第五話 嫉妬の殺人者
シーラは新鋭劇団の団長である。
それまでは無名の彼女であったが、彼女はどこからか帝都ザルツへ流れてくると、瞬く間に劇団を創設し、そして、人気の一座となった。
巧みな経営手腕もあったが、彼女自身が女優として秀出ており、演じる度に確実にファンを獲得してきた事が大きい。
今日も予定されていた公演が終わり、大盛況で閉幕。
「それでは、お疲れ様。明日もよろしく」
団員達に優しい言葉を掛けて、帰路につくシーラ。
美しく、ある意味で妖艶なシーラであったが、実は団員の誰とも深い関係にはなっていない。
異性から非常に人気の高い彼女ではあるが、不思議なほどに今まで誰からも手を出されないのだ。
それは一般客からも同じであり、彼女に高い憧れを懐く客も多いが、それでも高嶺の花という存在感が大きく、深い誘いまでしてこない。
美女が野放しになっているこの現状が不思議で、不自然だったが、それに対し、誰からも深い指摘は無かったりする。
それに、このシーラが帝都のどこに住んでいるのか、彼女の親兄弟のこと、友人の事など、誰も何も解らないのだ。
暴漢を恐れて自分の個人情報を伏せている・・・そんな事を劇団員各々が勝手に思っていた事もあったが・・・
そんな当のシーラは、いつものように帝都の暗い夜道をひとりで歩く。
美しい未婚の女性――それも絶世の美女と言っても良い――には似つかわしくないほどの不用心な行動だが、それが彼女の日常なので仕方がない。
この美人のシーラは、今、アクト・ブレッタの事を考えていた。
「この前はせっかくのチャンスだったのに・・・失敗したわ」
彼女が悔くのは先日の戦況記念式典で、最後にアクト・ブレッタを逃した事である。
控室の間で彼に迫るまでは良かったが、その後、現れた『白魔女』。
白魔女の邪魔さえ入らなければ、アクトを自分の魅力で虜にできたものを・・・
そんな邪な事を考えるシーラ。
実はあのとき、白魔女から割と本気の記憶操作の魔法を貰ったシーラ。
そうなると、白魔女の事を忘れて然りなのだが、当の彼女はあの時の記憶をすべて持っている。
その理由は・・・・
彼女に対する考察を中断しよう。
それは、ここでシーラの行く手を阻む存在が現れたからだ。
ソレは姿を見せなかったが、勘のいいシーラは歩みを止めてしまう。
「・・・誰?」
不安に駆れたシーラがそんな声を漏らすものの、相手からの反応はない。
姿、形、言葉などは聞こえないが、そこに何かが潜んでいる。
そんな動物的な直感がシーラを退かせた。
彼女がゆっくりと後退ると、そうはさせまいと何かが地面で蠢く。
「えっ?」
白い球のようなものがシーラの近くまで転がり、それがシーラの目前で爆ぜた。
ドンッ!
一瞬何が起こったのか解らないシーラであったが、その小さな爆音とともに炸裂した白い球からは無数の細い糸が飛び出し、それがシーラへ襲い掛かる。
「キャッ!」
女性らしい小さな悲鳴を発するシーラ。
彼女が能動的に行動できたのはここまでである。
何故なら、無数の糸が彼女の身体や顔に纏わり付き、彼女の抵抗を奪ったからだ。
ひとつひとつは細い糸であっても、それが無数に、そして、複雑に絡むことで雁字搦めにされてしまう彼女。
彼女の美しい手、足、身体・・・すべて部位に糸が絡む。
「ふぐ・・・むぅ・・・」
自由になろうと必死に藻掻くシーラであったが、それが更に糸の絡みを起こし、そして、身体が縦横無尽に絡められていく。
やがて彼女は立っていられなくなり、地面に倒れ込んでしまう。
まるで『蜘蛛』の巣にでも捕らわれた憐れな蝶々のように・・・
そんな獲物に狩りに満足したのか、暗がりからひとりの刺客姿の女性が姿を現す。
これこそが連続殺人者の『蜘蛛』であった。
彼女が今宵の獲物に選んだのは人気の女優シーラ。
刺客女性は小柄な女性であったが、その目には狂気の笑みが潜んでおり、形容し難い迫力が籠っている。
「う・・・うう」
自分に迫ってくる狂気を宿した女性の存在に恐れ戦くシーラであったが、そんな反応こそこの『蜘蛛』にとってご褒美だ。
『蜘蛛』は身体の自由が利かないシーラの鳩尾を思いっ切り蹴飛ばす。
「グァーーー!」
無数の糸で口も閉じられているため、実際にはそんな悲鳴を発せるシーラではなかったが、それでもそんな苦悶の声が聞こえてくるぐらいの苦しい姿を晒す。
それが『蜘蛛』にとって悦に入った。
「フフフ、いい気味よね。ちょっとばかし男からチヤホヤされているからって、いい気になってんじゃねぇーよ!」
ドカッ、ドカッ!
