第十一話 牙王の狂気 ※
今のミールは重厚な扉の前にいる。
ここは牙王城で最も格式高いと言われる部屋――謁見の間――その前室である。
屈強なふたりの衛士が守るその部屋で、ミールは委縮してしまっている。
贅沢な部屋を与えられた直後、寛ぐ暇もなく召使達によって運ばれてきた軽食類を摂り、そして、湯浴みを受ける。
身体も召使達が洗ってくれる。
まるで金持ちの令嬢にでもなったような好待遇で、ミールとしてはやめて欲しいと思ったが、召使曰く「牙王様に会うのならばそれ相応の恰好にしならなければならない」との弁で、されるがままのミール。
そして、彼女が普段でも着ないような白いフリルのついた可愛らしいドレスを着せられて、現在に至っている。
砂漠の女性としては珍しく白っぽい肌色のミール。
そんな生足が覗く衣装であり、白くて細い脚が彼女の愛らしさを強調していた。
しかし、そんな初々しい姿を目にしても、ここを守る屈強な衛士のふたりは眉ひとつも動かさない。
そして、何かの合図を貰ったのか、威圧の彫刻と化していた衛士が一斉に動きを見せて、ミールの両脇に移動し、槍の石突きで地面を一突き。
ガン
その音にビクっとなってしまうミールだが、そんな事をいちいち衛士は構わない。
そして、彼らが口を開く。
「牙王様の準備が整った。特殊部隊『蟲の衆』のミール。謁見の間への入室を許可する」
衛士の大きな声が響いて、謁見の間に続く重厚な扉が開けられた。
いろいろな迫力に圧倒されるミール。
噂では、特別な功績を出した者は牙王様との謁見が叶うと聞くが、それが突然やって来たらしいのだから緊張するのは当たり前。
自分が示した特別な功績など・・・特に思い当たらなかったが、それは今から聞けばいい。
ミールはそう思い直し、重くなった足を無理やり前へと進めて謁見の間に入る。
謁見の間には一段高くなったところに立派な玉座がひとつあり、そこに立派な髭を蓄えた男がひとり座していた。
その男は年老いても威圧を発しており、これが『牙王』であると一目で解る。
解る・・・のだが、それ以上にこの男からは別の恐怖を感じてしまうミール。
何だろう・・・
その恐怖の正体が解らないミール。
それでもミールは・・・
(だ・・・ダメ。私、この人、ダメ・・・)
彼女の遠い記憶の中で、この人物の事を知っていると感じていた。
それは怖い男である、生理的にそう感じた。
そんな恐怖に歪んだミールを見た牙王はニヤリと笑う。
「お前がミール。『蟲の衆』の蜘蛛・・・ミールだな?」
「・・・ハイ」
牙王からの確認の言葉に、そんな短い受け答えしかできないミール。
しかし、当の牙王はそれで満足した。
「蟲の衆のミール。お前がここに呼ばれたのは特別な報奨を与えるためだ」
「ほ、報奨ですか?」
牙王の言葉にそんな疑問のミール。
彼女からしても、そんな特別な成果を出した覚えはない。
「そうだ。お前達も入ってこい」
怪訝な表情を続けるミールを他所に牙王は次の指示を飛ばした。
そうすると、現れたのは豪華な装いに身を包む十人の女性。
代わりに、ミールの背後を警護していた衛士が退く。
そして、現れた女性は牙王の両脇に五名ずつ整列し、そして、一斉にミールへ眼を向けた。
その瞳にはそれぞれ・・・歓迎、興味、侮蔑、挑戦、妬み・・・様々な女の感情が映っていた。
そんな十人の女性の中で最も年長者と思わしき人物――オリアニータが口を開く。
「我らは牙王様の妻『牙王の十人』」
牙王の十人・・・それはミールも噂で聞いた事がある。
牙王を支える十人の女性の存在。
ある者は先住民の一族の娘。
ある者は秀でた魔術師。
軍務や武芸が達者な者もいる。
彼女達が砂漠の国の要職に就き、影からこの国の政治を回している・・・
有名な噂だが、あくまで噂である。
決して表の政治の世界には出てこない彼女達。
ミールは仕事上、国の要職に就く男性の存在を時々見かける事もあった。
