第十話 夜の密会
ここはかつてグラザ国だった場所。
戦争に負けた現在はボルトロール王国の南領のひとつとなり、単純に『グラザ領』という地名へ変わっていた。
地名は変わったが、このグラザに住む人間などそうそう変わるものではない。
領民からすれば、支配者がグラザ王侯貴族からボルトロールより派遣された役人に変わった。
もうその程度の認識しか無い。
戦争に負けた当初、侵攻してきたボルトロール王国に対して反抗的な心象を持つ彼らであったが、ボルトロール王国より課せられる税金はグラザ国だった時よりも安く、また表面上もボルトロール王国は友好的な支配体制を敷いてきた。
意外とボルトロール王国による支配体制も悪くない・・・そう感じた領民の結果がこれである。
そんな支配体制も狡猾なボルトロール王国の狙いなのだが、領民などその大半が平和に暮らせて税金さえ安ければ、政治体制などにそれほど興味はないのが実際である。
時間経過と共に旧グラザ国の国民は懐柔されて、ボルトロール王国による支配がじわりじわりと進むのであった。
そんなグラザ領の領主の館で、今宵は密会が行われている。
屋敷の所有者であり、現グラザ領の管理を任されているのがゲイザーなる人物。
このゲイザーは情に厚く、公正な人物と周囲から評されていたが、実はそれが正しい評価ではない。
彼は『人前でそういう振る舞いができる能力がある』と言うのが正しい評価であり、この場に居合わせる他のふたりもその事実を知っていた。
「くぅーっ、酒がうまい。疲れが取れる」
「いい飲みっぷりだ・・・と言いたいところだが。ゲイザーよ。なかなかストレスが溜まっているようじゃないか」
ゲイザーの対面で高級な酒を飲む男からはそんな容赦のない言葉が出る。
それに参ったという様子で頭を掻くゲイザー。
「そんな事を言わないくださいよ、ベルクの旦那。アンタが俺にこんな仕事を押し付けるから、ストレスが溜まるんですよ」
お道化て応えるゲイザーであったが、その相手――ベルクと言う男性に頭が上がらないのも事実であった。
このベルク・ヴォントと言う人物はボルトロール王国南部戦線軍団総司令という超大物の人間。
つまり、このグラザも含めて、ボルトロール王国南部の戦争を全て取り仕切る人物である。
彼が齢相応なのはその剃髪だけであり、それ以外は威風堂々とした気概を漲らせている男だ。
ベルクはゲイザーからの文句をあまり気にせず、豪快に酒を嗜んでいる。
その余裕の姿は支配者としての風格も十分に染み出ていた。
しかし、ベルクはそんな自分が政治に向いていないのを良く理解している。
彼は多くの兵を指揮し、勝ちを得る戦争にのみ自らの存在価値があると思っていたし、自分が占領した後の統治は適材者に任せればいいと思っていた。
そんなベルクがこのグラザ領の統括者として選んだ人物がゲイザーであり、今のところその判断が正しかった事は実績が示している。
「ふふふ、文句を言うな、ゲイザーよ。貴様は上手くやっている。このグラザは反逆者をそれほど出さずに統治が順調であると別からも報告を受けているからな。他の場所よりも成果が出ているのだ。今のボルトロールは成果こそすべて。良い報告が続けば、貴様を中央官僚に推薦してやってもよい」
そんなベルクからの高評価に、拒絶を示すのはゲイザーである。
「ちゅ、中央なんて止めてください! 俺はゲイザーの旦那の下で働けるから楽できているんですよ。中央なんかに戻れば・・・成果なんてあっという間に他の誰かに横取りされちまいますよ!」
自分が数年前まで居たボルトロール王国の中央・・・つまり本国の中央官僚の世界を思い出して、嫌な顔になるゲイザー。
「なんだ。俺のところに転がり込んできた時にあれほど中央に戻りたいと言っていたお前の筈だったが?」
「冗談はよしてくださいよ、旦那。俺は旦那のところで学んだんです。あんな中央の魑魅魍魎が蔓延る世界にはもう生きられないってね。俺はこんな片田舎で悠々自適に暮らす方が性に合っていますよ。そうだ! 南国美人でも捕まえて、それを嫁にして・・・」
