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第七話 暗殺者『蜘蛛』の物語 ※

 

「ねぇ、オババは大丈夫だった?」

 

 蛍からミールにそんなことが問われたが、それに答えるミールは少し疲れた様子だった。

 

「医者から命に別条はないって・・・でも、しばらく療養が必要みたい」


 それは診療所で言われた事だ。

 昨日の砂嵐で、オババも含めて多数の怪我人が発生していた。

 それは砂嵐に混じり鉄鉱石の塊が空から降ってきたからである。

 オアシス・アプルテでは初めての事であったが、実は砂漠の国で砂嵐に鉄鉱石が混ざる事はしばしばある。

 それはオアシス・アプルテより北側、もしくは、砂漠の東の奥地・・・辺境と呼ばれる地域に近付けば近付くほどそのような現象が起きる。

 普通、鉄鉱石とは地中や山の中の鉱山より産出されるモノである。

 しかし、この砂漠の国に限っては『鉄鉱石』とは、空から降ってくるものであった。

 勿論、これは普通ではなく異常現象だが、それが長く続けば人というものはそれを日常として受け入れるものなのである。

 そして、その鉄鉱石を集めて武器として精製することに成功したのが、現在の砂漠の支配者である『砂漠の牙』であった。

 一見すると、無限に空より沸いてくるこの資源は収拾するのにとても効率良いようにも思えるが、実は集めるのも命懸けだったりする。

 何故ならば、この不可解な鉄鉱石は降ってから一日以内に人の手によって集めないと、崩壊して普通の砂になってしまう特色があったためだ。

 どうしてそうなるのかは誰も解らない。

 しかし、砂漠の民はそういうものだと身体で理解していた。

 空から降る鉄鉱石を集めるために、砂嵐舞う現場に突撃する勇敢な狩人(鉱夫)の部隊が存在するぐらいなのである。

 しかし、それが降るのも普段はオアシスより随分と離れた場所である。

 今回のようにオアシスに鉄鉱石の嵐がやって来る事など、今までは無かった話。

 死人こそ出なかったが、不運にも鉄鉱石の直撃を受けて怪我を負った人間は多数出ていた。

 現在、そんな人達は診療所に集められて、集中的に治療を受けている。

 オババもそこに担ぎ込まれて、ミールは今しがたその診療所から帰ってきたところである。

 そして、ミールは不機嫌だった。

 

「まったく・・・死神のせいだ、死神のせいだ、って譫言のように・・・煩いのよ!」

 

 オババの意識は戻っていたが、ベッドから起き上がる事はまだできていない。

 しかし、その口だけは達者であり、今回の惨事が死神によってもたらされたものだと繰り返していた。

 なまじ高名な占い師として信頼されているオババであったので、その予言を信じている人間も多い。

 

「すべてをアークのせいにしやがって、あの糞ババアめぇ!」

 

 ミールが憤慨する理由はここにあった。

 今まで起こったことの無い厄災をすべて外の世界から来たアークに擦り付けている。

 そう思った。

 アークの事を、厄災をもたらす死神として流布しているのも気に入らなかったのだ。

 確かにオババの占いは良く当たるが、それでもミールはアークを死神として差し出す気にはなれない。

 やっと得られた心の底から信頼できる彼を差出すなど、今のミールにそんな選択肢はないのだ。

 

「それでも、今のオアシス・アプルテはアークの話題で持ち切りよ」


 蛍はそう言う。

 先程、蛍が顔を出した暗殺者組織の指揮所でもその話題で持ちきりだったからだ。

 それはミールにも予想できる。

 オババが診療所で口にした事が伝わる速さなど、こんな田舎のオアシスではあっと言う間なのだから。

 そんなイラつくミールに、蛍からは更に追い打ちが掛けられる。

 

「でも、最近私達の身の回りには悪いことが重なっているわよね。帝都では芋虫(フランツ)が捕まっちゃうし。入れ替りの潜入部隊も壊滅しているし。鎌切や陽炎だって砂漠で誰かに襲われて再起不能になったって聞くわよ。本当にミールはこれらの事に関わっていないの? アナタの身の回りばかりでそんな事が立て続けに起きている気がするのよ?」