ミールの上司であるガイツも特殊部隊『蟲の衆』の指揮者として活躍しているが、彼とて砂漠の国では上から数えた方が早い支配階級人である。
そんなミールも初めて見た。
『牙王の十人』など都市伝説だろうと思っていたが、本当に実在していたとミールはこの時に知る。
その十人へ牙王から指示が出された。
「オリアニータ、ミールの功績を説明せよ」
「ハッ」
オリアニータは齢を重ねていたが、それでも凛々しく牙王の命令に応える。
そんな彼女は資料を片手にミールの経歴を簡単に説明する。
「特殊部隊『蟲の衆』のミール。最近の活動としてはエストリア帝国の首都ザルツに侵入し、三年間の諜報活動を終えています。ガイツの指揮の元、魔法時計の研究室に研究補助員として潜入し、いくつかの研究成果を奪取しました」
彼女はそう言うと水晶玉に魔力を込める。
そうすると、簡単な魔法で予め仕込まれていた光魔法が起動。
光の魔法で投影された映像にはゼーリック・バーメイド研修室での成果が映し出されており、いくつかの魔法時計の基礎研究装置が投影されていた。
「ミールの奪取した情報は既に我が国の鍛冶師へ提供しております。これが今後どのような有益な商品に発展するかは、鍛冶師にかかっているとも言えるでしょうが・・・」
オリアニータの報告は簡素にまとめられていたが、特段するアピールポイントが無い成果報告でもあった。
牙王はそれをあまり面白く無さそうに聞くだけである、
「うむ。ご苦労だったミール。お前が収集した情報は我が国を強くする・・・か、どうかは鍛冶師次第だが、まずはよくやったと褒めて遣わそう」
牙王がこれらのミールの働きをあまり評価していないのは、ありありと解る。
他の女性達も同じ事を感じているようだ。
「へん。この程度で報奨されるなんて、身贔屓も良いところよね!」
「メニヴェ、黙っていなさい! ここは牙王様の御前よ」
オリアニータはここで口を挟んだメニヴェという女性をキッと睨む。
対するメニヴェは被りを振るだけだ。
普段からあまり仲の良くないこの十人なので、ある程度は仕方の無い話だが、それでもここは牙王の御前、意を正すようにとオリアニータが無言の圧力を加えた。
そして、ミールがここに呼ばれたのはそれだけじゃないと説明が続けられる。
「以上報告したのは、ミールがガイツより与えられた命令を遂行した結果です。そして、今回はこれ以上の成果がありました。それは諜報長のキヨから説明をして下さい」
オリアニータから説明を引き継いだのはキヨと言う名前の女性。
目元が細く、狡賢そうな印象を与える女性であった。
そんなキヨは蛇のように舌を出して唇を軽く舐めてから説明を始める。
これは彼女の癖のようなものであった。
「ミール。アンタは芋虫から面白いモノを受け取ったわよねぇ~」
意地悪くそう聞くキヨ。
絶対に何か知っていると思いつつも、ミールはとりあえず肯定しなかった。
あの美女の流血の模倣品の件はガイツにも報告していない。
それを喋ってしまえばアークの素性も詳しく話さなくてはならない。
彼の正体はアクト・ブレッタであり、エストリア帝国の英雄である。
そんな大物を意のままに操る自分を知られれば、とても面倒な話に発展する。
面倒事を嫌うミールは、結果、アークの事もザルツで知り合った男友達という事にして、クスリの存在は隠していた。
「へへへ。その顔は、隠していたのに何で知っているんだって顔だよねぇ~ いいねぇ、そんな顔見たさにこの仕事を続けている私にとっては最高の報酬さぁ。ケケケ」
キヨは意地悪く笑う。
キヨがこの秘密を知っているのは、彼女の部下がいい仕事をしたからだ。
他人の秘密を暴露するのが彼女の趣味でもあるため、この瞬間が楽しくて堪らない。
「『蟲の衆』も、私の部隊『秘密諜報部』の監視対象よ。何人も牙王様に秘密事なんてできないのさ!」
そんなキヨからの言葉を受けて、明らかに狼狽するミール。
しかし、キヨは構わず本題となるその先の話を続けた。