「っーーーー!!!」
逆恨みの嫉妬に染まる『蜘蛛』は調子に乗りシーラの同じ場所を二、三発蹴る。
その都度、シーラからは声にならない悲鳴が漏れた。
「美人だからって調子に乗りやがって! アンタなんか! アンタなんか!!」
ドカッ!
何発になるか解らない蹴りを与えて、興奮する『蜘蛛』。
やがて、シーラの反応が弱くなってきた。
か弱き女性にしてみれば、かなりのダメージを負った状態であり、気絶してもおかしくない。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・」
蹴っている『蜘蛛』の方も息が荒くなってきたが、それは彼女が蹴りで疲れているのではない。
興奮が・・・嗜虐の欲が満たされつつあり、それにより上気しているのだ。
「アンタって、色目を使ってアークさんも篭絡しようとしているわよね。畜生、ちょっと美人でいい身体を持っているからって、調子に乗りやがって!」
「・・・」
「アンタに比べて、アタシなんかは毎日三流教授の夜の相手をさせられて・・・くっそう、世の中って不公平! 本当に理不尽! 糞くらえっ!!」
ここで『蜘蛛』は愚痴に似た逆恨みの言葉を吐くが、シーラからはもう反応がない。
『蜘蛛』はそれが面白くなかった。
「ちっ、うぜぇ。この程度で気絶なんかしやがって。鍛え方が足んねぇ~んだよ。拷問のし甲斐がねぇーじゃねぇーか!」
『蜘蛛』はそう言うと、内股から鋭利なナイフを取り出す。
それをシーラに突き刺して、苦痛によって彼女を再覚醒しようとした。
しかし、ここで気絶している筈のシーラから意外な動きを見せた。
彼女は突然飛び起きて逃げようとしたのだ。
そんな偶然の結果、『蜘蛛』の取り出したナイフがシーラの胸に深々と刺さる。
「うッ・・・・カハッ!」
口をガバッと開いて、何かを吐き出す仕草をするシーラ・・・
そして、彼女の動きは完全に止まった。
「く・・・コイツ、莫迦か! 自分から刺さってくるなんて・・・いや、偶然!?」
シーラの突然の行動によって焦る『蜘蛛』であったが、ナイフを持つ右手には人間の急所を仕留めた感覚が伝わってきた。
人間の胸深く・・・それは、つまり心臓を一突きにしたのだ。
これでシーラは即死となった。
呆気ない最期。
「・・・く」
しょうもない結末を目にして興醒めする『蜘蛛』。
しかし、ここで彼女を戒める存在が現れた。
「この人殺しめ。そこを動くな!」
誰も居ないと思っていた暗がりから『蜘蛛』の犯行を止める正義の声が聞こえてきた。
『蜘蛛』はゆっくりと声のした後方に振り返って見てみれば、そこには銀色の剣を構える青年がひとり立っている。
それは『蜘蛛』の良く知る顔。
それは彼女が今回シーラを標的に選んだ原因となる男性の存在。
「アーク・・・さん・・・」
時間は少し遡る。
フィーロからハルに贈り物をした方が良いと忠言を受けたアクト。
今更な事で気恥ずかしさも少しあったアクトだが、フィーロの忠告どおり、彼が贔屓にしている商会へと足を運ぶ事にした。
その商会は繁華街の外れにあり、貴族御用達にしている事もあって、一般客お断りの装飾専門店だったが、フィーロからの紹介状を見せるとすんなり中へと案内された。
