第六話 神父リュートと訪問者
「なるほど・・・『黒い稲妻』のリズウィ」
シエラとエイルより黒い髪と瞳を持つ男の話を聞いたハルは相手の名前を復唱する。
「そうだ。私の左腕を斬り落とした男。ボルトロール王国では『黒い稲妻』と呼ばれる剣術士だ」
今は無き左肩から先に手をやり、口惜しい表情になるシエラ。
そんなシエラにそっと手を添えるエイル。
「あの後、僕達は本当に見逃されたんだ。やろうと思えば命を奪う事もできたのに・・・」
「それがあの男の奢りなのだろう。自分に力があると思い込んでいる。魔剣持ちだからと余裕かましやがって!」
汚い言葉で相手を罵るシエラ。
「シエラさんは、その男――黒い稲妻のリズウィ――の力は魔剣によるものだと思っているの?」
ハルの指摘にシエラは首を縦に振る。
「ああそうだ。あの剣捌きは普通のスピードじゃあ出せない。奴の使う魔剣には軽量化とスピードアップの魔法が掛かっているに違いない。畜生、私も同じ魔剣を持っていれば絶対に遅れなど取らなかったのに・・・」
悔しい牙を剥く南の虎に再びエイルから優しい言葉が掛けられる。
「シエラさん、怒りに支配されては駄目です。アナタがいつも言っているじゃないですか。戦いとは無情。そのときの自分の気持ち強さが生死を分けるのだと・・・確かにアナタはあの男に腕を斬られてしまいました。でも、こうして生きているんです。生きていれば人生は勝ちです・・・少なくともアナタが生きていてくれて、僕は嬉しいですから」
エイルのそんな言葉に目を少し丸くした南の虎女は・・・数刻後に顔を赤らめる。
ほんの少しデレっとしてしまう彼女であったが、すぐにここが公の場である事を思い直し、キリッとした表情へ戻る。
こと、自分の惚気には脇の甘いシエラであったが、それが彼女の良さでもある。
人間らしい事、切替えが早い事、それがシエラの魅力だ。
「・・・そうだな。私の左腕は斬られてしまったが、それでも私は生きている。生きていればエイルの役にも立てるだろう」
そんなシエラにエイルの笑顔がひときわ輝く。
エイルとシエラ、互い存在が心の糧になっているのは誰の目から見ても明らかであり、シエラよりも身長の低いエイルであったが、彼が常に落ちついているためか、大きな存在に見えてしまうから不思議である。
こんな感じで朗らかな雰囲気に包まれるふたり。
ハルも少しだけお腹一杯な気分になってしまったが、敢えてその事には触れず、黒い男について話題を戻す。
「シエラさん、エイルさん。有益な情報をありがとう。これで私達以外にも黒髪・黒目の人間が存在する事は解ったわ。そのリズウィなる人物については是非とも会ってみたいものね」
アークもハルの言葉に頷く。
「そうだね。ハルの同胞につながる何らかの手掛かりになるかも知れない。ただし、ハルの同胞の人間にそれほどの剣術士がいるとは・・・」
「現時点ではよく解らないわね・・・私の同胞の人間に剣術士なんて考えられないわ・・・だけど、私が魔術師をやっているぐらいだから、もしかしたら・・・」
何かの可能性について考え込むハル。
それを見たアークはハルの想像している事が未だ可能性の範囲を超えていないと思った。
「まあ、現時点では情報が少な過ぎるね。リズウィはハルの同胞の人と違ってまったく別の人間なのかも知れない・・・やはり、会ってみないと話は進まないだろう」
「そうね・・・でも、そのリズウィって男は相当凶暴な男みたいよ」
「それは心配するな。俺がついている。俺がハルの事を全力で守るさ」
「あらそうね。ウフフ、確かにアナタは私の漆黒の騎士だからね」
「ああ、君の騎士だ」
このときのふたりのやり取りは自然ではあったが、それでもシエラとエイルの逢瀬よりも何倍も濃い味がした。
それを強烈に味あわせられた神父リュート。
ここで彼は遠慮なくタバコに火をつける。
ひと呼吸で深く吸うと、少しだけ落ち着きを取り戻したようだ。
「フゥーー。なんだか甘ったるいものを見せつけられて調子が狂っちまうが、俺達の仕事を忘れていないだろうなぁ」
そんな不良神父の指摘にハルも負けていない。
「アナタはなかなかぶっ飛んだ神父のようだけど、私達がプロメウス大司教と約束したことは確かよ」
「魔術師の嬢ちゃん、その言葉を聞いて何よりも安心したぜ。今回も嬢ちゃんとそこの騎士様が助けてくれたのが幸いした。俺にも本に魔法が掛かっていて、そいつに吸われるなんて流石に考えつかなかったからな。この罠が法王のオッサンを捕えたのは間違いねぇと思う。お陰で手がかりがひとつ見つかった」
