第十二話 フランチェスカの旅(其の二)
「フラン姉様、もうそろそろ着くらしいよ」
私は末妹に揺すられて目を覚ます。
ここはどこだろう?と少しだけ前後不覚になってしまう私だったが、現在の状況をすぐに思い出した。
私が馬車に乗せられている事とその理由を・・・
久しぶりにラフレスタ城の地下牢から外へ出る事が許されたが、現在の私達に自由などあって無いようなもの。
父様、母様の命令でこうしている。
この馬車はラフレスタ家の所有する豪華なものではなかったが、それでも比較的乗り心地は良い。
暫定領主となったユヨーが気を遣って手配してくれたらしいけど、私は全然嬉しくない。
私と末妹のヘレーナは他家へ売られたようなモノだったからだ。
ユヨーも私達の厄介払いができて清々としているに違いない。
そう心に決めつけてみたが、それでもその嫌悪感が私の心の表へ出る事は無かった。
もう感情などいちいち出すなど面倒な事だと思っていたから。
現在、この馬車に乗っているのは、私と妹のヘレーナに加えて、自分達の夫となってしまったフィッシャー・クレスタという男性の三人だけ。
いや、まだ正式に夫ではない。
結婚の承諾書にはまだ私達の親側のサインしか入っていないため、書類としては未完遂の状態なのだ。
しかし、それも時間の問題だろう。
今回の旅の目的・・・それはフィッシャー側の両親と会い、結婚承諾書にサインを貰う事だったからだ。
こうして私達は否応なしにフィッシャーの実家があるスタムへ向かっている。
「着きましたよ」
御者の声で目的地に着いた事を再び知る。
数週間の長旅で私の身体は固まっていたが、そんな私でもこの馬車から降りる事にあまり気乗りではない。
「さあ、フランさん」
フィッシャーは私が降りるのに手を貸そうとしたが、それを拒否したのは妹だ。
「フィッシャー。厭らしい顔でフラン姉様に触るな! それと馴れ馴れしくフラン呼ばないで! お姉様の正式名称であるフランチェスカ様とお呼びなさい!!」
「おおっ! そんなツンデレなところが可愛いよねぇ。ヘレーナちゃ~ん」
「煩い! 触るな! 近寄るな! 気安く名前を呼ぶなーっ!!」
ヘレーナからは解り易い拒絶の意思を示すが、このフィッシャーという男性はこれぐらいでへこたれない。
ある意味、超前向きな性格なのかも知れないが・・・私には疲れてしまう。
「ヘレーナ、静かにして・・・降りましょう」
私は従順なフリをしてフィッシャーの指示に従う。
抵抗するのも疲れた・・・
どうせ私達に碌な未来はない。
ならば、無駄な抵抗をする事自体が本当に無駄だと思った。
私は自分の顔を余り周囲に晒さないようローブを深々と被り、ひとりで席を発ち、馬車から降りる。
末妹も私の真似をしてローブを深く被り、続いて降りてきた。
スタムはラフレスタと違ってとても暑い場所だ。
帝国の南にある事に加えて、現在の時刻が正午だというのも大きな要因だろうが、どうやら私にはこの気候が合わない。
今の状況をそんな他人事のように感じながらも、街の入口へ設けられた詰所に向かう。
詰所はエストリア帝国の大きな街にはどこでもあり、街に入る者、出る者を審査している場所。
スタムはエストリア帝国南部では一番大きな領地であり、その規模も大きい。
そのため、詰所は入領者と出領者でごった返していた。
行き来する多くの人達を交通整理するために衛士達数名が何かを叫んでいたが、その衛士のひとりが私達の姿を見て目をパチクリとしている。
そして、その衛士が私達に近付いてきた。
「お、おい。お前、フィッシャーか?」
「ああん? もしかしてラウルか?」
どうやらこの衛士はフィッシャーの知り合いらしい。
「おお! ラフレスタの英雄フィッシャー・クレスタが帰ってきたぞ!」
ここでこの衛士がそんな大きな声を発してしまったため、この場に居合せた他の人達の注目が私達へ一気に集まってしまう。
本当にヤメて欲しいと思う私だが、それはフィッシャーも同じだったようだ。
「よせよ、ラウル。今回はお忍びで帰って来たんだぜぇ」
「なんだよ!? お前は・・・いや、貴方様は今や帝国の英雄。スタムの誇だろう」
