第四話 帝都の我が家
朝であるが、これからアクトとハルは帝都大学より帰宅する。
それは昨日から秘密の会合が徹夜で続いたため、これから睡眠を取る必要があるからだ。
帝都大学は首都ザルツの南側に位置しているが、そこから馬車で三十分ほど乗ったところに彼らのザルツでの寝床がある。
アクトとハルは初め、帝都大学周辺に宿を取ろうとしたが、ハルの戸籍上の母であるリリアリアが自分の家に住むように言ってきた。
聞くところによるとリリアリアの帝都の住まいは広く、部屋も余っているらしい。
アクトは多分に遠慮したが、ハルは以前のクレソンにあったリリアリアの屋敷のイメージもあったため、特に違和感なく、そこへ住むようにした。
そして、訪れてみて驚く事になる。
リリアリアのザルツの住まいはクレソンの屋敷よりも遥かに大きく、そして、貴族も驚くような豪邸だったりする。
帝都ザルツに流れる大河のエアライン川の畔にあるリリアリアの住まいは広大な敷地面積を誇り、庭では魔法の野外演習ができるほどである。
実際にリリアリアが現役時代の頃、ここで弟子達を集めて野戦訓練をやったこともあるらしい。
そんな敷地内を大きな門より馬車が進み、母屋までやってくる。
馬車から降りたアクトとハルを出迎えるようにメイド姿の女性がひとりだけ立ち礼をしてきた。
「お帰りなさいませ、ハル様、アクト様」
「セイシルさん。私達に気を使わなくていいですよ」
「いいえ。リリアリア師匠様の実子に失礼な事があっては」
「だから、私は実子ではなく、養子なんですって!」
このセイシルという女性とハルは毎回そんなやりとりをしている。
セイシルはリリアリアの弟子のひとりで、現在はリリアリアの身の回りの世話をする役目を買っている女性である。
リリアリアの弟子という立場ならば、セイシルはハルの姉弟子に当たる存在でもあり、当然、ハルの方が立場は低くなるため、いろいろと遠慮したいところだが、当のセイシルは「ハル様は特別な存在であり、自分の妹弟子ではない」と答える始末。
リリアリアの戸籍に入るという事実はそれほどに大きな意味を持つと逆にハルに諭すほどである。
自分はメイド扱いでいいとセイシルは言い、それをハルが断る。
そんな押し問答があまりにも続いていたので、結局、ハルの方が折れる形となっていたが、それでも精神的にはあまり受け入られないものであったりする。
アクトの事も初めは『婿様』と呼んでいたが、『まだ彼氏程度で』とハルとアクトの両方よりお願いをして、最近はようやくそれを聞き入れて貰えていたりする。
そんな変なところで頑固なセイシルという女性だが、彼女はメイドとしての仕事をしっかりと熟していた。
広い敷地や屋敷内の掃除をテキパキと熟し、料理や洗濯もお手のものである。
聞くところによると、なんとメイド歴は二十年!
いち時期はアストロ魔法女学院で教官職を担っていた事もあるらしく、技量の高い魔女だと思うのだが・・・
彼女のメイド履歴を通算すると、人生の約半分をこの屋敷で過ごしている事となる。
そんなセイシルに対して初めは全く頭の上がらないハルであったが、それでも慣れというものは恐ろしいもので、最近はあまり違和感がなくなってきたから不思議だ。
「昨日は徹夜だったので、しばらく休ませて貰います。食事も簡単なものを買ってきたので大丈夫ですよ」
「ハル様、解りました。既にリリアリア師匠様より同じ情報を聞いておりますので、寝所の準備は整えておきました」
「流石はセイシルさん。手際がいいですね」
「いいえ」
そんなやりとりをしつつも、ふたりは屋敷内へ入る。
屋敷内はまるで貴族の豪邸のようだが、言われてみればリリアリアは元宮廷魔術師の長を務めた人物。
貴族の、それも最高位の暮らしをしていたとしても何ら不自然ではない。
「お母さんは?」
「招集を受けて帝皇陛下の元へ。夜まで帰ってきません」
「解ったわ。今日は入れ替わりになりそうね」
灰色のローブを脱ぎ楽な服装になるハル。
四六時中ローブを着ている印象の強い彼女だが、せめて寝る時ぐらいはローブを脱ぐのだ。
この灰色ローブも以前から彼女が着ていたアストロの制服と似ている。
セイシルからはもっと高い実力を示す黒色・白色・金色を勧められたが、ハルは灰色が気に入っているのでこれでいいと答えていた。
灰色は『魔術師見習い』を示す色なので「周囲から侮られる」とセイシルから指摘もあったが、ハルとしては目立つのが嫌だったので、そのまま変更せずにいた。
