第六話 帝都警備隊
当たり前のことだが、帝都ザルツにもラフレスタと同じように警備隊が存在している。
役割はラフレスタと同じく帝都の治安維持であるが、エストリア帝国の首都だけあってその規模は大きく、全部で三十部隊ある。
そのひとつである第七部隊の副隊長室にフィーロの姿があった。
それはフィーロがラフレスタの警備隊から帝都ザルツの警備隊へ異動したからだ。
異動の理由は『ラフレスタの乱』を鎮めた活躍を中央政府によって評価されたというのもあったが、それ以上に彼がローリアン・トリスタとの結婚を決意したことが大きい。
彼女の希望で結婚後の住居は帝都ザルツに構える事にした。
フィーロは帝国貴族の中でも上位の存在であるアラガテ家である。
もし、彼が本当に望むのであれば、帝都警備隊の副隊長という職に留まらず、隊長、いや、更にもっと上位職の総隊長、更にその上の総司令長官も狙える人物である。
しかし、フィーロは家の力を借りてその職に就くのは由としない。
権力の傘というものは彼が最も忌み嫌うものであったし、自分がそのポストに入る事で他人を蹴落としてしまうのも気が引ける。
今回の帝都警備隊第七部隊副隊長というポストも、たまたまに欠員が出たため、フィーロがそれを希望した結果によるものだ。
彼としても現場の雰囲気は嫌いでなく、表向きはラフレスタの功績が認められて異動した事となっているため、新しい職場でもこの人事に不平を言う者は少ない。
むしろ、ラフレスタの英雄が自分達の職場に来てくれたことに感銘を受ける同僚達の方が多く、部下や上司にも受けが良かった。
そんな若い副隊長は現在、書類と格闘する日々を過ごしている。
ラフレスタよりも人口が多いこの帝都ザルツでは大小様々な事件が毎日頻繁に発生している。
当然だが、これに対応するための警備隊の人員も多いが、この帝都での警備隊の隊長や副隊長などの幹部職員の主な仕事はこれら大量の事件で発生する調書や報告書に目を通す事務職である。
早速に文官のような仕事現場であり、ラフレスタのように現場で陣頭指揮を執る事などありえないのである。
「こんな事になるならば、別の職にしておくべきだったかな・・・」
思わずフィーロの口からはそんな後悔の念が漏れてしまうが、現在は部屋での独り作業なので、これに応えてくれる人間などいない。
そんな寂しく愚痴を溢す状態の彼であったが幼少期より高度な教育を受けてきたフィーロにとって書類仕事など難しい仕事ではない。
そつなく次々と書類を処理するフィーロは書類の内容を確認し、問題が無いものは決済のサインをして上司行きの箱に書類を投函する。
問題を見つけた案件に関しては自分が気になる部分を書き足して、差戻しの箱に書類を次々と投函する。
こうして、ある意味機械的に書類処理していたフィーロであったが、ここでとある事件に目を止めることなる。
「連続殺人事件・・・」
現在フィーロが手にした調書には最近人気の出てきた若い歌手が惨殺された事件の報告が書かれていた。
「細いロープで縛られ、毒を打たれ、そして、弱ったところをナイフで滅多刺しか」
検死の調書からは若い被害者の男性はロープで雁字搦めに縛られて、その後に細い針のようなもので毒を受けていることも書かれていた。
これと似たような手口の事件が既に数回発生しており、警備隊はこれを同一犯による連続殺人事件と認定して捜査を行っている。
だが、この犯行が夜半に行われていることもあり、目撃者が少なく、捜査が行き詰っている事も隊長から聞かされていた。
「帝都となると、物騒な事だ」
難儀な事件であると思うものの、これと似た厄介な事件は日々発生しているらしく、いい意味で人が多く集まる帝都らしい事だと思ってしまうフィーロ。
そんな調書に確認のサインをしたところで、部屋をノックする音が響く。
「入っていいぞ」
フィーロがノックにそう応えると、ドアが開かれて、黒ローブに身を包んだ人物が入ってきた。
自分が良く知る香りを纏う人物だ。
「フィーロ!」
彼の名前を呼ぶのはローリアン・トリスタ。
昨日までの貴族の淑女たる衣装を着た姿ではなく、今は優秀な魔術師である事を示す『黒ローブ』を身に着けていた。
アストロ魔法女学院を優秀な成績で卒業した事に加えて、ラフレスタの英雄のひとりとして称えられている現在の彼女にとって正当な評価のローブ姿だ。
その彼女が入って来たことを認めたのはフィーロだけではない。
今の今まで部屋の片隅でじっとしていた黒白毛並みのネコが駆け出し、彼女に甘えた。
ニャーン
「ニケ、いい子にしていた?」
喜びのあまり興奮して駆け寄ってくるニケを可愛く受け止めるこの黒魔女の姿はフィーロにも微笑ましく映る。
ニケをあやしている姿はラフレスタ第二警備隊で既に見慣れた風景であったが、この帝都第七警備隊でも既に日常になりつつあるようだ。