 そんな蛍からの指摘に、ミールの目は泳いだ。

 

「し、知らないわよ」

「・・・そうなの・・・」


 余所余所しくそう否定する姿に、ミールは絶対何かを知っているのだろうと思いつつも、ひとまず蛍からこれ以上の追求は出なかった。

 それは蛍が直覚的に感じた事だが・・・ミールから真実を聞いたとしても、それに関われば絶対に碌な事にならない・・・そんな予感があったためだ。

 蛍は興味本位で聞いた自分を少し反省しつつ、この先どうするかを考えた。

 

「とりあえず、しばらくはアークを外に出さない方がいいわね。できれば、このアプルテから静かに出て行って貰う事をお勧めしたいけど」

「そのときは私も一緒に出て行くわ。虐げられたままこんなクソ田舎で暮らすぐらいだったら、アークと一緒に外で暮らした方が絶対に楽しいに決まっている」

「ミール、アナタって・・・」

 

 清々とそう言い切るミールに、蛍はアークという男性にのめり込み過ぎていると思った。

 

「ミール、アナタあまり本気になり過ぎてない? もう少し暗殺者としてプロ意識を持ちなさいよ!」


 蛍はそう注意を促してみたが、あまり効果はないだろうと・・・

 それほどまでにミールの顔はデレデレとしていたのだから。

 あのミールが?と思ってしまう蛍。

 それほどまでにミールのこれまでの半生は失意と不幸に塗れた人生だったのを知っている蛍。

 

「アナタ、変わったわね~」

「そ、そうかな」

「・・・まぁいいわ。とりあえずしばらくはアークを外に出さない・・・それでいいわね」


 蛍はそう言うと、部屋から出て行った。

 それと入れ替わりにアークが部屋に入ってくる。

 

「どうやら俺の事で迷惑がかかりそうだな」

「気にしないで良いわ。あの糞ババアの戯言だから」

「そんな言い方しない方が良い。あのオババという人物、ミールの育ての親なのだろう?」

「・・・ええ。でも、アークの事を否定するのならば、縁を切るまでよ」

「それは言い過ぎだ。ミールの本当の母親はもういない。だから、あのオババに引取られたのだろう。育てられた事に感謝すべきだ」

「言ってくれるじゃない。それに私の本当の母って・・・そうか。もしかして、その話・・・初めから知っていたのね」

「ああ。その情報は共有済みだ」


 悪びれることも無くそう答えるアーク。

 ミールは、もしやと思いながらも、それでもアークがこの事実を知っているのを確認するのが怖かった。

 しかし、今の言動で、どうやらアークはもう知っていたと悟る。

 一応、ミールがアークの心の中を探ってみれば・・・確かにそこにはミールの実の母親をアークは既に知っている記憶があった。


「まったく・・・アークには知られたくなかったけど・・・心の共有って厄介よね」


 ミールはそう嘆息する。

 彼女が魔法薬『美女の流血』の模倣品を使ってアクトの心を支配した際、『心の共有』の制御をハルより奪っていた。

 この『心の共有』・・・ハルとのリンクを切った直後、その接続が一瞬だけミールとアクトを強くつなげたのである。

 それは互いの情報がより強固に共有されるという意味だ。

 ミールは突然の情報流入に焦り、彼女側で接続を遮断してしまったため、アクト・ブレッタの多くを知る事は無かった。

 しかし、アクトの方はそうではなかったらしい。

 彼はミールの心の記憶の大部分を既に知っており、そして、その後に美女の流血の模倣品による支配が完了している。

 アクトはアークとして定着し、彼の記憶で都合悪い部分はすべて封印され、名前もアクトからアークになった。

 そうすると、ミールから許可なしの心のアクセスも遮断されてしまうため、無制限の心の共有(リンク)は継続せず、今へと至っている。

 だからミールは自分の過去を隠していた。

 まだアークにはバレていないと思い、自分の汚点だと思っていた実母の過去は隠したままだったのだ。

 アークはそんなミールの願いを叶えるために、知らないフリを続けていた。

 それが彼女のためになる。

 自分の仕える大切な女性のためになると思っていたからだ。

 