「それは良かったわ。あとは調べてくれるのでしょう?」
そのハルの言葉はリュートにとって自分に向けられた挑戦のように受け止める。
「当たり前だ。俺を誰だと思っている。情報通のリュート様だぜ。魔法の本を手掛かりにして、今回の事件の真犯人を探してやるさ」
「それを聞いて安心したわ。ここから先は任せたわよ。リュートさん」
「ハンッ、任せろ!」
このときのリュートは咥えタバコ姿に指をパチンと鳴らし、格好をつけていた・・・
それから数日後。
舞台は太陽の小鹿が集う大部屋。
そこで机に向かい、紙にいろんなことを書き込み、そして、頭をクシャクシャっとしているリュートの姿があった。
「く、くっそう・・・この先の手掛かりが全然得られねぇ~」
ここでリュートは先日までの自信満々な姿が嘘なぐらい苦悩していた。
大図書館で魔法の本を使った拉致が疑われて、その後、聖堂騎士達による大々的な調査を行われた。
そうすると、リュート達を捕えようとした同じような魔法――呪縛の魔法――の本の罠が何冊も発見される事になる。
それは合計百冊ほど。
そんな本の罠はいずれもあまり有名な書籍で無かった事から、それまで人目に付かなかったようである。
それ故に大きな被害も起こさなかった、とは聖堂騎士団からの情報である。
そんな魔法が掛けられた本は、どれもが昔から大図書館に所蔵されていた本であり、その本に呪縛の魔法を後日上書きされている事も解った。
巧妙な仕掛けである。
これが誰によって掛けられた魔法なのかは解っておらず、これ以上の調査が進まない状態が続く。
ならばと、次は大図書館から不当に本を持ち出した者が居なかったかを調べる事にした。
犯人は法王を捕えた本を大図書館から持ち出すと思ったからである。
しかし、これを調べると余計に謎が深まってしまった。
「畜生。なんでこんなに多いんだよ。あの大図書館の司書は本当にしっかりと管理しているのかぁ!」
そんな怒りの声がリュートから出るほど、紛失した本の多さに唖然とするしかない。
歴史的に価値のある本や重要書籍については厳しく管理されている大図書館であったが、蔵書数がゴルト大陸一を誇るのだ。
つまり、価値があまりない本(と言うか、どうでもいい本)は山程ある。
それらの本がすべて厳粛に管理されているかと言うと、実態はそうでもない事実が発覚した。
限られた職員と予算の範囲で最大限の管理は行っているらしいが、それ以上に莫大な蔵書が存在しているため、全てに管理の目が行き届いていないのもある意味で合理的な現状でもある。
そんなどうでもいい本にばかりに呪縛の魔法が掛けられており、犯人の狡猾さも見て取られる。
「本当にこの公国は・・・善人ばかりじゃないようだぜ。誰でも入れる大図書館には泥棒も多いとさ」
平和・融和をかがける神聖ノマージュ公国は全国民がノマージュ教の信者である。
しかし、その教えを全うに信じている公国民などごく一部であると神父リュートは改めて思い、彼の口からはそんな嫌味が洩れてしまう。
「くぅーっ、これはとても絞り込める数じゃない!」
聖堂騎士の調査結果を、とあるルートで入手したリュートだが、そこに書かれていた百件以上の紛失図書の目録を目にして、やる気をなくしていた。
イラつき、周囲を見渡してみると、少し離れたところで優雅にお茶を楽しむ他の太陽の小鹿の集団が目に入る。
「くっそう! テメェらぁ、少しは働きやがれ!」
イラつくリュートの言葉に反応したのはシエラである。
「お? リュート殿、どうしたのだ。あれほど『俺に任せておけ』的な事を言っていたじゃないか?」
「煩せぇ。俺ばかりに調査をやらせておいて、お前達は優雅にお茶だぁと?」
リュートからの怒りの言葉がぶちまけられる。
それにハルが静かに返した。
「ほら。リュートさん。アナタの分もあるわよ」
そう言いお茶の入ったコップを魔法で飛ばした。
スルスルスルっとスムーズに空中を移動し、コップがリュートの手へと収まる。
これはハルの無詠唱の魔法が見事に作用した結果であり、数日で見慣れた光景で、周囲の誰からももう彼女の妙技を驚かない。
そんなお茶の入ったコップを受け取ったリュートは手にしたお茶を反射的に飲む。
「おお! このお茶はうめぇ! 俺の情報からすると南方諸国のスンカリ産の高級品か・・・って、俺が言いたいのはそうじゃねぇよ!」
悔しさのあまり飲みほしたコップを床に投げつけようとしたが、そうなると陶器のコップが割れてしまう。
