした。
白魔女ハルから映像を見せられ、今回の大量殺人の犯人がマリアージュである事はもう疑いようもない。
そして、外の街の騒ぎもようやく伝わってくる。
街に巨大な堕天使が突然現れて、片端から人々を喰らった凶行。
それから時間が経ち、襲われた人達が教会騎士団を呼んだのだろう。
その両方の犯人がマリアージュである事も理解に容易い。
聖堂騎士団はここで大慌てとなる。
これは公国史に残る大殺戮であり、被害者の中には枢機卿全員が含まれていた。
その犯人を――マリアージュを捕まえないと、聖堂騎士団の大いなる失態となってしまう。
「マリアージュが使ったのは転移の魔法。飛べても一キロ以内の筈だ。聖堂騎士団だけはなく教会騎士団も総動員して捕まえるぞ!」
聖堂騎士団の隊長はそう発言すると、全員を連れてこの主礼拝堂から慌てて出て行く。
それを見た白魔女のハルは、多分無駄だろう、と思う。
自分でさえ、彼女の転移先が解らないのだ。
凡人の彼らにどこまで捜索できるかは疑わしかった。
そんなことを思っている白魔女に、漆黒の騎士アークから言葉が掛けられる。
「皆、行ってしまったな」
「ええそうね。あの人達って最近、失態続きだから、マリアージュを捕まえることに必死なのよ」
「なるほどね。でも・・・」
アークはその先の言葉を口には出さなかったが、ハルの予想と同じくマリアージュの拘束は失敗するだろうと予想している。
アークは自分が何か役に立てないかと考えてみたが、それはハルによって止められた。
「いろいろ思うところもあるけど、あとはこの公国の問題よ。私達は十分仕事をしたわ」
ハルのそんな言葉にアークはふぅと息を吐き、とりあえず同意。
そんな納得の様子を見せるふたりに対し・・・
「何、ふたりで納得しているんだよ。俺達にも事情を教えてくれ!」
神父リュートからそんな抗議の言葉が出る。
白魔女のハルは神父パパの心を透視していて、パパの企みやこれまでの経緯は大体把握できていた。
その情報は漆黒の騎士アークとも共有できている。
ふたりの間はこれでクローズなのだが、外野である他人にとっては、まったく解らない。
特に神父リュートは情報に飢えていたため、ここで大きな抗議の声を挙げてしまうが、それ以外の人達も大なり小なりと同じ気持ちであり、一体何があったのかを説明して欲しいと思っていた。
どうしようか迷うハルであったが、この場に残る者が太陽の小鹿とプロメウス大司教だけであり、聖堂騎士団達はマリアージュを追いかけて、全員がこの場から出て行っている。
残るこのメンバーだけならば大丈夫かと思い直し、白魔女のハルは事情を教えることにする。
「しょうがないわね。教えてあげるわ」
勿体ぶる話し方であったが、飛びっきりの笑顔でウインクする姿に、ここで異を唱える者はいなかった。
「先ず、神父パパの正体ね・・・」
ここで白魔女のハルが明かした情報を要約すると、次のようになる。
・神父パパの出生は南国諸国のひとつで、ハドラ教の系譜の家庭に生まれた
・幼少期、一家惨殺の事件に会うが、それがノマージュ教の仕業だと信じている(実際はそうでなかった可能性もあるが、今更検証のしようもない)
・ノマージュ教を恨み、ハドラ神をより強く信じるようになる
・ハドラ教の枢機卿まで上り詰めた彼であるが、このとき母国がボルトロール王国の侵攻を受けて併合されてしまう
・ここでパパの神意の強さを見出したボルトロール王国の幹部から誘いを受け、ボルトロール王国の秘密部隊であるイドアルカ機関へ入る
・イドアルカで更に力をつけたパパは、単身で神聖ノマージュ公国へ侵入し、片田舎の神父となる
・パパの目的はノマージュ教の壊滅であり、その布石として孤児だったマリアージュを拾い、育て始める
・イドアルカで開発された様々な魔法薬や魔道具をマリアージュに施し、彼女の神意を人工的に高める事に成功する
・同時にマリアージュを洗脳し、自分の意のまま――自分はノマージュ教の敬虔な信者だと信じさせながらも、実はハドラ神へと力を注ぐ存在に仕立てられる
・これまでマリアージュが聖女と呼ばれるような奇跡をいろいろと起こしているが、それはイドアルカに協力する研究所で開発した魔道具によるもの
