第十話 砂漠の牙
砂漠の国の中央に存在する一番大きなオアシス――そこにはこの砂漠の国の支配者が君臨している。
その名は『牙王』。
かつて、砂漠の国で一番の勢力を持っていた部族『砂漠の牙』の代表であり、三十年前に他部族からここを奪い取り、現在では名実共に『砂漠の国の王』として君臨する男である。
ここは広大な水を蓄えたオアシスであることに加えて、砂漠では珍しく大きな一枚岩の岩山がある。
その岩山をくり抜いた要塞。
それが牙王の住まいであり、この地の地名『牙王城』を示していた。
そして、このオアシス『牙王城』は牙王が信頼する者しか住む事が許されていない。
砂漠の国の支配層、役人、精鋭の兵士、そして、現在の砂漠の国の力の象徴となっている鉄の鍛冶師達、そして、彼らの身の回りを世話する者も加えて、総勢五千人がこの砂漠の国で最も大きな面積を有すオアシスの総人口であった。
広さの割にゆとりある人口で、まさに選ばれた者だけが住める特別区である。
そんなオアシスの入口にミールとアークがやってきた。
「牙王様から召喚命令のあった特殊部隊『蟲の衆』のミールよ」
入口を守備している衛士に自分達が召喚命令を請けていることを説明すると、ミール達はあっさりと中へ通された。
アークを無断で連れてきたため、もしかすれば入る際に多少揉めるかもと思っていたが、肩透かしを食らった印象だ。
ミールとしては無駄に時間を消費せずに良かったと思う反面、暗殺者としての勘が「何か変」とも言っていた。
そんな勘の中、珍しい事に入口すぐで自分の上司からの出迎えを受けた。
「ミールか! ご苦労。よく来た」
そんな声で彼女を歓迎したのはミール達特殊暗殺集団『蟲の衆』をまとめる立場にあるガイツ。
「ガイツ様こそ・・・わざわざ出迎えてくれるなんて・・・」
ミールはそう応対するものの、ここでガイツの顔が緊張していることに気付く。
「ガイツ様、どうしたの? 顔が少し強張っているようだけど・・・」
「い、いや・・・何でもない。そんなことよりもアプルテからの旅は疲れただろう。休む部屋を用意している。アークもこっちに来い」
ガイツはそう言って、ミールとアークをラクダが曳く馬車へ乗せた。
その馬車の内装は豪華で、王侯貴族が乗ってもおかしくないほどの立派な造りである。
「す、すごい!」
呆気に捉われるミールを他所に、ふたりが乗ったところで扉が閉じられる。
「え? ガイツ様は?」
すっかりガイツも同乗するものと思っていたミールだったが・・・
そして、馬車の室内には見知らぬ女がひとり。
その女はミールとアークが馬車に乗り、扉が閉じられた事を確認すると、御者に出発命令を出した。
「出して」
その短い命令は淀みなく実行されて、馬車はスムーズに動き出した。
それを静かに見送るガイツ。
そして、その馬車が彼の視界から消えた時、ガイツは一言ミールへ謝った。
「ミール・・・・・・すまない」
馬車はオアシスの中を進み、やがて牙王城の岩山へと入った。
岩山の中には岩盤をくり抜いた道があり、その道は馬車が一台進んでもまだ余裕の道幅。
そして、その内部をかなり登った所で馬車は止まる。
「さあ、ミールはここで降りなさい」
同席していた女は命令する。
乗車中に会話は無かったため、この女が何処の誰かはミールにも全く解らなかったが、それでも逆らってはいけない・・・そんな気がした。
ミールが黙って従い降りると、アークもそれに続こうとする。
しかし、それは女によって止められる。
「アナタは駄目よ」
そう言ってアークの肩を掴む。
アークは女の方を振り返らず、意識だけをミールに向ける。
(どうする?)
