第四話 公国にやって来た漆黒の騎士
「そうか、そうか。君達が来てくれたのか!」
ここで、唾を飛ばすほど感激し、歓迎しているのはプロメウス大司教。
その彼の歓待を受けているのが灰色ローブを着たハルと黒いマントと黒仮面を被るアクトであった。
「驚いたわ。キリアを頼って来てみれば、大図書館に行っていると聞いて、そして、そこに行ってみれば、魔法の本に吸い込まれる寸前だったし」
ハルのそんな言葉にキリアの顔は真っ赤に染まっている。
「本当に助かりました。まさか、あんな罠が仕掛けてられているなんて・・・」
「まったくだ。聖堂騎士達もそこまで調べていなかったらしい。誰が仕掛けたかは不明だが、お前達も危うく敵の罠に嵌り、全員消息不明で全滅するところだったぞ。本当に・・・」
プロメウスからのそんな指摘に、太陽の小鹿の全員が顔を伏せてしまう。
確かに敵側の罠にまんまと嵌ったからだ。
アクトが居たから、魔法封じの魔剣で難なく助ける事ができた。
そんなアクトからは、あのときにキリア達だけでは対処が難しかったと言う。
「初見であの魔法の罠を防ぐのは難しかったでしょう。今の僕やハルならば魔法感覚が鋭いので気付けますが・・・」
「いやあ、助かった。それにしてもアクト殿が帝都で受けた『毒』により記憶を無くしてしまったのは厄介だな」
礼を述べたプロメウスはここで話題を変えてきた。
あまりに自分達の失点の話題が続くのもよろしくないだろうと思ったからである。
そんな彼が話題にしたのはアクトの現状に関するものである。
急な話題変更だったが、アクトも素直に応じる。
「ええ。この仮面を被っているときは大丈夫なのですが、一度外してしまうと何も思い出せなくなってしまうので」
アクトがそう言うように、黒仮面を被っているときは正しくアクトとしての自我と記憶が残っている。
しかし、これを一度外してしまうと、美女の流血の模倣品の毒を受けた状態に逆戻りしてしまうのだ。
その時は記憶喪失となり、自分がアクトである事やハルの事も忘れてしまう。
砂漠の国を脱した後、一度、黒仮面を外してみたが、その時もハルに対して「お前は誰だ?」的な状態となり、大変な目にあった彼らであった。
その時はハルが白魔女に変身して、いろいろな努力を経てなんとかアクトに黒仮面を被ってもらい、元の状態に戻っている。
そんな経緯で、それ以降のアクトは黒仮面を付けたままの状態を維持する事にしていた。
また、アクトの体内には豊富な魔力を内包しているため、黒仮面の魔道具を装着したままでも魔力切れになる心配はない。
彼曰く、黒仮面を付けている方が調子も良いとの事である。
「そう言う事情がありますので、失礼かもしれませんが、しばらくは黒仮面をつけたままにさせてください」
「いやいや、これは失礼に当たらないから、気にせずともよい。それよりも毒の治療の件については了解した。貴殿らにはラフレスタで受けた多大な恩義がある。我が教団の誇りに掛けて治療を施してやろう」
「ありがとうございます」
礼を述べるアクト。
こんなやりとりに至ったのは、アクトの受けた魔法薬の毒抜きに関して、ハルからプロメウスを初めとするノマージュ公国の神聖魔法使い達に治療の依頼をしたからである。
そもそも解毒などの治癒魔法は魔術師よりも神聖魔法使いの方が技術的には優れているのだ。
解毒作用のある黒仮面を付けているときは良いものの、それを外した状態で美女の流血の模倣品からの毒を除去する技術がハルには無かった。
いろいろ試して、自分の知識や技術が足らないと自覚したハルは、もうこれは専門家に頼むしかないと結論に至った。
帝都ザルツに戻る事も考えたが、砂漠の国からエストリア帝国の帝都ザルツはあまりにも遠い。
それならばと、距離的にはまだ近い神聖ノマージュ公国へ足を向けたのだ。
こと、治療に関しては、魔術師よりも神聖魔法使いの方に軍配が上がるのは常識であり、特に永続的な治療となると神聖魔法使いの独壇場である。
