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第十七話 フランチェスカの旅(其の三)

 私達はスタムをなんとか脱出して、隣国の神聖ノマージュ公国へ入る。

 まるで犯罪者のような逃亡生活だが、その直後に私は犯罪者だったと思い直す。

 ラフレスタの乱でエストリア帝国の帝皇に弓引いた事実は正に『罪』であり、地方都市の為政者に私達を討伐対象とする大義名分を与える余地など大いにあるのだ。

 貴族同士の足の引っ張り合いなど政治の世界に生きる私にはよく解る。

 そう言う意味で考えると、フィッシャーはどうしてこんな割の合わない取引をしたのだろうか。

 私という商品は重荷こそあれ、利など無い筈なのに・・・

 そんな考えに没頭していると末妹が私の顔を覗き込んで来た。

 

「フラン姉様・・・大丈夫?」

「ああ、ヘレーナ・・・私ったら・・・いや、なんでもないわ」


 私は末妹からの気遣いの言葉に思わず謝りで応えてしまったが、その後、どうして私が謝る必要があるのかと思ってしまう。

 私には生きる気力がない。

 未来なんてもうない。

 そう思っていた。

 だけど、最近の私はそんな自分が辛いと感じている。

 底なし沼でもがく自分の姿を想像して、誰かに助けて欲しいと願い始めている。

 生きる気力が無い私の筈なのに・・・どうして?

 どうして、私はまた生きたいと思い始めたのだろうか。

 落ち込み悩む私を気遣ってくれる末妹に、どうして、申し訳ないと思い始めたのだろうか。

 誰に? 誰に私は救いを求めているのだろう。

 フィッシャーに?

 ・・・そんな事は認めたくない。

 信じたくもないが、それでも・・・

 そんな私の心の葛藤を感じたのは末妹のヘレーナ。

 血のつながった姉妹だから、私が悩んでいる事などよく解るのだろう。

 

「ねぇ、フラン姉様・・・フィッシャーの父様が言ったあの(・・)言葉って」

「・・・」

「私達を『好きじゃない』って言っていたけど・・・ホントかなぁ」

 

 私もその言葉が心に引っ掛かっていた。

 フィッシャーの父から出たあの一言・・・


――「好きでもねぇ女を妻にするなんざ、女性が第一としているクレスタ家の家訓からしても最大の罰だ!」


 これは恐らく本当の事なのだろう。

 粗暴に見えるフィッシャーの父だが、今、思うとあの男は嘘を吐く人間には見えない。

 クレスタ家の保身だけを考えるならば、あの時に私達をスタムの貴族に差し出せばそれが良かったのだから。

 もし、私が逆の立場ならばそうしただろう。

 己の心に生じた良心の呵責(かしゃく)を『貴族の責務』だと言い訳して・・・

 しかし、彼の父は私達を逃がす事を選択してくれた。

 恐らく、今は投獄されている可能性が高い。

 投獄など家名に傷をつける行為であり、貴族としてあり得ない選択をしてくれた人だ。

 そんな人を蔑むほど私の心はまだ落ちぶれていない。

 そう思いたい。

 

「さあ・・・解らないわ」

 

 それでもこの時、私の口から真実の言葉を出さなかった。

 それがラフレスタ家の令嬢としての『意地』というものだろうか?

 それとも・・・

 

 そんな自分の心の小ささを感じていると、私達に話しかけてくる存在がひとり現れる。

 

「お客様達。最近のエストリア帝国ではローブ姿が流行っているのですか?」


 揚々な笑顔で話しかけてきたのはこの宿の女主人である。

 

「・・・」


 そんな友好的な笑顔を見せる女主人に、私達は急に口を噤んでしまう。


「あらら? 警戒させてしまったかしら。そんな意図はないのだけれども」


 女主人は私達を見て、これはあまり話しかけると拙いと感じたようだった。

 そんな気遣いの姿を目にして、私は逆にフゥーと息を吐く。

 末妹だけではなく、宿屋の主人からも気を遣われてしまうと言うのは・・・やはり自分は気を張り過ぎているのだと結論付ける。

 

