第一話 神聖ノマージュ公国の憂い
ゴルト大陸の南側中央部。
大洋の南海に面する湾に栄える大都市アレグラ。
年中燦々と太陽の光が降り注ぐこの地であるため、光と熱を反射する白亜の建物が軒を連ねているが、ここに住む彼らが白を愛するのはそれだけではない。
『白』は純白、純潔、正義の色だからである。
平和・融和を掲げるノマージュ教の色ともされている。
そんなノマージュ教を国教とする国家、それがここ神聖ノマージュ公国だ。
ここにゴルト歴三百十四年、古代エンロード王国の圧政に耐えかねて立ち上がった英雄ハルシオンⅠ世がこの神聖ノマージュ公国を建国したのはゴルト大陸でも有名な話である。
ちなみにゴルト歴と帝国歴は同じ元年であるため、数直としても同じ意味ではあるが、エストリア帝国では『帝国歴』、それ以外の国家が『ゴルト歴』を使用している。
歴と言う時間軸に国家の誇りというものが透けて見えたりするのは余談だ。
そして、神聖ノマージュ公国は建国以来七百年近くの国是として平和・融和を掲げており、大きな争い無く存続している国家としても有名である。
少なくとも表面上は・・・
そんなこの公国は、現在、法王ヤコブ・ローレライ・アナハイムⅥ世が統治する宗教国家。
その神聖ノマージュ公国の首都アレグラの政治・経済・宗教の中心地・・・アレグラ大聖堂の一室で、怒鳴り声が響いていた。
「お前達! 何をやっているんだ!! この能無しめがっ!」
唾を飛ばして激しい怒りを見せているのは公国の大司教プロメウス・ヒュッテルト。
彼は昨年まで神学校ラフレスタ支部の代表者であったが、現在は国家運営の中枢を任されている。
そんな彼が危機感を持つ事態が現在進行形で発生しているのだ。
「しかし、忽然と姿を消されて以降、法王様の消息は・・・」
聖堂騎士のひとりからそんな言い訳が聞こえるが、プロメウスはそれを睨みひとつで黙らせた。
「それを探すのがお前達の責務だろう。神の御心に耳を傾けよ。聖堂騎士が何のために存在しているのか! 言ってみろ」
「そ、それは・・・法王様の守護であります」
「ならば、つまらない言い訳をする前にやるべきことを果たせ」
「ハッ! 解りました。法王様をすぐにでも探します!!」
聖堂騎士の隊長格の男性は恭しく敬礼し、自分の部下を伴いこの部屋より早々に去っていく。
行方不明になってしまった法王を探すという職務。
これを果たすために必死な彼である。
尤も、この聖堂騎士達は決して職務怠慢などしていない。
見つからないものは見つからないのだ。
そして、彼らなりに一生懸命捜索活動をしている最中なのだが、それを急に呼び戻されて、報告を求めてきたのがこの大司教である。
隊長格の男性は敬虔なノマージュ教徒であったが、それでもその心の内には大司教への罵りの言葉があったりする。
騎士からそんな無言の反発を買っている大司教は、この部屋に居残る人物に対して自らの憂いを伝える。
「能無しの聖堂騎士共め! アイツらは自分達の失態を全く理解しておらん!」
カンカンの大司教だが、これを収める声が続く。
「まあ、落ちつきたまえ。プロメウス大司教」
「これが落ち着いてられますか、ポアソン枢機卿。ヤコブ法王様が行方不明となり、その消息もつかめないとはこの公国の一大事ですぞ!」
「確かに一大事ではあるが、神託では『現状は命に別状ない』とも出ておる」
「枢機卿はそれを信じておられるのですか? その神託を言っているのが、あの聖女様ですぞ!」
プロメウス大司教の言葉には侮蔑が籠っていたが、ポアソン枢機卿は敢えてそれには気付かないようにする。
「プロメウス大司教が彼女の神聖を疑うのも解るが、我々は平和と融和を是とするノマージュ教徒。派閥が違うと言えども、神を信じる事が神への誓いでもある」
「その教えは大層理解しておりますが・・・あの聖女様は・・・枢機卿殿は甘いですな」
「いや、私が甘いのではない。君が厳しすぎるのだ。ラフレスタの乱では上手く行ったかも知れぬが、力で解決するのは我が神の望みではない」
神の教えを追求する宗教人としては正しい姿のポアソン枢機卿だが、これがプロメウスには歯痒く思う。
このプロメウスは、つい一年前まで神学校ラフレスタ支部の代表だった男。
神聖ノマージュ公国の隣国であるエストリア帝国。
エストリア帝国ラフレスタ領はゴルト大陸一、いや、世界一の学園都市としての地位があった。
そんな世界一の学園都市ラフレスタに神学校を設ける意義は、神の教えを広めようとするノマージュ教にとって、自分達の教育機関が世界有数の学校として認めて貰えるのと同義である。
そのような背景もあり、神学校ラフレスタ支部は本国の神聖ノマージュ公国直属の教育機関で、その代表は代々有能なノマージュ教の司祭長を任命してきた。
