第十三話 エリザベスの放浪記1
私――エリザベス・ケルトは帝都ザルツを発ち、エストリア帝国を東に進んでいる。
これは少し前から秘密裏に計画していた事だが、遂に私は家出する事にした。
このままだと、あの変態貴族の元に嫁がされてしまう。
それよりもずっといい選択だと思っている。
ラフレスタの乱で見事に敵の策に嵌ってしまった私。
悪の組織の片棒を担がされて、帝皇デュラン様に敵対する行為をしてしまった。
私の人生で汚点とも言える結果になってしまったのだが、それは私だけが悪い訳じゃない。
私だってあのとき自分の意思があれば、どれだけ抵抗しただろうか。
どれだけ悪の組織を懲らしめるため、役に立てただろうか。
私だってあともう少しだけ立場が違えば、敵と戦いラフレスタを解放する側の英雄になれた筈なのに。
その力もあったのに・・・
最近はそんな悔しさだけが繰り返される。
だから滅茶苦茶にしてやろうと思った。
私と歯車が少しだけしか違わなかったローリアン。
彼女の幸せを妬み、滅茶苦茶にしてやろうと思っていた。
・・・だけど、実際にはできなかった。
あんなに幸せそうな彼女の笑顔・・・女の幸せを得た彼女の最高の姿。
それを見せられて、不甲斐なく私は躊躇してしまった。
あれほど覚悟して彼女の結婚式へ侵入したのに・・・
本当に情けないと思う。
あの時のローリアンは私に恐れるでもなく、怒るのでもなく、憐れむでもなかった。
彼女が私に示したのは変わらない私への忠誠心。
もしかして、揶揄われているのか・・・そう思ったのは一瞬だけ。
気が付けば、私は小さい声で彼女に「おめでとう」と祝福を贈っていた。
何故?
どうして、私は認めてしまったの?
どうして、彼女が幸せになる事を赦してしまったのだろう??
あのとき、私の心の中にあったのはふたつの感情。
意味不明の敗北感がひとつ。
もうひとつはローリアンには幸せになって欲しいと思う気持ち。
このふたつの感情。
感情の混濁で混乱の波に溺れそうだった私。
そこに現れたあの女。
あの女は、いつものだらしないダボダボの灰色ローブ姿ではなく、別人かと思えるような立派で派手なドレス姿。
悔しいほど目立っていた。
憎らしいぐらいに輝いていると思った。
アクト様の隣に立てて、さぞ人生の絶頂だろうと思った。
そんなあの女は、私からいろいろなモノを奪っていったのだ。
筆頭生徒の座。
最愛のひと。
それまでの友人達。
家族との関係。
そして、華やかだった私の人生のすべて・・・
恨んでも恨み切れない程だけど、それでもあのときの私は『駄目だ』と思ってしまう。
あの女には絶対関わってはいけない。
彼女の正体は恐ろしい女で、あの女がひとたび仮面を被れば・・・
「・・・もういいわ。止めましょう」
これ以上考えるとまた眠られなくなると思い、私は不毛な思考を止める事にした。
私があの女の事をどれほど激しく呪ったところで、殺す事はできないのだ。
恐ろしいあの女にこれ以上関わってはいけない。
私がもっと不幸になってしまう。
無理やりそう思う事にして、私の脳裏から強制的にあのときの事を忘れようとした。
それよりも私は親友に会いに来たのだ。
私と同じ境遇を経験した彼女は親友・・・いや、盟友とも呼べる存在だと思う。
そのために態々このトリアまで来たのだから。
予め調べていた住所を頼りに乗合馬車を乗り継いで、そして、目的地で降りる。
その住まいを確認してみれば、ちょうど庭先に目的の彼女の姿があった。
私は懐かしさと嬉しさのあまり彼女の名前を叫ぶ。
「サラ!」
呼ばれた彼女はビクッと飛び上がり、そして、私の方に目を向けて二度目の驚きを示してくれた。
「エリザベス!? ・・・さん?」
「そう・・・そうなの。エリザベスも本当に苦労したのね」
始めは驚き眼のサラであったが、彼女も私と同じ苦境を共有した同志でもある。
すぐに私の事を解ってくれて、歓迎してくれた。
そして、今はプラダム家の屋内へ招かれている。
現在のプラダム家にはサラ以外の家の者が居なかったのも、私がすんなりと中へ入れて貰えた理由なのかも知れない。
互いの近況を報告し、そして、いろいろな情報を交換する。
サラも世間からの風当たりが厳しかったらしく、いろいろな苦労話を聞かされたが、私ほどでは無かったらしい。
私も自分の身に降りかかった不幸について全て喋った。
ケルト家で軟禁されていた事。
家族からあまり良いように思われていない事。
魔法貴族派閥内の政治的な争いに巻き込まれている事。
ケルト領の変態貴族に無理やり政略結婚されそうになった事。
その時のショックで無詠唱魔法が使えるようになった事。
自分の家来だと思っていた学友達に裏切られた事。
いろいろな事が重なり、現在はケルト家から家出している事。
そして、これからの事。
相手がサラだと思うと、自分の身に受けた不幸話を全て話す事ができた。
