第四話 鎌切と陽炎 ※
ミールは欲求不満になっていた。
ここ数日、アークとの愛の抱擁を控えている。
それはあの黒い剣のせいだ。
捨てても、捨てても、アークの元へと戻ってくるあの呪われた黒い魔剣。
ミールはこの黒い剣の銘について、既にアークから聞き出している。
アークはすっかり忘れてしまっているが、情報として彼の脳裏に残っていたので、アークと心のリンクを得ているミールが本気になって探れば、それは解り得る情報であった。
そして、探り当てたその名は魔剣『エクリプス』。
ハルがアクト・ブレッタの為に丹精込めて作った魔剣らしい。
魔力抵抗体質者であるアクト・ブレッタが扱う事のできる魔剣であり、この世で彼以外に扱う事ができない魔剣でもある。
その性能については未知数のところも多々あるらしいが、そのひとつに帰巣本能を持つ事が解った。
それはどんな状況にあって主人であるアクトの元に戻ってくる能力である。
加えて、彼の安否をハルに伝える機能もある。
(ハルは「互いの無事を知るため」とアクト・ブレッタに説明していたようだけど、これは絶対に違うと思う・・・あの女め。この魔剣でアクト・ブレッタのことを監視しているに違いない・・・どれだけ執念深い女なのよぉ!)
そう思うとミールはとても腹立たしくなった。
最近の彼との逢瀬もきっとあの女には筒抜けだったのだろう・・・いつも心のどこかで関していた感触・・・まるで常に監視されているような気分。
そんな状況で彼と愛を確認することなど、ミールの心はまだそこまで狂ってはいない。
世の中には他人に見られている方が燃える人間もいる。
ミールの知り合いの中にもそんな人間を約一名知っているが、自分はまだその境地に辿り着いていない・・・辿り着いてはならない、そう思っていた。
「くっそう!」
汚い言葉で何かを罵るミール。
彼女の欲求不満は溜まるばかりだ。
そんな状況の、今宵は砂漠の真ん中の満月の夜。
「!!」
不意に何者かが自分達のテントに近付いてくる気配を感じた。
ミールがテントから慌てて外へ出てみると、案の定、十人ほどの集団がテントを取り囲んでいた。
そして、その集団の中にはミールの知る顔が・・・
「よう、蜘蛛。奇遇だな~ こんな砂漠の真ん中でぇ」
彼女を通名で呼ぶその男。
ミールの顔は一気に不機嫌になった。
「鎌切! それに陽炎も。こんな夜半に一体何の用事!」
「なぁに、近くを通りかかったものでねぇ。ちょっとご挨拶だよぉ」
陽炎と呼ばれる髭面のローブ姿の男は、揚々と、そして、嫌らしい笑みを浮かべてそう応えた。
これでミールは彼らの目的の大凡の察しがつく。
この出会いは偶然じゃない。
きっとオアシスを出る時からずっとつけて来たのだろうと思った。
砂漠の真ん中で、誰も居ない場面を狙っていたのだろう・・・いつものように・・・
「鎌切から聞いたぜぇ。帝都ザルツでは散々と遊び回っていたそうじゃねぇか。芋虫の野郎だけじゃなく、へたれ教授にも愛想振る・・・男好きのお前の母親とそっくりだなぁ」
「煩い。これは仕事だからよ。それに私は母と違う!」
唾を飛ばしてそう抗議するミール。
彼女としてはここで自分の母の話をして欲しくなかった。
アークがいるこの時に・・・
しかし、この鎌切と陽炎はミールと同じ暗殺者集団『蟲の集』である事に加えて、幼馴染でもある。
ミールの内情をよく知っている人物でもあった。
「何が違うんだぁ? お前の母は誰とでも見境なしに相手する女だって有名だったじゃねぇかぁ! それに自分の事を『牙王のオンナ』とか言っていたし、嘘つき女としても有名人だったけどよぉ」
「煩い、黙れっ!」
ミールの怒りは増した。
この場で止めて欲しかった母の話を更にされたからだ。
チラリと後ろ確認すると、それを黙って聞くアークの姿も見える。
アークの目前でして欲しくもない自分の実の母の話をするこの無粋な幼馴染み・・・それがミールの怒りの導火線に火をつけた。
ミールは反射的に内股からナイフを引き抜き、相手を汚い言葉で罵る。
「その煩せぇ! その舌ぁ、斬ってやるっっ!!」
そして、ミールは挑発を続ける鎌切に飛びかかった。
カギーーーーン!
