第六話 オババ
「お前がアークかい?」
老婆より低い声が発せられ、アークは首だけをそちら側に動かす。
老婆からは只ならぬ気配が放たれており、ここで厳しい雰囲気を感じたミールと蛍もじゃれるのを止めた。
場の雰囲気はこうして重くなったが、それでもアークからは通常どおりの返し。
「ああ、そうだ」
アークがそう応えた直後、部屋内に突風が吹き込んだ。
「キャッ! 砂嵐が来たみたい」
蛍は慌てて部屋の窓を閉める。
ミールも慣れた手つきでそれを手伝い、木でできた外側の二重扉も閉めて、やがてこの家の全ての窓が閉められて密室状態となる。
こうしないと屋内が砂に塗れてしまうからである。
やがて、外から打ち付ける砂の音が段々と大きくなる。
こうして本格的な砂嵐がやってきたのだ。
ひとつひとつは微細な砂であっても、それが無数に、しかも強い風の勢いに乗り打ち付けられると大雨以上の音を放つ。
外から光も入らなくなったため、部屋は薄暗くなるが、蛍は慣れた様子で魔法の呪文を唱えて光を灯した。
それは薄暗い黄色の魔法の灯であったが、そのことがこの老婆をより迫力ある者のように演出していたりした。
そんな貫禄を纏う老婆は満を喫したように口を開いた。
「お前を調べようとしたら、その直後に砂嵐が来るとは不吉じゃなぁ。儂の占いによるとお前は・・・まあいい。それは今から直接視れば解る事じゃから」
アークはこの老婆が言わんとする意味を理解できなかった。
ただ、アークがこの時点で予測できた事は、この貫禄のある老婆が『オババ』という存在だろうと思った。
その老婆は水晶玉を取り出して両手に持ち、魔法の呪文を唱える。
「ムリュアー、アイイロ、ムリシアー、アイイロ・・・」
アークには聞き慣れない呪文が部屋に響く。
「一般的ではない詠唱・・・そうか。この人物、神聖魔法使いか」
これはアークの職業病のようなもので、すぐに相手のことを分析しようとする。
老婆が神聖魔法使いである事までは解ったが、それでも彼の豊富な知識の中にこの人物が唱える呪文に該当する流派は解らなかった。
それを察してニッとする老婆。
「儂は砂漠の国の巫女『オババ』じゃ。本当の名は教えられぬ。非礼だが、それは我の秘めたる神との契約じゃから、しょうがないと思え。さぁ、とくとお前の中を観せて貰うぞ」
そう言うと、オハバの両手に持つ水晶玉から暗黒の雲が沸く。
その雲は次々と充満し、アークの元へ迫る。
そして、その暗黒の雲がアークの身体に掛かろうとするとき、反応が起きた。
バチ、バチ、バチ!
アークの身体から青白い火花が挙がり、暗黒の雲の接近を阻む。
「ムムっ、こヤツは魔力抵抗体質者か。ミールと同じじゃのう」
オババは少し厄介な顔をしたが、それでも魔力抵抗体質者を観るのはこれが初めてではない。
オババが更に念を込めると暗黒の雲の濃さが増し、より濃密な雲の塊がアークの周りへと充当される。
その雲は黒さを増し、やがてアークは暗黒の世界へと堕ちて行った・・・
オババが目を開けると、そこには黒い世界が広がっていた。
それはいつもの事。
被術者の内なる心の世界だ。
オババは暗黒の女神の巫女である。
暗黒の女神の加護により、他人の心とその運命を知る事ができるのだ。
それがオババの持つ信仰によって得られた特殊能力。
暗黒の雲に乗ったオババはアークの心の宇宙を旅して、そして、その目的地へ到着しようとしていた。
「ふむ、金色の星の生まれか・・・これはなかなかに強い運命を持つようじゃ」
この世界では、被術者の運命は色のついた星で現れる。
強く輝く色ほど強い運命を持つ事を示しており、金色に輝くアークの星は、オババがいろいろな人物を観た中でも、最も強い運命に属していた。
アーク以外でこの色の星を見たのは砂漠の牙王ぐらいである。
つまり、王に成れる器があるという意味だ。
しかし・・・
「・・・赤い何かが纏わり付いておるな」
それは初めて見る光景だった。
金色の星の自由を奪うかの如く、その星の表面の至る所に赤色網状のモノがへばり付いていた。
複雑に絡み、そして、その一端がひとつにまとまって黒い空間の彼方へと消えていた。
あまりに遠くまで伸びているため、その先が見通せない。
