第三話 死神と黒い剣 ※
商隊一行は砂漠の国を東南へ進み、目的地であるオアシス・ナリウクに着いた。
このオアシス・ナリウクは砂漠の国の西側に位置している街である。
砂漠の国としては最大人口の街だが、それでもエストリア帝国の一都市より遥かに少ない。
しかし、このオアシス・ナリウクには活気があった。
それはここがエストリア帝国との貿易の窓口となっている街だからである。
喧騒と活気に満ちたオアシスだが、ここで商隊と別れたガイツとミールは別行動となる。
「私はこれから牙王城に行く。ミールはオアシス・アプルテに行ってこい」
「アプルテに・・・」
「そうだ。お前がそのアークと一緒になるならばオババに会わせておいた方がいい」
ガイツはそう忠言する。
このオハバという人物は砂漠の国でも有名な人物。
有名な占い師・・・そう呼ばれているが、それに加えてミールにとってオババという人物は育ての親でもある。
自分の親とも言える人物にアークを会わせる。
それはつまり・・・
「アークをオババに会わせるって・・・」
何かを想像してしまい、顔が真っ赤に染まるミール。
初心な女性の仕草にも見なくもないが、ガイツにしてみれば本当にそうなのかも知れないと思ってしまう。
ミールは幼い頃から暗殺者として育てられている。
それは彼女の本当の母親による教育方針の結果なのだが、これがミールにとって過酷な人生の始まりであった。
暗殺者と言う仕事は人を殺す術に加えて、女性である特権を生かさない筈は無い。
彼女にとって男を誘う行為は強制的に仕込まれている。
ミールにとって愛など幻想であると母親によって刷り込まれているに違いない。
そんなミールが人を好きになったという事実。
女としてひとりの男を選んだ事実。
彼女にはまだその意識は無いようだが、幼い頃からミールを知るガイツにとってこれは好ましい変化のように思えた。
ここでガイツとしては野暮な事を言わずミールに指示だけを出す。
「そこのアーク・・・彼は逸材だ。帝都でお前がどうやって彼を味方に引き入れたのかはもうどうでも良い話。それよりもアークを絶対に我々の味方に引き留めろ。彼と家族になるのだ」
「わ、私が・・・家族・・・」
ミールはここでアークとの子を抱く自分の姿を想像してしまう。
これまで、そんな未来を想像していなかった・・・
(わ、悪くない・・・)
思わず生唾を飲み込んでしまう彼女の姿に、暗殺者としての姿はもうない。
「解ったな。ミールはオアシス・アプルテに行け。オハバにアークを会わせて、彼を観て貰うのだ。その先の指示は追って出す」
それだけを言い残して、ガイツは去った。
残されたミールは、こうしてアークとふたりきりとなる。
作戦行動以外で男性とふたりきりになるなど、ミールの人生では初めての事。
そんなミールにアークから手を差し伸べられた。
「あっ!」
思わず、可愛い声を出してしまうミール。
そんなミールにアークは囁いた。
「お前は俺の全てだ。命に代えても守る」
「ど、どうしてそんな事をここで言うの!?」
ミールはアークの事を卑怯だと思う。
こんな優しい男性・・・自分が魔法薬で彼の心を支配している事を思わず忘れてしまう。
本当に彼の事を好きだと思ってしまう。
本当に私の事が好きだと信じてしまう。
「狡いオトコ」
ミールは自分でも気持ち悪くなるぐらいの甘い声を発し、アークの胸に抱かれるままオアシスの宿屋へと向かった。
今のミールはアークしか見られなかった。
自分達の姿を遠くから観察する男達がいた事に気付かないぐらいに・・・
「アーク!!」
ミールは必死に彼の名を呼び、激しく抱き合う。
それを、もう何回繰り返したのか解らない。
オアシス・ナリウクの宿から繰り返された抱擁は、その後のオアシス・アプルテに向かう旅でも継続している。
ふたりだけの旅だったが・・・いや、ふたりだけだからこそ歯止めが掛からない。
砂漠を旅するテントの中で、夜だろうが、昼だろうが、ミールが望めばアークが与えてくれる。
(本当に最近の私は頭がおかしい・・・もしかして、私は狂っているの?)