ミールの踏み込みは早かったが、それでもそのナイフは鎌切に届かない。
寸でのところで鎌切の引き抜いた大型の鉈よって弾かれてしまったからだ。
ナイフが空中に舞う。
無手となったミールに後ろから陽炎が迫り、羽交い絞めにされてしまう。
「や、やめろ。放せーっ!」
「ケケケ。お前の腕じゃ、俺達には敵わねぇよ」
嘲る鎌切の顔が憎らしいほど勝ち誇っていた。
そして、ミールの外套に手をかけて引き剥がす。
ビリビリビリーッ!
「い、嫌ーっ!」
荒々しく引っ張られたことでミールの纏う外套が破れた。
女を嗜虐する。
そんな姿を想像して、居合わせた鎌切の配下達の表情もイヤラしく染まった。
「けっ、いつもながら生意気な身体だぜぇ!」
彼女の可愛らしい身体を見て、興奮を覚える鎌切。
実は彼女をこうして虐めるは初めてではない。
彼らがミールを虐めるのは、幼い頃より続けてきた遊びのような感覚だ。
「さぁーてぇ、こっちはどうなっているのかなぁ~? 芋虫の野郎と俺達は違うぜぇ」
ネバつく舌を見せて、鎌切はミールにキスしようとした。
今宵は皆の見る前でその唇を奪ってやろうと思った。
ザルツから男を連れているらしいが、その方が余計に燃える。
その男の前で嫌がる蜘蛛を・・・そんな妄想に自分の嗜虐心がそそられた。
そんな野蛮な欲求を果たすために・・・自分達の欲求に従って行動しようとしたが・・・
しかし、ここでその先の行為は止められてしまう。
何者かによって、腕をキツく捕まれたからだ。
そんな予想外の展開に驚く鎌切。
「なっ、何しやがる!」
一流の暗殺者である自分達をどうやって・・・と驚くのも無理はない。
その止めた男とは、今の今までミールの後ろにいた男。
黒いボロボロのローブに身を包むその男は先程までミールの後ろで黙って立っていた筈。
ミールの連れてきたこの男には一応注意を払っていた。
腰に剣を持つことから剣術士であるのは解っていたが、それでも目元は布で隠れている。
目の見えない相手にそれほど脅威を感じていなかったりする。
しかし、こうして簡単に接近を許してしまった事実に、それまで自分の事を一流の暗殺者だと思っていた鎌切にも奢りがあったためである。
そして、その男――アークは通常運転の口調で暴漢達に警告する。
「それ以上は止めておけ。じゃれるにしては程度が過ぎるぞ」
その言葉を挑発と受け止めて、鎌切はキレた。
「煩せぇ! 余所者は黙って観てりゃいいんだ。俺達が少し遊べば、後は返してやるさ。俺達が散々楽しんだ後にお前も楽しめば、って、ブバーッ!」
鎌切の最後の擬音はアークによって殴られた事による。
魔法薬で強化されたアークは超人的な力を発揮できる状態。
その結果、人外の拳のパワーによって殴られた鎌切は顎の骨が砕け、三メートルほど吹っ飛び、そして、砂漠へ転ばされた。
これで、場は一気に険悪となる。
「何しやがる!! コイツめ、殺すかぁ?!」
鎌切の配下の男達がここで一斉に刃物を抜く。
彼らとしても余興のつもりで来ていたが、砂漠の民――しかも一流の暗殺者集団である彼らは相手に舐められたら終わりだと思っている。
売られた喧嘩を買う気満々。
男達の持つナイフが夜の月夜の光を反射し、それをゆっくりと巧みな操作で揺らす行為は、相手であるアークを威嚇していた。
この男達も鎌切と陽炎に及ばないが、暗殺者を生業とするプロである。
しかし、そんな集団に一切恐れを見せないのが今のアークでもある。
アークは恐れを全く抱かず、機械的な応対をした。
「俺に対して刃物を抜く・・・その意味が解っているのか?」
静かにそう問うアークの言葉には本気の迫力が籠る。
男達も強者のみが纏えるその迫力に一瞬怖気付くが、それでも我を通す事にする。
「生意気なヤツめ・・・ここは俺達、砂漠の民の支配域。俺達がルールだ。舐められたままで終わるとは思うな。やっちまえ!」
男のひとりがそう叫ぶと、全員でアークに襲い掛かる。
「ハァーーーッ!」
アークは男達による刃物の突撃を察し、空中へ華麗に飛び上がって回避した。
これはとても目の見えない男ができるような反応ではなかった。
いや、見えていたとしても、それほど急激な回避行動ができること自体が驚異的である。
それほど巧みな避け方を披露するアーク。
男達が驚くのも気に留めず、続いてアークの流れる動作で銀色の剣を引き抜いた。
そして・・・
キン、キン、キン
スバーッ、スバーッ、ドスッ!!