その総本山であるアレグラを訪れた理由がここにあったのだ。
「ただし、現在は少々取り込んでいる状態でもある。アクト殿の症状は我々でも未経験の毒・・・少々時間は掛かるだろう」
「それは構わないわ。取り込んでいる事情についてもキリアからだいたいの事情は聞いるし、アクトの治療を待つ間、私達も問題解決に協力するから」
「それはとても助かる。君達ならば解決できない問題など無いだろう」
「それは買いかぶり過ぎよ。私達にだってできない事なんて山ほどあるわ。それに協力はアクトを治してもらう御代のようなものだから」
そんなハルの申し出にプロメウスは大いに納得する。
最近、機嫌の悪いプロメウスがこれほど嬉々していたのを、同席した太陽の小鹿の面々が驚きの表情で観ていた。
「それじゃ、しばらく厄介になるわ。あ、そうそう。黒仮面を付けている間、彼の事は『漆黒の騎士アーク』としてください。一応変身している訳だし、本名もそれなりに有名なので・・・」
「そうだな。私もそれがいいと思う。ラフレスタの大英雄がいきなりここに現れれば、それはそれで別の厄介事に発展する可能性もあるだろう・・・お前達、解っているな!」
プロメウスの言葉に太陽の小鹿の面々も頷くしかない。
彼らが大司教の言葉を否定できるはずも無いからだ。
「それでは、キリア達と行動を共にしてくれ。アクト・・・いや、アーク殿の治療の準備が整えば、追って連絡しよう」
プロメウス大司教との会談は無事に終わり、こうしてアクトとハルは神聖ノマージュ公国の公式な客員となった。
「・・・へぇー、ハルさん達はそんな事があったのですかぁ」
「ええそうなのよ。大変だったわ」
キリアとハル、そして、漆黒の騎士アークが近況を話し合うのは、大聖堂から少し離れた建屋の中である。
ここは修道僧・修道女達が共同生活する建屋の一室であり、太陽の小鹿の面々が会合をするために用意された少し大きめの部屋である。
近況報告と昔話に花を咲かせる三人に対し、他の太陽の小鹿の面々は少し距離を置いていた。
その中のリュートとマジョーレは次のような会話をする。
「・・・まったく、アイツは何者だよ」
「リュート殿。彼の御仁はラフレスタで最も有名な英雄のアクト・ブレッタ殿じゃよ」
「そんな事は解っている。俺が聞いてんのは灰色ローブの女の方だぜ。俺にはあんな女の情報は無ぇよ。しかし、あの場を完全に仕切っているじゃねぇか。マジョーレの旦那はあの女のことを知っているんだろう?」
そんなリュートに、フフンと応えるマジョーレ。
「彼女の名前はハルさんじゃ。ラフレスタの有名校、アストロ魔法女学院を優秀な成績で卒業した女性魔術師で、アクト殿の彼女じゃよ」
「ふざけろ。怪しい、怪し過ぎるじゃねーか。そんな実力抜群の魔術師が素人駆け出しの灰色のローブなんざ着てるんだ!? んな訳ねぇーだろうがっ!」
リュートの勘は彼女が怪しいと言っていた。
そんな小物ではないと・・・
「ジジイ、何か知ってんだろう?」
「はて? 儂は真実しか述べとらんがなぁ」
詰め寄るリュートに惚けるマジョーレ。
絶対に何かあると思うリュートだが、年の功もあってか、マジョーレは絶対に口を割らない。
「深く詮索せんことじゃ。キリアに聞くのも駄目じゃぞ。もし、あの娘が下手に口を割ったら、それこそエストリア帝国には帰れんようになってしまうからのう」
これはマジョーレからの警告である。
ここでそんな釘を指されれば、リュートとしてもこの場でこれ以上の詮索はできなくなってしまう。
ぐぐぐ、と真実の情報に近寄れない口惜しさを滲ませるリュートであったが、マジョーレの警告により、自分が気になる女魔術師はやはり只者ではないと確信する。
他人が知り得ないような情報を手に入れるのが、リュートにとって生き甲斐のようなものではあるが、それでも危険な情報ほど、それに近付くことは気を付けなくてはならないことも熟知していた。
