第五話 トリスタ家
帝都ザルツはその中心に帝皇の居城とその一族が住む広大な居住区があり、それと隣接している西側には帝国の中央政府の行政地区がある。
ここには政治・経済・軍事・教会など多数の中枢となる機関が集まっており、文字どおりエストリア帝国の中枢である。
そして、ザルツ中央より北側にはそれらの政府機関に関わりを持つ貴族の住む居住区となっており、それが所謂『貴族街』という地区である。
帝都ザルツはエストリア帝国の首都であるため、貴族街も帝国一の規模と栄華を誇っている。
実力ある貴族ほど広大な敷地を持ち、荘厳な屋敷に住むのだ。
その中で中規模の邸宅・・・それが現在のトリスタ家の立場を名実ともに示していた。
上流過ぎず、かと言って下流でもない地位が現在のトリスタ家なのである。
その屋敷の一室で、ローリアンは今日の衣装をどれにするかを迷っていた。
「ねえ。これはどうかしら?」
「ローリアンお嬢様、それはたいへん良くお似合いですよ」
トリスタ家に長年仕えるメイドはローリアンの選んだ衣装を見て、これならば問題ないと太鼓判を押す。
白い清楚なドレスは麗く貴族らしい婦女を表現しつつ、メリハリのある彼女の身体の良さをもアピールできる抜群の衣装だと思ったからである。
このメイドはローリアンを幼い時より知っている。
幼少期から見た目の麗しい女性だったが、今日のローリアンは今まで以上に輝いて見えた。
それもその筈。
今日はローリアンの伴侶となる人物が相手側の親も伴って初めてトリスタ家に来るのだからだ。
所謂、婚約の挨拶であり、ローリアンを着飾るメイドが張り切るのも無理はない。
「ローリアンどうかね? 準備は進んでいるかな?」
ドア越しにそう問いかけるのは彼女の父であるフレイズ・トリスタ。
現在のトリスタ家の当主であり、彼女の実父。
「お父様、もうすぐ終わりますので、じきに参りますわ」
ローリアンは焦る父親にそう言い聞かせて、自分も早く終わらせねばならねばと思う。
「そうか、解った。イベリッカもベリオも既に準備が終わっている。全員が応接の間で待っているから、早くしなさい」
「解りましたわ」
落ち着きのない父親にローリアンは了解の旨を伝える。
父が焦るのも無理はない。
いや、緊張しているのは父だけではないだろう。
母のイベリッカも、兄であるベリオも同じかそれ以上に落ち着きが無い筈だ。
自分の相手となるアラガテ家・・・それは、自分達が所属する魔法貴族派でも相当上位に位置している貴族だからだ。
貴族であっても、いや、貴族だからこそ身分の差というものは、ある種の超えられない大きな壁でもある。
魔法技能にそこそこ実力のあるトリスタ家だが、貴族としての格は中流程度である。
そんなトリスタ家からアラガテ家へ嫁を出す事など、普通に考えれば夢のまた夢のような話である。
母のイベリッカから「一体どんな手を使ったのか?」と真剣に聞かれたぐらいである。
ローリアンとしては別に家名でフィーロとの婚姻を決めた訳ではなく、純粋な愛による結果であったが、それほどに戦果を上げた娘をトリスタ一家はとても喜んだのだ。
少しの時間をおき、ローリアンが応接の間へ赴くと、予想に違わず緊張の面持ちで一家が総揃いしていた。
期待よりも緊張の色が濃い家族の姿を見たローリアンだが、自分はフィーロに早く会いたいと思う気持ちの方が強く、ひとりだけ幸せオーラを出し続けているのであった。
しばらくして、アラガテ家の馬車の到着を知らせる一報が応接の間へ届けられた。
当主であるフレイズ・トリスタは大急ぎで玄関に駆け出す。
相手側であるアラガテ家当主に失礼があってはならないからである。
彼の些細な努力が実り、馬車が完全に館の玄関に到着する前に、なんとか出迎える事ができた。