プロメウスもそんなエリートのひとりであったが、彼が赴任している間にラフレスタで発生した内乱、それが『ラフレスタの乱』である。
この内乱を鎮めた英雄達・・・その中にプロメウス達、神学校関係者の名前も列挙されている。
これを知った神聖ノマージュ公国の上層部は慌てて解放に加わった神学校関係者達を帰国、もしくは、公国へ召喚する事を決めた。
彼らを『英雄』としてエストリア帝国に渡したくなかったのである。
理由は明白であり、政治利用されたくなかったからだ。
こうして、プロメウスをはじめとした敬虔なノマージュ教徒達は公国へ呼び戻される事になる。
ただ呼び戻すのであれば個々人から不満が出るのではないかとの意見もあり、こうして、プロメウスはその時の功績を称えられて司祭長から司教を飛び越して大司教へ大抜擢されたという経緯もあった。
そんな大司教はその上司である枢機卿より『好戦的な人物』と評されているようである。
プロメウス自身もその指摘は解っていたが、彼としては危機的事態であるにも関わらず座して何もしない枢機卿の方が無能者として目に映っていた。
「解りました。それではこうしましょう。聖堂騎士に加えて、私の直属の部下を捜索に加えさせてください。法王様の御年齢の事もありますので、何かがあってからでは遅いのです」
「君の直属の部下かね・・・まあ、秘密裏に動くのであれば相手側を刺激しないだろう・・・」
ここでポアソン枢機卿から出た『相手側』という言葉。
それは自分達『法王派』とは別の派閥の事を示していた。
敢えてその事には触れず、プロメウスは事実だけを確認する。
「その言葉。許可は頂いたと理解しましたよ」
それだけを言い残し、プロメウスはこの部屋を後にする。
それからしばらくして、場面はアレグラの修道僧達が集まる一室へ移る。
「ハァー。面倒なことになりましたねぇ~」
集められたメンバーの中で遠慮なく愚痴を溢すのは可憐な白髪の修道女である。
そんな油断しきっている口を持つ修道女に、彼女の上司である老司教からお叱りの言葉が与えられる。
「こりゃ、キリアよ! 確かに面倒な事じゃが、思った事をすぐ口に出すではない」
「マジョーレ司教も本当は面倒な話だと思っているでしょう。下手に心を偽るのは神に対して失礼ですよ」
キリアは負けずに言い返す。
そんなふたりのやり取りは神学校ラフレスタ支部から続く風物詩であり、ふたりの間に違和感はない。
しかし、彼ら以外の人からしてみると、若い修道女と中堅クラスの司祭との会話としてありえないやり取りであり、これがある意味緊張感がない姿にも見えた。
「まったく・・・これが本当に教団組織のエリートなのかねぇー」
そんな緊張感の無いやりとりを見て呆れていのは、片腕しかない女剣術士シエラ。
開いた右手で濃い黄色の髪をかき上げる姿が凛々しい女性。
そして、そのシエラを宥めるのが、傍らに立つ司教エイルである。
「シエラさん、そんなに怒らないように。どうどう」
「コラーッ、エイル! 私を馬のように扱うな!」
憤慨する女剣術士シエラだが、怒られているエイルの方はニコニコとその笑顔を崩さない。
先程までキリアとマジョーレのやりとりを緊張感ないとしていたシエラだが、今、その言葉は自分とエイルにも当て嵌まっている事に気付けていない。
そんな面々の喜劇を見せられた神父のリュートは肩を竦めるだけだ。
「まったく、お前ら全員が緊張感ねぇーよ。それにしても濃い連中だ」
そんな事を評している神父リュートだが、彼こそ痩せこけた厳つい顔に細い眼鏡をかけており、この井出達は神職と言うよりも街のチンピラと称した方が良く似合う人物である。
そんな混ざりようのない濃い集団をここに集めたのがプロメウス大司教。
確かに個性的な連中だが、彼らが優秀な手駒なのは事実である。
いや、プロメウスはそんな自分の判断を信じたかった。
「お前達、黙って命令を聞け! もう一度言う。これは神聖ノマージュ公国の一大事であるのだから」
ここに集められたのは、消えた法王を探すためにプロメウスが選出した人達である。
そして、その特命チームとはこうだ。
マジョーレ…治療士として類稀な技量を持つ司教。
キリア…神学校ラフレスタ支部を首席で卒業した天才修道女。
エイル…南方諸国でノマージュ教の布教に腐心した若い優秀な司祭。
シエラ…南方諸国で著名な隻腕の客員女性剣術士。
リュート…過去、秘密裏に教会内の内乱を鎮めた実績を持つ不良神父。
「・・・であるからして、汝らは内密に失踪した法王様の捜索をして貰う。尚、これは教会内でも秘密行動だ。そのため表立った支援はできない・・・そして、『聖女派』を絶対に刺激しないように」
そんな面倒な指示を彼らに飛ばすプロメウス。
これを聞いたキリアは・・・やっぱり面倒な話だと、今度は心の中だけで呟くのであった。