第十四話 天罰
パシーーン!
音速の鞭による音が響いて、その直後に濁った女性の悲鳴が轟く。
「ギャーーーーー」
使徒リニスより放たれたその凶行に、太陽の小鹿の面々は焦ってしまう。
「ハルさんっ!」
キリアからそんな心配する声が出てしまうが・・・
ここで悲鳴を挙げ女性はハルではなかった。
絶対に避けられない死角・・・その死角とは、人間である。
女性信者の背後に隠れて行われた凶行。
つまり、この悲鳴・・・いや、この断末魔は、凶悪な刃物で覆われた鞭で貫かれた女性信者によるものであった。
彼女は胸を貫かれて、死んでいった。
そんな人でなしの攻撃を放ったのは使徒リニス。
彼女は神父パパより命令を受けて、必殺の一撃を放ったが、それでもその顔は不機嫌。
何故なら、この奇襲が失敗したからである。
女性信者の身体を貫く形で放つ鞭の攻撃はハルに届かなかった。
鞭の進行を妨害したのは巨大な石壁。
地の魔法を行使して呼び出された鉄壁の守りである。
そして、その石壁の魔法を行使したのがハル・・・それだけはリニスは解っていた。
普通の魔術師では絶対に無理だと思うタイミングだったが、それでもリニスはハルが行使した魔法に間違いないと解っていた。
何故なら、今、ハルの居るところから、普通とは思えない脅威をヒシヒシと感じていたからである。
そんな脅威とは、魔力の波動。
莫大な魔力の波動は、リニスを支配する神意にも乱れを与えるほどであった。
そして、石壁が崩れる。
魔法が効力を失った? いや、違う・・・強制的に解除されたからだ。
ここで、能動的に崩壊した岩の砦より姿を現したのはハルではなかった。
それは、美しい白い魔女。
白い仮面を被ったその魔女とは、聖女マリアージュとまた違う神性を纏った女性。
独特の魅力を放っていたので、これを魔性と言うのかもしれない。
リニスはそんな事を思ってしまう。
「えっ!?」
その莫大に放射されている魔力と、その美しさに驚くしかないリニス。
思わず手にしていた鞭を落としてしまいそうになるが、そんな彼女の頭蓋に叱責の声が響く。
「リニス。アナタは主を裏切るつもりかっ! 背信者の烙印を捺されたいのかっ!!」
「ハッ!」
神父パパから厳しい言葉を聞いて、リニスは自分の立場を思い出した。
彼女は自分の心を強く持ち、そして、新たに姿を現した白魔女を、自分の敵として強く睨む。
その白魔女は、そんなリニスや他の使徒を一瞥して、こう告げる。
「ここは神聖ノマージュ公国。この国の運命はこの国の問題・・・そう思っていたけど。もう遠慮はしていられないわ。神父パパ、アナタの野望はここで潰えるの」
「な、何を言う。それにお前は!? 白魔女! ど、どうしてラフレスタの白魔女がここに!?」
神父パパはイドアルカより白魔女の情報を得ていたので、ここで現れた魔女が白魔女である事はすぐに理解する。
しかし、何故ここに登場したのか?