「いいえ・・・私達は別に、ふつう(・・・)の人間なのですから、話しかけられて困る者ではありません」


 私は自分達が犯罪者ではないと自己正当化したかった。

 ローブのフードで顔を隠しているが、これは自分の顔を晒さないため。

 額にある醜い傷を隠す以外の意味はない。

 そう自分に言い聞かせて、『ふつう』という単語を選択したが、こんな暑い最中いつでもローブのフードで顔を隠す女性なんて怪しいと思うに違いない。

 しかし、ここの女主人はそんな私をこれ以上追求しなかった。


「大丈夫ですよ。私もこの商売を永くやっていますので、お客様の為人はなんとなく解りますから。お客様達が悪人ではない事もね」

「・・・」

「尤も、少し事情はありそうですけど、細かく詮索しないことも、この商売を永くやる秘訣です」


 そう言うと女主人はコロコロと笑う。

 私は少しホッとした。

 今、私達がいる食堂の空間で他の客が居なかったのも幸いだったのかも知れない。

 

「それにしても、先週、エストリア帝国から来た男女のお客様もローブのフードで顔を隠していましたから、最近、あちらの国ではそういうのが流行っているのかと思っただけです」

「私達以外にも・・・そうすると、ここにはエストリア帝国からの旅人も多く来るのですか?」


 末妹ヘレーナが口を開く。

 元来、おしゃべり好きな性格の末妹。

 私の強張りが取れたので、発言の許可を得たと解釈したのだろう。

 

「いいえ。エストリア帝国の旅人がこのディレル村に来る事は珍しいです。交易での往来ならばユレイニと首都アレグラを結ぶ南海沿いの街道を好んで使いますしね。街道から外れたこの村に来る目的なんて、村外れにある教会ぐらいです。それはノマージュ教の熱心な信者ぐらいでしょう。ちなみに先日来られた男女は信者でなく、普通の旅人でしたが・・・」

 

 女主人が言うように、このディレル村の教会は少しだけ有名でもある。

 村の外れにある教会は規模が小さいもののノマージュ教の聖地のひとつらしく、巡礼で訪れる人も多いと聞く。

 ノマージュ教の信者でもない私が何故そのようなマイナーな情報を知るかと言うと、それはかつて身近な存在にこの事を良く知る人物がいて・・・いや、この話はよそう・・・


「その教会に行っているのよねぇ、フィッシャーとセバスは・・・夜まで戻れないかもって言っていたし・・・」


 ヘレーナの言うとおり、フィッシャーとセバスは今朝からこの教会へ出かけており、この教会に所属する神父のひとりがクレスタ家と親交があり、今回の支援者になってくれると聞いていた。

 そんなヘレーナの言葉に女主人も同意を見せる。


「お客様の旦那様が教会に行かれたのならば、帰りが遅くなる事は確定ですね。何せ、あの教会は人を待たせるのが好きですから。教会の規模の割に巡礼者が多すぎるのも問題なのですが・・・」

「やっぱり・・・」


 ヘレーナそう言って、つまらなそうな顔になる。

 最近、この末妹はフィッシャーに対して遠慮なく物を言うようになった。

 前からも変わらない?

 確かに他人からはそう見えるのかも知れないが、私には解る。

 この末妹はフィッシャーに対して徐々に心を開いているのだ。

 あの「好きじゃない」発言を聞いて以来、そんな変化がヘレーナに起きていた。

 末妹が今何を思っているのかは聞いていない。

 聞く必要もないと思っている。

 彼女は彼女。

 私は私。

 もし、フィッシャーの事を彼女が好きになれば、それはそれでいい。

 そう強く自分の心に言い聞かせる。

 

