第十一話 ひとつになる集会
夏の夕刻、招待された人々が続々と大聖堂の主礼拝堂に集り始めている。
『ひとつになる集会』
それは聖女マリアージュの御名によって企画された集会だ。
平和と融和の女神ノマージュと交信できるとされている聖女マリアージュによる大々的な説法が本日行われる。
宗教国家である神聖ノマージュ公国では、時折、このような聖人と評される人物によって大規模な集会が行われている。
今回も、現在の彼女の持つ知名度とつながりを最大限に活用して、多くの人々が動員されていた。
そんなこの集会には、望んで参加する者も居れば、政治的な理由で参加せざる負えない人物も居る。
招かれた六人の枢機卿は、大方がこの政治的な理由によるものであったが、その中でフェリル・クローラーとクロイド・フッチのふたりの枢機卿だけは自ら望んで参加している人物なのである。
このフェリル枢機卿とクロイド枢機卿のふたりだけは予定よりも早く枢機卿専用の控室へ入り、本音の会話をしていた。
「本当にいよいよですね。マリアージュによる大集会が叶いましたわ。神の啓示を受ける彼女から、本日はどのような説法が聞けるのかが楽しみです」
「ああ」
聖女の説法を心から楽しみにしているフェリル枢機卿に対して、短い言葉で返答するクロイド枢機卿。
この集会においてこのふたりの立場は微妙に違っている。
この公国で法王の次に権力を持つ六人の枢機卿の内、唯一女性であるフェリル枢機卿はマリアージュに対して好意的であり、彼女を友好的に擁護している立場にある。
マリアージュを聖女と認定し、ノマージュ神の正当な使徒であると賛美しているのがフェリル枢機卿であった。
これに対して、クロイド枢機卿は政治的な観点で聖女の存在価値を見出した人間であった。
マリアージュの持つ神秘性は宗教国家である神聖ノマージュ公国において偶像崇拝にも等しい。
公国民から慕われている彼女を利用し、それをクロイド自らの求心力の一部に役立てようとしていた。
クロイド枢機卿の夢は次期法王であり、つまり、そのための手段のひとつとして聖女を擁護しているのである。
そんなクロイド枢機卿の頭の中には自分達の邪魔をする人物の姿しか思い浮かばない。
「聖女の力を疑っているのはセインとパズラだ。奴らはこの集会を歓迎していないだろう。あと、デイラーは様子見を決めこんでいる。彼が聖女派に利があると認識すれば、こちら側について来るだろう。そして、最大派閥である法王派のポアソンは無関心を決めている。聖女派が多少に力をつけたところで自分達に対して脅威なしと認識しているのだろう」
クロイド枢機卿は自分の政敵である他の枢機卿の動向分析結果を小さい声でフェリル枢機卿へ伝える。
それを聞いたフェリル枢機卿も、ふぅーと深い溜息を吐くしかない。
「まったく、あの人達の頭の中には政しかないようですわ。本来ならば我ら枢機卿が聖者たる模範と成らねばならないのに・・・」
「そうとおりだ、フェリル卿。彼らは自分の派閥を大きくする事が公国の安定につながると信じているのだろう。派閥へ集中する権限を利用して、私欲を肥やしているのだ。本当に愚かな連中め!」
悪辣に他の枢機卿の欲を否定するクロイド枢機卿。
人間は往々にして自分の欲に気付けないモノではあるが、このときのクロイド枢機卿もそんな俗物であった。
フェリル枢機卿もクロイド枢機卿の本性に気付いていたが、敢えてここでそれを指摘しないのは、彼女も少なからずの政治の立場人であるからだ。
クロイド枢機卿の持つ財力や私兵を全く無視する事もできない。