「ミールは芋虫から開発途中の『美女の流血』を模倣した魔法薬を受け取った。この『美女の流血』は万人を意のままに操ったとされる例の魔法薬さ。ラフレスタやクリステの乱で大量に使われたので、その効果を改めて説明するまでも無いけどねぇ。ボルトロールから流れてきたクスリって噂だけど、詳しくは何も解ちゃぁいないのさ。そんな面白いものを帝国が複製研究しているなんてのもねぇ」
キヨからの報告を聞いて、ミールの顔はどんどんと青冷める。
「それを受け取ったミールが素直に砂漠の国へと持ち帰ってくれば、これだけで特別報奨ものだと思うけど・・・どういうつもりなんだい?」
「・・・何が、でしょうか?」
「私が聞いているのはどうして使っちまったんだって聞いているのさ。もう残りなんてないのだろう?」
「・・・」
答えに窮するミール。
確かに自分は当初、フランツから受け取った『美女の流血』の模倣品を砂漠の国に持ち帰る事にしていた。
しかし、彼女は使ってしまった。
それは仕方の無い話。
戦闘中の事故のようなモノであったが、それで彼女はふたつのモノを得たのだ。
ひとつは自分の命。
もうひとつはかけがえの無い彼。
アークの事をこの場で言うのは・・・と迷うミールだが、それは牙王に見透かされていた。
「そのクスリを使った相手とはアクト・ブレッタだ。希代の英雄と評され、現在、エストリア帝国では最も有名な男」
「えっ?!」
牙王の指摘で、この場の反応はふたつ。
この情報を当然のように知っていた人物と、知らされていなかった人物である。
知っていた人物は牙王、オリアニータ、キヨの三人で、それ以外の人間は驚愕の表情で固まっている。
そして、ミールは・・・絶望の表情をしていた。
アクト・ブレッタとは、現在のエストリア帝国で最も有名な英雄であり、重要人物である。
そんな人物を勝手に拉致して砂漠の国に連れてきた事は、高度な政治問題に発展しかねない。
そんな最高機密情報を隠していた事は・・・牙王の逆鱗に触れる・・・そう思っていた。
きっと、怒りに身を任せて、極刑を言い渡されるのだろうと。
しかし、ここで牙王から出された言葉は違っていた。
彼は朗らかに笑い、ミールには家族にでも見せるような情を魅せていた。
それを見たミールは・・・本能的に全身の毛が逆立つ。
この時、言葉で表せない『恐怖』をこの男から感じたからだ。
そして、牙王からミールへ報奨が伝えられる。
「フハハハ。これはたいした成果じゃないか。これはとんだ拾い物だ。イールの娘に価値は無いと評価していたが、どうやら俺が間違っていたようだ・・・報奨として私の家族に加えてやろう。それは生前、お前の母――イールが最期まで望んでいた事でもあるからなぁ。ワハハハハ」
牙王の豪快な高笑いが謁見の間に木霊する中、様々な形の恐怖の影響で、ミールの顔は蒼白になっていた・・・
一方、こちらは場面が変わり、アークの通された客間である。
「アーク様、今度はこれをお食べになって下さい。アーン」
豪華な部屋に通されたアークはフカフカのソファーに身を降ろし、その両脇からはふたりの砂漠美人に挟まれている。
現在のアークは彼女達より歓待を受けて、豪華な食事接待を受けていたのだ。
ふたりの砂漠美人は女性の身体の起伏が解りやすい薄い布に包まれた美女である。
そんな彼女達は城の侍女と言うよりも遊女に近い存在のようだが、それでも、れっきとした侍女であり、オリアニータ直属の部下である。
そんな美女達があの手この手を使いアークを誘惑するのだ。
「アーク様、湯浴みをしましょう。長旅でお疲れの事でしょうから、いろんなところをゴシゴシとね」
「結構だ」
「アーク様、お身体をマッサージしてあげますわ。これでも私は上手いのですよ。いろいろところのコリを解すのは」
「結構だ」
「アーク様・・・・」
「結構だ」
奉仕の申し出を次々と断るアークだったが、彼女達も負けてはいない。