・その魔道具とは、彼女の胎内に埋め込まれた宝玉であり、それは『悪神の核』と呼ばれている
・これにより、神と交信するマリアージュ
・それがノマージュ神だとマリアージュは思っていたが、実はハドラ神だったとされている
・ここで「されている」とは、本当のところパパ自身も確証を得ていないからである――真実は謎だが、これについては現状あまり重要ではないため、割愛する
・そんな支配を受けていた聖女マリアージュの目的、いや、役割は、今回の集会で敬虔なノマージュ教の信者を二千人、その身体へ吸収・融合する事だった
・吸収したノマージュ教徒の信仰心と生命エネルギーは悪神ハドラの糧となり、彼女の胎内に仕組まれた『悪神の核』により、悪神ハドラをこの世に召喚することが目的だった
・神父パパの筋書きとしては、召喚したハドラ神をこのアレグラで暴れさせること
・ハドラ神を倒す事は、この国の聖堂騎士団や教会騎士団では不可能だと思われる
・そこに登場するのが、ボルトロール王国の南方戦線軍団
・ボルトロール軍が悪神ハドラを退治し、公国の民から感謝と信頼を得る
・こうして神聖ノマージュ公国の支配権をボルトロール王国が徐々に奪う
「ボルトロール王国はそんな筋書きを用意していたようね」
「危ねぇー。奴らの企みはひょっとしたら成功するところだったんじゃねぇの?」
神父リュートは本当に危なかったと思う。
「ええ、そうね。だけど、神父パパは最後までボルトロール王国に協力する気は無かったようよ」
「協力する気ないとは?」
「最後は、ボルトロール軍さえも悪神ハドラが滅ぼす予定にしていたみたい。彼としては全人類が滅びればいいと思っていたようね。ある意味、破滅の神の信者らしい発想だわ」
ハルの結論に、口がパクパクとなってしまう神父リュート。
これを聞いたプロメウス大司教は怒りをまた爆発させていた。
「迷惑な奴だ。やはりハドラ教は消滅すべきである」
「そうね。だから、そのハドラが幼体のうちにアークが始末してくれて、私は神父パパを捕まえた。あとは公国が裁いてくれるのだと思ったのだけど・・・」
「最後の最後で、マリアージュが神父パパを裏切ったんだ」
ハルの言葉にアークがそう付け加える。
「これはまったくの予想外だわ。一体何が起こったのかと思っているけど、私にも解らない。最後のマリアージュは私でさえも、心の中を一切見る事ができなかった。突然、何か別者に変わった。そんな印象よ」
「うん。君が解らないならば、俺にも解らない。他の誰だって同じだ。解らない事をこれ以上考えても無駄だろう」
アークはそう締めくくり、この話題は終わりとする。
その後、この結末に関しては、太陽の小鹿の各位より推測に基づく意見がいろいろと出たが、やはりこれ以上の進展は得られなかった。
ひとつ言える事は現在、公国の騎士団がそのメンツにかけてマリアージュを必死に追いかけているが、彼女が束縛される可能性は低いだろうという予想。
そんな騎士団の失態が始まったのは、法王の拉致からである。
その法王の描かれた紙は、今、白魔女ハルの手元にあった。
それを思い出したハルは、この老法王をいよいよ解放してあげる事にした。
描かれた紙を見て、何となく魔法回路を想像してみる。
おそらく、こういう魔法を掛ければ、紙に仕組まれた魔法が逆流するだろうと思い、それを実行してみた。
「聖なる光よ、闇を照らせ」
白魔女のハルがそう唱えて魔法を発動させると、法王の描かれた紙が輝いて、そして、その光が周囲に広がる。
一筋の光線が紙から床へと届き、そして、そこからひとつの人影が現れた。
そこには椅子に座る状態の法王が居て、ふぅー、と伸びをする。
「ふぁーっ、ようやく外の世界に出られたか。やっと終わったようじゃな」
呑気な老人の声が聞こえた。
あまりにも緊張感の無いその姿に呆れる白魔女のハルであったが、プロメウス大司教を初めとした公国の民達はここで一斉に跪く。
あの不良中年の神父リュートでさえも無条件で跪く姿は、ハルからしても驚きだった。
そんな公国民の代表であるプロメウス大司教は、法王に対して言葉を述べる。
「法王ヤコブ様。永きに渡り救出できず、本当に申し訳ありませんでした」