その状況が全くに理解できない神父パパ。
そんな疑問に白魔女は答えた。
「さて、どうしてでしょうね。私だって狙ってここに来たのではないわ。しかし、アナタ達に因縁が一杯あるのも事実よ」
白魔女がそう言うのはラフレスタの乱の件である。
「悪いけど、神父パパ。アナタがボルトロール王国の間者で、闇の組織『イドアルカ』の構成員である事はもう解っているの」
「な、何ぃ! どうして!?」
「驚かないでよ。私には何でも解るのよ・・・ええそうよ。アナタの心を読んだからね」
神父パパが焦り自分の心に手を当てたが、それは解っていると白魔女が伝えた。
「心をガードしたようね。これもイドアルカの技術なのかしら。マクスウェルも同じことをしていたわ」
「マ、マクスウェルだと!?」
「ええ。アナタも彼の事を良く知っているようね・・・でも、もう遅いわ。アナタの企みは大体理解できたから」
白魔女はここで観念しろと言う。
既に神父パパの心の捜査は完了しており、精査済みであったからだ。
それが解ったのか、神父パパは心の隠蔽を諦めて、逆に開き直る。
「くっそう。しかし、こうなって仕舞えば仕方ない。お前を殺してお終にしてやる」
「私を殺す?」
「そうだ。ラフレスタで勝ったからと調子に乗るなよ。外には私が手塩に掛けて育てたマリアージュがいる。大天使にまで昇華させた彼女が、お前達を糧とするだろう」
「へぇーー、あの売女は『大天使』って言うのねぇ・・・ 私は、てっきり、『堕天使』か何かだと思ったけど・・・まあ、アナタの信じている神から見ると、それが適正なのかもねぇ。神父パパ――ハドラ教の信者さん」
白魔女の暴露に驚きの声を挙げたのはマジョーレである。
「何っ!! ハドラ教じゃとっ!!」
『ハドラ教』・・・それはノマージュ教と敵対関係にある神の宗教団体。
破壊と破滅を司る邪教――それがハドラ教である。
その事が白魔女によりバラされてしまったが、ここでもパパは開き直った。
「くくく、できればそれは秘密にしておいて欲しかったが、バレてしまえば仕方がない。確かに私はハドラ教の信者。しかも、枢機卿の立場に当たる人間だ」
神父パパはもう遠慮しなかった。
自分の信仰を偽り、今までノマージュ教の信徒としてこの教団に侵入していたが、それも任務の為である。
目的はノマージュ教を内部から破壊し、滅亡へ導くための手段。
そのために表面上の信仰を偽っても良いとはハドラ教の教義であった。
敵対しているノマージュ教を葬るためには手段を問われないのである。
もう開き直った神父パパは、ここで涼しい顔をする。
「でも、これは良い。ようやく胸に閊えていた嫌な物が取り除かれた感じだよ。本当にノマージュ教の神父とは息の詰まる仕事だ。平和だの、融和だの、息の詰まる事ばかり」
神父パパはノマージュ教の掲げる教えを汚らわしいものとして取り扱う。
その姿を見たマジョーレとキリア、そして、神父リュートまでもが不快な気持となる。
彼らはノマージュ教である。
教義が百八十度異なるハドラ教とは全く相容れないのだ。
そんな静かな怒りを纏う彼らを尻目に、白魔女はパパに言う。
「良かったわね。我慢する必要が無くなって。それに外に居る堕天使も、アークがそのうち倒すわよ。彼はもう堕天使マリアージュを『悪』と認定したわ。だから絶対に容赦なんてしない・・・私達、神は信じないけど、神に代わってお前達に天罰を下す事はできる。人々を苦しめて殺した罰を受けることね」
白魔女はそう宣言して、悪者の討伐を始めることにした。
ギン、ギン、ギン!
激しい金属音が響くのは、アレグラの夜空である。
空中を飛ぶ堕天使マリアージュと、空飛ぶ魔法を行使して戦う漆黒の騎士アーク。
今、その攻防が起きている。
堕天使マリアージュがその身体からアークに向かって飛ばしているのは、無数の金属の牙であった。
プッ、プッ、プッ
三角錐状の鋭い弾丸のような刃物がアークへ迫るが、アークはそれを次々と撃ち落としている。
魔剣エクリプスの力を最大限に使い、自分の迫る刃をひとつひとつ丁寧に壊していた。
堕天使マリアージュから飛ばされる刃には聖なる神意も含まれている。
それは魔力と同意義であり、まるで魔剣のような鋭い貫通力を持っていたが、そんなものアーク・・・いや、魔剣エクリプスには効きもしない。
ここで、エクリプスの持つ魔力吸収能力が如何無く発揮されて、刃に付与された神意も魔力と同じように無効化する事に成功していた。
そんなアークも空を自由に舞うように戦っている。
この飛翔する力の源も黒仮面による魔法である。
魔力抵抗体質者であるアークの身体内には膨大な魔力が蓄積されており、それを黒仮面が引き出して魔法へ変換している。
そのお陰で、魔術師でも難しいとされる飛翔魔法を、連続的に、かつ、長時間安定して行使できていた。
これに加えて、アークが得意とする魔法は闇の力である。
闇の力とは実体化の魔法の事を意味している。
そのアークが手を前へと突き出し、そして、空間を掴み取る動作をした。
そうすると堕天使マリアージュが苦しみだす。
アークが彼女の心臓を掴んだのだ。
ここでアークは彼女の心臓を握り潰そうとしたが、そこまではできない。
彼女はもう数百人もの人間を吸収している。
その力が心臓にも宿っており、アークの技に対して激しく抵抗しているのだ。
アークはこの方法で堕天使を葬るのは無理だと判断し、その掴んだ手を地面へ向ける。
そうすると、その力が重力として作用し、通常の何倍もの重力が生じ、堕天使を墜落させた。
ヒュル、ヒュル、ヒュル
空中から地面に凄まじい速度で墜落する彼女。
そして、地面に激突した。
ドカーーーン!