「それでもだ。今・・・いや、今日だけは穏便に。なぁ~頼むぜ」
「どうしちまった? 派手好きのお前にしちゃ珍しいな。ラフレスタで悪いモノでも食ったか?」
「何言ってんだよ。それも成長したって事よ。今回の件でよう」
フィッシャーはそう言い右手の小指を立てる。
それを見た衛士ラウルは私達ふたりに視線を移して、そして、何かを納得する。
「そうか、フィッシャー! お前にも遂に春が来たんだな。まぁ確かに今のお前じゃ引く手数多だろうし、相手なんて選び放題だろうからしょうがねぇか。それにしてもローブ姿で目元しか解んねぇなぁ・・・しかも二人って、お前養えんのか?」
「煩せいやい! それよりも早く中へ入りたい。連れのふたりをあまり待たせたくないんだ」
「ちっ、しょうがねぇなぁ。確かに今のお前は特別扱いに値するから・・・こっちへ来い」
こうして私達はフィッシャーと幼馴染の衛士に連れられて他の人とは別の建屋へ入る。
そこは一般人とは別の重要人物専用の建屋で、簡単な審査を以って入領の手続きを済ます事ができた。
私は出された書類に自分の名前を書き、右手が切断されている妹の分は私が代筆をする。
ここで敢えてラフレスタ姓名を書かなかったのは前々から決められていた事だ。
無用な混乱を起こさないためにそのように書く書類だったが、私の書いた名前を審査官が長々と見ていたのだけが少々気になった。
しかし、それでも審査官はそれで終わりとして、私達はすんなりとスタムの街へ入る事ができた。
手続きが簡素に済んだ事でフィッシャーはラウルに礼を述べていたが、ラウルからは別れ際にひとつだけ忠告をされる。
「お前には縁がないと思うが・・しばらくは武器商には近寄らない方がいい」
「武器商?」
「ああ。最近、襲撃事件が多発していて大変なんだ」
「そりゃ物騒だな。なんでまた?」
「さあな。俺達は武器商どおしの勢力争いが表面化したんじゃないかと見ている・・・スタムの武器商は裏で砂漠の国とつながっているって有名な噂だしな」
「なるほど。精々気を付けるわ」
フィッシャーは軽くそう言って、衛士ラウルと別れた。
私達がここまで乗ってきた馬車はラフレスタ領のモノなのでここで帰す事になる。
フィッシャーは自分の実家に向かうため、代わりの馬車を手配していた。
フィッシャー・クレスタの実家はスタム領内の貴族街の外れにあった。
邸宅は狭く、貴族としての格式は中流・・・いや、下から数えた方が早いのかも知れない。
雇っている召使も数人しかいないようで、本当に下賤な一族だと思った。
クレスタ家の家長もさぞたいしたこと無い人物だろうといろいろな意味で期待していたが・・・しかし、それは違っていた。
帰って早々に居間へ通された私達の前に、覇道の気迫に満ちたフィッシャーの父の姿があったからだ。
「よう、親父。帰ったぜ!」
怒りに溢れる父を前にしてそんな軽い挨拶をするフィッシャー。
彼らしいと言えば彼らしいが、今はそんな悠長な雰囲気ではない事など私でも解るのに・・・
静かな怒りを溜めているようにも思える彼の父――アリガン・クレスタは、「理由を話せ」との短い命令口調。
彼の父が怒るのも無理ないと思う。
それはフィッシャーが帝皇デュラン様の命で招集された戦勝記念式典の参加を不意にし、私達を選んでしまったからだ。
貴族としてはあり得ない選択。
勿論、それはフィッシャーに私達の事を諦めさせるよう私が要求したものだったが、フィッシャーは私の予想に反して私達を選んでしまった。
まったく、彼の思考は良く解らない。
「面倒くせぇけど、しゃあねぇなぁ~。これは避けて通れねぇ。説明してやらぁ~」
フィッシャーはそんな生意気な口調で自分の考えを淡々と説明し始めた。
彼の話はラフレスタ高等騎士学校に入学してから始まり、それはそれは長い話だった。
え? そこから話すの? と思っていたのは私だけではない筈。
お陰で長い時間フィッシャーと私達は立たされ続ける事になる。
そんな無駄とも思える長話を黙って聞くのは、彼の父アリガンとその脇に座るフィッシャーの母と思わしき女性。
その女性は下流貴族にしては珍しく美人だと思ったが、クレスタ家は親子揃って美女が好きなのだろう。
