第十五話 最期 ※
バンッ!
次々と発生する断絶感に苛まれるミール。
「嫌だ。嫌だ。アーク! 行かないでぇーっ!」
アークと自分のつながりが益々弱くなる中、彼女の悲痛な叫びは続く。
しかし、そんなアークとミールのつながりを断ち切る行為は止まってくれない。
(あの女が、アークを、アークを奪っている!)
そんな事しか考えられないミール。
白魔女がアークに仕掛ける度に、ひとつ、また、ひとつとリンクを確実に切られていたからだ。
(あの女めぇ! これは、まるで公開しての睦み合い・・・それを私に見せつけてぇぇ!)
ミールは白魔女を恨む。
白魔女を呪った。
忌々しいほどに淫らな行為で自分から彼を奪っている女だからだ。
そして、その事に何も対処できない自分。
自分など、白魔女の魔法に捕らわれて、只、空中をグルグルと回されるだけ。
彼の全てが奪われているというのに・・・それを黙って傍観させられている。
(なんて残酷な女! なんて非道な女なのよ!)
自分がハルからアクトを奪った事など棚に上げて、現在の状況を強く嘆く姿はミールの本質をよく示していた。
自分勝手で自分本位。
愛を注がれた経験が圧倒的に少ないから、自分から愛を奪われる事に過敏なミール。
しかし、本人はそんな事など気付けない。
この時のミールは憤激と嫉妬に支配されていたし、彼女の脳裏には自分が現在までやってきた事など既に棚の上である。
そして、アークと白魔女のふれあいが最高潮に達する。
互いに刺激し合い、そして、天にでも昇って行くような気持ちを惜しげ無く晒して・・・
「や、やめてーーーーっ!」
ミールの危機感は最大限。
彼女は最大限の叫びを発してみたものの、その直後に一番大きな断絶音が彼女の心の中に響く。
ブチーーーーン!
そして、急に浮遊を感じた。
それは白魔女の強力な魔法も切れて、空気の檻が強制解除された事。
その結果、自由落下したミールは激しく地面へ打ち付けられる。
ドンッ!
「ギャーーー、嫌ーーーっ!!!」
地面に叩き付けられた衝撃と痛みにのた打ち回るミールだが、この時のミールが痛いのは落下による衝撃だけではない。
心が痛い、心が痛いのだ。
そして、その痛みの原因となった人物を見てみると、白魔女の息も荒いが、それでもアークと抱き合っていた。
彼女らは互いに恍惚と愛情に溢れる表情・・・
特にアークのその表情を目にしたミールは・・・絶望してしまう。
「あぁぁ、駄目。どうして? どうして、そんな幸せそうな顔をしているの! 私にはそんな顔を見せて貰ったこと無いのにっ!!」
ミールがそんな言葉を発した直後、己の心の中で闇が広がって行くのを感じた。
一時はアークと触れ合うことで収まっていた『嫉妬』の暗黒色が、心の中に再び広がる。
「アーク、行くな! こっちに戻ってこい!」
しかし、その声は届かない。
ふたりは抱き合って、互いの存在しか感じていないようだ。
「駄目よ。アーク、私に・・・私のところに戻って来て・・・お願い!」
ミールから愛の要求をしても、アークからは無反応。
それは彼が支配から脱しているから。
次に、白魔女はアークに得体の知れない黒い仮面を被せようとしていた。
ミールは直感的に、それは絶対に駄目だと思う。
あの仮面をアークに被せてはいけないと思った。
「アーーーク!」
強く叫んでみたものの、それこそ無駄。
アークは全く抵抗せずに白魔女から黒仮面を受け入れて、そして、黒い何かへ変身して行く。
自分から益々離れて行くアーク。
ミールは、もう、どうする事もできない。
「あぁぁぁ、駄目。アーク、お願い私のところに帰って。お願い、私とつながって!」
そんな懇願の籠った必死の叫びに、黒くなってしまったアークがようやく気付いた。
彼はミールの方を向いて何かを喋ろうとしたが、それを白魔女が止める。
その行為をミールはとても気に入らない。
「アーク、私よ。私がここに居るのよ! お願いだから、お願いだから~!」
ミールは手を伸ばすものの、それに応えようとするアークでさえ、白魔女が阻んだ。
それでもミールは心の支配で再び強制的につなげようする。
彼女から心から赤い触手のようなものが伸びて、アークとつながろうとしたのだ。
バシーン
パーーーン!
バシーン
パーーーン!