現在着ている灰色のローブにはアストロ魔法女学院生であることを示す花弁模様も入っていなかったため、本当に駆け出し素人の魔術師が着るようなローブ姿だが、そのことをハルは全く気にしなかった。
しかし、ハルの着る灰色ローブはハルが惜しげもなく最高の魔道具技術を投入しているため、防刃・耐魔法・重量軽減・温度湿度調節・魔法力増強など、超高性能な灰色ローブになってしまっているのはご愛敬の範囲である。
その魔法的価値も解るセイシルなので、最近は特に何も言ってこない。
そんなこんなで楽な格好になったハルとアクト、そして、セイシルは共に遅めの朝食を取る。
ちなみにメイド気取りのセイシルは「一緒に食事は駄目です」と初めは言っていたが、ハルからの「寂しいので一緒に食べて欲しい」と懇願しての実現であったりする。
そんな貴族のような生活に中々にして慣れないハルだが、それに反してアクトはこの生活にもう慣れたようであまり気にしなくなっていた。
アクトが元来の名門貴族であることも、こういった生活に下地ができているのだろう。
そんなアクトからは、今朝のやり取りに関してハルの意見を聞いてくる。
「ハル。あのフランツさんはどう感じた?」
「あの人は曲者のようよ。単純に私達を歓迎してくれるだけではないみたい」
ハルは無詠唱魔法の達人であり、人の心を読む魔法は得意中の得意だ。
「曲者か。やはり・・・」
アクトも彼の印象からして、何らかの下心がありそうだと直感していた。
「私達のことをいろいろと調べたがっているようね。そして、アレはエストリア帝国の人間じゃないわ。『砂漠の国』から派遣されてきた間者よ」
「『砂漠の国』か・・・」
アクトは『遠いなぁ~』と思う。
『砂漠の国』とは帝国南東部に広がっている不毛地帯の総称だ。
『国』とは称しているものの、実際に国などは存在しない。
何もない砂漠が広がっているだけで、罪人の流刑地としても有名な土地。
そんな罪人達が勢力争いをした結果、ある程度まとまった集団が自分達の支配領域を『国』と称しているだけであり、本当に外交的な何かがある訳ではない。
そんな勢力の一端が帝都大学に忍び込んでいるのだろう。
「どうする?」
アクトが聞いたのは今後の対応の事だが・・・
「別に、放置でいいんじゃない? 彼の目的はただの間者。情報収集だけよ。余計な事を話さずに気を付けてさえいれば、無害だと思うわ」
「本当にいいのか? それで」
「彼を排除したところで一時的に間者が居なくなるだけ。また新たな間者が送り込まれてくるわ。それよりも誰が間者なのかを解っておいた方が楽じゃない」
「そういうものか・・・」
アクトは多少に不満だ。
彼の正義の心がそうさせているのだろうとハルは思う。
「それならば、私がリリアリア師匠様にお伝えしておきます。帝国の方で監視をさせましょう」
セイシルがそう提案する。
「そうね。帝国の事は帝国に任せる。それがいいわ。対象になる人物は魔法薬学研究室のフランツという研究補助員よ」
ハルからの情報提供をセイシルは素早く紙にメモし、それに魔力を加える。
そうすると、メモした紙は鳥へ変化して飛んで行った。
師匠のリリアリアに伝言を飛ばしたのだろう。
「流石はセイシルさん。仕事が早いです」
ハルは彼女の魔法の手際良さを手放しで誉める。
「いいえ。無詠唱の魔法でそこまで探れるハル様の方が素晴らしいですよ」
セイシルもハルの技量の高さを褒める。
彼女達の魔法の技量は共に高い処にあり、「これぞ玄人だな」とアクトも思ったりする。
そんなアクトも大概は規格外な存在なのだが・・・
「まぁ、それはいいとして、結局、フランツさんから歓迎会の誘いが来た場合はどうする? 断るか?」
アクトからの誰何に少しだけ悩むハルだが、それでも彼女は即決した。
「いいえ、参加しましょう。あまりに参加しないのは逆に怪しまれるわ。それに彼の『歓迎する』という心の半分は本物よ。その程度の親切に応えてあげる義理ぐらいは私にもあるわよ」
それに加えて、「ベッドの技術は誰にも負けない・・・」とか「この娘も機会があれば・・・」などとフランツの不埒な考えを読み解いていたハルだが、それは余計な事なので、いちいちそんなことをアクトに伝えない。
「義理か・・・解った」
アクトも何か引っかかるものを感じていたが、それでも、とりあえずはハルの決断を了承する。
それでこの話題は終わり。
「さあて、今日も長い一日が終わったわ。アクト、久しぶりに一緒にお風呂入る?」
(この娘は堂々となんて事を言うんだ!!)
と、耳年増なセイシルが密かに驚愕しているが・・・
この後のアクトがどう答えたか・・・・・・それは皆さんのご想像にお任せしよう。