サラは同志だ。
私の身に降りかかった不幸を大いに同情してくれたのも嬉しかった。
「それで、サラは良いわよね。インディさんが見受けをしてくれるのだから。私はローリアンの結婚式であの女に会ったわよ。本当に・・・」
「エリザベス、もう、あの女の話は止めて・・・私は思い出したくないの」
「そ、そうね・・・悪かったわ」
「いいえ」
ここで私は自分が少し調子に乗っていたのを自覚する。
サラは絶対にあの女を恨んでいる筈だ。
しかし、それを表には出さないと彼女は心に決めたのだと思う。
理由は簡単。
サラの相手男性であるインディさんはアクト様とは親友の関係。
その親友の相手女性であるあの女の事を公然と侮辱できない。
少なくともインディさんの前では・・・
サラは心の中でそう決めた事だから、自分の心にある負の感情を鎮めようとしているのだろう。
私にはサラの苦労が痛いほど理解できた。
何故なら、サラもアクト様を好いていた身。
彼女からアクト様を奪っていたあの女をどうして簡単に認められるなどできるのだろうか・・・
それは相当に自分の心へ嘘をつかないとできない事なのだから。
「なんか辛気臭くなったわね・・・そうだ。サラって暇でしょ? それならば私を観光案内してよ」
「え?」
「折角、古都トリアまで来たのだから、初代皇帝廟とか、テリアン神殿とか、トリアには観光名所が多いでしょう?」
「エリザベスは・・・呑気ねぇ」
サラは自由に行動しているように見える私に対して溜息をついてきた。
「私もいろいろあって溜まっているのよ。ずっと軟禁生活だったから・・・ほら、泊まっているところはココだから」
私の泊まる宿の案内紙を見せたが、ここでサラは驚いた。
それもその筈、私の宿は古都トリアで最高級の宿だからだ。
「凄いところに泊まっているのね。普通の貴族でもなかなか泊まれないわよ」
「何を言っているの。私ほどになると、これぐらいの宿じゃないと釣り合いがとれないわ」
「一泊が相当な値段の筈よ。エリザベスって三年ぐらいは放浪するって言っていたわよね? 節約しなくて大丈夫?」
「お金はそれなりに持って来たわ。それに倹約なんて後ですればいいし、折角の古都トリアですもの。いいところに泊まりたいじゃない!」
「まったく呆れるわ。本当に三年もつのかしら? はぁ?」
「大丈夫よ。それは貴女が心配してくれなくてもいいわ。この先、マースかエストリア帝国東部のアルマダあたりに行ってみようかと思っているの。あそこならば物価は安い筈だし」
私だってちゃんと考えているわ。
しかし、サラはあまり私の事を信用してくれていないようだ。
その後、そんな呆れた様子のサラを強引に連れ回して、トリアで遊び回る私達。
結局、楽しくて一箇月ほどトリアに滞在してしまった。
そうして、サラの交際相手であるインディさんが帰って来る。
私は何となく彼とは会いたくなかった。
彼と会うことで昔の自分を思い出してしまうような気もする。
自分勝手で幼いあの頃の自分に・・・
理由はそう思う事にして、私はトリアを後にする事にした。
一方、エリザベスが家出をした直後のケルト家。
「アナタ、大変よ! エリザが家出してしまったわ!」
書置きを見つけたエリザベスの母が血相を変えて夫にそれを報告する。
それを聞いたエリザベスの父――ジェイムス・ケルトは苦虫をすり潰したような顔になる。
彼にとって頭の痛い問題がまたひとつ増えたからだ。
「アナタ、早くエリザを連れ戻しに行かないと・・・」
少し考えたジェイムスは、そんな妻――フランソワに待ったをかける。
「いや。これはこれで良いのかも知らん。現在のエリザベスは厄介な状況になっている。帝都ザルツから離れた方が良い。我々の都合とも合う」
「そ、そんな・・・」
「フランソワ、そんな顔をするな。先日のエリザベスが仕出かした事で、苦情の矛先が私に来ているのを知っているだろ?」
ジェイムスが指摘するのはアラガテ家での結婚式の顛末である。
貴族の晴れ舞台である結婚式に突然現れたエリザベス。
その神聖な場で、新郎新婦、そして、両家に泥を塗るような行使をしたエリザベスは、失礼な女だとして相当な抗議がケルト家へ寄せられていたのは、今では誰もが知る状態である。
娘の不適際は親の責任としてかなり追い詰められている状態のジェイムス・ケルト。
元凶のエリザベスが帝都ザルツにいない方がいいと思った。
「だから、すぐに帰って来なくても良い・・・ただし、監視はさせておこう。どうせ温室育ちの我が娘だ。世間の厳しさを知り、三箇月ほどもすれば諦めて帰ってくるだろう」
そんな安易な予想をして、心配性な妻を諭すジェイムスであった。
これにて第三章は終了です。登場人物を更新しました。
帝都ザルツ編はこれでひと段落です。次からは新たな展開となりますので、お楽しみに。