第七話 魔女の仕事と元伯爵令嬢の仕事
「へぇー。お前、アクトかぁ!」
妙に納得の表情で漆黒の騎士アークの顔や身体をペタペタと触るフィッシャー。
これまで成り行きを少しの時間をかけて説明した結果、こうなっている。
フィッシャーがようやく納得してくれたので説明していたハルもひと安心だ。
「ええ、そうなのよ、フィッシャー。彼はしばらく黒仮面をつけたままになるわ。申し訳ないけど、その間、彼の事は『漆黒の騎士アーク』でお願いね」
「ハルさん、解ったぜ」
フィッシャーは持ち合わせた明るさで親指を立てて納得の意思を示す。
陽気なフィッシャーの姿に救われるハルであったが、ここでハルはフィッシャーの後ろで彫刻と化していたふたりの女性へ視線が移る。
ハルの視線に気が付いたのか、フィッシャーは彼女達の紹介がまだだったと思い立つ。
「そうだ。俺、結婚したんだ。ふたりを紹介しよう」
フィッシャーの言葉を聞き、前に出てくるふたりの女性。
このふたりを代表して年長者であるフランチェスカが挨拶を行った。
「私はフィッシャーの第一夫人フランチェスカ・クレスタです。こちらは第二夫人のヘレーナ・クレスタ」
ローブを深く被る彼女達であったが、ここでのフランチェスカの声は堂々としており、自分達こそフィッシャーの正妻であると力一杯の主張をしていた。
そんな彼女の姿を見て、一番良い印象を得たのがハルである。
「貴女達がフランチェスカさんとヘレーナさん。強い眼になって・・・スタムで見かけた時はまだ迷いが多くあったようだけど・・・」
「貴女はやはり!」
ここで驚き、いや、納得の表情になったのはフランチェスカである。
先程からハルの姿を見ていて、スタムで逃亡する際に助けて貰った通りすがりの魔術師に似ているなと思っていたからである。
「ええ。私はスタムで貴女と会ったことあるわ。改めて紹介させて。私の名前はハル。貴女の旦那様のフィッシャーさんとはラフレスタで一緒に学んだ仲間よ。加えて、フランチェスカさんとヘレーナさん姉妹の中間に当たるユヨーさんとは同じ学友。つまり、アストロ魔法女学院の卒業者になるわ」
「・・・私達のことを知っているようですね」
驚くフランチェスカであるが、それは無理もない。
フランチャスカ達はハルの事を一切知らない。
それでも話の脈絡から、ハルはフランチェスカ達がラフレスタ家の長女と五女であると正確に知られていると思った。
聡明なフランチェスカだから、ハルから細かい説明を受けなくてもその事実にたどり着いていた。
ここで、ハルがフランチェスカ達の生い立ちを正確に把握しているのは、彼女達の心を無詠唱の魔法で視たからであり、現時点でハルがそんな能力を持つことなどフランチェスカ達はまだ知らない。
ただ、フランチェスカはハルの事をどうやっているかは解らないものの、自分達のことを何でも知っている得体の知れない女性だと思う。
そんなフランチェスカに、ここでハルから驚きの命令が出される。
「ローブのフードを脱いで。ここで皆にその素顔を晒しなさい」
「え?・・・そんな!」
ハルから出た容赦ないその言葉に唖然としてしまう彼女。
その明らかに狼狽する様子を見たハルからはフォローの言葉が続いた。
「大丈夫よ。ここに居る人間は貴女達の本当の姿を見て、それを蔑んだり、嘲笑する人間はいないわ。これは大切な事なの」
「・・・」
「大丈夫だから」
そんなハルの言葉に、ふたりは恐る恐る自らのローブのフードを開けて、そして、ローブを脱ぐ。
人前に晒されるフランチェスカの額の傷。
元の顔が美しいだけに余計に痛々しいその傷。
そして、妹のヘレーナには右腕が無い。
痛々しいその姿を見た太陽の小鹿の面々は少しだけ驚いたが、それだけであった。
しばらくの沈黙の後に真っ先に声を掛けたのがシエラである。
「おお、私にも仲間ができたぞ。ほら。私は左でお前は右だな。腕が無いのは少々不便だが、それだけだ」