金属のぶつかる音に続き、鈍い音が三つ続く。
「ぐわーーー!」
その直後、男三人の悲鳴が響き、彼らの手首が砂上にポタ、ポタ、ポタと落ちた。
「ヒィィー 手がぁーー! 俺の手がぁぁ!!」
まるで後から気付いたように男達から悲鳴が挙がる。
アークの鮮やかな剣術により、痛みを感じるよりも前に男達の手首が持つ刃物ごと切り落とされた。
「なっ!」
誰の目にも止まらない早業で三人の男達の腕を斬り落していた。
その早技に真っ先に驚いたのは、ここでミールを捕えていた陽炎である。
そんな陽炎に向かって、アークは更なる警告を発する。
「これが俺に刃を向けるという意味だ。俺の剣は必殺・・・それを覚悟して挑んで来るといい」
「くっそう。莫迦にしやがってぇ!」
陽炎は捕まえていたミールを横へと飛ばし、アークに向かって突撃する。
単純な突撃かと思いアークは身構えたが、ここで陽炎の秘策が発動した。
彼は魔術師だったのだ。
「古の炎よ。この男を焼き尽くせー!」
素早い詠唱により魔法の炎が出現して、アークに襲い掛かる。
逃げ場がないほど広がる陽炎の魔法は本気であり、相手を確実に殺す技である。
短縮詠唱でここまでの威力を出せる者はなかなかの才能の持ち主なのかも知れない。
しかし、ここで陽炎の相手は最悪の組合せであった。
アークは自ら防御を固める姿勢になり、魔法の炎に対抗する。
そうすると、魔法の炎がアークの身体に接触した瞬間、大きく歪みのた打ち回る。
「なぁ!?」
アークの行った予想外の行動に理解が追い付かない陽炎であったが、その直後に陽炎の魔法は黒い霞に変換されて無害化されてしまう。
そう。
これはアークが持つ魔力抵抗体質の力により魔法が中和された事を意味していた。
「お前! それは魔力抵抗体質の力・・・ミールと同じかっ!」
その先の顛末は、陽炎に深い後悔を与えることになった。
それは自分が挑んではいけない相手に絡んでしまったと言う後悔である。
魔法が分解されて黒い霞になる。
その中から現れたのは、黒いローブを着る盲目のアーク。
まるで死神が自分のものにやって来たようなその風貌は、陽炎がこの世で観た最後の光となってしまった。
その後、アークは剣を一閃。
「ギャーーーーッ!!!」
悲鳴を挙げたのは陽炎。
彼が斬られた場所とは、両目のひと皮一枚である。
それはたかが薄皮一枚であったが、衝撃が確実に眼球を傷付け、そして、陽炎から光の世界を永遠に奪った。
痛みと失明の衝撃にのた打ち回る陽炎。
そんな陽炎の鳩尾をアークは遠慮なく蹴飛ばす。
「ぐぉーーー」
苦悶の悲鳴を発して蹴飛ばされた陽炎は、先にすっ飛ばされていた鎌切と同じように宙に飛び、何とか起き上がろうとしていた鎌切とぶつかる。
「なっ! ぐあっ!!」
再び倒された鎌切。
そこにアークが飛びかかる。
まるで野獣のような身の熟しであり、さっと鎌切の身体へ乗りかかると、ここで容赦なく鎌切の片足を思いっきり剣で叩き斬った。
ドスッ!