彼と自分が聖女を擁護しているから、いろいろな立場が保てるのも事実であった。
今回の集会の実現も、クロイド枢機卿の協力なしにはここまで大々的に実現はできなかったりする。
それに以上に、他の枢機卿の態度が気に入らなかったのも、ここでクロイド枢機卿の欲をフェリルが指摘しなかった理由のひとつでもある。
そして、フェリルの意識は聖女の力を疑う他の枢機卿に向く。
「セインとパズラは枢機卿として失格ですね。只でさえ法王様が失踪して、大変な時でもあるのに・・・」
「いや、彼らは寧ろ法王様の失踪を喜んでいるのだろう。上から睨まれてない今こそが派閥のパワーバランスを変更できるチャンスだと思っているのだろうさ」
そんな言葉を聞いたフェリルは自分の心に怒りが沸いてくるのを覚えた。
「ああ、神よ。未だ自ら欲に甘える小羊達に導きと融和の心を。あの者達に神の声を聞かせないと・・・やはり、この集会が必要ですわ。神の代理人である聖女こそ、この公国を憂いから救うでしょう」
フェリル枢機卿からはそんな祈りと期待の言葉を響かせ、より一層聖女マリアージュの活躍を願うのであった。
一方、こちらは聖女マリアージュの控室。
清潔な白と黒の司祭服を纏う彼女は、いつも以上に気を巡らせている。
今日の集会が今までの彼女の人生で最大の舞台となるからである。
そんな大舞台を前にして緊張しているのか・・・そうではない。
自らに逸る気持ちが抑えられない。
今か今かと沸いてくる気持を抑えるのが精一杯のマリアージュ。
力を漲らせているマリアージュに優しい言葉を掛けたのが神父パパである。
「マリアージュよ、いよいよだな。緊張しているかい?」
「いいえ。私は神聖なるノマージュ神の使徒です。神の言葉を伝えるのに歓喜こそすれど、恐れる事など全くありません」
そのように力強く答える彼女の言葉に、神父パパは安心する。
「お前は小さ頃からそうだった。神の擁護が強いから、恐れない、疑わない、迷わない・・・本当に自慢の我が娘だよ」
そんな神父パパからの信頼の言葉に、僅かな笑みを浮かべるマリアージュ。
孤児だったマリアージュを親同然に育てたのがこの神父パパなる人物であった。
マリアージュがパパへの親愛の情を示すのはいつもの事である。
ここでの神父パパも、澄ました無欲の聖職者の顔をしていた。
数日前、彼がグラザ領主の館の密会にて晒していた狡猾な男の顔など、この公国では一切見せたことなど無い。
神聖ノマージュ公国での彼の立場は、田舎の教会をひとつ任されている冴えない神父。
その教会で神父パパは孤児のマリアージュを引き取り、育ててきたのだ。
そして、マリアージュは次々と奇跡を起こしていく。
神の啓示を聞き、そこに行ってみれば、行方不明になった人を探し出せた。
神の啓示を聞き、ある人の悩みを解決してみれば、その後にその人は商売で大成功し、ひと財産築く。
神の啓示を聞き、彼女の指示に従って村人が行動してみれば、豊富な水脈を掘り当てて、安定した農地を得る事ができた。
マリアージュが奇跡を起こす度に、彼女の評判も上がり、その育て親である神父パパの評判も上がっていった。
そんな神父パパには中央組織より更なる上位の聖職位階を与えられるチャンスもあったが、彼はそれを返上し、元の地位のままの公国の片田舎に籠り、年季の入ったボロの教会をひとつ守ることだけを続けている。
こうして、神父パパは聖職者の見本のような人物であると称えられ、無欲、無害であることが更に評価された。
神父パパこそ聖人であると称える声もチラホラと聞こえる中、彼はそんな俗世の評価など一向せず、こうして時折に聖女マリアージュの集会を補佐しに来るのだ。