サバサバした性格の彼女らしく、陽気に自分の腕が無い事を示して、オドオドとしているヘレーナを勇気づけた。
そして、ニパッと笑うシエラの姿には友好的な気持ちが籠る。
それに釣られてヘレーナも少し笑ってしまった。
それはぎこちない笑いであったが、久しぶりに笑った彼女の姿を目にしたフィッシャーの心は少し軽くなる。
そして、次にフランチェスカの顔の傷である。
「ひどい傷ね。女の顔に傷よ。なんとかならないの?」
ハルが指摘したのはキリアに対して治療できないかと聞いている。
「治癒を施すには時間が経ち過ぎています。フランチェスカさんだけでなく、ヘレーナさんやシエラさんもそうなのですが、傷付いた状態で長く放置すると、身体がその事を覚えてしまうため、神聖魔法使いの技を以てしても完全に治癒する事はできなくなってしまうのです」
キリアが述べる真実の言葉に多少なりともショックを受けるフランチェスカとヘレーナ。
それでは不憫だと思い、夫のフィッシャーが食い下がった。
「そこをなんとかならねぇーか? 金なら少しはあるんだ」
そんなフィッシャーの言葉に首を横に振るマジョーレ。
「問題は技術的なところだけじゃないわい。ふたりを治療するのはそもそも帝皇様より禁じられている筈じゃ。これもラフレスタの乱を起こした罰じゃな」
マジョーレはラフレスタ解放の際、帝皇デュランより言い渡された沙汰の事を言っていた。
帝国に反逆を示したラフレスタ家にはそれ相応の罰が必要であるとされていたからだ。
それが彼女達の傷の治療を行わないと言う仕打ちであった。
そう言わるのを半ば解っていたフランチェスカであったが、それでも面と向かって言われて嬉しい事ではない。
「うぅぅ」
明らかに落胆するフランチェスカ。
それを見たハルはとある決意をする。
「技術的な課題はあるとして、その前に政治的な問題の解決ね・・・解ったわ」
ハルがそう言うと、腕輪と化しているハンズスマートに魔力を送り、誰かを呼び出した。
「・・・もしもし、エレイナ? 私よ。あれっ、取り込み中だった?・・・いいの? 申し訳ないわね」
誰かと喋るハル。
相手からの会話は小さい声であったため、太陽の小鹿の面々には詳しく聞き取れない。
それでもハルが呼び出した相手は相当に慌てていることが解った。
「申し訳ないけど、王様につないで欲しいの・・・そう、通信の宝玉よ。クリステにあったはずの魔道具だから、エクセリアにも残っているでしょ? あ、王様ってエストリア帝国の方のね・・・通信の宝玉にエレイナが持つその腕輪をかざせば、魔力はこちらから融通するから」
そう述べて、しばらく待っていると、ハルの持つハンズスマートからひとつの光が投影される。
そして、そこには驚きの人物が映っていた。
エストリア帝国の帝皇デュランその人であったからだ。
ハルはそんな重要人物に向かい、まるで近所のおじさんに会話するような手軽さで話し始める。
「王様。ご無沙汰していわ」
「誰かと思えばハルか。今はどこに居るのだ?」
「現在は神聖ノマージュ公国の首都アレグラに居るの」
「アレグラか。それは遠いな」
「ええ。でもアクトは何とか確保できたわよ」
「おお、それは良かった。それでいつ帝国に戻るのだ?」
「いろいろあってまだ戻れないわ。それよりもここにはラフレスタ家の長女のフランチェスカ様と五女のヘレーナ様がいるのだけど・・・もう、ふたりを赦してあげてくれない?」
「あのふたりか・・・確かクレスタ家に嫁ぐ事になったと聞いておる・・・まあ、いいだろう。ラフレスタ籍から除されて十分に罰を受けておるし、他ならぬハルからの頼みじゃ。彼女達はもう赦してやろう」
「解ったわ。ありがとう。それじゃあ」
「わっ、待て、ハル。自分の事だけを・・お、おい・・・」
こうして通信は切れた。
ハルは帝皇デュランと余計な会話をしたくなかったために強引に切ったのだ。
唖然とする全員を前にして、ハルは今回の会談の結論だけを述べる。