何十回の交渉の末、ようやく、食事の給仕という役で納得するアーク。
砂漠の豪華な料理をひとつずつフォークやスプーンで彼女達から食べさせて貰う接待が続けられいていた。
「アーク様ったら、盲目なのに、よく私達が食べさせるタイミングを解りますね」
「俺は剣術士だ。一流になれば、気配だけでだいたい解る」
「あら、そうなのですか・・・それならば」
女のひとりがふざけてアークに抱き付こうとしたが、それを察してさっと躱すアーク。
そうすると、もうひとりの女性とぶつかり、その拍子に持っていた飲物で自分の衣服を汚してしまった。
「キャッ!」
「アナタ、何しているのよ?!」
女のひとりが呆れてそう言うが、それでももうひとり女の行動は態とである。
これもあざとい女の戦略なのだ。
「あら嫌だわ。私ったら少し手が滑って・・・服を汚しちゃったじゃない」
服を汚してしまった女性はここで自慢の乳房を強調するかのように胸を張りアクトに迫る。
「あ~ん、アーク様がイケないんですよ。早く私の身体を拭いてくださいませ」
そう言ってアークを挑発した。
しかし、アークは近くの清潔な布を見つけては、その女性の汚れた衣服の部分をゴシゴシと拭くだけである。
そこに興奮の欠片はなく、ただ機械的に拭くだけの行動。
美女の挑発にいまいち反応の良くないアーク。
彼女達はそんなアークにどうしたらいいものかと互いに顔を見合わせる。
これでは、自分達の主人――オリアニータから請けた「アークを懐柔せよ」との命令を果たせない・・・そんな予感がしたからだ。
そして、案の定、ここでアークは立ち上がり、宴の終了を宣言する。
「むむ! 少し拙い状況になったようだ。俺はもう行く」
アークはそれだけ述べると、美女ふたりを放り出して、この部屋に唯一存在する出入口へと向かう。
「ああん、アークさん。勝手に出て行っては駄目よ!」
「そうそう。私達はアークさんを接待しないと怒られてしまいますから」
止めようとする美女ふたりに纏わり付かれたが、それでもサッと躱すアーク。
そして、戸口までに来たところで、異変に気付いた兵士が中に入ってきた。
「客人。これ以上の区域は行動を制限されている」
「そこを通してくれないか。俺は急いでいる」
「駄目だ。ここは牙王様の城である。許可なしの自由行動は許されない」
兵士は威圧を増した。
手にしている剣を少し抜き、険呑な気配を強くする。
彼なりの脅しだが、そんなものアークには利きすらしない。
「どうしてもか?」
「そうだ。もし、それでもここから出て行くと言うのであれば、叩き斬るぞ!」
「・・・そうか」
その直後にアークは手をブンと振り抜く。
「ブッ!?」
そんな擬音が、この兵士の最期の言葉になる。
アークが凄まじい速度で振り抜いた銀色の剣は、あっと言う間にこの兵士の首を切断した。
ちょん切れた首は宙を舞い、そして、アークの後ろにいた美女の手に収まる。
その兵士の男の顔の表情は驚きに固まっており、自分が死んでしまった事すら気付いていないだろう。
そして、思い出したように美女の腕の中で流血が迸った。
「い゛、キャーーーー!!!」
突然の生首とその返り血に染まる女性の金切り声が響く中、アークはもうこの部屋に用はなく、去る事にする。
彼にしても、ここで過ごした時間はまったくの無駄だったと感じている。
すべては自分とミールを引き離す工作であったとミールとの心のつながりから知りえた情報で結論付けた。
「ミール、待っていろ。今、助けに行くからな!」
そう言いアークは駆け出した。
彼が目指すのは牙王城の最奥に存在する『謁見の間』である。
感覚から最短距離を詮索するが、早くも自分に近付く気配を数名察知した。
異変に気付いた兵士であろう。
アークは面倒だと思うが、それでも、自分を救う女性にたどり着くまで、障害はすべて排除するつもりだ。
「多少、血生臭い事になるが・・・致し方ないか」
そう言うと銀色の剣に力を籠めるアークであった。