第十六話 レヴィッタのその後
「はぁ~」
帝都魔術師協会の昼休み。
受付嬢達の控室でそんな溜息を漏らすのはレヴィッタ・ロイズ。
そして、彼女の周りには同僚から・・・
「まったく、レヴィッタは・・・」
この場で先輩受付嬢より呆れの言葉を受けるのはここ数日の日常になりつつあった。
帝都魔術師協会に厄介者のセイシルが現れて、レヴィッタを拉致していったのは数日前の話。
そのレヴィッタはあれよ、あれよ、と言う間に戦勝記念式典のエスコート嬢に仕立てられて、気が付けば英雄ウィル・ブレッタの脇を固める存在となっていた。
そのウィルは式典で突然に始まった御前試合で弟のアクトと戦い、そして、負傷してしまう。
レヴィッタはウィルを治療するために闘技場の控室に連れていけば、そこには皇女様が現れて、帝皇様が現れて、アクト・ブレッタが現れて、その家族が現れて、挙句の果てには白魔女も現れて・・・本当に訳の解らない一日であった。
その上、白魔女の正体は自分の後輩女性のハルだと言うし、アクトもアークとして先日のリリアリアの屋敷で面識あった。
そして、最後にはウィルに施した恥ずかしい治療行為。
魔力抵抗体質の彼に通常の治癒魔法は効かないが、身体を密着させた状態ならば有効である事を白魔女のハルより知らされると、あの時のレヴィッタはあまり躊躇せずにその行為を実行した。
あの時のレヴィッタは一刻も早くあの場より離れたかったので必死だったのだ。
傷付いた英雄の顔を自分の胸の谷間に押し当てる。
そうすることで治療魔法は僅かに通り、ウィル・ブレッタという魔力抵抗体質者の男性を治療することに成功した。
あのときは必死だったが、それを時折思い出し・・・そして、恥ずかしさのあまり顔から火が噴きそうになるレヴィッタ。
彼女はいかにも男性経験豊富そうに見えるが、実はそうでもない。
学生時代から彼氏持ちのレヴィッタであったが、彼女が異性に接触を許したのはキスぐらいであり、その先の経験は無かったりする。
そうなる前に破局になったり、彼女自身も強引に迫って来る相手を拒絶したりといろいろあったが・・・未だなものは未だなのだ。
あの時ように生地の薄い衣服を着た状態で殿方の顔を自分の胸の谷間に押し当てる・・・そんな行為は・・・とても破廉恥だと思ってしまう彼女。
ザルツの歓楽街には男性にそのようなサービスを提供する店もあると聞いた事もあるが、自分は決して娼婦ではなく魔術師協会の受付嬢。
しかも、貧しくとも一応貴族令嬢でもあり、それなりのプライドもある。
相手も貴族である必要があり・・・と考えて、そう言えばウィルさんも貴族だし、ありかなぁ・・・なんてどうしょうもない考えをした直後、レヴィッタは自分の頭をブンブンと振る。
あり得ない・・・
ウィルのような大英雄に自分なんて釣り合う訳が無いと思ってしまうレヴィッタ。
まるで娼婦のような行い・・・
あの日は治療が終わったと思った直後、その場から逃げたいと思う一心で、すぐに帰って来てしまった。
それほどに気恥ずかしい現場だったのである。
「うぅーー、駄目だぁ~」
羞恥心に押し潰されそうになりながらも、そんな呻き声を挙げてしまうレヴィッタ。
机に突っ伏す彼女に先輩女性からは容赦ない声が浴びせられる。
「何が駄目なのよ。レヴィッタったら私達には何も教えてくれないくせに、独りで落ち込んじゃってぇ」
先輩女性から指摘あるようにレヴィッタはあの時の出来事を誰にも話せていない。
話せない・・・いや、話せる筈がない。
帝皇様や皇女様の喋っていた事や白魔女の正体については口が裂けても話せない。
もし、話したら・・・それはどうなることやら。
あそこで見聞きしたものは生涯に秘密にしなくはならない・・・その程度の事ぐらいは頭の出来が悪いと自覚しているレヴィッタでさえも解っている。