オババはそちら側の先端を追うのを諦めた。
この網状の粘着物には禍々しさを感じつつも、その網に引っかからないようにしてアクトの星の表面に近付くオババ。
そうすると、その星の表面は細かい六角状の窓で覆われていた。
このひとつひとつに映像が映っており、これがアークの歴史を示していたのだ。
彼は覚えていないだろうが、それはこの世に出生した瞬間から続くアークの歴史の窓。
それをひとつひとつ観て確認するオババ。
「ふむ・・・こ奴の本当の名はアクト・ブレッタか」
この世界においてはアークの個人情報はすべてオババから観測可能な状態である。
「エストリア帝国の名門貴族生まれで、達人クラスの剣術士・・・そして、強力な魔力抵抗体質者。生まれ持つ英雄素質者じゃな」
得られた情報からアークの価値をそう評価するオババ。
そして、更にアークの事を知るため、歴史の窓を辿って行くと、とある所から六角形格子中に投影される映像が止まっていた。
「なんじゃこれは?」
オババは初めて見るその光景に困惑する。
その映像をよく見てみると、映像窓の一端に赤いものが撃ち込まれていた。
それは細い銛のように映像を映った窓の端へと打ち込まれており、その銛を辿ると、あの星の表面を覆っていた赤い粘着質につながっていた。
「これは・・・誰かが強制的にその記憶を止めておると見るべきか?」
オババは直感的にそう見抜いたが、それ以上の事はこれだけでは理解することができない。
よく見てみると、その赤い銛はすべての記憶窓に打ち込まれていた。
しかし、ここだけは・・・いや、これより以降はより強力に封印されているように感じた。
そんな封印の発端となっていたのが、白い衣装を身に纏った女性が映った記憶窓だ。
映像が止まっている状態が、被写体が後ろ向きの姿であったため、これが誰なのかは解らないが、白いローブをまとう銀色の長い髪の女性であることは確か。
そんな記憶窓の映像に赤い銛が撃ち込まれて、映像が停止し、時折ノイズ混じりなっている。
「これは・・・大いなる敵意を感じるぞね」
赤い粘着質の銛からは、この銀色の髪の女性を殺したいほどの敵意が感じられた。
この記憶をなんとか消してやろうとしている波動があるもの解る。
しかし、この銀色の髪の女性はそれに抗っているようにも見える。
「どこから力が注がれておるな」
オババがそのエネルギー源を探ってみると、その映像には黒い何かがつながっていた。
暗黒の宇宙・・・それと同化していたので今まで気付かなかったが、注意して視ると黒い雷のようなものが空間から注がれている。
「暗黒の雷とは・・・不吉じゃなぁ」
巫女の伝承の中に、昔、世界を滅ぼすほどの悪王が持つ運命の星は、暗黒色だったとあったのを思い出すオババ。
悪い予感が過る。
そして、その黒い雷の元を辿り、そこで唖然とした。
「な、なんじゃ? あの黒い星は!」
その雷の元を辿ると、それは空中に浮かぶ別の星から放たれていることが解った。
通常、被術者の運命の宇宙に浮かぶ星はひとつだけ。
しかし、ここにはふたつ目の星が存在していたのだ。
それは暗黒の星。
大きさはアークの星よりと比較して一割ぐらいの直径だったが、確実に星としてこの宇宙に存在していた。
「そ、そんな・・・ありえん」
初めて見るこの光景に驚きながらも、その暗黒の星は表面より多数の黒い雷を放出している。
それはアークの運命の星にある記憶窓の赤い何かが浸食する記憶窓のすべての場所に・・・
赤い銛によって止められた映像にまるで対抗するかのように注がれていた。
そして、黒い雷とは別にひとつの黒い糸が伸びる。
この黒い糸は暗黒の宇宙が背景となっているので今まで気が付かなかったが、それは確実に、そして、真直ぐに別の宇宙へと伸びている。
赤い粘着質とは逆の方向に延びているそれは、まるで赤い粘着質に対抗しているようにも見えた。
赤い粘着質とつながる向こう側の世界にアークの星が引っ張られていくのを阻止しているようにも・・・
「これは一体??」
オババは長い間、様々な人間の運命の宇宙を視てきたが、こんな光景などは初めての体験である。
そして、アークの星とは別の暗黒の星・・・そこの表面に注目してみると・・・
そこには『修羅』が住んでいた!
