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第十五話 虚皇の楽園

 帝都ザルツの中央部には帝皇一族の生活する区間が用意されている。

 その区間の敷地は広大であり、下手をすれば、ラフレスタの第二区間の内側がすっぽりと入ってしまうほどだ。

 そんな広大な居住区に住むのは帝皇一族だけではなく、彼らの身の回りを世話している者も含まれるが、それにしてもこの広大な敷地を全て使うほどではない。

 その一角には帝皇一族でさえも立ち入り制限している区間があった。

 現在、そこに続く経路を進んでいるのはロッテル・アクライト。

 彼は帝皇デュランより特別な許可を貰い、ここへと来ていた。

 厳重に警備された門をくぐり、その内側へ入ると、そこには木々が適当に植えられた森の広がる世界である。

 木々の隙間からは澄みきった春の青い空が見え、そして、遠くからは人々の歓声が聞こえてくる。

 

「ちょうど、今は戦勝記念式典の時だな・・・」

 

 胸元から取り出した『懐中時計』で現在の時刻を確認し、そんな事を呟くロッテル。

 この式典には自分の戦友とも呼べる多くの仲間達が出席している。

 その中の何人かはもう二度と会えないだろう。

 それはロッテルが帝皇デュランより国外追放を言い渡されているためである。

 そして、これから会う人物・・・それは自分が国外追放の発端となってしまった原因。

 この人物を最後まで守れなかった自分への贖罪。

 そう思い直し、人工的に造られた森の道を奥へ進む。

 やがてしばらく進むと一軒の屋敷が見えてきた。

 白亜の建物で、立派な造りの大きな屋敷である。

 そう、帝皇が生活するのには遜色のない住まい。

 その庭には三人の人物が見えた。

 ふたりの侍女を従えて優雅にお茶を飲むその御仁の姿は以前から何も変わらない。

 まだ遠かったが、それでもロッテルは恭しく一礼して、そして、自分のかつての主人の元へ歩み寄る。

 

「殿下、御無沙汰しております」

 

 ここでロッテルは大きな声を発してみたが、それに気付いたのは侍女のふたりのみである。

 彼女達は現れたロッテルの姿を見て口元を抑えていた。

 そう、彼女達はかつてのロッテルの部下であったリーナとバネットだったからだ。

 当然に彼女達はロッテルの存在をすぐ気付くが、ここでロッテルは違和感を覚える。

 優雅に佇むジュリオ第三皇子の様子にまったく変化が現れなかったからである。

 無反応と言っても良い。

 精巧な人形がそこに置いてあるように、まるで人の気配がしなかった。

 大いに引っ掛かりを覚えるロッテルであったが、それでも彼はジュリオ第三皇子の前まで来ると、恭しく片膝をついて儀礼を示した。

 

「ジュリオ殿下、お久しゅうございます。ロッテルめがここに参上いたしました」


 そんな姿のロッテルにジュリオは片目だけをそちら側に向けた。

 

「・・・」


 無言のジュリオに、ロッテルもここで異変が確信に変わる。

 これは一体どうしたのか?と誰かに聞こうと思った矢先、ようやくジュリオが口を開く。

 

「ほう。予の元に臣民が来るとは珍しい・・・名をなんと申す?」

「え・・・私は・・・(わたくし)めはロッテル・アクライトにございますよ? 殿下!」


 ロッテルの言葉には狼狽が含まれていたが、当のジュリオはそんな事など構わない。

 

「そうか、ロッテルと申すのか。其方には土地を授けてやろう。予の帝国で幸せに暮らすがよい」

「・・・」


 ロッテルはジュリオに何が起こっているのか解らず、思わずリーナの顔を見る。

 彼女は目を伏せて、ただ静かに首を横に振った。

 そして、リーナの隣にいたバネットが慌ててジュリオの元へと近付く。

 

陛下(・・)、そろそろお休みの時間です。さあ、寝所にご案内いたしますわ」

「おお、そうか。バネットよ、済まぬな。予にはまだ昼下がりのようにも見えるのだが、其方の言うとおり、もうすぐ夜が来るのかも知らぬ。其方は私よりも勘が鋭いからな。ハハハ」


 ジュリオは焦点の合っていない目でそんなことを言うと、バネットの案内に身体を任せて、屋敷の中へ移動していった。

 そんな姿を黙って見送るロッテルとリーナ。

 やがて、ジュリオが屋敷の中へ消えると、ロッテルはリーナに向き直った。

 

「これは一体??」

「お痛わしい事に、ジュリオ様は悪魔の薬の作用であのような御姿に・・・」


 悔しさを滲ませてそう言うのはリーナ。

 

「敵から魔法薬『美女の流血』を大量に投与されてしまったジュリオ殿下・・・それは致死量を遥かに超えた量だと医師から言われました・・・本来ならば助からない。助かっても障害が大きく残る。その結果・・・命だけは助かりはしたものの・・・あのようなお姿に」


 リーナのその言葉だけでロッテルは大概の状況を把握できてしまった。

 魔法薬『美女の流血』によりジュリオ殿下の心は大きく破壊されてしまった。

 