そんな事を考えながらも、私達はフィッシャーの思う『美女』の基準に入っているのだろうか? と、どうでも良い事を不意に考えていたりする。
私がそれほどの注意力散漫になるほどフィッシャーの話は退屈だった。
「・・・で、ここでフランチャスカさんとヘレーナちゃんを傷付けてしまった訳だ。女として一生消えないような傷を負わせた・・・だから俺には責任がある。一生掛けて償うんだ!」
やっとフィッシャーの話が終わった。
最後の部分だけを説明すれば一分で終わる話だと思う。
どれほど時間を無駄に浪費したのだろうか・・・
叱ってやりたい。
そんな事を考えていると、それまで黙って話を聞いていたアリガンがようやく口を開いた。
「そうか。お前の言いたい事は良く解った・・・それでだ・・・」
アリガンの鋭い狩人のような眼が私達に向けられる。
妹のヘレーナはその迫力に負けて、私をさっと掴む。
本能的に犯されると思ったに違いない。
それほどに異様なほど眼力が篭る男の視線だった。
「フランチェスカさん。ヘレーナさん・・・これは言い難いんだが、そのローブを脱いでくれないか。俺は親として息子の言葉を信じているが・・・どうしても最終的に自分の目で確認をしておきたい」
何を?とは問わない。
どうせ、私達の惨めな姿を見て笑いたいに違いない。
高貴なラフレスタ家の者が地に堕ちてしまった姿を見て悦に浸りたいのだろう。
私はあまり躊躇せずローブを脱ぎ、平服姿になる。
ヘレーナも少し遅れて私に続いた。
私の醜い傷のある顔、末妹の欠損した右腕・・・そんなもの見たければ幾らでも見せてやるわ。
私の予想に違わず、アリガンの隣にいたフィッシャーの母は口元を押さえて驚いた様子。
そして、アリガンは・・・大いなる怒りで顔を歪めた。
「こ、このーーー!」
座っていたアリガンは突然に立ち上がり、私達へ襲い掛かって来た。
「ヒッ!」
私はその迫力に負けてしまい、思わず情けない悲鳴を漏らしてしまう。
叩かれる・・・そう思ったからだ。
私がフィッシャーにいらぬ要求をしたばかりに、帝皇デュラン様の命の元に招集された戦勝記念式典を齟齬にした。
自分の息子やクレスタ家に泥を塗った。
帝皇デュラン様に反逆した。
そう解釈されてもおかしくないし、実際にそうだった。
私は歯を食いしばり、せめて自分が殴られる瞬間を見ないように努める。
しかし、ここで殴られたのは私じゃなかった。
パシーン!
「ぐわーーーーーーーーっ!」
ドカン、ドタドタッ!
悲鳴と共に吹っ飛ばされたのはフィッシャーひとりだけ。
そして、彼は壁に激突して、派手に転ぶ。
「な、なんで!」
私は一瞬訳が解らず、そんな言葉を漏らしてしまったが、彼の父アリガンからの怒鳴り声で上書きされる。
「バッキャーーーロウ! この愚息がぁっ! 女の顔にこんな酷ぇ事しやがって。しかも、利き腕を切断するとか、普通するかぁ!? ふざけんなぁーーっ!!」
アリガンの声はバリバリと響き、私の頭の上から重しをする。
「こいつが結婚誓約書かぁ! こんなもの、こうしてやる!」
殴られてもフィッシャーが後生大事に持っていた結婚誓約書をアリガンが奪う。
怒りのあまりにそれを破いてしまうのだろうと思った。
しかし、彼の父がした事は私の予想から外れる。
彼は自分の妻からペンを受け取ると、ガリ、ガリ、ガリ、ダーンと承諾の欄に自分のサインを書き添えてしまう。
「こいつで結婚成立だ。テメェは一生かけてこの人達に償えやぁ!」
そんな怒り千万のアリガンは今度、私達の方に向く。
私とヘレーナは怖気づいて、ヒッ、という悲鳴を漏らしてしまうが、アリガンはそんな事をいちいち気にせず、私達の前に跪いた。
「嬢ちゃん達、本当に済まねぇ。心と身体に一生残る傷を負わせたのは、このクレスタ家の責任だ! こいつには一生かけて償わせる。好きでもねぇ女を妻にするなんざ、女性が第一とするクレスタ家の家訓からしても最大の罰だ!」
「えっ!?」
ここでアリガンからとんでもない事を言われたような気がする。
感嘆符を溢したのは私だったのか、ヘレーナだったのか、それとも両方?