「ギャアーーー!!!」
ここで大きな衝撃音とクレータが生成されて、堕天使の悲鳴が響き渡る。
これまでは無敵な彼女であったが、この攻撃により多大なダメージを負う。
手足が変な方向へと曲がり、そして、身体のあちこちが泡立つ様子。
内臓にも大きな傷を受けたため、それを大慌てで修復しているから、皮膚の下が泡立つように畝っているのである。
それはまるで皮膚の直ぐ下を無数の虫が蠢くような悍しい光景であったが、アークはそれを見て気持ち悪いと思う猶予はない。
アークはダメージを負って動けない堕天使に向けて、魔剣エクリプスを力一杯突き立てる。
重力による自由落下速度に加えて、アークが精一杯の力で刺したのは、堕天使の胎である。
グサッ!
「いやぁーーー!」
ここで、マリアージュの女性らしい悲鳴が響いたが、それは心の乱すような神意の波動。
彼女の魅惑の神意が激しく混ざっている。
アークに同情を誘うものでもあったが、それでもアークは心を鬼にしてそれに抗う。
ここで情けを見せてしまえばこの堕天使を倒せないと思ったし、信頼するハルからは敵の正体が魔法で伝えられていた。
「マリアージュさん。アナタは騙されていた。神父パパの罠に嵌り、信仰を悪意へと変える仕組みにアナタも組み込まれていた」
エクリプスを力一杯にして指す。
それは堕天使の胎を抉るように。
堕天使が溜め込んだ神意を抉るように・・・
そんな堕天使の彼女の胎から、赤い血は出ない。
代わりに出てきたのが紫色の液体である。
アークはこの正体を知っていた。
離れた場所のハルが神父パパの心の中より得られた情報である。
白仮面と黒仮面の機能のひとつである『情報共有』を介し、随時アークの頭の中へ最新情報を伝えられていた。
この情報より、この紫色の正体は・・・『ハドラの体液』。
神父パパが称えている悪神の御名が付く体液である。
聖女から堕天使に堕ちた彼女の胎は、現在、この体液で満たされている。
そして、その中に潜むひとつの意思。
それは魔剣エクリプスの切っ先から逃れるように、彼女の胎の中を右に左にと激しく移動する。
グサ、グサ、グサ!
ここで胎を滅多刺しにするアークであったが、それはこの悪意を仕留めるためである。
だが、ここで悪意に染まる存在を、アークの剣で突き刺す事はできなかった。
しかし、だんだんと追いつめられるその悪意。
その存在は母体となる彼女の胎に潜む以上、もう逃げ場所が無くなってきたと感じていた。
そうなると、別の逃げ場所を探す。
アークの剣が届かない場所・・・それは、つまり外の世界。
この母体より一刻も早く脱出する事を意味していた。
それが解る悪意は堕天使の子宮の出口に急ぐ。
「嫌ッ、やめてぇ!」
堕天使マリアージュは懇願するものの、そんな事を構わないアークは、彼女の大切な部分を覆っていた布を引き裂く。
そして、露わになる彼女の大きな秘部だが・・・そこから紫色の手が出ているのをアークは確認した。
「させるかぁ!」
アークはその悪意が、母体より脱出するのを阻止するためにエクリプスを振り上げた。
しかし、それが間に合わない。
「う、産まれるーーーーっ!!!」
堕天使マリアージュがお産の絶叫を挙げ、そして、悪意が彼女の股座から外の世界へ飛び出してきた。
「ウギャーーーーーーーッ!!!」
この世のモノとは思えない産声を挙げたその悪意は、母胎より飛び出し、地面を転がり、勢い余り建物の壁へ激突した。
バラ、バラ、バラ
壁が壊れて煙が発つ。
そして・・・崩れた瓦礫の中を見ると・・・それが現れた。
その悪意は、身の毛もよだつバケモノだった。
紫色の体液が滴るその身体は、人型であったが、手は八本あり、足は四本、顔はふたつの異形、そして、背中には母譲りの羽根が二枚。
その身体のあちこちには牙が多数生えており、深い紫色の皮膚は所々に幾何学的な魔法陣が描かれている。