そして、ここでもアクト・ブレッタの名前と顔は知られており、商会の会長から大層な歓待を受ける事になるアクト。
「今は極々私的な時間ですので・・・」
アクトはそう言い、なんとか商会からの接待を断り、商品を見せて貰うことにした。
ハルに一体何を贈るか・・・困るアクトだが、最終的にアクトが選んだのは銀色の指輪。
先日のローリアンの結婚式でハルが指輪をモノ欲しそうに見ていたのを覚えていた。
(自分もいつか・・・)
そんな気持ちが彼女の心によぎっていたのをアクトも知っている。
自分達はこれからハルの同胞を探すための旅へ出るつもりである。
そんな中でハルと結婚するのは――アクトはもう構わないと思っていたが――ケジメを重視するハル自身が認めないと思っている。
このゴルト大陸の隅々まで探し、それでも同胞が見つからない場合は・・・
加えて、向こうの世界に帰る方法がないと彼女の中で納得すれば、そのときは身を固める覚悟なのだろう。
最近、ハルの中でその覚悟が時々薄くなっているのをアクトも知っているが、それでもハルには最後までやり抜いて欲しいと思っている。
(それまでは・・・この指輪で我慢をして貰おう)
そんな想いも含めて、アクトは銀色の指輪を彼女のプレゼントに選んだ。
指輪を購入したアクトは簡単な梱包をして貰い、それを懐に仕舞う。
立派な箱に入れないのは。ハルを驚かすための演出である。
勘の良いハルならば、箱の大きさだけで、何を買ったのかを簡単に察してしまう。
そして、先程からしきりにハルより『何を買ったのか』と誰何する声が心に届いていた。
しかし、アクトは意図的にその声を無視する。
もし、指輪を買った事をアクトが強く思ってしまえば、それが『心の共有』を経由してハルにも筒抜けになってしまうからだ。
ハルからの問いに対して『帰ってからのお楽しみ』と答えておくアクト。
そんな悪戯心がアクトの心を愉快にした。
そして、アクトは商会を後にする。
アクトは早回りで帰ろうと人通りの少ない路地へ足を向けた時に、この事件に遭遇してしまった。
「ん!? 人が争っている感じがする・・・」
ラフレスタの乱以降、争い事に敏感になったアクトの感覚が警鐘を挙げていた。
彼は黙って銀色の剣を抜くと、路地から更に奥まった道へ進路を取った。
しばらく進むと、暗がりには女性二名の姿が見えた。
ひとりは細い糸で雁字搦めに縛られており、身体の自由が利いていない。
その女性は胸をナイフで貫かれており、無事でない事は一目見て解った。
そして、そのナイフを握る全身黒尽くめの覆面女性がいた。
姿からして明らかに刺客であり、暗殺専門のプロであるとすぐに解る。
「人殺しめ。そこを動くな!」
アクトはそう叫ぶと駆け出す。
「アーク・・・さん・・・」
刺客姿の女性からはそんな呟き声が漏れていたが、ここでアクトは躊躇しない。
彼の勘が『ここで手を抜いてはいけない』と叫んでいたからだ。
剣を力一杯奮い刺客女性へ斬りかかるが、相手もプロである。
アクトの鋭い剣をするりと躱して、後ろへ一回転して大きく宙を舞った。
しかし、それは間に合わなかったようで、アクトの剣は彼女の覆面だけを切り裂く事に成功する。
バサッ・・・
落ちた布の下から現れた女の顔を見て、ここでアクトは驚愕。
「ミールさん!・・・何故?!」