この『ニケ』というネコはラフレスタ英雄譚にも描かれており、密かな有名人(有名猫?)なのは余談である。
本来ならば規律を重んじる帝都警備隊の筈だが、このニケだけは特別でフィーロの忠実な従者として歓迎されており、このとおりフィーロ副隊長室の一角をニケの占有区画として認められていたりする。
そんなニケをひととおり愛でたローリアンは満足し、フィーロに向き直った。
「昨日はありがとう。おかげでうまく行ったわ」
「ああ、そのようだ。俺もこれでひと安心だ」
フィーロは席を立ち、ローリアンの腰に手を回し、そして、彼女を引き寄せる。
甘い雰囲気がふたりを包むが、ここで唇を重ねる事だけはぐっと堪える彼ら。
公の場―――特に警備隊の詰所という場所を鑑みて、これ以上の行為を我慢するふたり。
「本当に・・・君とこんな気持ちとなるなんてなぁ」
「ふふふ、私もよ。最初に出会った時は『最低男』だと思っていたけど・・・」
「思っていたけど?」
フィーロは悪戯っぽく問う。
「今は・・・最高の人よ!」
ローリアンはそう答えると、我慢できずフィーロに口付けをした。
それを優しく受け入れるフィーロ。
ふたりの接吻の間、ニケはどちらに甘えていいのか迷いながらも、それでも大人しく人間の愛情表現が終わるのをゆっくりと待つ。
互いの愛を確認したふたりは個室とはいえ、ここが警備隊の詰所だという現実を思い出し、昂ぶる気持ちをなんとか抑える事に成功する。
そして、ローリアンは部屋に設えられたソファーに腰を下ろし、丸まった状態のニケの背中をあやしながらフィーロと昨日のことについて会話を続けた。
「昨日のフィーロは別人のように大人しかったわね。私は笑いを堪えるのに必死だったわよ」
「そんな事を言うな。俺だって余所行き用の顔はできるんだ。ローリアンの両親にみっともない姿を晒す訳にはいかないさ」
「うふふ、そうね」
普段の気取らないフィーロの姿を良く知るローリアンとしては昨日のある意味貴族らしい姿を演じていたフィーロが面白可笑しく、かつ、好ましく思えた。
自分の為に相手の親へ悪い印象を与えないようにしている彼の努力を称えたい気持ちもある。
「あの後、私の両親は終始上機嫌だったわよ。『これでアラガテ家に気に入られた』とね」
尤もローリアンの言葉には多少の呆れが混ざっている。
昨日の婚約の場ではフィーロの実父であるラディル・アラガテからふたりの婚姻の許可する言葉を貰った。
そのこと自体は嬉しい事実であり、これによってフィーロとローリアンの結婚は正式に成立したようなものだからだ。
しかし、その直後、その見返りとして派閥の中でアラガテ家の一派としてトリスタ家も参画協力して欲しい旨が伝えられたようだ。
アラガテ家とトリスタ家はともに『魔法貴族派』と呼ばれる派閥に所属しているが、その内部は更に細かい派閥が存在しており、長い歴史の中で複雑なパワーバランスにより成り立っている。
こうして見てみると『魔法貴族派』という派閥も一枚岩ではないが、権力争いなどそんなものであり、常に自分が有利になるため個々が虎視眈々とチャンスを狙っているものなのである。
そのチャンスが、今、『ラフレスタの乱』によって訪れようとしていた。
いや、正確にはラディル・アラガテという人物がそう思っていた、と言うのが正しい表現であろう。
ラディル・アラガテはあの事件の影響で『魔法貴族派』の派閥長を永年担ってきたケルト家をこれで失脚できるのではないか?と考えているようだ。
何故ならば、そのケルト家の長女であるエリザベスがこの『ラフレスタの乱』において現在の帝皇デュランに反旗を翻すような形となったジュリオ第三皇子に組していたからである。
実際のエリザベスは敵側の策略に嵌り、洗脳されての成り行きであったが、貴族の権力争いでそんな些細な理由などどうでも良いらしい。
一時的に敵対したという事実だけが相手の上げ足を取るのに十分な理由であったりする。
この時点でラディルがそのように考えている事などフィーロとローリアンは知る由もなく、当人たちは『この先のアラガテ家の地位固めのためにラディルがトリスタ家に協力を申し出ているのだろう』ぐらいに思っていた。
とにかく、フィーロとローリアンが貴族同士である以上、婚姻する事には何らかのしがらみは避けて通れない。
特にフィーロはこういった政治的な取引を忌避していたが、ローリアンと結婚するために我慢する事を選択していた。
それほどまでにローリアンという女性を愛してしまったのだから、本人は覚悟して帝都に戻ってきている。
「政治的なことに巻き込んでしまい、すまないな」
「いいわ。私も貴族の娘よ。こうして自分の選んだ相手と結ばれるのですもの。幸せ者だと思っているわ」
ローリアンはニケをぎゅっと抱き、フィーロに向かって熱っぽい視線を送る。
その健気な姿を見たフィーロは自分の中に再び熱いものが走ったが、再び彼女を抱擁する事は叶わない。