本当に禍々しい肉体であったが、それに加えて、身体の一部が未だ固まっておらず、溶けた状態でもあった。
その姿を見たアークはこの悪意の正体を正確に言い当てた。
「悪神ハドラ。その幼体・・・しかも、まだ成長しきっていないか」
悪神がこの世に召喚された姿であった。
しかし、まだその幼体である。
飛び出してきた悪意の幼体が、自分の敵と自覚するアークを威嚇するように「シャーーーッ」と蛇のように鳴く。
しかし、彼は漆黒の騎士アークに挑む事はしなかった。
それは、自分がまだ完全体でない事を解っていたからだ。
悪意の幼体は踵を返し、パッと空中へと飛び上がり、逃げを選択した。
このハドラの幼体・・・彼が完全な姿でこの世に生まれるためには、まだ神への信仰心を宿した千人の人間の命が必要だった。
それを母体であるマリアージュに吸わせて、彼女の胎で自身を構成するためのエネルギーに昇華させていた最中。
そんな悪魔的な儀式を経て、悪神ハドラがようやく生誕する予定だった。
しかし、堕天使マリアージュの胎の中が安全でなくなった。
この漆黒の騎士の刃に狙われていたからである。
悪神ハドラは新たなる安全な母胎を探すため、移動を開始する。
彼にはまだ信仰心の高い女性の胎が必要なのだ。
ハドラの好みは、神意に満ちた女性の胎の中・・・その者の神意が濃密であればあるほど良く、そして、処女であることは絶対条件。
そう言う意味では聖女マリアージュの胎の中は最高の環境だったが、そんな新天地を求めてアレグラの夜闇に飛び上がる。
しかし、この悪神がこの世界を自由に行き来する事は赦されなかった。
「グギッ!?」
随分と高く飛び上がった筈なのに、それでも悪神は何者かに足を掴まれたのを感じた。
そこに手がある訳ではないが、悪神には自分を掴む存在が見えた。
地上より黒い魔力が伸びてきて、自分の足を掴んでいる事を・・・
「クギャ、クギャ!」
悪神は抗ったが、なかなかに振り解けない。
そればかりか、悪神を掴む力はドンドンと力を増し、やがて飛翔が維持できないぐらいになる。
そして、その力により、地面に無理やり引き戻された。
「ギャア、ギャア!」
そんな悲鳴は、もし、この幼体の成長が進み、人間の言葉が喋れるようになっていれば、こう叫んだ事であろう・・・「たかが人間の分際で!」と。
しかし、彼は凄まじい力で地上へ引き戻され、そして、先程の堕天使と同じように地面に強く叩き付けられる。
グシャッ!
大きな破壊音と共に、まだ固まり切っていない一部の身体がグチャグチャになって吹き飛ぶ。
ふたつあった頭も一方が割れ、首から上が無くなる。
ひとつだけになってしまった頭が千切れて地面へ転がり、そして、黒い騎士の足元にたどり着いた。
そして、その悪神が最期に見たものは、己の目前に突き付けられる黒い魔剣の刃であった・・・
一方、こちらは大聖堂の内部。
「くっそう! この! この!」
パシン、パシンと空間を裂く鞭の音が響く。
その音はリニスが放つ凶悪な鞭によるものだが、彼女が狙う白魔女には全く当たらない。
確かにそこへと狙っている筈なのに、全く命中しないのだ。
鞭の先端が白魔女に届く瞬間、空間が歪み、逸れてしまう。
これは白魔女の魔法によるものだが、彼女に詠唱する気配はなく、そんな魔法なんて聞いた事もなかった。
不気味、そして、理解不能。
無形の恐怖がリニスの狂った頭にも正しく作用する。
そんな白魔女は、いよいよリニスの目前へ迫り、そして、その鞭振る腕を捕まえた。
「えっ! 嫌!?」
リニスは恐怖を感じた直後に吹っ飛ばされた。
白魔女の本気のビンタが彼女の頬に命中したからだ。
首がゴキッと折れ、そして、身体が吹き飛ぶ。
即死した。
そのリニスだった女性の身体はそのまま砲弾のような速度で飛び、そして、神父パパを守る巨漢のガラーキンへと衝突しようとする。
ガーーン!