「それならば、お客様達は暇になりますね。ただの留守番なんて退屈でしょうに」

「私達は別に構いません。待っていれば、それだけで良いのですから」


 そんな事を言う私に宿の女主人は首を振る。

 

「それならば、観光に行っても大丈夫でしょう。この村は平和そのものです。治安も良いし、女性ふたりで歩いていても襲われる事なんてまずありません。ここには教会以外にも『妖精の泉』という観光名所があって・・・」


 そう言い女主人から私達に『妖精の泉』と呼ばれる場所の観光を勧められてしまった。

 

 

 

 

 

 『妖精の泉』は宿を出て三十分ほど歩いたところにある。

 草原にポッカリと出現する円形状の泉で、それはエメラルドグリーンの美しい泉だ。

 ここには涼しい微風が常に吹いており、暑いゴルト大陸の南側で涼の取れる貴重な場所でもある。

 初めは行くのを躊躇していた私達だったが、それでも今は来て良かったと思う。

 ここを『妖精の泉』と名付けた人の気持ちも良く解る光景。

 この清々しい風景は架空の生物である『妖精』が住んでいてもおかしくない、と思えたほどだ。

 可憐な風景に心が洗われる。

 

「フラン姉様、『妖精の泉』は一周できるようです」


 末妹も(はしゃ)いでいるのは、私と同じくこの美しさに心を打たれているからだろう。

 

「そうね。他の観光客もそうしているようですし、私達も一周歩いてみましょう」

「やったぁ!」


 笑顔のヘレーナ。

 そんな姿を見られて、私も少しだけ気分が良くなった。

 まるで、心の奥に溜まった膿をちょっとだけ吐き出せたかのようだ。

 こうして私達は『妖精の泉』を一周する小道を進む。

 小道なので他の観光客ともすれ違うが、軽く会釈して互いに道を譲る光景は観光地ならではだ。

 なので、ここですれ違う人は互いの顔がよく見えてしまう。

 私は自分の額の傷を相手に晒さないようローブのフードを深めに被り直し、歩みを進める。


 

 そんな私だったが・・・しかし、ここで私は会ってはいけない人に会ってしまった。

 どうやら運命の神は私の心を弄ぶのが好きなようである。

 


「え!? フランチェスカ・・・様」


 相手の男性からはそんな予想外の言葉が漏れて、驚き顔になったことも良く解った。

 そして、私は・・・とても驚いたが・・・それ以上に言葉が何も出てこない。

 時間が止まってしまった。

 そう表現するのが一番似合っていた。

 

「フラン姉様どうしたの? って、お前はリッツ卿!」


 相手の顔に気付いた末妹は怒気が籠った声で相手の男性の名前を告げられる。

 そう、この男性は『ハミルトン・リッツ』。


 私が結婚する筈だった男性の名前である。


 そして、今の彼がこの場で私の姿を見て大きく狼狽しているのも解った。

 相手は私がフードを深々と被っていたとしても、すぐに解るのだろう。

 何故なら、それほどに抱き合った男性であり、何度もキスをした相手。

 互いに愛を説いた異性なのだから・・・

 そして、彼は敬虔なノマージュ教信者である。

 巡礼に来たのだろうか?

 いや、それだけじゃないと思う。

 何故ならハミルトンの傍らに見知らぬ女性が居たからだ。

 

「ハミルトン、どうしたの?」


 その女性はハミルトンに身体を密着させて歩いていた。

 それはまるで彼氏彼女のような関係で・・・実際にそうなのかも・・・いや、もしかしてそれ以上の関係なのかも知れない。

 私はいろいろ勘案しながらも、このとき自分がどのような顔をしていたのか認識できていない。

 しかし、この目の前のハミルトンが大きく狼狽していた事から、私の顔が決して愛情溢れる顔で彼を歓迎していなかったのは事実なのだろう。

 そんな客観的な思考の中で、ハミルトンが言い訳をしてきた。

 

「ち、違うんだ。僕は君を裏切った事など無かった・・・だけど、僕の親や周りが赦してくれなかったんだ」


 ハミルトンは私との結婚解消の言い訳をしてきた。

 そんな言い訳なんて・・・私は聞かされたくなかった。

 あれほど愛していたアナタの口から・・・そんな言い訳なんて聞きたくないの!