その意味を私達が再確認する前に、事態は新たな方向へと動く。
「だ、旦那様ーっ。大変です。チネール男爵が警備兵を多数連れてきて扉を開けろとの要求がっ!」
「ああん!?」
召使がドタバタと入って来て報告した事を鬱陶しい顔で反応するアリガン。
アリガンが窓から外を確認してみると、確かに屋敷の周りには多数の完全武装の兵がいた。
「ちっ、ネチネチ野郎のチネールめ! こりぁ、あまり穏やかじゃねーな」
そんな嫌味がアリガンの口から出た直後に屋敷の外から大きな声が聞こえた。
「アリガン・クレスタ、屋敷の扉を開けよ! お前のところの息子フィッシャー・クレスタが帰ってきている事はもう解っている。私は帝都で行われた戦勝記念式典に欠席した理由を問わねばならん。そして、事の次第によっては帝国反逆罪で検挙しなくてはならない。それにラフレスタからふたりの女性を連れてきたと情報提供もあった。彼女達にもスタムに来た目的を聞く必要がある」
その言葉に私は青ざめる。
また監禁される・・・そんな予感がしたからだ。
しかし、ここでアリガンは気丈だった。
「畜生。厄介な事になったな。チネールめ、自分の管轄の武器商が次々と不祥事を起こしているからって、これで上に対して点数稼ぎするつもりだなぁ。おそらく、俺達に適当な罪を吹っ掛けるつもりだ・・・おい、フィッシャー。お前達は裏から逃げろ! 今、捕まると面倒だ」
アリガンはフィッシャーや私達にそんな指示をする。
召使にも顎で合図を送る。
それを見た召使のひとりはヒッヒッヒと下品に笑う。
「旦那様、ヤルんですなぁ」
「ああ、すまんな」
何をどうするか、私には全く解らなかったが、どうやらこのアリガンという人物は、今、この屋敷の前に陣取る街の実力者に反抗する気満々のようだ。
そして、アリガンは何かを紙に書きフィッシャーへ持たせた。
「お前達がここに居ちゃ、ちょっと面倒だ。スタムから出て隣国の神聖ノマージュ公国へと入れ。首都のアレグラにちょいと融通の利く知り合いがいる。そこに匿って貰え。嬢ちゃん達の傷も少しは何とかなるかも知らん・・・おい、セバス。お前が先導してやれ」
「ハイ。解りました」
先程やたら不適な笑みを浮かべていた老召使がここで指名された。
ドン、ドン、ドン!
屋敷の戸を叩く音が激しさを増し、もうしばらくすれば容赦なく入ってくる様子を見せていた。
「鬱せぇな! 今、出ていってやるから扉を破壊すんじゃねぇぞ。安くねーんだからなぁ!」
そんな大きな声を発して、アリガンは外に詰めている者に聞こえるよう応える。
彼が大股でリビングから出て行く際、自分の妻にこう囁いた。
「ルミナ、すまねえ。ちょっと面倒をかける」
ここで、フィッシャーの母の名がルミナという事を知るが、ここでの彼女の短い嘆息が私にはとても印象に残った。
「もう慣れた・・・」
ハア、ハア、ハア
私達はスタムの街中を走る。
クレスタ家の裏口から逃げ出し、全力疾走しているから息も絶え絶えである。
当然、準備がままならない状態からの逃走だったので、屋敷を包囲していた警備兵の連中に見つかってしまった。
それでも、すぐには捕まらず、逃走を続けられているのはクラスタ家の老執事の先導によるものだった。
このセバスと言う人物はこんな荒事に慣れているようで、器用に裏道を使い貴族街から抜け出すと、市街地の路地へ入り、警備兵の追手を撒こうとする。
セバスに続き、細い路地を右に左と進み、後ろを確認していたら、ここで私は誰かとぶつかってしまった。
「キャッ!」
足がもつれて倒れてしまったのは私ひとり。
ぶつかりそうになった相手は空中をすらりと飛んで身を躱し、転んでしまった私に手を差出してくれた。
優しい白い手だったが、ここで相手は私と同じ女性だと知る。
しかし、灰色のブカブカのローブ姿で、顔の奥まではハッキリと解らない。
だけど、この女性からは強い何かを感じた。
「大丈夫?」
「え・・・ええ、大丈夫です。アナタこそ」
「私は平気よ、フランチェスカさん」
「え? どうして私の名を・・・」
私からはそんな疑問が飛び出すが、相手の女性はそんな事など構ってくれなかった。
「それよりも追われているようね・・・フランチェスカさんは私の事を知らないでしょうけど、私はアナタの妹の事をよく知っている・・・だから助けてあげる」
「え!?・・・アナタは?」
しかし、その直後、私の記憶は曖昧になる。
その事が気にならなくなった、と言った方が良い。
そうして、後ろから叫ばれた。
「フラン! 何をやっているんだ。早く来い!」
フィッシャーが私の事を心配して戻ってきたみたい。
私が反射的にフィッシャーに方へ駆け出す頃、振り返れば、ローブ姿の女性はもういなかった。
そして、しばらくして、私達を追う警備兵の悲鳴が後ろから聞こえてきたが、私は絶対に振り返らなかった。