何故なら、ここで新たな来客があったためだ。
コン、コン
ノックの音に「入っていい」という許可を出すフィーロ。
そして、姿を現したのはラフレスタの英雄の同志である。
「こんにちは。フィーロさん。あれ? ローリアンさんも来ていたのですね」
ドアの向こうにいたのはアクトとハルだった。
「こんにちは。フィーロさん。そして、ローリアン、婚約おめでとう」
「ハルさん、ありがとう。宣言どおり、貴女達よりも早くゴールインしましてよ」
ローリアンは勝ち誇ったように笑みを見せる。
「まだ、婚約の段階だがな。ハハハ」
フィーロは照れてそう言ってしまうが、それでも自分の後輩に幸せのオーラは隠せていない。
貴族同士でここまで話がまとまれば、もう、結婚は確実であり、あとは、準備をして如何に貴族らしく盛大に結婚式をやるかだけなのだ。
「本当におめでとうございます。今日はお祝いの言葉を持ってきたのですがローリアンさんとお会いできたのは幸運でしたね」
アクトのその言葉にローリアンも笑みを浮かべる。
「アクト様、本当にありがとうございます。私がフィーロと出会えたのもアクト様のお陰ですわ」
「そうかも知れませんね。でも、正直、ローリアンさんとフィーロさんと結婚するなんて、あの当時は誰も想像していなかったですけどね」
「うふふ。この私が一番驚いていますわ」
ローリアンは再び強くニケをギュッとし、今度はニケが軽く抗議の鳴き声を挙げるが、それは無視されてしまう。
彼女の幸せオーラはフィーロのそれよりも強かったりする。
そんな様子でフィーロとローリアンの婚約を祝うアクトとハル。
「私達の結婚式は戦勝記念式典の次の日となりますわ。お二人とも是非に来てくださいませ」
「ええ、解ったわ。楽しみにしている。ただし、そんな華やかな場で私は多少に不愛想な姿となるかも知れないけどね」
ハルは自分が異世界人という秘密があるため、他人とはあまり親しくならないようにしている。
そんなスタンスを守り続けている彼女だが、ローリアンとフィーロの結婚自体を祝福する気持ちは十二分にあった。
自分の秘密を知るふたりの前ではもう演技する必要は無かったので、気兼ねなく接していたし、ハルの境遇を知ってしまったローリアンも大いにハルが置かれている境遇には同情しており、今はハルの真の姿を知っている貴重な友人でもあったりする。
「ありがとう。ハルさん」
ローリアンは短く感謝の言葉を口にするが、それが心からの言葉である事をハルも解っていた。
それから互いの近況へと話題が移る。
「・・・そうなのですか。帝都大学も魔法学に関してはあまりいい噂を聞いていませんでしたが、やはりレベルは相当に低そうですね」
ハルから帝都大学の現状を聞いたローリアンはそんな感想を溢す。
ローリアンがそう評したように、こと魔法に関してはアストロ魔法女学院の方が生徒も教官もレベルが高く、自分達が恵まれた環境で魔法を学べた事を実感している彼女。
「そうねえ。とりあえず、ふたりで多少はマシな設備に替えたから、あとは素材さえ揃えば、すぐに仕事は終るわ」
「ハルさんにかかればそうなのでしょう。いつかは帝都大学の研究室に遊びに行きたいものです」
「いいわよ。どうせ、今の素材の集結具合を考えると、アナタ達の結婚式よりも時間がかかりそうだから、落ち着いたら遊びに来て」
ハルの歓迎の言葉にローリアンは笑みを浮かべる。
自分とて魔術師―――それも、かなり高位な実力を持つ存在でもあるのだ。
帝都大学のハルの研究室にも多少の興味はあった。
「ただし、大学内でアクトの事は『アーク』と名乗っているから間違えないでね。私もアストロ卒とは言わないで欲しい。余計な事に巻き込まれるから・・・」
「解りました。抜かりはありませんことよ。その時はフィーロと共に平民に変装して行きますから。ウフフ」
『変装』という響きに楽しさを感じてしまうローリアン。
早速、自分達がどのような格好をするかを想像しても楽しくなってしまったのだ。
そんな女同士の会話を他所にフィーロと話すアクトは机の上にあった一枚の書類に目が行ってしまう。
「連続殺人事件・・・」
思わずその書類のタイトルを口にしてしまうアクトだが、フィーロはその書類を裏返して隠す。
「一般市民は見てはいけない書類だぞ・・・とは言ってもアクトだからなぁ」
フィーロは正義感の強いアクトが、こんな厄介事にも関わってしまうのではないか?とそんな事を想像してしまう。
「さすがに、現在はハルのことを第一に考えて行動していますので、自らが事件解決に関わろうなんて思いませんよ・・・だけとも、フィーロさんから協力の依頼があれば、僕は断りません」
「ああ。そんな依頼をしないように、こちら側で対応するさ」
フィーロはラフレスタの真の英雄にそう応えてニヤッと笑う事にした。