同僚や先輩には絶対相談できない事であり、家族でも軽々しく話してはならない秘密なのだ。
そんないろいろな意味でいっぱいいっぱいのレヴィッタ。
そこに追い打ちを掛ける出来事が起きてしまう。
昼休み中に交代で受付に立っていた女性が控室へ駆け込んで来て、こう告げたのだ。
「レヴィッタさん、大変よ! 大英雄のウィル・ブレッタさんがアナタを頼って来ているわ!」
「へっ!?」
ここで驚きの声を挙げたのはレヴィッタだけではなかった。
レヴィッタを含めた受付嬢の全員が慌てて控室より飛び出てみると、昼休み中の閑散とした魔術師協会のエントランスにはひとりの青年が花を持ち立っていた。
素敵な白い花束を持つ青年。
偶に美人揃いの受付嬢に熱を挙げた男性が同じような姿で現れる事もあるが、ウィルからはそんな滑稽さを感じさせず、本当に素敵な青年として絵になっていた。
「え? ウィ、ウィルさん!?」
驚き眼のレヴィッタからはそんな言葉が漏れたが、魔術師協会受付嬢の制服を着るレヴィッタの姿を目にしたウィルはニコッと笑う。
「ああ、エスコートの人・・・ではありませんでしたね。レヴィッタ・ロイズさん。先日は本当にお世話になりました」
爽やかなウィルの笑顔は紳士であり、英雄の名に恥じない誠実さに溢れている。
キャーッと黄色い声援が他の受付嬢達より発せられるが、レヴィッタは困惑するだけである。
「えっ!? どうして私のところに?」
「他意はありません。あの時はいろいろとお世話になりましたので、そのお礼を伝えに来たのです」
ウィルはそう言い、持って来た花束をレヴィッタに手渡す。
レヴィッタはそれを唖然とした表情で受け取る。
そして、受け取った白い花束を見れば、繊細で美しかった。
(確か、この花言葉は『誠実なる愛』だったかな?)
と、この時のレヴィッタはそんなどうでも良い事を考えていたりして・・・
それほどに軽い思考停止状態の彼女にウィルの言葉が続く。
「近々・・・いや、今度の休み、一緒にお食事でもどうですか?」
「え? わ、私が、ですか?」
「ええそうです。是非、正式なお礼もしたいし、アナタの事ももっと知りたいので」
白い歯をキラっと魅せて爽やかな言葉を口にするウィルに何人かの受付嬢はうっとりとする。
当のレヴィッタだけは困惑するが・・・
そんなの様子を冷静に見ていた受付嬢のリーダー格の先輩女性はこの情けない後輩のためにひと肌脱ぐ事にした。
「まあ、それはご丁寧にありがとうございます。ほら、レヴィッタ・ロイズさん。アナタ、英雄ウィル・ブレッタ様からお誘いを受けているのよ。支度して来なさい」
「え?」
「え、じゃないでしょう。アナタは今日これから非番にするわ。午後の業務は私達でなんとかするから行ってきなさいな」
「ええーっ!?」
困惑するしかないレヴィッタ。
ウィルもそれは急過ぎると思う。
「いやいや。今は仕事中ですし、これは私の私的な用事です。突然の事でしょうから魔術師協会の仕事を妨害する訳には・・・」
「いいえ。いいのです。ウィル・ブレッタ様。所詮、私共は公僕ですわ。帝国の大英雄となったウィル・ブレッタ様の用事の方を優先すべきなのです。さぁ、レヴィッタさん、行ってきなさい」
先輩女性はそう強引に結論付けて、レヴィッタの背中を押した。
そして、小さい声で「是非に合コンの約束を取り付けて来てね」と念を推すのを忘れなかったのは強かであった。
私、レヴィッタ・ロイズは、現在、ウィルさんに連れられてザルツ北側の丘の中腹にある小洒落たレストランにいる。
テラス席からはザルツの街並みが見えて、天気も晴天で暖かく、全く申し分ない。
そんな昼下がりに素敵な男性と一対一でお茶を飲む。
普通ならばデートとしては満点の状況なのだけど・・・
「・・・・・・」
私の会話はあまりにも続かない。
緊張している?