 親や周りの反対が何だと言うの?

 私達の愛なんて、そんなものだったの?

 私の心からは、そんな身勝手な怒りの言葉が次々と沸いてくる。

 しかし、それを実際に口から発する事は無かった。

 私の誇りに掛けて、そんな弱音を今の彼には見せたくなかった。

 この時に私の口から放たれたのは次の一言だけである。

 

「そちらの女性は?」


 妙に冷静な私からの誰何に、ハミルトンは何も答えてくれなかった。

 代わりに答えたのはその相手の女性である。

 

「アナタこそ誰よ。私はハミルトンの妻になるミッシェルよ。婚前旅行でこのディリル村に来たの。同じノマージュ教同士、ここの教会で神前婚を挙げる予定なの」

 

 美しい金髪を靡かせてそう答えるこの女性。

 ハミルトンとの愛を疑わない帝国美人。

 かつての私のように・・・

 

「・・・そう」


 私はそれだけを短く応え、ローブのフードを開ける。

 久々に白日の元へと晒された私の素顔。

 蒸し暑いローブのフードから解放された私の長い髪は泉の風に乗りサラサラと舞う。

 そして、この時、私の額の大きな傷も遠慮なく相手に晒してやった。

 

「ヒッ!」


 女性は私の顔を目にして、そんな悲鳴を漏らす。

 ハミルトンの顔の強張りも、少し強くなったのが解った。

 どう? 醜いでしょう?

 酷い顔の女でしょう?

 しかし、私はもう弱くない。

 

「ハミルトン・リッツ卿、結婚おめでとう。私はアナタの結婚を心から祝福してあげますわ」

 

 笑顔の無い声でそんな祝辞を述べてやった。

 

「あ、そうそう。私の事は心配しなくて結構です。何故なら、私も結婚しましたので・・・・・・英雄とね」


 それだけを短く言うと、私はくるりと(きびす)を返す。

 

「さぁ、ヘレーナ。戻りましょう、我が夫の元へ・・・」

 

 そんな捨て台詞を吐いて、私はローブのフードを開けたまま歩みを再開する。

 後ろからは末妹がついて来るのを感じたが、ハミルトンとその妻になろうとしている女性が私の後をついてくる気配は全く感じられない。

 追いかけてもくれないハミルトンに大いなる失望を感じながらも、それでもこれが何かの終わりであると身体が感じていた。

 

 

 

 

 

 その夜、フィッシャーとセバスが宿に戻ってきた。

 

「いゃー、参ったぜぇ、探していた神父のヤツが居なくて。どうやら首都アレグラまで行かなくてはならなそうで、って!!」


 私はそんな呑気な言葉を漏らしているフィッシャーの胸に飛び込む。

 彼を掴んで離さない・・・そして・・・

 

「う・・・うぐ・・・わぁーーーん」


 私は泣いた。

 大泣きに泣いた。

 まるで子供のように泣いた。

 どうしたんだ? と困惑するフィッシャー。

 ここはセバスや宿の女主人、他の客の目もある食堂であったが、私はいっこうに構わない。

 そんな涙に溢れる私と、それを黙って受け止める少し困った様子のフィッシャー。

 そして、その後ろの末妹からはフィッシャーに対して叱責の言葉が聞こえてくる。

 

「フィッシャー。アンタ、こんな時ぐらいちゃんと胸を貸してあげなさいよ。だって、アナタは私達の夫なんでしょ!」

 

 それでもフィッシャーはしっかりと抱いてくれない。

 本当に情けないヤツだ。

 そんな情けない男だと思うけども、私を捨てたあの男よりも信頼できる。

 この時の私は、そんな男に縋りたいと思ってしまう。

 

 

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