そんな神父パパであるため、聖女マリアージュを慕う彼女の部下達からも信頼が厚く、神父パパという為人に疑いを持つ人間など存在しなかった。
その神父パパより、今回は全員に贈り物があった。
「今日のために護符を作ってきたのだ。マリアージュや皆さんの分もあるから」
そう言うと、神父パパは自作特製の護符を全員に配る。
その護符は銀色に輝く武骨な意匠で、聖書者の装備品として相応しくないようにも見えたが、神父パパからの親切を疑う者はいない。
聖女マリアージュを筆頭に全ての彼女の部下がこの護符を迷う事無く首から掛けた。
そうすると力と勇気が心に漲ってくる。
これは護符に付与された神の加護による効果であるとここの全員が感じた。
「お父様、ありがとうございます。これで勇気を頂けました」
「うむ。この護符は君達の力となるだろう。血は繋がらなくとも私達はひとつの家族だ。聖なる護りが我々をひとつにしてくれる」
「ええ、そうですね。『ひとつになること』。それが私達の最大の目的。平和、融和・・・そして」
熱が籠る聖女の言葉に、全員が頷く瞬間であった。
彼女達は自分達の信じる神の教えを広めるため、ここで再び意気投合し、この控室から出陣を果すのであった。
大聖堂の主礼拝堂が開場されて、数多の信者が詰めかける。
アレグラの太陽が沈み、ステンドグラス越しに夕映えが見える。
真夏の気温も下がり始めて、夜になると吹く優しい風もこの主礼拝堂内に流れてくるが、ここに集まっている人々の熱気は高まるばかりである。
「・・・それでは。我らが同志である聖女マリアージュの説法を始めるとしましょう」
フェリル枢機卿の短い前振りにより、ここで聖女マリアージュが紹介される。
彼女が優雅に席を立ち、壇上へと登ってくる。
その姿は傍から見るといつものどおりであったが、控室で冷静だと思っていたマリアージュ本人はここで自分が多少に緊張していることも解った。
彼女は神父パパより渡された護符を握り、そして、浮ついた気分が少し落ち着くのを実感できた。
心の中で神父パパに感謝の言葉を伝えて、少し軽く息を吐き、そして、会場を見渡す。
ここで、マリアージュの目に映るものは自分の登場を喝采で熱狂的に歓迎している者、自分に対して疑いと目踏みの視線を送ってくる者、無関心さを装い態度を決めかねている者・・・様々な視線が自分ひとりへ注がれている。
多彩な感情が渦巻き、しかし、ここに集まる人々の全ての意識が自分に注がれているのを感じた。
そんなマリアージュであったが、ここでひとつだけ気になる感情が心に芽生えていた。
(アークさんは来なかったみたい・・・とても残念だわ・・・)
マリアージュはこの会場を一望して、漆黒仮面姿のアークが来ていない事を認識した。
彼が来ない事に少しだけ残念な気持ちになるマリアージュ。
しかし、そんな自分の心に生じた雑念を忘れる事にした。
今、自分が行わなくてはならないのは説法である。
それも、一世一代の大舞台。
迷える人々に神の御心を伝えなくてはならない。
そのために自分が迷っていては駄目なのだと思う。
マリアージュはそう心に決めて口を開いた。
「みなさま、こんにちは。今宵は神とひとつになる集会にお集まり頂き、感謝いたします。この機会に神への信仰が深まり、より高みの世界へ昇る事を共有しましょう」
そして、マリアージュの説法が始まった。
「拙速にお伺いしましょう。アナタは神を信じますか?」
それはマリアージュが事ある毎に口から出る台詞。
「はい・・・そう答える事。それが正しい・・・公国ではそう信じられています」