「まったく・・・アーク、アナタは・・・優し過ぎるのよ!」


 ミールはそう言ってアークを抱く。

 これは彼女なりの感謝である。

 

 こうして、彼女は自分の過去の記憶を振り返ることにする。

 自分がどうしてこんな不幸な人生を歩むに至ったのかを・・・

 

 

 

 

 

 

「嫌ぁ、止めて! この子を! ミールを殺さないで!」

 

 そんな必死の母の叫びを私は覚えている。

 これは私が年端も行かない時の記憶だろう。

 正確な場所や自分の齢なんて覚えていない。

 それでもこの時の恐怖の体験は今でも身が(すく)む思いがするから、強く記憶に刻まれているのだ。

 

「貴様がこんな出来損ないを生むからイケないのだ。折角、種を授けてやったと言うのに」

「止めてぇ、アナタぁ! この子を。ミールを殺さないでぇ!」


 母は私を必死に庇い、何度もこの男から刺される。

 血塗れの母だったが、それでもナイフを振り回すこの男・・・この怖い男が私の父なのだろうか?

 とても恐ろしい男だった・・・そんな記憶しかない。

 そして、朧気な記憶はここで暗転する。

 

 

 

 次の記憶はまた違う場面。

 父親らしき人物から襲われて数年後。

 今の私は母と二人暮らし。

 もう家にあの恐ろしい男はいない。

 私の命もどうやら助かったみたいだ。

 しかし、家には知らない別の男の人が居た。

 そして、母はその男に何を頼んでいる。

 

「どうかお願い・・・この子を一流の暗殺者にして頂戴」

 

 え?と思う。

 

「本当に良いのだな? 我々は一度引き受ければ、もう元に戻さないぞ」

「ええ、構わない。この国で成功するには暗殺者になる事。もうそれしかないの。それも超一流の暗殺者に・・・ガイツの元ならば、この子も立派になれるから」


(止めて。私はお母さんと離れたくない!!)


 そう叫びたかったが、ここで私が言葉を喋れる年齢には達していなかった。

 年端の行かない私にできることと言えば、泣く事だけ。

 赤子が駄々をこねるのと同じ。

 

(嫌だ。嫌だ!)


 そう叫ぶも、母からはこう言われるだけだ。

 

「ミール、立派な暗殺者になってね。そして、あの人に認めてもらうの。あの人に有益だと思わせる価値をアナタが示すのよ」


(嫌だ。嫌だ。嫌だーーーーっ!!)


 私の拒絶の涙は実る事無く、こうして私は母から引き剥がされた。

 

 

 




 私が言葉を喋れるようになったときは、もう暗殺者の養成所のようなところに入れられていた。

 ここは小さいオアシスだと思うが、正確な場所は解らない。

 私のような幼い暗殺者を育てる秘密の場所なのだろう。

 砂漠にはこうした小さいオアシスが点在しているので、その内の何処かだと思う。

 そして、今のこの場所には私を含めて五十人ほどの子供が集められていた。

 目的は私と同じ一流の暗殺者になるためだ。

 

「いいか。これからお前達は人を殺す。解っていると思うが、絶対に躊躇するな。迷えば死ぬのはお前達だ。狩られる前に相手を狩れ!」

 

 指導役の人からそう言われて一本のナイフを渡される。

 そして、私と数名は暗い部屋へと放り込まれた。

 その部屋の中には手足を縛られた男がひとり。

 男は私達を見て、ヒッ、と悲鳴を挙げていた。

 手足の自由が利かないことに加えて、私達が暗がりからナイフを持って現れた私達に恐怖したのだろう。

 私はどうしようかと躊躇していたら、隣の男子が男に飛びかかる。

 

「ギャアー、痛てぇーーー!」

 

 縛られていた男はその男子に刺されて悲鳴を出す。

 痛みでのたうち回るが、それを見て、刺した男子はニャッとしていた。

 