とっさに考えたことだが、独身のゲイザーは結婚も悪くない・・・そんな自分のプランを口にしてみるが・・・
「ふふふ、無欲な奴め。まあ、お前の人生だ。中央に帰る事を望まんならば、それも良かろう。好きにすればいいさ」
「流石旦那、話が解る。ありがてぇーっ」
低姿勢になるゲイザーだが、ベルクはゲイザーをそんな小物として評価していない。
彼曰くストレス溜まると言っているが、領民の前でのゲイザーの振る舞いは見事であり、統治と名の仕事で多大な成果を出しているのだ。
それを正しく評価し、ゲイザーとは得難い人物であるとしているのがベルクの結論だった。
彼のこの先の使い方について思慮を巡らすベルクだが、その前に別の仕事を思い出して、もうひとりの男へ視線を移す。
「さてと、今日は次なる仕事の話をしようではないか。パパよ」
ベルクがそう呼んだ男は神父姿の中年であった。
彼は白を基調とする服装を纏う神聖ノマージュ公国正式の神父であり、敬虔なノマージュ教徒である事を示すアミュレットを首から掛けている。
まっことノマージュ公国の正式な神父としか見えない、少なくとも表面上は・・・
しかし、この会合での彼の顔は決して神の使者を連想できるものではない・・・それほどに狡猾な表情を隠そうとしていなかった。
「南部戦線軍団総司令殿はお気が早いですな。しかし、こちらは準備できております」
パパなる人物はそう答え、ベルクの要望に十分応えられると自信満々な姿を示す。
これにベルクは満足。
「それは良い事だ。いよいよ始まるのだな?」
「ええ。愚かなノマージュ教はこれから自滅します。信仰と言う名の罠に嵌り、自らを蝕むのです」
パパからのそんな思わせぶりの台詞に理解が追い付かないのはゲイザーだけである。
既にベルクはパパより個別に作戦概要の説明を受けていた。
それはあまり公にできない秘密作戦である。
だから、ベルクはこの場で敢えてその作戦の詳細については触れなかった。
彼がここで確認するのは、この先、アレグラに訪れる運命だけである。
「なるほど。『信仰』という力を利用して、それを暴走させるとは、お前らしい方法だ。それによってアレグラは荒れるのだな」
「ええ。確実に数多くの死者が出るでしょう。これは神聖ノマージュ公国、いや、このゴルト史に残る惨劇となるでしょうねぇ。フフフ」
パパは楽しそうにして、そんな残酷な運命を口にした。
「その未曽有の危機を救うのが、このボルトロール王国の南軍・・・そういう筋書きだな?」
ベルクは念押しで作戦を確認する。
「ええ。神聖ノマージュ公国に出現した巨悪をボルトロール軍が退治する・・・そうなれば、彼の国の統治は容易くなるでしょう」
「うむ・・・あまり気乗りする作戦ではないがな・・・」
今回の作戦はこのパパなる人物より提案を受けた内容である。
南方諸国で連戦連勝のボルトロール軍であったが、それでもその勢いのまま神聖ノマージュ公国という大国へ攻め入るほどベルクは愚か者では無い。
長い歴史もあって、エストリア帝国の次に領土が広い神聖ノマージュ公国は、それなりに警戒する必要のある国だからだ。
そもそも公国と戦線を開くのは本国の国王の許可が必要であり、「今回はこのパパなる人物を使え」と本国より指示を受けていたのである。
「ベルク殿が多くの兵を動員する戦法が得意であるのは重々承知しております。しかし、ここは頭を使って頂きたい」
パパからはこう諭されるが、今回の作戦をベルクが百パーセント納得できる戦い方でないのも事実。
しかし、国王からの命令や他の理由もあって、この案を採用しなくてはならない状況でもあった。
「解っている。私もボルトロール南方戦線の将だ。毒を飲むぐらいはできる・・・それに西方戦線軍にも負ける訳はいかない」
ベルクがそう言うように、彼のライバルである西方戦線軍の動きも気になっていた。
西方戦線は大きな成果を上げようと、元エストリア帝国の地方都市であったエクセリア国を相手に戦争を始めようとしていたのだから・・・
当然、その情報は間者であるパパも掴んでいた。
「ですね。西方戦線軍はもう進軍の準備を済ませているらしいですよ。数週間のうちに新生国家であるエクセリア国に宣戦布告するでしょう。そうなると・・・」