しかし、ミールの赤い触手は黒い何かによって阻まれてしまう。
その黒い何かは、アークの身体の外側を覆う鎧のような魔力。
その魔力は明らかにミールの赤い触手を敵視している。
そして、ミールは白魔女がそんな自分を見て笑みを浮かべているようにも思った。
勝ち誇った彼女の顔が、自分を見下していると思った。
その白魔女からの言葉はこうだ。
「無駄よ、ミール。アナタからの支配はもう通じない。アクトはもう『漆黒の騎士』になった。これで『美女の流血』の魔法薬はまったく効果なし。現在の彼を支配できるのは真実の愛の力だけなのだから」
訳の解らない勝者の宣言に、ミールは大いに反発する。
「うるさーーい! 勝ち誇りやがってぇ。私はそんなの認めないぞっ! アークは私のモノ。私もアークのモノ。返せ。私のアークを返せぇーーーっ!」
そんなミールの必死の叫びに反応するのはアークだ。
黒くなってしまっても、やはり私のアークだとミールは思った。
「ハル・・・」
アークが黙って何かを白魔女に懇願する様子であったが、それが何であるかミールに理解はできない。
そんな白魔女は何かをアークから得たようで、ふぅーと息を吐く。
「・・・アクト、解ったわ」
そして、白い魔女はミールを少しだけ睨みながらも、交渉をしてきた。
「ミール、アナタが仕出かした事を私は到底容認できない・・・できないけれども、アクトからは赦してやれと言われている・・・私は・・・私はアクトの意見を尊重しようと思うわ」
それでもこの白魔女の眼の奥には炎が宿っているのをミールは見逃さなかった。
白魔女の言葉は決して、決して彼女の本心ではないとミールは悟る。
「だから、ミールも自分のやったことを反省して頂戴。もし、反省の心が本当に芽生えていれば、私は・・・」
「煩い。黙れ! この上位者気取りの魔女野郎っ!」
ミールは白魔女からの交渉を断ち切る。
全てが有利な立場の状態で交渉されるなど、絶対に碌な結果にならないに決まっていると思う。
ミールは自分が負け犬になるのも我慢ならないし、アークを独占するのは私だけだと思っていた。
私だけなの・・・と。
「お前なんか信じられるかっ! アークを返せ、アークを返せ! アークよ、私とつながれーーーーっ!」
ミールは赤い触手を一際大きく振り回す。
彼女の心から伸びた赤い魔力の触手が一際大きく広がった。
もう誰でも良い、誰かが私とつながって、私を強くさえしてくれれば・・・そんな願いのミール。
そして・・・
ガシャン!
・・・どこかで何かとつながった。
それは、ミールの「つながりたい、連れ戻したい」という強い願望の具現化。
そして、その直後・・・ミールは『何かに貫かれた!』と感じてしまう。
「ミール、貴女が反省する姿を見せてくれるならば・・・」
赦してやる・・・そんな言葉を述べる寸前にミールが暴れ出してしまい、白魔女のハルはそれを制する事ができなかった。
ハルは本当に赦す事も考えていた。
それは、アクトがそう望んだからである。
自分の男を奪った女を赦すなど、彼女の中で正気の沙汰ではなかったが、それでもアクトの意思を尊重した形だ。
それほどまでにミールの心はアクトに愛を求めていた。
アクトも、そんな不遇なミールの境遇を救ってやりたいと思っていたし、その情が沸くぐらいミールに対しても親身になっている。
これまでミールと過ごした日々は支配を脱した今でも記憶に残っていたし、アクトがミールに向ける優しさは本物だった。
だから、ハルは無理やりにでも自分の心を納得させて、ミールに降伏と反省を勧めたのだ。
しかし、ここでミールは素直に応じなかった。
「アクト、駄目。ミールは私の言う事を聞かないわ」
「解った。俺からも説得・・・く、支配の触手か!」
ミールから放たれた赤い触手型の魔力の塊。
もし、これに捕らわれてしまえば、また支配されてしまう。
アクトは正しい自分を維持するために、ミールからの支配の触手に抗う。
魔力抵抗体質の力を用い、ひとつひとつ自分に迫る触手を撃ち落とした。
それはミールからすると拒絶する姿にも映ったのだろう。
ミールの心が泣いているのはアクトにも解った。
しかし、アクトも無碍に支配される訳にはいかない。
ミールを大切に想う気持ちもあったが、それ以上に強制的にそう想わせられるのは御免であった。
そんなアクトにミールはなりふり構わず支配の触手を振り撒く。
それは「誰でも良いから自分に力を貸してくれ」・・・そんな気持ちが魔力に乗り、暴れている大蛇のようである。
普通ならば、そんなものなど一時的な魔力の暴走、無駄なエネルギーの暴走で終わる筈だった。
しかし、ここで彼女の願いに呼応する存在がひとつ現れてしまった。
カシャーーーン!