「とりあえず、これで政治的な問題は解決できたわね」
そんな事をサラッと述べるハルに、不良中年のリュートはあんぐり口を開けたまま器用にこんな事を叫ぶ。
「おい、やっぱりこの女、ナニモンだっ! 誰か教えてくれ~!!」
一時は騒然となったこの部屋であったが、それでも今は少し落ち着きを取り戻している。
「フランチェスカさんとヘレーナさんの政治的な問題は解決できたとして、次は治すための技術的な問題よね。キリア、本当に難しいの?」
「ええ、そうです。傷を受けた直後ならば、身体が傷付く前の状態を覚えているので、神聖魔法を使い前の状態へ戻す事はできるのですが、傷付いた時間が長く続いてしまうと神様が願いを聞き受けてくれないと言われています。概ね、傷を受けてから一週間が限界ですね」
「なるほど・・・そうなると神聖魔法の正攻法では難しい訳ね」
ハルはそう言い、傷を負ったフランチェスカとヘレーナを見て何かを考える。
そして、少しの時間を経て、次に左腕の無いシエラも見て、何かに納得する表情となった。
「解ったわ。本格的な治療までのつなぎかも知れないけど、私が何とかしてあげる」
「え?」
疑問を浮かべたキリアに自信満々のハル。
「キリア、私を誰だと思っているの? 生活魔道具師のハルよ。一般生活を送れず困っている人に役立たずして、どうする!」
妙にやる気を出したハルはフンと鼻息をひとつ吐くと、この広い部屋の一部の占拠を申し出た。
「リュート、この一角を少し借りるわよ」
「てめぇ。何をこっぱじめるんだぁ?」
「勿論、人助けよ。フランチェスカさんの傷を隠す魔道具作りとヘレーナさんの義手作りね。あと、シエラさんもよ」
「はぁ?」
「神聖魔法が駄目ならば、次は魔法と技術でなんとかするの。諦める暇があったら私は次への行動を開始する派だわ」
ハルは自信満々にそんな宣言をする。
そこまで言われるとリュートも場所の占有の要求は拒絶できないと思ってしまう。
「ち、しゃあねぇ。その一角ならば邪魔にならねぇから使っていいぜ。ただし・・・」
「ありがとう。決してアナタの仕事の邪魔はしないわ。それほど長い時間は掛けないつもりだし」
「わっ、まだ俺の言いたいことがぁ」
「それじゃ早速、対象者を採寸してと・・・アーク手伝って」
まだ何か言いたいリュートを他所に、どんどんと自分のペースで作業を進めるハル。
人助けと称しながらも、自分の作るべき魔道具を見定めていた彼女らしい行動原理である。
「まったく、あの魔女は・・・」
愚痴混じりのリュートであったが、現在は静かになった大部屋。
先程までは、どんな義手が欲しいのかとハルとシエラ、ヘレーナが議論――と言う名の歓談――で騒がしい現場であったが、現在のハル達は素材を買い求めるためにアレグラの街へ繰り出している。
お陰で残されたリュートは再び法王を探すための推理作業に没頭する事ができていた。
机の上には紛失した図書の資料が並べられていて、紙にはいろいろな情報が書き入れられている。
それを改めて見て、再び首を捻るしかないリュート。
「うーん、解んねぇなぁ」
もうそんな言葉しか出てこないリュートにフランチェスカが近付いてきた。
フランチェスカは傷付いた自分の顔を他人に晒したくなく、また、暑いアレグラの街が苦手で、この部屋に残ることを選択していたのだ。
「リュート叔父様、お悩みのようですが、それほどに難しい内容なのですか?」
「おいおいおい、叔父様なんて止めてくれよ。何だかこそばゆいぜ。俺なんかは普通のリュートで結構だ」
「それでは。神父リュート様で」
「ああ、それならば・・・ところで嬢ちゃん。てか、俺の方こそフランチェスカ様って言わなきゃまずいか?」
「私の事は何とでもお呼びください。ラフレスタ伯爵家の籍から出されて、現在はフィッシャー・クラスタの妻の身分です。彼の権威さえ傷付けなければ、私の事など小娘のような存在。どのように呼ばれようと、あまり意味の無い話です」