意味深なマリアージュの言葉に、それまで声援を送っていた声も小さくなる。
彼女の説法に耳を傾けたからである。
「しかし、それは間違いです。アナタ達は神が何たるか。神の意思を正しく理解できているとは思えません。この場で神の事を一番理解できているのは私です。私以外のアナタ達は、神から与えられた神聖魔法という報酬に縋る低俗な人間のひとりに過ぎません」
聖女から出た意外な言葉にざわつく聴衆達。
彼女が言う事は捉えようによっては暴言だ。
特に聖職者として高い地位にある人間ほど、自己否定されたような気持ちになる。
「な、なんて事を言うんだ。この不遜な小娘を、今すぐ黙らせろ!」
そんな怒りの言葉が来賓席より出た。
招待された枢機卿の内、彼女の事を認めないセイン・ワイズ枢機卿が額に青筋を立ててマリアージュからの暴言に対して怒りを露わにしている。
自分の半分の時間も生きていない小娘に信仰を莫迦されたから、彼が怒るのも無理はない。
そんな老枢機卿に向けて、壇上のマリアージュは掌を前に突き出す。
黙れという仕草。
そうすると、怒の形相をしていたセイン枢機卿の顔が、一気に驚愕の表情へ変化する。
「う! なっ!!!」
そう言った後、彼は突然に言葉を失い、そして、ブルブルと震え出した。
突然の事で周囲には理解が及ばなかったが、今のセインは息ができなくなってしまったのである。
セイン枢機卿に起きたそんな変化は、彼の隣に座っているパズラ枢機卿にだけは直ぐに解った。
「神聖魔法か! しかも無祈祷とは!! マリアージュ司祭、止めたまえ」
パズラ枢機卿は神聖魔法を用いてセイン枢機卿へ危害を与えているマリアージュに、その行為を止めるよう命令した。
しかし、ここでマリアージュは容赦しなかった。
「うぐぐぐ・・・ぐぁっ!」
ゴキッ!
苦悶の声をひとつ挙げたセイン枢機卿は突然、首が変な方向へ曲げられ、そして、骨の折れる音がした。
ドサッ
セイン枢機卿の首の骨が折れて、即死となる。
突然の聖女からの凶行により、会場の全ての人間が静まり返った・・・
ここで殺害されたセイン枢機卿の隣に居たパズラ枢機卿だけは、僅かに反応する事ができた。
「な、なんという事を・・・マリアージュ司祭。アナタは正気か!?」
そんな恐れと怒りを含むパズラ枢機卿の言葉に、マリアージュは冷たく返してきた。
「これは天罰です。神の力を騙る未熟者よ。アナタ達は神からの言葉を聞かず、己の利益と権力闘争を追求した恥晒し者です。セイン・ワイズ枢機卿、アナタは神の意志により私がその命を奪いました」
死者にそのような宣言をする聖女マリアージュ。
そして、その言葉の意味が全く理解できないパズラ枢機卿。
「な、何を!」
「パズラ・ロッド枢機卿、アナタも同じなのですよ」
「うっ!」
マリアージュの冷たい睨みによって冷たい汗をかくパズラ枢機卿。
自分もセイン枢機卿と同じように殺される・・・そんな恐怖を感じた。
しかし、マリアージュはその力をすぐに行使しなかった。
その代わりに、それよりも辛辣な言葉が彼女の口より発せられる。
「我らが大いなる神――ノマージュ神はここで宣言します。ここでアナタ達すべてを破門に処します。すべての聖位を剥奪し、一度すべての信徒を最下位の信者として扱う。そして、信仰が何たるかを一から学ぶ事。それがアナタ達に必要となるでしょう」
「ぼ、暴言だぞ! 貴様、一体何の権利があって神の御名を騙る。貴様こそ神の使徒とは認められない!」
神の名を使いすべての信徒を破門にするなど、流石のパズラ枢機卿も、ここのマリアージュの言葉は受け入れられなかった。