一際大きなつながりの音が発生して、死んだ筈の老人の目が光る。
「アクトーっ!」
あり得ない状況に素早く気付いた白魔女のハルが叫んだ。
同時に異常を感じたアクトであったが・・・今回は間に合わなかった。
ドンッ!
低い音が響き、そして、ミールの胸から鋼鉄の刃が生える。
「えっ!?」
一体何が起こったのか理解できないミールの声であったが、そんな彼女の言葉が、この世で発した最期の言葉となる。
彼女は後ろから槍で心臓を貫かれたのだ。
そして、その直後に彼女から大量の吐血・・・
ミールは死んだ。
「ミ、ミーーーーーーーーール!」
突然のミールの死。
アクトはそれを受け入れられず、大きく叫ぶ。
しかし、今のアクトは黒仮面を被っていた。
黒仮面による強化魔法で、彼の高度な知能や思考力は大幅に加速されている。
大いなる悲嘆と信じたくない事実とは別に、冷静な状況分析が並行して脳内で進められていて、彼女の死が確実である事を脳の別の部分からアクトに示していた。
そんなミールに即死級の危害を及ぼしたのが、鋼鉄の槍である。
その槍を投げたのが『牙王』。
アクトが先程殺害した筈の敵の王である。
(牙王は確かに心臓を貫いて殺した筈なのに・・・どうしてだ!?)
そんな疑問の消えないアクトだが、実際の牙王は復活を果たしていた。
その顔に薄笑いが浮び、眼が薄紫に光っている。
まるで死霊使いの術によって操られた亡者の姿とよく似ていた。
(誰かに操られているのか?)
そんな考えがアクトの心に一瞬浮かぶ。
これに対し、牙王は意気揚々としていて、自分の復活が余程嬉しかったのだろう。
「フフフ、フハハハ、ムハハハ 奪ってやったぞ。貴様に俺の女は渡さない。ワハハハーーッ!」
勝ち誇った嘲笑を挙げる牙王。
アクトの耳にはそれが不快な音に聞こえた。
「牙王、どうやって復活を・・・いや、今はそれはいいだろう。それよりも何故ミールを殺した? 彼女はお前にとっても大切な存在だった筈なのに!」
「大切・・・そうだ。俺は王である。強い国を作る必要がある。何故なら俺の治める国が強いからだ。強い民衆を、強い子孫を作らなくてはならない。それが王の役割。俺の野望・・・ミールは貴様という兵器を持つ。だからミールは強い人間。強い人間は俺の国からは一歩も出さぬ。お前には渡さぬ」
「ふざけた事を言うな! お前はもう死んだのだ。今、動いているのも死霊術か何かだろう。生者の臭いがしないぞ」
「俺が死んだ? それは違う。俺は生まれ変わったんだよ」
牙王はそう言い、自分の首に掛けられた銀色のネックレスを手に取る。
それから紫色の魔力が発せられており、明らかに怪しい魔道具。
魔力感覚に敏感な白魔女のハルが目を細めてその牙王に質問する。
「そのネックレスは何かしらね? かなり邪な魔力を感じるんだけど? 一体誰に貰ったのかしら?」
「これは神父に貰って・・・ムム、魔女め! 俺に怪しげな術を掛けたな。その手には乗らん!」
牙王はここで気付く。
白魔女から自白の魔法が掛けられていて、危うくこのネックレスを貰った人間の正体を暴露するところだったのを。
「あら残念。もう少しでそのネックレス・・・アナタを支配している黒幕が誰であるかが解ったのに」
「俺を支配だと? そんな事はあり得ん。俺は最強の国の王。砂漠の牙の『牙王』だ。誰にからの支配も受けぬ。何故なら、俺が支配してやる立場なのだから!」
「・・・駄目ね。この人、もう言っている事が支離滅裂なのよ。どうやらあまり精度良い魔道具じゃないみたいねえ、そのネックレスは・・・」
白魔女は呆れて、この蘇った牙王からはこれ以上の知性は無いと断言する。
そんな白魔女の結論はこの亡者を怒らせるだけに作用した。
「魔女め! お前も殺して犯してやる。俺の国で一生奉仕をさせてやる。孕んで男が生まれれば奴隷。女が生まれれば、それをまた犯す。グフフ」
嫌らく下品に笑う牙王。
白魔女を殺して、その死体を犯す自分の姿を想像して、下品に笑っていた。
亡者として思考力が大幅に低下している彼であったが、自分の欲望だけが強く残っている。
だから、こうなった。
そして、牙王はそれを実行すべく、白魔女に向かって槍を思いっきり投げる。
ブーーン
力強く投げた槍は風を切る勢いであったが、そんなもの、仮面の力で強化されたふたりには何の脅威にもならない。
ガンッ!