プロメウス大司教は自分の失態を詫びたが、法王ヤコブは手を振って、よいよいとする。
「儂がここから助けられところで、今回の騒動にはほとんど役に立てんよ。それよりも『座してここで待ち、救世主が現れるだろう』とは、ノマージュ神からの啓示じゃて」
法王はそう言い、白魔女ハルと漆黒の騎士アークを見て、ニマっする。
そんな俗物のような仕草に僅かに怒りを覚えてしまうハル。
「この王様・・・捕らわれていても意識はあったようね。アナタは神の啓示を聞いたと言うけど・・・」
法王ヤコブの心に探りを入れたハルは、ここでヤコブの秘密を知る。
彼には心を視る能力があった・・・ハルと同じように無詠唱――神聖魔法使いなので無祈祷となるが・・・
その事を知ってしまったハルの心を視たヤコブはまたニマッとした。
「まあそう言う事じゃ。秘密じゃぞ」
目配せする法王の姿はお茶目であり、そんな事で怒気を抜かれてしまうハル。
ある意味で老練のなせる業であり、若いハルでは敵わない相手であった。
「其方達は見事に悪意を葬ってくれた。ハドラとはノマージュ神の敵じゃから、この神聖ノマージュ公国からは駆逐せねばならん。それを果たせたのが本当に良かった」
「良かったって・・・王様、アナタが本気を出せば」
ハルのその言葉の意味は法王ヤコブに心を視る力があれば、それを用いて、早い段階から神父パパや聖女マリアージュを排除できたのではないか・・・そんな考えがハルの心に過る。
しかし、ヤコブはそれを否定した。
「無理じゃよ。運命には逆らえん。多少は何とかなるかも知れんが、今回はこの惨劇が多少早くなる、遅くなる・・・それだけの違いじゃ。どうせ避けられんのならば、犠牲は最低限・・・それが今回の運命」
「そんな! 私はそんな事認められないわ。たとえ今回の惨劇が運命だったとしても、人々がそれを諦めてしまえば、座して死を待つようなものよ。それだけで終わりになるじゃない!」
「・・・其方はそれでよい。強い運命を持つ者は己の努力でどうとでもなる。しかし、儂達のような凡人はそうではないのだ。限られた選択肢の中で最良の選択をするだけ。最低限の被害で済ませる。そんな過酷な選択の連続。それが儂ら凡人の人生なのじゃから」
法王ヤコブの言葉は意味深だったが、そこには強い力が籠っていた。
彼の長い人生の中で、自らの力不足を受け入れるしかないような場面が幾らでもあったのだろうと思う。
そう考えると、ハルは法王の意見を単純に否定する事もできなくなってしまった。
黙ってしまう白魔女ハルの姿を見た法王ヤコブは小さく息を吐いて、ヨッと座る椅子から立ち上がる。
「まぁ、そんな事で気を悩んでしまうのはお前達の役割じゃないわい。公国の責任は公国の長である儂が取れば良い。それだけの話じゃ。ほれ、お前達もそう思うじゃろう?」
ここで、法王の言葉は太陽の小鹿達へ向けられた。
初めてここで面を上げる彼ら。
法王ヤコブはその中に見知った顔が居ることをここで初めて認識する。
「おお、エイル坊じゃないか。元気にしておったか?」
法王が親しげに声を掛けたのは太陽の小鹿の中の若い司祭エイルである。
彼の方も得に驚くでもなく、遠慮するでもなく、普通に言葉を返した。
「ええ、叔父様・・・いや、公の場では法王様と呼ばないと不味いですね。一応、公式には僕が法王様の縁者である、というのは秘密になっていますから」
フフフと笑うエイルは、この秘密がもう必要なくなったと思う。
それは、法王ヤコブが言葉ではなく態度でそう示していたからだ。
「まぁ、もうよいじゃろう。儂は今回の騒動の責任を取り引退するつもりじゃ。あとは若い者に任せよう。エイル坊の身分を隠し、南方で修行をさせていたのも、爺からの期待じゃ。権力を持つと信仰は育たぬ。強くて優しく正しい心を持つ者には育たんと思ったからじゃ」
法王ヤコブとしては自分の孫が公国内で修行しても法王の親族であるというレッテルが貼られた状態では平等に扱われないと思っていた。
そんな身では正しい信仰心が得られないと思った彼はエイルに身分を隠すよう命じて、南方諸国へ修行に行かせていたのだ。
そして、法王としての自分はもう引退すると決めた。
これでエイルが身分を隠す必要も無くなったと結論付けたのだ。