暗黒の中でひとりだけ威風堂々として立つ人型の『修羅』。
筋肉隆々の男性であり、完全な闘志を纏うその存在。
その腰には黒い剣をひとつ刺し、そして、その顔は仮面で覆われている。
仮面の目元のところには穴が開いており、その中の眼がギョロリとオババの方を向いた。
「ひっ・・・死・・・死神!」
その眼に睨まれた瞬間、オババの背中に今まで味わったことの無い悪寒が走る。
恐ろしい予感と死・・・
そう感じた直後、オババは弾き飛ばされた。
それは、ここで圧倒的な存在を持った『死神』より放たれた得体の知れない風圧。
本来は感覚さえ感じないこの世界の筈なのに、熱い、と思った。
魂さえ焦がされると思った。
そして、吹き飛ばされる。
永遠に吹き飛ばされる。
光の速度で吹き飛ばされる。
世界が暗転し、こうしてオババは運命の宇宙から弾き飛ばされた。
水晶玉を触りながら虚ろな様子のオババ。
何か小さい声でブツブツと漏らすのはいつもと同じ光景。
それが相手の心の中を視ている状態なのはミールにも蛍にも見慣れた光景であった。
しかし、ここでいつも違う事が起る。
オババが細かく痙攣を始めたかと、やがて全身にその震えが広がった。
「えっ? どうたの? オババ、大丈夫?」
育ての親であるオババの様子が変な事に気付くミール。
オババの身を案じたが、その直後・・・
オババの持つ水晶が激しく爆発した。
バーーーーン
「ひぎゃーーーーーー!」
その直後に悲鳴を挙げたのはオババからであった。
膝はガクガクと震えて仰向けに倒れ、そして、爆発した水晶の破片が当たったのか、ひしゃげた顔には無数の血筋が走っていた。
「キャッ! オババ?!」
突然の爆発事故にミールが駆け寄り助ける。
そんなミールの手をオババは払い退け、後退った。
鮮血と共に大量の汗を流し、そして、アークを指差してこう告げる。
「こ、こ奴は『修羅』! 死神じゃーーーーっ!!」
いつも物腰は強いものの冷静さを崩さないオババが、このように唾を飛ばして厳しい宣言をするのは初めての事だ。
「オババ、どうしたの? 落ち着いて!」
「煩い、ミール。お前、何て奴を連れて来たんじゃ!! こ奴は死神じゃ! 我ら砂漠の民に破滅をもたらす存在ぞぉ。 今、すぐこ奴を捨ててこい!!」
「ええ? えええ?」
訳の解らないミール。
「オババ、訳わかんないよ! 冷静になって!」
「これが冷静になっていられるか! お前がやらんのであれば、儂がこ奴を追い出してやるぞ! んん??」
バーーーーーン!
慌てたオババが遂に実力行使に出ようとした直後、閉じていた筈の木の窓が爆ぜた。
そして、大量の砂と大きな何かが部屋へと入ってくる。
ドドドーン! バン、バン、バーーン!!
「ヒギャーーー!!!」
老婆の悲鳴が轟いた。
「キャーーー! 何!?」
ミールも勢いで悲鳴をあげてしまったが、ここで素早く動けたのは蛍である。
彼女は手近にあった木の机を持ち上げると、突然壊れてしまった窓部分に押し当て、新たな砂が流入してくるのを阻止した。
伊達に暗殺者のエリート集団『蟲の衆』の上位者ではない。
「ゴホ、ゴホ」
砂ぼこりで咳き込むミールだが、彼女はそれ以上の傷を負ってはいない。
それはアークが立ち塞がり、ミールを守ったからだ。
彼は手を横に広げ、そして、その手には黒光りする岩の塊をひとつ握っていた。
それは外より飛来した大きな岩の塊のひとつ。
ミールの身体に当たるのを阻止したのだ。
その岩の塊を目にした蛍は目を細める。
「これは・・・鉄鉱石ね」
鉄鉱石の雨・・・それはこの砂漠の国でも日常的に起こるモノではない。
砂嵐に混ざり空から鉄鉱石が降る現象。
それは『辺境』と呼ばれる地域にしか発生しない怪奇現象だった。
明らかな異常気象である。
そして、ミールに直撃したであろう鉄鉱石はこうしてアークが守った。
しかし、彼が守る責任を負う人物とはミールひとりである。
つまり、それ以外の人間はアークの守りの対象ではない。
鉄鉱石の直撃を受けてしまったオババはここで血塗れの姿になり、床に横たわっていた・・・