槍は白魔女に届く前にアクトの魔剣エクリプスによって両断された。
そして、そのアクトは怒っている。
牙王が汚したのは白魔女ハルの威厳、そして、この愚王には生前のミールの身体を穢した罪、理不尽にミールの命を奪った罪、魂を奪った罪がある。
「俺はお前を赦さないっ! 理不尽な運命に晒された人達の魂に、あの世で詫びろ!!」
アクトは魔剣エクリプスに力を乗せて突進する。
ここでアクトは無意識にやったが、彼が魔剣エクリプスに乗せたモノは大量の自分の魔力である。
普段、魔力抵抗体質者として振舞っているアクトはその体内に多量の魔力を内包している。
彼がここで乗せたのはそんな魔力の海とも言える自分の力の一部。
だが、それは一介の魔術師ならば気絶してしまうほどの莫大な魔力であった。
その大量の魔力に呼応して、魔剣エクリプスの刀身の朱の部分が輝く。
刀身の突撃を朱い軌跡を残して追従するその光景は、まるで夜空に流星が輝く尾の如くである。
そして、一閃した。
ブン!
ガッシャーッ!!
黒仮面のアクトの魔剣が、亡者となった牙王に炸裂する。
牙王も負けじと新たな槍でこれに対抗しようとするが、アクトの破壊力は桁違いだった。
魔力の乗った黒い魔剣の衝撃は牙王の槍をいとも簡単に粉砕した。
そして、その魔力は牙王の本体に迫る。
「ぬおおおおぉぉぉぉ! こんな事があっていい訳がぁ!!!」
ドーーーーーーーーーン!!!
膨大な魔力は圧倒的なエネルギーの奔流。
牙王の必死の叫びと紫色の魔力による抵抗もあったが、そんな事など一瞬である。
アクトの一撃は魔法を分解する魔力抵抗体質の力と、純粋な破壊力を有した魔力エネルギー。
その両方が複雑に混ざり、圧倒的な力の濁流が発生した。
この力が作用して、牙王の復活を支えていた魔道具のネックレスは一瞬のうちに破壊される。
アクトの攻撃による衝撃はそれだけでは止まらず、牙王の上半身に炸裂。
亡者として復活を果たした牙王であったが、この暴力的な魔力の衝撃の前には何の役にも立たない。
こうして、牙王の胸より上が完全に破壊された。
そんなアクトの攻撃の余波は、謁見の間の壁面に衝突するが、それさえも簡単に破壊して貫通。
ゴォーーーーーーッッ!
魔力の塊は頑丈な牙王城の岩盤を貫き、大穴を開けて、空へと一直線に伸び、そして、彼方へと消えて行く。
残されたのは牙王だったモノの死体――下半身だけが残された。
こうして、牙王は二度目の死を迎える。
そんな敵の姿にほとんど興味を示さず、アークはミールだけに駆け寄る。
彼にとって牙王など三下の雑魚であり、大切なのはミールの安否。
「おい、ミール。起きろ! 冗談だろっ!」
彼女を揺さぶるアクトだが、ミールからは一切の反応はない。
アークの冷静な部分が彼女の死を知っていたが、それでも必死に呼びかけた。
ここでも奇跡が・・・起きることもなく、心臓を貫かれて大量に出血した人間が蘇る筈もなかった。
それを正しく知る白魔女ハルであったが、彼女もここで敢えて厳しい現実の指摘はしない。
「う、うう・・・ミールぅぅぅ」
やがて、アクトから涙が漏れた。
体温が失われて、徐々に冷たくなっていく彼女という存在が、彼の心を苦しめた。
ミールの下僕となり一箇月ほど彼女と深い関係になっていたアクト。
支配の解かれた今となっても彼女と触れ合った記憶はすべて残っている。
「ミール・・・お前が俺に求めていたのは救いだった。忌まわしい運命に翻弄されていた自分を救って欲しいと言うお前の願い・・・それを、俺は、俺は・・・それに応えてやりたかった・・・なのに、どうしてだ!」
アクトの嘆きの言葉の意味は白魔女のハルにも痛いほど解る。
彼は過去にも不幸な事故によって最愛だった女性を失っている。
自分の愛する女性を失ってしまう恐怖。
それはつまり、アクトもミールのことも・・・
(その先の言葉は私から言えない・・・それでも、アクトの気持ちは本当だったわ)
白魔女のハルはそんな想いを心の中で囁き、自分もアクトがもし別の女性に奪われれば・・・激しい嫉妬の心が自分にある事をここで認めた。
愛とは・・・どうしてこれほど罪深いのだろうか・・・正と負の感情が隣合っているのだろうか?