咄嗟に盾で防ぐガラーキンであったが、ここで受けた衝撃は凄まじかった。
眩暈を感じる程の衝撃であり、その巨体はフラつき、盾を持ったまま二、三歩後退する。
ガラーキンが体勢を立て直そうと片膝を付き、ここで面を上げたところで、自分の目前に白魔女が居るのを認識した。
「お前ぇ、どうして!?」
どうしてここに居るのかという誰何・・・しかし、彼がその理由を理解するよりも早く、その首に光の魔法が叩き込まれた。
白魔女の光魔法が炸裂。
巨漢のガラーキンは白魔女より放たれた高熱の光の熱を受けて、首が一直線で焼き切れて、ポロリと胴体より別れた。
ガラーキンは自分の死を認識するよりも早く首が綺麗に切断されて死んだ。
尤も、彼の脳は既にマリアージュの指弾によって破壊されている。
死人となっている使徒にとって、『死』が訪れるとは、己の活動停止を意味するぐらいの定義でしかない。
そんなガラーキンを死に追いやった高熱の光は、首の肉の表面を高温で焼いたため、切断面から一滴の血も流れる事はない。
ある意味、綺麗な死に方であった。
そんな妙技を決めた白魔女の後ろより戦槌が迫る。
戦友の仇を取ろうとしたクルーガーの攻撃であった。
彼は死人に成る事で得られたパワーを最大限に活用し、鉄の戦槌をしならせるほどの怪力で振りかぶり、細い白魔女の腰を打ち砕こうとしたのだ。
しかし、それは白魔女になったハルにとって解りやすいほどのノロマな攻撃である。
彼女が後ろに軽く手を差し出して、その細腕で自分に迫る戦槌をサッと触れる。
そうすると、豪速の戦槌の動きがパッと止まった。
「にゃぁ?」
この猫の鳴き声のような声は、クルーガーが「何っ!」と言いたかったに違いない。
しかし、ここで変な擬音で止まってしまったのは、次への展開が早過ぎたからだ。
彼が撃ち付けた戦槌が止まったのは停止の魔法によるもの。
魔法により急激に運動エネルギーが減速された。
そして、次に急加速。
白魔女が戦槌を掴み、そして、強引な力で引き抜く。
クルーガーは自分の武器を奪われては不味いと、反射的にその手へ怪力を込めて対抗する。
しかし、それはやってはいけない悪手であった。
白魔女はクルーガーの怪力など気にせず、その戦槌をパッと強引な力で引き抜く。
そんな白魔女の何気ない力は滅茶苦茶であり、クルーガーの理解の範疇を軽く超えて、アッサリとその武器を掴んだままクルーガーの腕ごとに引き上げてしまう。
そうすると、武器を放すまいと強く掴んだクルーガーの腕が、ちょん切れる結果となる。
それだけではない。
引っ張られたクルーガーの身体は勢いが止まらず、宙高く舞うことになる。
有り余る白魔女の莫迦力のせいだ。
そして、その力が彼の身体を天井へと導く。
ガーーン!
身体が急激に上昇して、そして、高い天井の壁面に激しく衝突。
そして、数刻後に再び落下を始めるクルーガー。
ドーン
白魔女の足元へと落下したクルーガーであったが、その身体には頭が首ごとめり込み、頭蓋も含めて骨が無残に折れていた。
確実に生きていないことは誰にでも解る。
しかし、クルーガーはもう死人である。
白魔女ハルは念のために、クルーガーから奪った戦槌をその顔に叩き込む。
バーーーン
ここで、クルーガーの頭蓋は木っ端微塵に砕け散り、紫色の煙が周囲に飛散する。
マリアージュの指弾により受けた呪いと、神父パパの死人の護符により受けていた支配が解けた証左でもあった。
普段は殺さずを信条にしている白魔女のハルだが、現在相手しているのは死人に等しい相手なので全く遠慮ない戦いぶり。
そんな無敵の白魔女に、残された使徒達が怯みを見せてしまう。
本来も恐怖という感情には無縁な死人達であったが、そんな彼らでさえもこの白魔女の力は滅茶苦茶であると認識する。
しかし、白魔女はそんな彼らにも全く遠慮しなかった。
既に人としての心を持たず、ただ人の形と化したモノが動くだけの存在が今の彼ら。
そんな魔物に近い存在の彼らは、ハルからして人類に危害を与える障害であると言う認識。
こうなってしまった彼らにせめてできる事と言えば、悪の言いなりとなったままのその魂を早く解放してあげる事ぐらいであった。
「大いなる雷よ!」
白魔女のハルにしては珍しく詠唱――しかし、それでも極端に短いものであるが――を行い、その掌を残された七人の使徒へ向ける。
そうすると七人の頭上に灰色の雲が現れて、巨大の稲妻が彼・彼女達を撃った。
ドドドドドドドーン!