「ミール・・・ほら、お前も刺せよ。どうせこいつらは罪人だぜ。俺達が殺さなくても誰かに殺されるんだから」

「え・・・私、嫌だよ。ギャガは強いからできるんだよ。私は弱いし・・・」


 そんな躊躇を見せる私に男子はムッとしているようだった。

 

「情けねぇ事を言うんじゃねぇーよ。大丈夫だって。ほらぁ」


 男子にナイフを持つ手ごと握られ、そして、縛られた男の胸元にソレを突き刺す。

 ブスッという感覚があって、ズブズブと水の入った革袋のようなもの突き指した感覚。

 そして、その直後に何かが破裂した。

 

「ウビャーーーーーーーーーーーー!」


 縛られていた男はここで絶叫を挙げて死んでしまう。

 これが人間の急所――心臓を突き指した事によるものと知ったのは随分と後からだ。

 それよりも、ナイフを引き抜いたときに浴びた大量の血。

 それが私にとってショックだった。

 

「人間って・・・こんなに血があるの?」


 私の心は完全に怯えていたが、口からは恐怖よりも諦めに似た何かの言葉が漏れるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 私が十代の前半になると、養成所の場所は変わる。

 それはオアシス・アプルテと呼ばれる北の田舎町。

 この場所に移った理由としていろいろあるが、一番は幼少期を過ごしたあの小さいオアシスは一定の年齢までしか居られないらしい。

 そして、同じ時期を過ごした仲間達も半分しか残っていなかった。

 大半は厳しい訓練で死んでしまったのだ。

 

「いいか。死ぬのは、それは弱いからだ。生きる術がない奴は今日死ぬ。生きる気力がない奴は明日死ぬ。生きる努力をしない奴は明後日死ぬんだ。人を安易に信じるな。自分だけを強く信じろ。永く生きたければな!」


 とは、指導役だった人の口癖である。

 しかし、その指導役の人も一度任務とかで養成所を離れて、そして、戻ってこなかった。

 任務に失敗して死んだらしい。

 あんな強い人でも死ぬんだ。

 そんな過酷な現実を、私達に身を持って教えてくれた人だった。

 暗殺者とはそんな過酷な仕事。

 このオアシス・アプルテに移ってからも訓練は過酷になる。

 人を殺すのは当然として、裏切者の処刑もやった。

 一般社会に紛れ込むための教養も学ぶ。

 砂漠の国だって元々は犯罪者の集まりらしいけど、普通の人だって結構いる。

 社会を動かしいているのは大半がそんな普通の人達だから、そのルールが解らないと暗殺者としても潜入作戦で役に立たないと言われた。

 そして、魔物の事も多く学んだ。

 砂漠でそこら中にいる砂虫に始まって、石に擬態している魔物や(さそり)のように毒を持つ魔物とか。

 これらは人間にとって脅威だけども、それでもやはり動物。

 強者の理論で成り立っていて、自分が勝てないと思う相手には決して挑んでこない。

 魔物に接するには自分が強い事を示せば、それでよかった。

 それよりも、人間の方が厄介だと解ったのはこの頃だった。

 私は女だからという理由でときどき乱暴に扱われる事もある。

 恋とか純潔とかは暗殺者に不要な事らしい。

 これを不服に思い、この時の指導役に相談しても、「親からは既に許可を貰っている」と書類を見せられるだけであった。

 その書類を見て、このとき、私は実の母の名前が解った。

 この時から、私は自分をこんな境遇に追いやった母の存在を恨むようになっていった。

 

 

 

 

 

 

 オアシス・アプルテで生活するようになってしばらくすると、養成所に高名な占い師がやって来た。

 オババである。

 この時のオババは「占いでここにやって来た。運命の強い子がいる筈じゃ」と言い、私達は全員オババの占いの洗礼を受ける事になる。

 

「うむ。この子とこの子を貰っていくぞ」


 こうしてオババの目に叶った私ともう一人の女性――後に(ホタル)という通称名(コードネーム)が与えられる女性――が引き抜かれて一緒に暮らす事になった。

 このときから私達は一応、砂漠の国の巫女の候補になったらしいが、それはよくある事だと聞いていた。

 本当に最後まで巫女として残ることができる者はひとりだけらしい。

 そして、あくまで巫女(それ)はそれ、暗殺者(これ)はこれとして、オババの家から養成所に通う事となる。

 