ハルはそれを素早く察知して魔法で回収する。
「コップに当たっては駄目よ。これも無料じゃないんだから。それに『自分に任しておけ』って言ったのはリュートさんだよね? 私達はそれを尊重しているのだけど」
「くっそう。言ったよ、言いましたよ。だけど行き詰っているんだ。少しぐらい協力して貰ってもいいじゃねぇか!」
弱音を吐くリュートと、それに応える面々。
「私は荒事担当だ。情報収集と推理はリュートの戦場だろう?」
「私もアークもその類よ。それに、この国で目立つのも避けたいから、本当に必要な時だけにして欲しい。こうして、無料でお茶を提供してあげているのだから、ここはリュートさんが頑張って働いて頂戴」
「そうですよ。ハルさんのお茶は美味しい!」
順にシエラ、ハル、キリアの言葉である。
ぐぬぬ、となるリュートに男性陣の言葉が続く。
「リュートさん、怒っては駄目です。冷静に事実と神の声を聞けば、先は開かれます」
「そうじゃよ。そもそも、リュート殿が『俺が情報収集と推理を担当するから他の者は邪魔するな』と言ったではないか? 我々は貴君の邪魔となるようじゃから、大人しくしているまでじゃよ」
ぐぬぬぬぬぬぬ、となるリュート。
確かにそう言ったのは事実。
初めに情報収集の段階で素人であるキリアがいろいろとミスしたこともあり、「お前達、邪魔するな!」と怒鳴ったものであった。
その方が効率は良かった。
初めは・・・
しかし、行き詰ると・・・上手くいかない。
イライラが募るリュート。
どうにかして反論してやろうか? それとも、詫びを入れて協力を乞うか?・・・次の言葉の選択に彼が迷っていれば、ここで大部屋をノックする音が響く。
「リュート神父。お客様がお見えになっています」
部屋の外から見習いの修道女の声が聞こえて、リュートは少し考える。
ここは『太陽の小鹿』という秘密のチームの集う部屋であったが、そもそもそんなチームの存在は公国で公に認められていない。
この会合は若手とベテランの技術伝承の集いであるとされていたし、客と言われて会わないのも怪しまれるだけだ。
気分転換もあり、ここで入れてもいいだろうと考えるリュート。
「仕方ねぇ、会うか。入れてくれ」
リュートの言葉に従い、扉が開けられた。
こうしてこの部屋に招かれたのは四人の男女である。
髭面の貴族の召使のような初老の人物と、若い貴族風情の男、そして、その連れと思わしきローブを深く被った女性が二名。
リュートはその白髭短髪の召使の顔に多大な見覚えがあった。
「おお、セバスじゃないか! これは懐かしい顔だ」
「リュート様、やっと会えました。久しくしております」
互いに固く握手し、再会を喜ぶ旧友達。
それまでイラついていたリュートであったが、セバスの顔を見て一気に憂いが吹き飛んだ。
それほどまでにセバスはリュートにとって恩人であり、友人でもあったからだ。
「どうしたんだ? アリガン・クレスタのオッサンは元気か?」
「ええ、元気ですよ。いつも問題ばかりですが」
「ワハハハ、変わんねぇなぁ。ルミナと結婚して丸くなるんじゃなかったのかぁ?」
「残念ながら旦那様は昔とそう大きく変わりません。リュート様とバカをやっていた頃からね」
「だろうな。大人しくなったアリガン・クレスタなど想像できねぇーよ。ワハハハ」
愉快に笑うリュート。
若かれし頃にリュートとアリガン、セバスは相当に無茶と言う名の冒険をやった仲間である。
その頃の経験のお陰で、情報収集の技術がつき、今の自分に活きているのだから、リュートにとっても彼らは恩人である。
「実はリュート様に少しの間、保護して頂きたい案件がありまして・・・」
セバスの言葉にひとりの青年が前に進み出る。
その顔を見て、リュートはすぐにピンと来た。
「当ててやろう。これはアリガン様のご子息だろう? 名は確か・・・」
リュートはセバスが連れてきた男性の名前を正しく推察できていたが、その名前は別の人物の口より出される。
「おや? フィッシャーか?」
「ええ、フィッシャーね」
「そうですね。間違いなくフィッシャー・クレスタさんですね」
「そのようじゃ。フィッシャー君のようじゃ。世間は狭いのう」
ここで、聞いた事のある声が部屋に響き、それに驚くフィッシャー。
「ええーっ! ハルさん。それにキリアさんとマジョーレ老師も居るぅ!?・・・そして、黒い人・・・・お前って誰ぇ!?」
そんな謎の驚きに包まれたフィッシャーの顔が間抜けであった。