彼の勘が、これ以上の彼女の詮索は危険であると警鐘を鳴らしていたので、ひとまず興味の矛を仕舞う事にする。
そんなやりとりを見ていたシエラが、フンと鼻息をひとつ鳴らす。
「リュート殿はあの女魔術師に興味を持っているようだが、私はあの男の方だ」
シエラはそう一言告げると、ツカツカと漆黒の騎士のところへと歩み寄る。
「歓談しているところ申し訳ないのだが、貴殿はブレッタ流の剣術士アクト・ブレッタで間違いないな」
突然の誰何に三人の会話は止まり、そして、漆黒の騎士がそれを短く肯定する。
「ああ、そうですが、貴女は?」
その答えに我が意を得たようで、ニマッとするシエラ。
「私の名はシエラ・・・『南の虎』とのふたつ名の方が有名だと思うが、知っているか?」
そんなシエラの狙いどおりに、アクトは少し驚いたような反応をした。
「貴女が『南の虎』。あの有名な・・・しかし・・・」
「やはり私の事を知っていたか。ならば、話は早い。早速手合わせ願おうか!」
そして、普段は隠していたシエラの獰猛な光がその目の奥より放たれる。
猛禽のような鋭い瞳は一直線にアクトを睨み、そして、逃がさないように捕捉した。
(本気で挑発している・・・しかもこの感覚は・・・本物だろうな)
一流の剣術士による殺気がシエラより放たれる。
そして、その睨みを感じた漆黒の仮面のアクトからも、条件反射的に殺気が放ち返された。
「!」
現在、この場に集まる人間はいろいろな意味で死地を乗り越えてきた人間である。
そんな人間からしても一瞬のうちに本気の緊張感を感じてしまうほどの殺気が、このふたりから放たれた。
しかし、アクトはここでも冷静。
「そうですね。それを拒否しても、時間の無駄のようです・・・ならばお受けすることにしょうか」
相手はもう少し渋るものと思っていたシエラだが、こうもあっさりと勝負を受けたアクトの潔さに、シエラの口角は愉快に上がる。
彼らは場所を変え、修行僧達が利用する共同の修練場へ移動する。
現在の季節は夏であり、昼下がりの太陽が燦々と降り注ぐここ南国のアレグラは、この時間に外に出て活動している者は少ない。
そんな閑散とした修練場において、隻腕の女剣術士と漆黒の騎士のふたりが対峙していた。
シエラからの勝負をアクトが受けた為である。
ここで、審判役のマジョーレから試合前の注意事項を述べられた。
「よいか。これは練習試合じゃ。互いに怪我をしないよう練習用の剣を使うこと。相手の急所に一発入れれば勝ちじゃ」
そんなマジョーレの言葉に、黒仮面アクトはルール変更の申し出をする。
「マジョーレ老師。ここは僕からひとつ提案です。シエラさんには真剣を使って貰ってください」
「何!」
アクトからの意外な申し出にシエラの眉がピクつく。
「シエラさんは一流の剣術士です。ですから真剣の方が動きやすい筈です。その方が本気に近い動きができるでしょう。もし、本当に当たりそうになれば、寸止めしてくれればいいだけです。彼女は一流なのだからできる筈」
そんな一言がシエラには挑発にしか聞こえない。
戦いに関して冷静な彼女であるが、これで少し声色が変わる。
「フン。生意気な事を言ってくれるじゃないか? こちらは真剣でも構わないが、それは貴様も同じ条件で相手してくれるのだろうな?」
「僕はこの剣を抜きません」
「あぁン?」
「僕がこの魔剣エクリプスを抜いてしまえば、それはもう勝負にはなりませんから」
淡々と事実を述べるアクト。
そんな態度にシエラが切れた。
「ふざけた自信家め! いいだろう。その剣を抜かしてやる。試合開始する、ぞっ!」
閉口直後にシエラは飛びかかった。
それは、審判役の『始め』の言葉の前であったが、シエラがそう動き出すことを予想できていたアクトは全然構わない。
それよりも注目すべきは、彼女の動きであるとアクトは思う。