 

 

 

 

 

 オアシス・アプルテで三年ほど過ごしたとき、この街にひとりの女がやって来た。

 その女は最近このオアシスにやってきた流れ者のようだが、ちょっとした有名人になっている。

 男を誘う商売をしているらしいが、その性格が少し変わっていたからだ。


「あの女は頭がおかしいぜ。金を払ったら『私は牙王のオンナだったからもっと寄越せ』って、莫迦じゃねぇのか!」


 養成所で唾を飛ばしてそんな文句を言うのはギャガである。

 若くて精力旺盛なコイツは最近オアシスの娼館にも顔を出すほど調子に乗っていると思う。

 私の隣に居た同居人も同じ事を思ったらしい。

 

「あらっ? ギャガったら娼館に行くほど溜まっているのぉ?」

「う、煩せぇ。蛍には関係ないだろう!」


 もうここで私の同居人である女性は暗殺者として、そして、男を誑かす高い技術を持っていた。

 その実績により、暗殺者トップクラスである『蟲の衆』の称号を貰っていたのだ。

 彼女の腕前にはギャガさえも恐れる存在らしい。


「それにしても、その女は頭がイカレテいるよね。牙王様の女が男を誘う商売なんかやっている訳ねぇーじゃん」


 私は何故か頭にきてそんなことを言った。

 いや、イラついていたのだろうか?

 その女がとても気になり、何故か心が落ち着いていられなかったのだ。

 今、思えば、この時に何かを感じていたのだろう。

 しばらくして、その原因が解った。

 

「おっ! あの女だぜ!」

 

 通日後、養成所での訓練を終えたギャガ達とオアシス・アプルテの街中を歩いていると、その女と偶然に遭遇をする。

 小さな街だから、そう言った偶然も偶然じゃないのかも知れないが・・・

 今日のその女は何処か余所余所しく、茶色の外套を深めに被り、アプルテの街を小走りに進んでいた。

 私は何故か胸騒ぎがして、この女のあとを付けることにした。

 私の尾行の後ろにはこの時一緒にいたギャガと蛍も付いてくる。

 私も含めて暗殺者の教育を受けているので、その技術が如何(いかん)なく発揮されていた。

 こうして、女は見知らぬ民家をノックすると、そのドアがそっと開けられる。

 女はその開いたドアの隙間にソッと姿を忍ばせて、やがてドアは固く閉じられた。

 厳重な建物のようだが、私達もプロの暗殺者、潜入など朝飯前である。

 さっと壁をよじ登ると二階の開いていた窓から侵入を果たす。

 慎重に屋内を進めば、その女は居間にいた。

 そして、その向かい側に座り、話を聞く男性の姿を目にして驚いてしまう。

 

「ガ、ガイツ様だ!」


 驚きを発したのは後ろから付いてきたギャガ。

 しかし、潜入訓練の成果によって声は発しない。

 口の形だけで私達にその驚きを伝えてきたのだ。

 器用なヤツだ。

 

「本当ねぇ。もしかしてここで楽しむのかしら?」


 同じく付いてきた蛍も口の形だけでそんな呑気なことを述べる。

 しかし、私の驚きはそこじゃない。

 この女・・・私は絶対に覚えていると思った。

 顔が逆側を向いているので確定まではしなかったが・・・それでも・・・

 私の鼓動は高鳴るが、今は黙って会話を聞こう。

 そう心に決めて、ガイツ様と女の会話に耳を立てた。

 

「・・・そうか、随分と苦労しているのだな」

「そうよ。彼は私やあの子に全然興味がないのも解っている。それでも諦められないの。私はまだ離婚したつもりはないわ」

「そうは言っても、あの男は・・・いや、ここでそれを言う訳にはいかないか」

「ガイツはいつもそうね。彼に甘い・・・私にとっては嬉しいけど」


 一体、誰の話をしているのだろうか・・・

 