そして、この法王ヤコブと言う人物は余計な事を言うのが趣味でもある。
「それに、どうやら素敵な伴侶も得てきたようじゃしのう。ムフフフ」
ここでニパニパとする法王は好好爺を通り越して、悪戯する悪餓鬼のような顔である。
当然、エイルの心を観た法王ヤコブはシエラと言う恋人の存在が解り、そう言ったのだ。
これは法王ヤコブなりのユーモアであったが、それ以前の『孫』発言に人々は驚くばかり。
自称情報通の神父リュートは、この事実を知って驚愕し、口をあんぐり・・・
そして、そのエイルの後ろでシエラは、顔を真っ赤にして、何故かエイルを一発殴った。
それはエイルが法王の孫であるという事実をずっと秘密にしていたことに怒ったのか、それとも、伴侶と言われて恥ずかしさと嬉しさが混ざる結果だったのか。
事実はふたりだけのものとして、白魔女のハルはここで敢えてふたりの心を読まなかった。
こうして事件は一件落着。
そう一息つく面々だが、ここで法王ヤコブが漆黒の騎士アークに話し掛ける。
「ところで、其方達がここに来た目的は別にあるじゃろう?」
法王ヤコブが問うのはアークとハルがこの神聖ノマージュ公国に来た本当の目的である。
それを言葉にしようとしたアークだが、法王は心が読める事を思い出し、アークは無駄に話するのを止め、心の中で自分達がここに来た理由を強く想う。
そんな利口なアークを法王は気に入り、アークが記憶喪失になっている事をちゃんと理解した。
そして、もっと近付くように言う。
「なるほどな。アークよ。少しこちらに近付いて。ああそうじゃ。頭をこちらに向けて・・・」
法王ヤコブはアークの頭のあちらこちらに掌を当て、彼独自の方法で診断する。
アークも法王の指示どおりに頭や身体を動かして素直に応じた。
そんな医者の診断のようやり取りが続き、そして、法王ヤコブはとある結論へとたどり着く。
「うむ。アークの心と記憶のいろいろなところに『赤い厄災』が憑いておるようじゃ。これはとても強い魔法結合のようじゃあなぁ・・・普通の方法では取り除けんわい」
そう言う法王ヤコブの言葉に、白魔女ハルは心配になる。
「治療できないの?」
「むむ、儂を誰じゃと思っておる! 神聖魔法使いのトップじゃぞ、トップ! 一般人の神聖魔法使いでは無理でも儂には可能じゃ。なんとか治療をしてやるわい」
ハルから心配する言葉を聞いた法王ヤコブは、治癒師としての自尊心をチョットだけ傷付けられた。
法王ヤコブは若い頃から治療魔法の権威であり、白魔女ハルの言葉は自らへの挑戦のように受け止めた。
「この『赤い厄災』を浮かせるのは、できる筈じゃ・・・おい、プロメウスよ。『聖者の柄杓』を持ってこい」
「ええ!? 『聖者の柄杓』とは国宝級のアレをですかぁ!? もし、万が一、使って壊れようものなら・・・」
迷うプロメウス。
彼が二の足を踏むのも無理はない。
『聖者の柄杓』とは、公国の長い歴史で受け継がれる聖なる宝物のひとつである。
第五代法王がノマージュ神より加護で授かったと言われる神の力が宿る貴重な国宝。
使う事さえ躊躇してしまう貴重な国宝なので、プロメウスが迷うのも道理ではあるが、そんな優柔不断な部下の姿に法王から喝が入った。
「こりゃ、プロメウスよ! 儂が持ってこいと言えば、すぐに持ってくるんじゃ!」
「ハッ、はひぃ~っ!」
プロメウス大司教はそんな悲鳴を挙げて、宝物庫へ飛んで行く。
そんなプロメウスを目で追いながら法王ヤコブはプロメウスの為人を評価する。
「まったく、アイツは決断力が無い奴じゃ。いかに国宝と言えども、今、使わんでどうする? 公国の危機を救った英雄には報いる時は今ぞ!」
法王の言葉に尤もだと思うハルだが、彼女からしてもその『聖者の柄杓』の価値がよく解らず、キョトンとしてしまった。
そんな茶番はさておき、法王ヤコブはその先の治療をどうするか考える。
「『赤い災厄』をアークの心から浮かせるのはできるが、ここに別の何かを置いてやらんと、また結合してしまうから厄介じゃなぁ・・・うーむ、何か良い方法はないモノか・・・」
悩む法王であったが、ここで不意に彼の視線が孫のエイルとシエラに向く。
彼と彼女の関係は・・・ん?