野獣のようにしなやかで、動きに全くの無駄はなく、それでいて不規則なのだ。
彼女の持つ濃い黄色の髪の印象もあり、野獣の動き・・・なるほど、これは虎であると思ってしまうアクト。
そんなシエラは素早く自分の剣を抜剣し、突き進んできた。
その剣で真直ぐ突くように見せかけて、曲がった蛇のような動きでアクトに迫る。
「来ると解っていても、簡単に避けられないような動きをしている・・・なるほど、これが南方で名を馳せていた剣術士『南の虎』か」
アクトはシエラの動きをそう分析し、サッとバックステップでそれを避ける。
今までアクトの居たその場所に複雑な動きのシエラの剣が届いた。
鞭のようにしなやかな動きで、三回はその場所を斬る。
しかし、アクトは居ないのでその太刀に意味はない。
「くっ! 口ほどに動きも早いか」
シエラはアクトの動いた先に視線を移し、そちらに斬りかかろうとする。
しかし、そこにもアクトの姿はもういなかった。
自分は優れた動体視力を持つと信じているシエラだったが、ここで信じられない事が起きる。
「なっ、どこへ!?」
一瞬アクトの姿を見失ってしまったシエラ。
前後不覚に陥るシエラだが、唐突にアクトはシエラの目前に現れた。
「なにっ!? どうしてっ!」
ここでのシエラの驚きはふたつ。
ひとつは何の気配もなく自分の間合いにアクトの接近を許してしまった事。
そして、もう既にアクトがシエラの持つ剣腹を指三本で捕らえていた事である。
親指と人差し指、中指の三本で刃の中心部分を強く押さえられていた。
そして、押しても引いても剣はビクともしない!
「なんて莫迦力!」
アクトの怪物めいた技にそんな表現しかできないシエラ。
そんなシエラに黒仮面のアクトは感情の籠らない声でこう告げる。
「この勝負は初めから意味がありません。本当は戦う意味なんてなかったのですが・・・しかし、申し訳ありません。こうでもしないとシエラさんには解って貰えなかったと思います」
「何を言っている! これは剣術士同士の真剣勝負。それをお前は愚弄するのか! この・・・」
その先のシエラの言葉は続かない。
何故ならば、アクトの目がカッと見開き、そこから迫力以上の何かがシエラを襲ったからである。
「キャッ!」
大柄な体躯の彼女には似合わない可愛らしい悲鳴を漏らしたシエラは吹っ飛ばされる。
砂埃をあげて後ろ方向に二回転した。
そして、アクトの指元に残っているはシエラが握っていた剣ひとつである。
敵から武器を奪い、その相手を吹っ飛ばして、地面に這わせている。
誰の目から見ても、これはアクトの圧倒的な勝利であった。
「勝者、漆黒の騎士アーク」
ここでマジョーレから勝者の宣言が成された。
律儀にアクトの偽名が唱えられたのはマジョーレの義理堅さを現していた。
本当に短時間で勝負がついたが、それは漆黒の騎士アークとシエラに相当な技量差があったためである。
シエラが弱いのではない。
彼女は『南の虎』とふたつ名が付くほど名を馳せていた名剣術士であったし、この勝負でシエラの振る舞いを見た他の者達も、彼女の技量の高さは十分に認められるものだ。
しかし、上には上、高位には更に高位がいるもの。
それがアクト、漆黒の騎士と成るアークの能力によるものである。
圧倒的な能力差があるのだ。
この差に唖然とするしかない傍観者達。
そして、その衝撃を受けていた傍観者は『太陽の小鹿』の面々だけではなかった。
それは修練場の柱の隙間。
暗殺者のように気配を消し、今回の戦いを観察・・・いや、監視していた者がいる。
それは小柄な修道女であり、今回の戦いを目にしてこう低く呟く・・・
「これは、これは・・・『漆黒の騎士』とは、要注意人物が現れたものだわ。これは早く聖女様に報告しておかないと・・・」
その修道女は他の者に気付かれないようにその場を離脱し、そして、誰にも悟られずこの場から去って行くのであった・・・