「殿下は自分の事を帝皇だと思っていらっしゃる・・・あの時のラフレスタの乱が成功したと信じられています。そして、この屋敷から指示を出して、自分こそが帝国を安寧に導いているのだと、妄想の世界に住んでいられるのです・・・」

 

 偽りの玉座。

 偽物の帝国。

 この偽りの世界はこの屋敷の一区間にしか存在しない。

 そんな偽物の帝国を支配している虚皇ジュリオの姿がここにあった。

 彼は生涯ここに幽閉されるのだろう。

 帝国の権威からして、廃人となった彼が、この先、決してここから外の世界に出しては貰えない。

 悲痛な表情のリーナ。

 その悔しさがロッテルにも正しく伝わっていたし、ロッテルも同じ気持ちがあった。


「治らぬのか?」


 ロッテルの問いにリーナはゆっくりと目を瞑る。

 無理・・・そんな過酷な現実を暗に告げる。

 その事実を察したロッテルは両目を瞑る・・・

 そして、その直後、地面をおもいっきり叩く。


ドン!


 庭の土を打つ鈍い音と強烈な痛みがロッテルを襲うが、今のロッテルはそれを感じるどころではない。

 彼はとても悔しかったのだ。

 自分の夢も掛けて、最後までついて行こうと決めた君主が、こんなことになってしまった事実を・・・

 その君主を最後まで守れなかった自分の不甲斐なさを・・・

 

「ジュリオ殿下は・・・これで終わってしまったのだな」

 

 そんな言葉を出した瞬間、ロッテルの目から一筋の涙が零れる。

 悔しさの涙・・・怒りの涙・・・

 いつも冷静で感情の浮き沈みを他人に決して晒さないロッテルだが、この時ばかりは彼が人間であることを証明していた。

 そして、涙を流すのはリーナも一緒である。

 互いに言葉は無く、暖かい春の風がふたりの間を過ぎる。

 この心地良さが余計にこの残酷な事実を腹立たしく感じさせてしまう。


 少しの時間を置いて、やがてロッテルは決意した。

 

「今回の失敗の件で、私は帝皇デュラン様より国外追放の罰を受けている・・・それは謹んで受ける・・・いや、受けてやる! ジュリオ殿下をこんな姿にした奴らに報いを受けさせよう!」


 強い決意を新たに心に刻むロッテルはここで顔を上げた。

 澄み渡った春の空に大きく叫んでやりたい気分だが、ここでロッテルはそんな無駄な事をする人物ではない。

 そんな大声を発すれば、屋敷に戻ったジュリオ殿下に異変を気付かれてしまう。

 彼は既に廃人になっているため、気付かれたところでどうとなるものでもないかも知れないが・・・

 それでも、かつての主人に自分達が負けて打ちひしがれている所を見られたくもなかった。

 ロッテルはまるで地中に蠢くマグマのように静かな姿で怒りを蓄積する事にする。


「これからの私は新生国家となるエクセリアに籍を置こうと思っている。そこからボルトロール王国に喧嘩を売ってやろう。生涯をかけてボルトロールに復讐するつもりだ」


 今ここに、ロッテルの生涯を掛けた新たな目標ができた瞬間であった。

 理由はどうあれ、次の人生の目標を持つということは、その人の心を強くするものである。

 それが例えマイナスの感情であっても・・・

 己を冷静に分析できるロッテルは、心のどこかでこの自分の心に生じた怒りを客観的に見ているという奇妙な体験をしていた。

 

(これは、怒りをぶつける正当な理由を得て喜んでいる自分がいる・・・これは自らの怒りを冷静にコントロールできているのだろう・・・だぶんな)

 

 ロッテルはそのように自分の気持ちを冷静に分析してみせた。

 冷静を装う事で、心が怒りに支配されようとしていたのを阻止できたと言った方が良いのかも知れない。

 

「リーナ。申し訳ないが、殿下の事は頼んだぞ」

「はい、解りました。殿下の事はお任せください。私とバネットの生涯を掛けてお仕えさせて頂きます」


 彼女の決意の籠った姿を確認したロッテルはこれで少しだけ安心する。

 こうなるとロッテルの行動は早い。

 彼は踵を返すと、その直後に、この屋敷をあっさりと後にした。

 ロッテルが次にしなければならない事は心の壊れたジュリオに同情して慰める事ではない。

 一刻も早く新生国家となるエクセリアに赴き、そこで軍事力を高めることだ。

 それがボルトロール王国の脅威に・・・そして、いつになるか解らないが、反転攻勢をかける事につなげられるからである。


 その日の夜。

 ロッテルは自分の近親者に帝皇から国外追放の罪を負ったことを説明し、アクライト家の家督を親戚に譲った。

 こうして彼はエストリア帝国から出奔し、隣国となるエクセリアに赴き、そこで生活の拠点を築くことになる。


 残されたジュリオ第三皇子は、その生涯をこの帝都の奥に設けられた秘密の領域で過こした。

 彼は決して外の世界に出ることは無い。

 彼はこの小さな世界で自分が帝皇であることを疑わず、彼の臣民となった数少ない人物と共に長い生涯を過ごす事になる。

 そして、虚皇の妃となったふたりの元侍女から、ふたりの皇子が生まれたことは帝国の歴史の片隅として残っている。

 


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