ここでヤコブは閃いた。
「そうじゃ。よい方法があるぞ。ふたりのつながりを強くすれば、『赤い厄災』が再び結合する暇を与えないはずじゃ。そうすれば、『赤い厄災』は接続先を失い、やがてエネルギー切れになって自戒するじゃろう」
「私達のつながりを強くするって?」
ハルはアークとこれ以上に強くつながることを想像できなかったが、ここで人生の先駆者である法王ヤコブの言葉は適切であった。
「それは『結婚』じゃ。他人同士がひとつになる事を誓う儀式。それが人生に於いて最も強いつながりが得られるじゃろうからなぁ」
「え? えええええっ!」
突然出てきた『結婚』と言う言葉に焦るハル。
アーク・・・いや、アクトとはいずれと思うハルであったが、これが今すぐかと問われると・・・
しかし、ここで法王は容赦しなかった。
「迷ってはいかんぞ。今じゃ、今でしょ、じゃよ!」
ニヒヒと笑うその姿は・・・やはりこの男は聖職者ではないと結論付けるハルだが、そうするうちにプロメウス大司教が『聖者の柄杓』を持ってきてしまった。
その柄杓は黄金に輝き、神意溢れるその姿は説明しなくてもこの宝物に神聖が宿っていると誰の目にも明らかだ。
「おお、持ってきたな。それでは始めるぞぇ」
「ええっ!? ち、ちょっと、待って! いきなりすぎるって!」
それを受け取った法王ヤコブは、二、三度振り具合を確かめ、そして、結婚式を始める。
突然始められた事に焦ってしまう白魔女。
こうして、この不意打ちのような結婚式は法王ヤコブ立ち合いで始められてしまった。
法王がふたりの間に立ち、『聖者の柄杓』を持ち、これをアークの頭に当てると、ヤコブの神意が高まる。
そうすると、柄杓から温かい光が漏れ、それがアークの頭を包んでいく。
「ここで神の御名の元、汝は白魔女ハルを妻として認める事を誓約するか?」
大幅に省略された宣誓の言葉であったが、アークはここで自分の言葉の選択を間違わない。
「はい。私はハルを妻として認め、永遠の愛を誓います」
その言葉を聞き、一気に顔が赤くなってしまうハル。
そんなハルの顔にアークの手がゆっくりと掛かり、ゆっくりと白仮面が外された。
魔法が解除されて、ハルは元々の灰色ダボダボのローブ姿と青黒い髪に戻ってしまったが、それでもその顔は美しいままであった。
少なくともアークにはそう見えていた。
そして、真っすぐな視線をハルへ注ぐ。
ここでハルも一気に気持ちが高ぶり、気分が高揚した。
そんな彼女に法王ヤコブから言葉が掛けられる。
「そして、ハルよ。其方もアーク・・・いや違うな。彼、アクト・ブレッタを夫として認め、誓約するか?」
ドクンッ!
心臓の音がひとつ高くなった。
もの凄い血流が今の彼女の体内を巡るが、ここでその自覚はない。
自覚は無いが・・・自分の気持ちが最高潮に高ぶるのは解る。
(落ち着け、落ち着け・・・)
そんな内なる声が聞こえた気もするが、その逆の言葉も聞こえてきた。
(行け、行け。今だ。今こそ人生の大勝負!)