「アリガンの息子の権威を傷つける?・・・うーん、それも想像ができねぇーよ。アリガンは何言っても細かい事をまったく構わない男だったからなぁ。その息子のフィッシャーも同じだろうよ。権威や権力とは別世界に居るんじゃねぇか?」
「あら? よく考えてみれば、そのとおりですわね。オホホ」
コロコロと上品に笑うフランチェスカ。
その嫌味の無い姿に、リュートも釣られて口元が綻んだ。
そんなリュートの手元に広がる資料・・・それが目に入ったフランチェスカからは質問が出た。
「これが大図書館で紛失した図書の一覧ですか?」
「ああそうだ。これは最近の紛失図書の一覧らしいが、これでも百件以上ある。これだけ紛失しているのに気付けないって、ここの司書は仕事をしてねぇだろう?」
「そんなことを言っては駄目ですよ、神父リュート様。私はこの公国の司書の為人を解りかねますが、彼らとて公務の規則に従って働いている真面目な職員だと思います。現場にすべての責任を背負わせるのは為政者としては失格ですよ」
「流石、フランチェスカ様はラフレスタ領の長女だっただけありますねぇ・・・しかし、現場は常に苦労させられるもんだぜ。俺みたいに」
そんな多少に嫌味の籠ったリュートの言葉を無視するフランチェスカ。
「そんな事よりも、この資料から探し出せた手がかりはありますか? 例えば紛失に関する共通事項とか関連するものとか?」
リュートの愚痴を華麗にスルーして、事態の本筋を追求する姿勢はフランチェスカが元領主長女として持っていた才能であったりする。
愚痴を無視されたリュートの方も、それとは気付かず、彼女の言葉が頭に入ってくる。
「共通事項ねぇ。そんなもの・・・」
考える事を既に諦めかけていたリュートであったが、フランチェスカからのそんな指摘に、改めて資料を眺め直してみた。
「これは歴史書。次に料理の指南書。釣りの本、少数派の宗教の経典、旅の紀行書、恋愛小説・・・共通点なんてまったくないぜ。しかも、全てがどうでもいい本ばかり。盗んだところで何の価値もねぇ」
「なるほど・・・共通点が無い・・・それが特徴ですね」
「はぁ?」
「紛失した本のすべては共通点が無い。言うなればまったく脈絡ない雑学の本ばかり・・・例えば、敵はそんな本を敢えて対象にして呪縛の魔法を掛けた、としましょう。その目的は何でしょうか?」
「そんなの解る訳がねぇよ」
「そうですね。現時点で明確な目的は不明・・・しかし、そんな無差別的な罠で捕らえた人達の本を回収する。何の変哲もない大図書館として価値の無い本ばかりを回収する・・・それだけを考えると、回収作業は難しくないようにも思えます」
フランチェスカの指摘にハッとなるリュート。
「・・・確かに、そうかもしれねぇ。管理の行き届いていない本ばかりを大図書館から盗む。そんなこと、魔術師ひとりいればできねぇー事でもねぇなあ」
リュートがここでそう言い切れたのは、先程にハルが自分の持つ魔法袋からいろいろな魔道具を取り出しているのを見ていたからだ。
多くの物を収納できる魔法袋とは高価な魔道具ではあるが、魔力と財力さえ整えば、魔術師ならば誰でも使うことのできる道具でもある。
「まだ推測の域を脱してはいませんが・・・犯人は不特定多数の人間を拉致するために『呪縛の本』の罠を設置した。それは大図書館で簡単に多量の人間を拉致したかったからだ。そして、偶然にもその罠に法王様も掛かってしまった。こうやって人達を捕えた本。それを回収したのが少人数の魔術だったため、大図書館を管理している司書は誰もがその事実に気付けなかった。どうですか?」
「なるほど。それはぶっ飛んでいるようにも思えるが・・・合理的に説明できない訳でもねぇーかぁ」
フランチェスカの推理は少々強引であったが、それでもリュートは何らかの光明が見えたような気になった。
早速にリュートはこのアレグラで最近行方不明になった人物を調査する事にする。