「ぐぎゃーーーーー!」
鈍い音、そして、獣の悲鳴が夜の砂漠へと響き、鎌切の片足が千切れて飛んだ。
アークの鋭い剣によって鎌切の片足は切断されて血が舞い散り、ノタウチ回る鎌切。
その千切れた足を拾いあげたアークは遠慮なく砂漠の方へと放り投げた。
ドドドド
そうすると、偶然だが、特徴的な地鳴りが砂中より響いて小型の砂虫が顔を出した。
その砂虫は久しぶりにありつけた人の肉の幸運に歓喜して、鎌切の足の肉を口に捉えると、あっと言う間に砂の中へと消えてしまった。
刹那の出来事だったが、こうしてアークによる一方的な惨劇ショーは完遂したのであった。
「これはお前達がミールを辱めようとした罰だ。さあ、もっとやってみるか?」
アークは月明かりをバックに残された男達に凄む。
その顔は返り血に染まり、悪魔的な様相をしていたが、それでも無表情・・・
得体の知れない迫力を放っており、残された男達はこれを見てゾッとした。
「ひっ・・・し、死神だぁ!!」
男達の誰かがそう言って恐れ戦く。
その後、悪漢どもの行動は早い。
誰が強者か、今になって解った。
既に戦闘不能となっている鎌切と陽炎を回収すると、その男達は慌てて一目散に逃走した。
そんな逃げる男達を追撃する事もなく、後ろ姿を睨み続けるアーク。
やがて砂の丘の向こう側に男達の姿が見えなくなると、アークはミールへと向き直った。
「ミール、お前を不愉快にしていたアイツらは懲らしめておいたぞ」
先程まで悪鬼のような殺害行為に等しい仕打ちをしていたアークは、そんな軽い口調でミールに忠告する。
そして、ミールの顔は赤い・・・
ここでミールがこのような無垢な村娘のような反応をしてしまったのは、アークが怒ってくれたのを解っていたからだ。
昔から続いていた虐め行為。
力が強い事をいい事に昔から続いていた鎌切と陽炎からの仕打ち。
それをアークが止めてくれたのだ。
アークが自分の為に怒ってくれた事が無性に嬉しい・・・そう感じた。
自分が愛されていると思ってしまった。
人から優しくしてくれた経験なんて、今までの彼女の人生でほんの少ししか無かったのだから・・・
しかし、ミールは素直じゃない。
そんな優さを向けられた経験など、どう反応していいのか解らない。
ここでアークからは余計な一言が出る。
「・・・それにミールは友達を選んだ方がいいぞ」
「えっ」
一瞬、アークから何を問われたか理解できないミール。
しかし、彼の心を支配しているミールはすぐにアークのその言葉の意味を理解することができた。
鎌切や陽炎は酷いオトコだが、それでも彼らは幼馴染でもある。
そのことにミールの心の中では少しだけ気を留めていた部分もあった。
それをアークに見透かされてしまったようだ。
「アイツらは友達じゃない」
ここでミールは照れ隠しのためにそう否定してみる。
しかし、それをアークが受け入れる事は無かった。
「友達は選べ」
再度、アークから機械的に同じ忠告が繰り返されてしまう。
それをまた否定するミール。
その後、そんなあまり意味のないやりとりを数回ほど繰り返される砂漠の夜であった。
少し解説をします。
「必殺」と言いながらもアークはここで誰も殺していません。
それはミールが鎌切と陽炎と言う存在を幼馴染みとしても認識していることも解っていたからです。
ここでの彼のそんな行為が優しいのか、果たしてそうはでないのか・・・これは読み手によって感じ方が異なるかもしれません。
ですが、それで良いと思い描いてます。
人それぞれで受け止めて下さい。
そんなアークとミールの関係は今後どうなっていくのか??
次回もお楽しみに。
P.S.
ここのシーンはかなり苦しんで描いたつもり・・・解る人には解る(笑)