どちらの声を採用するか・・・ここで彼女が選択したのは・・・
「ああ、アクト。やはりアナタはアクトが正しい姿だわ」
ハルはそう言うと、彼の黒い仮面に手を掛ける。
それは全く抵抗する事なく、すぅーと外れ、そして、彼の瞳が黒色から赤色へと変化した。
赤は『美女の流血』の模倣品に侵されている状態を示す瞳の色。
しかし、ここで『聖者の柄杓』の光が増し、その効果によりアクトの瞳は半分だけがブルーに戻った。
「ああ、アクト。大好きぃ! 私の夫に成って。私はアクトを夫と認めるわ。誰が何と言おうと!」
ここで、ハルから強い言葉と気持が発せられ、それが赤い何かを怯えさせた。
それをハルは見逃さない。
ここでハルはアクトの顔を捕まえると、一気にその唇へ口付けした。
アクトもそれを受け入れる。
ハルの後頭部と腰に手を回し、彼女を守る・・・いや、彼女を誰にも渡さないことの意思表示。
ここには、ふたりだけの世界、ふたりだけの愛、真実の愛の姿が、そこにあった。
そうなると赤い何かはアクトの瞳から居場所を失ってしまう。
強い思いが、赤い何かの結合力よりも強かった。
その赤い何かは、アクトの瞳より流れ出して、その宿り主から離れてしまう。
空中に浮く赤い何かは、しばらくアクトの周囲を漂っていたが、そこに存在する事は神に赦されなかった。
どこからか光が指しこみ、それが赤い何かに迫ると、切り裂くように次々と撃ち抜かれていく。
ここで、赤い何かは消されては不味いと思い逃げた。
しかし、それは無駄である。
大いなる何かが、神罰を与えるかの如く、光が赤い何かを追尾し、そして、追い詰めて、最終的に赤い何かは光の中へ消えて行った。
こうして、アクトは心に受けた支配の呪いから完全に脱する事ができた。
彼は唇と身体に感じた確かな愛に、ハルを再び強く抱く。
それが解ったハルも彼を強く抱き返して、赤い何かを撃ち抜いた光が、今度は彼らの周りに降り注ぎ、光のカーテンの様になっていった。
その光景を目にした太陽の小鹿達は、ここにある真実の愛の姿と、神々しい光の祝福が相まり、これは感動の一場面だと認識する。
「キレイ。そして、羨ましい」
キリアからそんな言葉が漏れる。
普段はこうした恋愛情景に鈍い彼女も、この時ばかりは熱い何かが心を駆け巡り、誰かをギュッとしたくなった。
隣を見れば、涙を流して感動する恩師マジョーレの姿。
マジョーレに対しては親愛の情を認めるキリアであったが、ギュッとする相手としては少し違うな・・・そう思うキリア。
逆の方を見てみると、煙草を手にした神父リュートの姿が「いいねぇ」と格好をつけていた・・・
こっちの方はもっと違うかな、と思ってしまうキリア。
結局、彼女は自分の身体をギュッとすることで満足した。
そんな気持ちの元を提供している主役の美男・美女は、ようやく互いの抱擁を解き、そして、互いの瞳に互いの本当の姿が映る事を自覚する。
『心の共有』・・・それも戻っていた。
つまりこれは、アクト・ブレッタに掛けられた支配の魔法が解かれ、彼の自我と記憶が正常に戻った事を意味していた。
そんなアクトが思い出したひとつの事。
それは自分のポケットの奥底にある存在。
簡単な紙で包装されたその中には、帝都ザルツで買ったハルのための指輪だ。
アクトはそれを取り出すと、この場で黙ってハルの左手の細い薬指に嵌める。
その銀色に光る指輪はハルの指にぴったりと嵌り、それを嵌められたハルの顔は真っ赤を通り越し、爆発寸前。
「ア、アクト。この場でそんなことするなんて!」
アクトの粋な計らいに、そう応えるハルが初々しかった。
結婚式で指輪が嵌められるこのシーンは女性としても憧れるものであったし、その姿を見たフランチェスカが同じ女性としてウズウズとしてしまう。
その様子に気付いたフィッシャーは、ここでこんな事を言うのだ。
「いいねぇ。俺達もここで結婚式をやろう!」