貪欲な愛にミールは自分の正気を疑い始めている。
しかし、それは正しかった。
ミールは心の共有をハルから奪い、アークの身も心も自分の物としている。
それは深いところでアークとつながっていると言う意味。
つまり、今のミールは世界一アークの事を解っているのだ。
深く愛してくれる事を理解している。
彼女が最近まで理解できなかった愛の世界に、正しく溺れている。
彼女の嫉妬に塗れた人生から助け出してくれたヒト・・・それがアークだと思った。
アークからしてもミールは自分が守るべき女性、自分の全てを差出しても良いと思う女性・・・そう信じている。
どこかで違和感を持ちながらも・・・
アークはここで不意にテントの布に立て掛けられる黒い剣に視線を移す。
「誰かが・・・俺を見ている・・・」
そんな彼の小さな呟きが愛の抱擁を中断させた。
心の共有を結ぶミールがアークの変化を察したからだ。
「アーク・・・だめぇ・・・その剣・・・気持ち悪い・・・・・捨ててぇ!」
そんなミールの懇願には爆発的な可愛さがあり、アークにとって抗い難い要求。
「・・・解った」
アークはその黒い剣を持つと、テントの出入口の布を払って、そして、遠くへ投げ捨てた。
次の日の朝。
朝の気温が上がり始めた時間、砂漠の旅を再開するため、ふたりはテントから外に出る。
これから日差しが強くなることも考慮してフードを深めに被る。
そんな装いで出発するふたり。
やがてしばらくしたところで、ミールは異変に気付く。
「アークッ! その腰に付けているのは!」
ミールの指摘にアークが視線を移してみると、自分の腰にはふたつの剣が指してあった。
ひとつは銀色の剣。
そして、もうひとつは黒い鞘に納められた
「どうして? 捨てた筈なのにっ!!」
禍々しく黒光りするその黒い剣は、恨めしそうにミールを監視しているようでもあった。
「ヒッ!」
思わず恐ろしくなり、そんな狼狽の声を挙げてしまうミール。
ミールはこの剣から何となくあの女の気配を察した。
それは女の鋭い勘から来るものだ。
(あの女の剣・・・あの女)
自分達の行動が逐一筒抜けになっている・・・そんな直感がミールに心に走る。
そんなミールの動揺をアークも気付いてしまう。
そして、黒い剣が自分の腰に戻っている事にここで初めて気付き、怪訝な表情をした。
「いつの間に・・・」
アークがそう言うと自ら黒い剣を鞘から引き抜こうとした。
しかし、刀身は鞘から抜かれる事を拒否して抜けない。
どうしていいか解らなくなるアークに、ここでミールは容赦しない。
「こんなモノっ!」
ミールは焦燥感にかられてアークから黒い剣を鞘ごと奪った。
バチ、バチ、バチ!
黒い剣は何かを拒絶するように魔法的な火花を飛ばすが、ミールは気にしない。
ミールとて魔力抵抗体質者である。
彼女は魔法の火花の抵抗にも負ける事なく、黒い剣をアークから奪うと、力一杯投げ飛ばした。
こうして黒い剣は砂丘の向こう側へ飛び、視界から消えた。
「行こっ、アーク!」
ミールはアークの手を引いて、現場から逃げるようにして離れる。
何か物足りなそうなアークであったが、ここでミールに引かれるまま現場を後にする。
この日の夜・・・再び愛の抱擁をしようとするミール。
しかし・・・
「ヒッ!」
ここでテントの壁際に黒い剣が立て掛けられることに気付き、呻き声を挙げてしまうミールであった。