七つの雷が同時に発生して、残された全ての使徒は一瞬にして黒焦げになる。
バタッ・・・
使徒の全員が同時に倒れて、紫色の煙がその身体より染み出す。
完全に支配が切れた事を意味している。
そんなことで、勝負は一瞬で決着がついてしまい、残された神父パパの顔は引き攣るしかない。
「な、なんという・・・このバケモノめ!」
「アナタにバケモノ呼ばわりされる覚えはないわ。悪辣な神父パパさん」
そんな余裕を見せている白魔女に、神父パパはもう逃げる事しか選択できない。
「く、くっそう。お前達よ、私を守れ。私が逃げるための時間を稼ぐのだ」
神父パパが命令を下したのは、ここに残されたその他大勢の信者達であった。
マリアージュの神意により支配された信者達は神父パパの言う事も何でも聞く。
ひとりひとりは弱い一般信者なのかも知れないが、数としてはまだ数百名残っている。
そんな数の暴力が白魔女へと迫る。
ここで白魔女が選択した魔法はひとつ。
「眠りの雲よ。この場に現れ、迷える羊の世界へと誘え」
白魔女の短い詠唱に応えて、ピンク色の雲が無数に発生する。
その雲は意思あるように白魔女に迫る信者達の頭上に集まり、そして、彼らの顔を覆った。
そうすると・・・
パタリ、パタリ
魔法を受けた人は次々と意識を失い、昏倒していった。
白魔女による眠りの魔法が発揮したのだ。
使徒の十人に対して、残された信者達は元々無実な人間である。
彼らは、マリアージュからの支配の神意さえ抜けば、まだ普通の人として戻れる可能性も十分高かった。
そんな人間達には白魔女の『殺さず』ルールの内側に居る。
勝手な解釈、偽善者・・・そう思われるかもしれないが、それが白魔女ハルのルールであるから、仕方がない。
「す、すげぇ!」
それまで、信徒達の数の暴力の対処に必死だったシエラからは、そんな感嘆が漏れる。
シエラも迫りくる人々を往なすのに苦労を感じ始めていたから、助かったと思った。
こうして少しの時間を掛けて、白魔女は信者全員を眠らせる事で対処したが、結局、この攻防で一番得したのは神父パパである。
彼は白魔女ハルが少しの手間を掛けているこの間に、大聖堂から脱出を果たした。
それは、転移の魔道具を使ったに他ならない。
普通ならばここで「仕舞った」と思い後悔してしまう場面ではあるが、白魔女のハルは全然慌てていなかった。
「また、このパターンね。悪党とボルトロールの連中の行動パターンは、いつでも一緒なのかしら?」
白魔女ハルからはそんな面倒くさそうな言葉が零れ、そして、空間を眺めて、何かを見つけた。
「いた! そこね」
彼女は空間に魔法を掛けて、その歪の中に手を入れると、力一杯を引っ張り出す。
そんな彼女の腕の先からは、男をひとり捕まえていた。
「ギャア! ど、どうなっている!?」
引っ張り出された男は勿論、神父パパである。
そして、彼は地面へ放り投げられた。
その直後に地面から氷のツララが生え、神父パパの両手両足を凍らせ、こうして彼の行動の自由を奪う。
そんな虜囚になってしまう神父パパ。
彼に向い、白魔女の言葉はこうだ。
「まったく、アナタ達は芸が無いのよ。簡単な転移の魔法で私から逃れることなんてできないわ。学習しなさい・・・と言いたいところだけどアナタにとってこれは初見だったわね・・・しかし、これでボルトロールの企みは潰えた事になるわね」
そんな勝利宣言する白魔女を目にして、神父パパはハドラとは別の悪神とでも会話しているような錯覚に陥った・・・