彼以外の枢機卿も同じく、聖女を擁護しているフェリル枢機卿やクロイド枢機卿でさえも怒りが我慢できない様子。
フェリル枢機卿は立ち上がり、暴言を吐くマリアージュに注意する。
「マリアージュ司祭、一体何を言うのですか。公の場で言っていい事と悪い事があるわ」
「そうだ。お前は神の声を聞く事ができるかも知れんが、それだけの存在だ。小娘め、図に乗るなよ!」
「・・・」
フェリル枢機卿とクロイド枢機卿以外の枢機卿も言葉にこそ出さなかったが、その険しい顔を見れば同じ気持ちである事はよく解る。
そのような必死に否定してくる枢機卿達の姿を見たマリアージュは、ここで疑惑が確信に至る。
「・・・フフフ、ハハハ、アハハハハハーッ!」
突然、狂気染みた嘲笑を挙げるマリアージュ。
「やはり、これがアナタ達の正体。この公国を永年牛耳っていた悪の正体ですね。神の使徒である私に牙を剥くなんて、一体どうして愚かな人達なのでしょうか」
「何をっ!」
「パズラ枢機卿、言葉に気を付けなさい・・・そうでないと、アナタにも神罰が落ちますよ」
「ぐっ!」
無残に殺されたセイン枢機卿を思い出し、ここで言い及んでしまうパズラ枢機卿。
それを見た聖女マリアージュは、彼を心が弱い者として評価する。
「そうです。アナタ達には既に神罰が下っている。法王が姿を消したのも、神の御心によるものです。この事実をすぐに公国民に公表すれば、アナタ達の心の奥底にも正義と平和、融和の精神があると思いましたが・・・それは実行されなかった。法王がこの公国から姿を消してもう一週間ですよ。それを隠す決定をしたのがアナタ達枢機卿です。公国民にその事実を内緒にして、アナタ達は一体何を企んでいるのですか?」
突然の暴露に、この場の注目が枢機卿全員に集まった。
この公国を治めていた法王――ヤコブ・ローレライ・アナハイムⅥ世は高齢であったが、それでも平和と融和を愛する人物であり、公国民から尊敬を集めている善王でもあった。
その失踪を隠した枢機卿達に、この場の公国民から疑いの目が集まる。
そんな嫌疑を後押しするように、マリアージュからの叱咤の言葉が続けられる。
「アナタ達枢機卿は法王がいなくなった後、自分の権力を高める事に尽力していましたよね。私はずっとアナタ達の動向を見ていたから解ります・・・そして、アナタ達が興味あるのは次期法王の座。次に誰がこの公国を支配するか。アナタ達にはそれしか興味がないのでしょうか?」
そんな聖女の言葉に公国民の視線が一層厳しくなる。
自分の出世欲しか考えていない枢機卿達に、批判の目が集まったのだ。
これはマリアージュによる煽動なのだが、それに気付く人間などここにはいない。
枢機卿達もそんな公国民からの視線に思わず狼狽してしまう。
誰しもがマリアージュから指摘された事は少なからずしも考えた事であるからだ。
しかし、それが全てではない。
ここでなんとか反論しようとしたのは、この中で一番冷静さを持つポアソン・ヤング枢機卿であった。
「それは違うぞ、マリアージュ君。我々はアナタが思うような悪ではない。神の御名の元、行方不明になった法王様を探して・・・」
「煩い! 穢らわしい口で神の御名を口にするな!!」
ポアソンの言葉が途中で止められた。
それか怒りに目を見開いたマリアージュより放たれた瞬間的な神意の高まりによるものである。
神意・・・それは魔力のようなものであり、神聖魔法使いの信仰の力が高まると発せられる力の一種。
その力はポアソンの頭部に集中し、異常な密度で高まった。
そして・・・
パンッ!