「それはそうとあの子はどう? どこまで行ったの? 優秀な暗殺者にして欲しいのだけど」

「そうは言っても・・・お前の娘はまだ死んじゃいないが、暗殺者としての才能は中程度だぞ。大成するかどうかはまだ解らん」

「それじゃ困るわ。一流に育てないと・・・あの人の血が入っているのよ! 役立たずって思われちゃうじゃない!」


 女の語気は荒くなった。

 自分の娘の事を聞いている。

 この女は自分の娘を暗殺者に仕立てるのに、どうしてそこまで躍起なのだろうか。

 何を焦っているのだろうか。

 私の中ではもう半分ほど答は出ていたけども、それでももう半分がそれを認めたくなかった。

 

「一流の暗殺者って道もあるが、お前の娘は選定者としてオババのところに引取られている。巫女になる道もあるぞ」

「何よそれ! 話しが違うじゃない!! 巫女なんかに成ったら、一族が一生このアプルテで生贄になるのも当然だわ! 私だってまだ彼には愛されたいのよぉ!!」


 女は立ち上がって激しく抗議する。

 最近、オババのところに引き抜かれて、そして、残っているのは私と蛍だけ。

 つまり、この女が言っている「子」という存在は、私か蛍のどちらかだ。

 振り返って蛍の方を見ると、彼女は首を横に振った。

 彼女の中でこの女に心当たりはないという合図。

 そして、私は・・・

 

「今すぐ、あの子を取り返して一流の暗殺者にするのよ。そうじゃないと牙王は私に振り向いてくれないじゃない。あの子に、ミールに価値があると思ってくれないじゃない!!!」


バン!


 その女の怒りに反応したのは私の方だった。

 私は無意識のうちにナイフを取り出して、気が付けば、それを思いきり壁に刺していた。

 石造りの壁だったが、私のナイフはうまく刺さり、壁を貫通する。

 そんな派手な動作をしたものだから隠密の行動は台無しだった。

 女もガイツ様も、慌てて私の方を見た。

 女の顔を見て、そして、私も確信する。

 自分の母だった・・・

 

「ミ、ーーーー!」


 女はそこまで言葉を発して、そして、急に止めた。

 それは私顔を見たからだ。

 このときの私の顔がどうだったのは、実は私自身も記憶がない。

 でも、あとからガイツ様に聞いてこんな顔をしていたらしい。

 

『憤激の様相』


 それは、自分をこんな過酷な暗殺者に仕立てようとした母に対する怒りだったのか。

 それとも、抗う事で永年母から貰えなかった愛情を欲したのか。

 それとも、単純な殺意・・・

 本当の理由は自分でも解らない。

 だが、ここで母が私の顔を見て恐れをなしたのは確実であった。

 自分の子を化物でも見る様な仕草は、私には隠せなかった。

 

 彼女は、サッと席を立ち、そして、足早にここから去る。

 私はその行動の一部始終を目だけで追っていた。

 

 

 

 

 

 

 その後、ガイツ様から例の女の正体について問い正してみたが、何も教えてくれなかった。

 

「それはミールには必要のない話だ。暗殺者に()は要ない」

 

 その答えだけで、私は強制的に納得をさせられる。

 この頃から私は荒れるようになった。

 心の内に潜んでいた『嫉妬』の炎が、どうにも抑えつけられなくなったのだ。

 人間が人間である以上、絶対にいる筈の親。

 その親さえ与えて貰えない私という存在。

 親を持つすべてのモノに対して私の嫉妬の矛先が向かう。

 

 

 

 

 

 

 しばらくして、風の噂にその女が死んだらしいと聞く。

 名もないオアシスで男に媚びる商売をしていた時、相手の逆鱗に触れて殺されたらしい。

 どうせ、自分の事を「牙王のオンナ」と(うそぶ)いて金を無心したのだろう。

 

 少しは清々したと思ってみたが、それでも、その時の私は何故だか涙が止まらなかった・・・

 

 やがてしばらくして、私は暗殺者の特殊部隊『蟲の衆』の通名(コードネーム)蜘蛛(くも)』を襲名した。

 それは私の憤激、諦め、嫉妬、それらすべての負感情が混ざり、冷徹になってまったことへの対価かも知れない。



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