門を通過したところで連絡するよう執事に命令していたが、彼は良い仕事をしたようだとその仕事ぶりに一定の評価をするフレイズ。
やがて、従者により豪勢な馬車の扉が開かれてアラガテ家の嫡男が姿を現した。
「フィーロ!」
ローリアンは愛しの彼の姿を見つけると、彼に駆け寄り抱き着く。
「おお、ローリアン。今日は一段と綺麗だな」
そこにはいつもの飄々とした彼の姿はなく、余所行き用の澄ました顔だったが、ローリアンは『この姿もまた良いわ』と思い、デレデレとしてしまう。
フィーロとて有力貴族の嫡男であり、高貴で礼儀正しい姿は幼少期の教育により完璧に熟すこともできる人間だ。
このときのフィーロの姿を見たトリスタ家の人間は、「この彼ならば大丈夫」と大いに安心したりする。
そんな将来の婿の登場であったが、馬車の奥からはその婿の父が姿を現す。
今年で齢六十となるフィーロの父、ラディル・アラガテ。
魔法貴族派の重鎮アラガテ家の当主だ。
存在感のある彼の姿を見たトリスタ家に緊張の色が走る。
「フィーロよ。こんなに美しい娘を嫁に貰えて嬉しいのは解るが、はしたないぞ。こちらは相手の親もいる。わきまえよ」
「父様・・・申し訳ございません。浮かれておりました」
厳しくそう言うラディルにフィーロは少し間をおき頭を下げて、そして、ローリアンを解放する。
ローリアンは物足らなそうな顔をするが、これにトリスタ家は大いに恐縮する。
「いえいえ。はしたないのは我が娘の方です。御見苦しところお見せして申し訳ございません。私がトリスタ家当主のフレイズと申します」
「うむ。出迎えご苦労。我はこのフィーロの父であるラディル・アラガテである」
ラディルは堂々と自分の名と家名を告げる。
フレイズも恭しく頭を下げて恐縮しつつも彼らの来訪を歓迎した。
「ようこそおいで下さいました、アラガテ様。ささ、こちらにどうぞ」
フレイズの案内により、ラディルはトリスタ家の屋敷へと入るのであった。
応接の間へ移動した彼らは貴族らしく長くてくどい挨拶と自己紹介を終える。
そんな緊張の面持ちがまだ消えないフレイズは相手の親であるラディルに早くも本題を切り出すことにした。
「今回は、御高名なアラガテ家との婚姻の希望を娘より聞いた時、私は本当に驚き、そして、今でも我が耳を疑っております・・・本当に、その・・・よろしいのでしょうか?」
「貴卿がそう卑下する事もあるまい。本人達が一緒になることを希望しているのだ。親としてその婚姻を祝福してやるのが務めであろう」
ラディル・アラガテがそう述べたのは親として全うな意見だが、それは家名を重視している名門アラガテ家では異例中の異例であったりする。
貴族同士の婚姻は互いの家の格式が重要であり、本来ならばトリスタ家よりも遥かに格上であるアラガテ家と婚姻が成立するは貴族の常識からするとあり得ないのだから・・・
しかし、今回特別に許可を下した理由についてはこの後ラディルの口より述べられた。
「それに、今回は互いに運良く『ラフレスタの英雄』として称えられている。ふたりの婚姻に異を唱える者など存在せぬよ」
そう、ローリアンとフィーロはラフレスタの英雄として大々的に祭り上げられているために現在の貴族界で話題の人なのである。
そんな彼と彼女との婚姻を阻む理由は乏しく、また、ラディルとしても半ば勘当に近い形で実家から飛び出したフィーロが英雄となって帰ってくるなど計算違いだったりするのだ。
それに加えて、ラディルは他の考えもあった。
「私はこの若いふたりの婚姻を認めよう。フレイズ・トリスタ殿も同意見でよろしいかな?」
「元より我々に異論などございませぬ。我が娘をよろしくお願いいたします」