ポアソン枢機卿の頭蓋が破裂して、ここで首なし死体がひとつできてしまう。
多量の脳症と血を撒き散らし、その一部がフェリル枢機卿にもかかった。
「キャアーーーーーッ!」
突然に人が死ぬ恐怖と、その残骸の液体を浴びせられて、恐怖が彼女を支配する。
腰を抜かして地面へ倒れ込み、そして、下半身からは失禁が・・・
しかし、ここで彼女を嘲笑する者など誰も居ない。
自分達の命を握っている大いなる存在が教壇に立っている以上、ここで自分達に逃げ場はない・・・そう信じてしまった。
ただし、そんな恐怖に染まるのは何故か枢機卿側の人間のみ。
それ以外の聴衆は逆に高揚している。
高揚の理由・・・それが正義の心であり、信仰の心であったのだ。
自分達を嵌めた枢機卿と言う名の巨悪を成敗してやるという感情。
神の御名の元、悪に罰を与えた聖女に対する尊敬と感謝の念。
明らかに異常な心の高揚が、この場で発生していた。
そして、悪だと信じさせられていた枢機卿がひとり死ぬことで、聴衆となっていた公国民の頭の中で何かがプツリと切れた。
それは、我慢していた何かが切れる音であったが、その正体が何であったかはこの場に居合わせた公国民には永遠に解らない。
何故なら、それを考える前に、聖女マリアージュより放たれた濃密な神意に心が支配されてしまったからだ。
フフフフフ
聖女の笑みが全ての人を包む。
聖女の慈愛が全ての人を強制的に安心させる。
異常な愛。
異常な高揚。
そんな影響は最前列に席を構えた聖女マリアージュの熱烈な支援者の男性が最も強い影響を受けていた。
彼はここで立ち上がる。
この男は三日前に聖女マリアージュより拒絶を受けた青年である。
そこで心打ちひし枯れていた彼ではあるが、それでも今はこの場で自分が役に立てると思っていた。
「聖女様は素晴らしい。聖女様は正義だ。聖女様は聖者だぁ!」
青年は熱に浮かされた病人のように譫言を口から漏らす。
その彼にマリアージュはニコリと慈愛の籠る表情を贈る。
「やっと、アナタは神が信じられるようになりましたね」
そう言うと両手を開けて彼を受け入れる仕草。
慈愛の籠ったその誘いに、青年はゆっくりとマリアージュの方へと歩み始める。
まるで罠に誘き寄せられる畜生のように、ゆっくりと、ゆっくりと、聖女の教壇へと歩む。
誰もがその光景を目にしていて、青年の行動を止め者は誰も現れない。
マリアージュによる心の支配がこの空間で強く敷かれていたためだ。
こうしているうちに、青年は一段高くなっている壇上へ昇り、そして、マリアージュの身体に触れる。
そんな青年を優しく抱くマリアージュ。
そして、その直後に聖女の目には獲物を捕らえた光が走る。
グッと青年をより強く抱き、その若い男は一瞬だけ悦楽の反応を示したが・・・その後、驚くべき光景が広がった。
ゴボ、ゴボ、ゴボ・・・
そんな擬音が聞こえて、男が聖女の身体にめりこむ。
引き寄せられた腹部が彼女の身体と重なったと思うと、青年の身体がみるみる細くなる。
実際には接触した部分から身体から取り込まれたからである。
腹部と腹部が接触し、聖女が青年を吸収する。
腹部、そして、腰、胸、手足、頭部・・・そして、全てが彼女へ吸い込まれた。
それは悍しい光景。
男を吸収したそのマリアージュは悦楽の表情に染まる。
まるで極上の料理を味わった後のような表情。
「さぁ、融合の時は来た・・・神とひとつになる時・・・母なる私に、アナタ達の身体を、信仰を・・・頂戴」
その言葉を発した直後、マリアージュからは魅惑が籠った濃密な色香が神意に乗せて全員へと放たれる。
それは以前アークが感じたマリアージュより発せられた異性を誘う光・・・匂い・・・魅力・・・
いや、その時よりも数倍の強い力で、集まった聴衆達へ降り注がれる。
抗い難い彼女の魅力は人々の心を狂わせ、そして、男も女も関係なく彼女を目指した。
彼女と一体になる事、融合する事、喰らわれる事・・・それが最も幸福な事。
神と一体に成れる。
それが幸せだとして疑わない人々。
こうして、聖女マリアージュは神と等価になる。
神との融合を願う人々が彼女へ殺到するのは、もう誰にも止められなかった・・・