そんな心の会話が聞こえた気のするミールだが、ここで静かに首を横に振る。
「アーク、私は大丈夫だからその人の命令に従って」
「・・・解った」
アークはそう応えて、馬車の席に黙って戻る。
女はそれで満足した。
「利口ね。ここで争いを始めない事は正解だわ。もしも騒ぎを起こせば、牙王様が怒るから・・・大丈夫よ。そんなに睨まないで頂戴。従者の彼にも快適な部屋を約束するから」
女はそう言って馬車を降り、扉を閉めた。
その後、アークだけを乗せた馬車は静かに移動して、ミールの視界から消えて行った。
残されたのはミールとこの女だけになる。
女は自分について来るよう顎で合図すると、設えられた扉を開ける。
そうすると、そこには新たな廊下が続いていたが、造りが根本的に違っていた。
それは石造りの綺麗なタイルが敷き詰められていたからだ。
ツルツルのタイルで、歩くのが勿体ないぐらい豪華な造りの廊下であったが、その女は当然のようにそこへと足を踏み入れ、ツカツカと音を立てて歩く。
ミールも一瞬だけ呆気に捉われていたが、それでも自分の置かれている状況を思い出して、女の後を追う。
やがてしばらく進むと、その先にはもうひとつのドアがある。
女が扉の鍵を解除して、そのドアを開けると・・・その部屋を見たミールは思わず息を呑んでしまった。
それは、豪華な家具と足が沈むほどのフカフカな絨毯が敷かれた部屋。
部屋は明るく、窓には大きくて精巧なガラスがはめられており、そして、窓からは眼下にオアシスが一望できる立派な眺望があった。
これほど見事な部屋は・・・それはまるで王侯貴族が生活してもおかしくない豪華な一室である。
少なくともミールはそう思ってしまう。
「この部屋はあなたの部屋よ。牙王様の計らいなの。長旅で疲れているでしょうから軽い食べ物と湯浴みを用意させるわ」
女から淡々とそんな事を言われ、困惑するしかないミール。
それに気付いた女は短い挨拶をする。
「そうそう。私は砂漠の国の宰相オリアニータよ。これからもよろしくね。ミール」
「え・・・ああ」
ミールは一体どう応えていいか解らない。
何故、自分がこんな好待遇を受けるのか?
理由が解らなかった。
「それは意味が解らないって顔をしているわよね・・・でも今はいいわ。じきに牙王様から説明があると思うから・・・今はゆっくりしておいた方がいいでしょう」
それだけを伝えたオリアニータは部屋から出て行った。
とても豪華な部屋で、申し分ない待遇なのだが、それでもミールは不安を感じている。
それはオリアニータが部屋から出る際に、鍵をかけるのを忘れなかったからだ・・・
場面は変わり、ここは牙王城の最奥・・・牙王の私室。
薄暗いこの部屋の片隅で静かに酒を飲む男、それが牙王。
立派な髭と豪胆な毛髪に包まれた顔には覇気が宿り、年老いても、尚、彼の男の中に力が漲っているのは誰にも解る。
その牙王は自分の私室にも関わらず黙って入ってくる女へ視線を移した。
「オリアニータか・・・という事はアレが我が城に来たのだな」
「ええ」
主語の無い会話であったが、オリアニータは牙王からの誰何をすぐさまに肯定で返す。
それは、彼女は牙王が今、何を考えて、何を思っているか、だいたい解るからである。
何故ならば、牙王はオリアニータの夫だからである。
連れ添いの関係は既に三十年以上経過していた。
それ故に、彼の考えなどオリアニータはだいたい解るのだ。
「それで、どうだ?」
「・・・私に判断しろと?」
オリアニータは少しだけ不機嫌になる。
そんなオリアニータの様子を見て、牙王は逆に愉快になる。
「そうか・・・既に家族になっているお前にそんな事を聞くのも少し野暮だったか・・・フハハ」
「・・・」
「まあいい、それでは後ほど俺が判断しよう。我が家族に相応しい人物なのかをな・・・ワハハハハハ」
牙王の笑いは薄暗い石の部屋へ木霊する。
それが狂気の笑いであることもオリアニータには解っていた。
夫婦だから解る・・・
しかし、彼女の夫はこの男ひとりであったが、この男の妻は彼女ひとりではない。
そんな牙王の狂気がまだ続くのだと・・・それを思うとオリアニータの気は重くなるだけだ・・・