確かにそうだろう。
希代の大英雄ウィル・ブレッタさんは私と同じ二十三歳だが、共通点などそれぐらい。
学校卒業後、魔術師協会の受付嬢としてノウノウと生きて来た私とはあまりに住む世界が違い過ぎる人。
共通の話題なんて・・・
私はそう思うけど、ウィルさんは本当にいろいろな話題を投げかけてくる。
会話の続かない私の事を気にして・・・本当に優しい人だと思った。
「そう言えば、弟の彼女がアストロ魔法女学院の出身で・・・」
「ああ、それってハルちゃんの事ですね。あっ」
ようやく訪れた私の答えられそうな話題。
思わず私はその話題に食いつき、個人名を出してしまったが、その直後にウィルさんから制止させられた。
それは私達の会話に聞き耳を立てる周囲の客の存在に気付いたからだ。
私はともかく、ウィルさんは今や大英雄の超有名人。
彼の行動のひとつひとつに皆が注目しているのは疑いようもない事実である。
やはり、私なんて・・・そう思っていると、ウィルさんが声のトーンを落として続けてきた。
「レヴィッタさん、申し訳ない。アクトの周囲に関しては秘密事項も多いらしい。妹のティアラから聞き、大体の事情は知っているつもりなので、兄としては真実を把握しているつもりだけどね・・・」
そんな事を言って私の手を握ってきた。
ウ、ウィルさん、近いんですけど・・・
私は余計な展開を勝手に想像してしまい、顔が真っ赤になっていると思う。
まるで初心な村娘のようだ。
私は自分自身がテンパっているのを自覚した。
そして、思わずこんなときにユレイニ弁が漏れてしまう。
「ああ、アカン・・・アカンわぁ~」
「え? アカンって?」
その少し驚くウィルさんの様子を見て、私はしまったと思った。
気が緩んだ時、もしくは、極度に緊張したときに思わず出てしまう私の悪い癖。
この帝都ザルツで・・・いや、最近の私の様々な人生の局面で出てしまう悪い言葉遣い。
この残念方言のお陰で私が今までどれほどの損を被ってきたか・・・
(ああ。これで終わった・・・)
私はここでウィルさんにも幻滅されてしまうのだろうと思い、ガクリとうな垂れてしまう。
しかし、ウィルさんは違っていた。
「その方言って、もしかしてユレイニの方言ですよね。レヴィッタさんは素敵ですよ」
「え?」
予想外の彼の言葉に私は顔をカバッと上げてしまう。
そうすると彼は朗らかに笑って、私にこう伝えてきた。
「だって。それは自分の故郷に誇りがあるって意味じゃないですか。ユレイニの方言には愉快なところもあって、それを莫迦にする人もいるけど、私はそう思わない。ユレイニにはユレイニの良さがある。方言だってそうだ。私もトリア出身の田舎者だからね」
「そ、そんな。ウィルさんが田舎者だなんて」
「帝都ザルツからすれば田舎には違いない。そう考えればユレイニもトリアも一緒だ。そう言う事で、私達は同じ田舎者という訳さ」
ウィルさんはそう言って私の事を仲間だと認めてくれた。
なんだか嬉しかった。
「もっと教えて欲しい。ユレイニの事も、レヴィッタさんの事も。私達はきっと同じ何かなのだと思うよ」
「え、ええ。私の事で良ければ・・・」
「うむ。そして、私の事も知って欲しい。レヴィッタさんは現在付き合っている人はいないのかい?」
私はゆっくりと頷いた。
どうやら私は彼からモーションをかけられているようである。
その後、彼からは次も会おうと声を掛けられて、私も渋々頷いてしまった。
どうせ私なんて大英雄のウィルさんに遊ばれるだけだろう・・・
そんなことぐらいにしか考えていなかった。
このときの私は・・・