そのような答えの出ない疑問が、ハルの心の中に浮かんでは消えて、浮かんでは消えてを繰り返す。
このような状況・・・黒仮面のアクトが骸のミールを抱いて咽び泣き、そして、後ろに、白魔女のハルが黙って立つ姿がしばらく続く。
やがて、ようやく異変を察知した兵達がこの謁見の間にやって来た。
牙王より『近付くな』と命令されていた彼らであったが、黒仮面のアクトが最後に放った攻撃はさすがに無視できなかったようだ。
「牙王様ーっ! ご無事でしょうかーっ えっ!? うわーーー!!」
熟練の兵士がそんな悲鳴を挙げるほどに、この謁見の間は凄惨な殺害現場となっていた。
惨殺された十人の女性達と、上半身が吹き飛んだ牙王だったものの死体。
そして、破壊された壁や地面も酷い状態。
大量に吐血しているものの綺麗な死体などミールぐらいであり、大の大人が戦慄を覚えてしまうぐらいの殺人現場であった。
しかし、彼らも訓練された精鋭兵。
怪しい仮面の男女がこの殺人現場の犯人である事ぐらいは容易に推理できた。
「取り囲め! 生かして帰すな・・・いや、生かして捕らえろ。こいつらが牙王様を!」
そんな兵達の報復の言葉に、黒仮面の眉がピクッとなる。
「貴様らぁーーっ! 牙王の仲間かぁーーーっ!」
黒仮面のアクトが彼らに向かって左手を向ける。
「アクト、止めなさい!」
アクトの力に気付いた白魔女ハルだったが、彼女は止めようとして、間に合わなかった。
ここで黒仮面の左手から濃密な魔力が放たれて、それが黒い塊となり兵士達に直撃する。
「何だ、これはっ!? ギャーーーッ!」
その黒い塊は兵士達を容易に吹き飛ばし、そして、壁に当たり、グチャリ、という音がした。
攻撃を受けた兵士達の叫びが一瞬で終わる。
何故なら、この者達は壁と黒い魔力に挟まれて、グチャグチャの肉塊に変わっていたからである。
まるで重い岩にでも挟まれたような圧死。
アクトの圧倒的な魔力と黒仮面による実体化魔法が発動した結果である。
闇属性とも呼ばれる魔力の実体化による攻撃。
結果、一瞬にして数名の命が飛ばされてしまう凄惨な死に方であった。
死んだのは、この場に詰めかけた兵の一割にも満たなかったが、それでもこんな理不尽な殺害を目にした多くの兵達は言葉とともに戦意を失ってしまう。
そして、この力に一番衝撃を・・・というか固まっていたのはアクト自身であった。
ここで唯一冷静だった白魔女だけが言葉を発する余裕があった。
「アナタはまだこの力を制御できていないわ。それに今のアナタの心も正常と呼べる状態ではない。ミールを奪われた怒りがアナタの心の中で暴れ回っているの。その怒りを、この兵達にぶつけるのは、間違った力の使い方よ」
白魔女のハルはそれだけを言うとアクトの手を引いて、玉座の後ろ側――アクトの空けた大穴に飛び込む。
タッタッタッ、ダーン
こうして、ふたりの仮面の男女は大穴から外へ脱した。
そんな逃亡行動を、数舜後に理解の追い付いた兵の長がハッとなる。
「ま、待てーっ!」
彼は慌てて、その大穴から逃げた仮面の男女を追うが・・・大穴から首を出し、そして、ふたりの姿を探してもその姿はどこにも見当たらない・・・
彼の目に映ったのは、赤い夕焼けに染まるオアシスと、その先に延々と続く砂の風景だけであった・・・