「そのとおりだ。彼らが戦争に勝利できれば、我がボルトロール王侯の永年の夢であった西方へ進軍できるようになる。これは大きな成果となるだろう・・・しかし、俺達がそれを黙って見ている訳にもいかない。奴らよりも先にこの南方で戦火を開くべきだと思っているし、これはチャンスでもある。我らの作戦で途中にエストリア帝国が出てくると厄介だ。我々が神聖ノマージュ公国に進軍している間、エストリア帝国の注目がエクセリア国へと向くのであれば、それは願ったりだ」
ベルクは神聖ノマージュ公国に攻め入った後の事を考えていた。
支配が完了した後ならばともかく、公国を屈服させている際中にエストリア帝国が横からチョッカイを入れられるのを嫌っていた。
そう考えると今回はチャンスである。
エクセリア国をボルトロール王国の西方戦線軍が攻撃すれば、エストリア帝国はそれを必死に守るに違いない。
帝国の注意がエクセリア国に向いている最中に、自分達――南方戦線軍――が神聖ノマージュ公国へ進軍して支配を完了できてしまれば、今後のエストリア帝国に対して戦略的に優位な立場が得られる。
「それにしても、お前の策は本当に上手く行くのだろうな?」
ベルクから多少疑いの目を向けるのは、このパパの策が奇策だからである。
しかし、当のパパは自信満々だ。
「それは大丈夫です。我々、イドアルカの力を信じてください」
「ふん、イドアルカか・・・王国の秘密組織で、最近は『研究所』と共に我が国の裏側で名を利かせているようだが・・・」
「アハハ、確かに『研究所』の技術は素晴らしいです・・・しかし、あそこはあくまで有益な魔道具を開発するだけの組織。実行部隊は我々、イドアルカなのです」
パパは自分達こそ素晴らしい組織であると威勢を張る。
しかし、それに釘を刺すのはボルトロール王国で豊富な裏情報を持つベルクである。
「しかし、そのイドアルカが最近盛大な失敗をしたのがあの『ラフレスタ』ではないか。あそこの先鋒部隊を担っていたイドアルカの責任者は最後に暴走して悪魔となり、そして、討たれてしまったんだぞ」
「そうです。『悪魔』ですよ。素敵ですよね」
ベルクの指摘から出てきた『悪魔』と言う言葉に、何故か目を輝かすパパ。
ベルクと噛み合わない会話をするパパである。
そして、そのパパの姿は聖職者に全く当て嵌らない『悪魔』という存在を賛美するかのように、嬉々とした姿を晒していた。
「あのラフレスタで出現した『悪魔』は魔道具の暴走と様々な偶然が重なったものでしたが・・・しかし、あれを制御できれば・・・」
その言葉にベルクの片眉が上がる。
「・・・なるほど・・・貴様の策が少し読めてきたぞ」
ベルクはとある技術の可能性について気付いたが、その先の言葉を声に出すのは止めた。
嫌な予感がしたため、言葉を選んだ結果である。
そんな賢明かつ天性の判断に流石は南軍の将だと思うパパ。
「ええ。ベルク様の想像は正しいです。いやぁ、『研究所』の人達って頭が良いですよねぇ。彼らは『神』という存在に対しても解析と理解が進んでいるのですから・・・」
パパはここで研究所の人間を褒める。
だが、ベルクは逆にそんな知識を有している研究所に対して、人間として一線を越えているのではないか・・・そのような得体の知れない脅威を感じてしまう。
「研究所か・・・確か最近は『フーガ一族』とも呼ばれているな。とても頭の良い連中だと聞くが、本当に彼らは信用できるのだろうか?」
「信用するも何も、我らは彼らを使うだけです。有益な成果を示すこと・・・それが現在のボルトロール王国では最大の存在価値を示す言葉ですからね」
そんな事実を述べる神父パパ。
それに対して、フフンと鼻を鳴らし、一気に酒を煽るベルク。
「成果か示す、か・・・」
意味深な言葉を漏らすベルク。
そんなやりとりを完全な外野席として見るゲイザー・・・彼は嫌な予感がしてこの話題には一切関わっていない。
ゲイザーが思うのは、やはり、ボルトロール王国の中央には得体の知れない化け物が数多く潜んでいる事を改めて認識するのであった。