こうして、ふたりの婚約が確定した瞬間でもあった。
フレイズはここでようやく安心し、大きな息を吐く。
彼の娘であるローリアンも一抹の不安はあったが、ようやく自分の希望どおり事が進んだことで、歓喜のあまり涙ぐみ、フィーロはそんな彼女の肩に優しく手を置く。
幸せオーラに包まれるトリスタ家の応接室。
そんな温かい雰囲気の中で、ラディルの目だけがギロリと光る。
「ときに、フレイズ・トリスタ殿。ここでふたりだけで少々話させて頂きたいのだが、如何かな?」
一方、同じ頃、トリスタ家の屋敷より少しばかり離れた小高い丘に佇む巨大な屋敷の一室では重い空気に包まれていた。
「なんだと! 奴は私への協力をしないというのか!」
上等な衣服を身にまとった壮年の貴族男性は自分に宛てられた手紙を荒々しく床に投げ捨てる。
相当な怒りを露わにしているが、それが最近のこの男の日常になりつつある。
「あなた。落ち着いて」
「煩い!」
長年連れ添った妻の言葉も現在の彼の耳には届かない。
それほどに苛立つ男性の名はジェイムス・ケルト伯爵。
エリザベスの実父で、エストリア帝国貴族界の重鎮であり、魔法貴族派の派閥当主、そして、ケルト領の領主でもある。
尤も、ケルト領の運営は自分の従弟に丸投げしており、自分は帝都ザルツに居を構えて、首都で貴族トップ同士の政治的な調整を行う役割・・・それが彼の主な仕事だ。
今も来月に行う派閥内の重要な議案に関する協力依頼を別の有力貴族にしたのだが、相手側から断る旨の連絡が来て怒っている。
「あ奴めぇ、今まで散々と面倒を見てやったのに、この私に恩を仇で返すのか!?」
ジェイムスが怒るのも無理はない。
この手紙を出した相手とは、今までに散々と甘い汁を吸わせてやった相手だったからだ。
自分の派閥の力を使って、彼に有利に働くよう税の使い道を変えてやったというのに・・・
こちらからの要求は果たさないと通告が来たのだ。
しかも今月に入りこれが三例目。
全てが違う案件、違う相手から来た手紙だが、こうも続くと、最早に原因はひとつしか考えられなかった。
「やはり、ラフレスタの一件が響いているのか・・・」
ジェイムスが苛立ちながらそれを口にしたのは、自分の娘が仕出かした衝撃的な事件によるものであった。
『ラフレスタの乱』
約半年前、帝都ザルツ領近くのラフレスタ領で発生した反乱事件である。
首謀者はジョージオ・ラフレスタ卿とジュリオ第三皇子、そして、それを後ろで操っていた獅子の尾傭兵団とされている。
その獅子の尾傭兵団は隣国ボルトロール王国からの差し金だという噂もあるが、確定していない。
そんなジュリオ第三皇子に仕える形で協力していたのが、彼の娘であるエリザベスだった。
エリザベスはジュリオ皇子の側近として立ち、ラフレスタ解放を望む英雄達と戦ったとされている。
最終的には英雄たちの活躍によりラフレスタの乱は鎮まったが、これで自分の娘は完全に敵役となってしまった。
エリザベス自身は薬物で心を操られていたので、実際には被害者でもあったが、そんなことを世の中は認めてくれない。
一瞬でも帝皇に弓引く存在となってしまった事実は帝国貴族として致命的な汚点となってしまったのだ。
先日も「娘に一体どんな教育をしているのか」とラディル・アラガテ卿より嫌味を言われたぐらいだ。
(くっそう! 自分の息子が英雄になったからと調子に乗りよって!)
沸々と怒り心頭のジェイムスに妻から言葉がかけられる。
「あなた。エリザは悪くないわよ」
「解っている!」
娘の事を庇う妻の言葉に即答する。
ジェイムスも自分の可愛い娘に責任があるとは思っていない。
思っていないが・・・何とかしないと、貴族としてのケルト家の対面が保てなくなる事も理解をしている彼であった。