第二話 特別な会合
「ハルさん。お元気そうで何よりです!」
エレイナは開口直後、嬉しさのあまりハルに抱き着く。
「それはこちらのセリフよ」
ハルもかつての同胞を抱き返した。
年齢はハルより十二も年上の女性だが、このエレイナに対して敬語はない。
それはこのふたりが既に対等以上の信頼関係を持つからだ。
「聞いたわよ。彼からプロポーズされたんだって?」
そんなハルの言葉にエレイナは少しだけ顔を上気させて、「ええ」と短く答える。
噂には聞いていたが、どうやらあの独身貴族だったエリオス・ライオネルという男は、ようやく人生の伴侶を決めたようだ。
「私も、もうすぐしたらエリオス家の性を名乗る事になります」
幸せそうにそう答えるエレイナをハルは純粋に祝福する。
「おめでとう。そして、王妃様になるのね」
「よくご存じですね。まぁ、帝皇デュラン陛下の御膝元にいるハルさんならば情報は全て筒抜けでしょうけど」
エレイナは観念したように、はにかむ。
彼女のそんな惚気た姿は麗しかったエリオス商会の美人秘書時代には一切見せない姿。
彼女が月光の狼の中で一番凛々しい刺客だったとはとても想像できない。
今はただ普通に恋をして、想いの人の妻になろうとしている女性の顔になっていた。
そして、ハルとアクトは確かにこの情報を事前に得ていた。
『ラフレスタ解放』と『クリステ解放』という難題を克服したエリオス・ライオネルには格別な報奨が与えられるという情報を。
数日で平定する事ができたラフレスタの乱と違いクリステの戦況は激戦だったようで、二箇月近く戦乱の日々が続いたらしい。
最後には少数精鋭の騎士隊の突撃により謀反人である領主のルバイア・デン・クリステを討ち取り、見事クリステ解放を果たしたが、そこに至るまでの戦死者や長期戦で犠牲となった一般市民が多く、街も大きく破壊されてしまったようだ。
現在のライオネルはそんなクリステを復興する事業を請け負っている。
この希代の英雄に対して、帝皇は褒賞として新しい領地を授ける、という噂が帝都中央政府の内部には蔓延していた。
勿論、その噂は操作されたものであり、ラフレスタ解放のときの会談の席で、既に帝皇デュランはライオネルにその事を打診していたのをアクトとハルは知っている。
ライオネルが帝皇の期待どおりクリステ解放を果したので、この褒賞は帝皇にとってある種の既定路線であったが、それでも帝国の領地を別の国として分け与えるというのは大義名分が必要であるのだ。
この褒賞については、帝都でもうすぐに行われるラフレスタとクリステの戦勝記念式典で、帝皇デュラン自ら民衆の前で大々的に正式発表する予定なのだとか。
こうして、ライオネルの思い描いていた自由で平等を是とする国造りが許可される。
新しい国名はライオネルが提案したどおり『エクセリア』になる予定であり、只今、水面下でいろんな事が動いている。
帝皇が発表するまでは、一応、秘密となっているが、帝国中央政府や元クリステの官僚達はいろんな準備のため大忙しで活動しているので、勘の鋭い者は既に気付いているらしい。
そのエクセリアの初代国王に就任するのが当然ライオネル・エリオスその人である。
そして、国王には王妃が必要であり、それが目の前にいるこのエレイナに定められた。
必要に迫られての婚姻でもあったが、このふたりにとってはそれぐらいの後押しがないと結婚するに至らなかったのかも知れない。
既に男女関係としてはいろいろと済ませているふたりでもあったし、永年連れ添っているという意味ではエレイナとライオネルのふたりは、もう普通の夫婦以上に濃密な時間を共有している。
ライオネルがラフレスタ家の嫡男であったヴェルディの時まで遡ると、少なくとも二十年間近くふたりは同じ人生を歩んでいる事になるのだ。
それはエレイナの人生の三分の二を占める時間であり、そう思うとエレイナがこうして結婚にまでたどり着けたことはハルの心にも熱い何かを感じさせていた。
そして、当のエレイナはそれ以上に感無量なのだろう。
そのエレイナが今日ここに来た理由・・・それはそのエクセリアの件である。
彼女だけではない。
その後も次々と商人に扮した要人達が秘密裏にこの研究室へ集まって来る。
宮廷魔術師長のジルジオ・レイクランド。
元クリステの高級文官であるスパッシュ・ラッドリア。
法律関係の権威である帝国大学法律研究学科長のロンド・トリスティ。
現在のハル達の受入れ先でもある帝都大学魔法応用研究学科長のフィスチャー・ルファイドルと、その上司の魔法学部長エリセル・コルニアも参加する。
他にも、帝国中央政府の高級文官数名と、エレイナが信頼するエクセリアで要職文官候補になる職員達(将来、彼らがエクセリアの法律を担う)の数名が来訪。
こうして殺風景だったハルの研究室には二十名ほどの人が集う場となった。
彼らは大きなテーブルを囲み、その中央にハルとアクト、エレイナが座っている。
そして、エレイナが仕切る形で秘密の会合が始まった。
「さあ、それでは始めましょうか。民主主義の勉強会を」
そう、ここにエストリア帝国の法律学の重鎮達が集まったのは訳がある。
他ならぬエクセリアで国法を制定するに当たり、ハルの世界にあった民主的な法律を参考にするために開かれた会合なのだ。
エレイナは自分を含めてここに集まった全員の簡単な紹介を済ませると、まず、最初に約束をする。
「まず、この部屋で見聞きした民主主義の法律以外の情報は完全に秘密とします。私も含めて、各人墓場まで持って行ってください」
それは事前に申し合わせがあったため、この場に及んで異議を唱える人物は既に存在しない。
そのことを各自の了承の言葉で再度確認したエレイナはハルに目配せをする。
それを合図にハルが口を開いた。
「皆さんの了解が得られましたので、続きは私からお話しましょう。まず、私は異世界人です。つまり、この世界とは違う場所からやってきた人間と言う意味になります」
ハルのこの宣言についてもこの期に及んで驚く人間はこの場にいない。
既にその事実は事前に説明されていたし、彼女の今まで功績と、もうひとつの秘密についても、既に知らされているからだ。
それを事前に聞かされていたハルは遠慮することなくローブの懐から白仮面を取り出した。
「これを付けさせてもらうわ。その方がやり易いし」
ハルがそう言うと、彼女は白仮面を装着。
その直後に眩い光が彼女を覆い、膨大な魔力の奔流・・・こうして、絶世の銀髪の美女がこの場に姿を現した。
「おお!」
集まる人の口々からそんな感嘆が漏れる。
一応、ハルが白魔女エミラルダである事実は聞かされていたが、それでも実際にそれを目にするのとは大違いである。
白魔女の持つ圧倒的な存在感と魅力が彼らに大いに当てられるが、ハルとしても別にこの面々を魅惑で支配するために白魔女になった訳ではない。
これから行われる会合はおそらく夜通しとなるだろう。
彼女としても白魔女に変身するといろいろな能力が底上げされるので、多少の徹夜をしたところでこの方が疲れないのだ。
それに、これからはサガミノクニの言葉とこちらの世界の言葉を同時翻訳しなくてはならない。
そういう意味で彼女の頭脳の処理能力が底上できる魔道具を使わない理由はない。
「XA88。民主主義の法律について初級教育用プログラムの映像を再生して」
白魔女となった彼女は自分の持つスマートウォッチに語りかける。
既に起動を済ませているXA88は主人の命令に従い、要求どおりの映像を空中へ投影した。
『民主主義』・・・そんなテロップが空中に投影されるが、サガミノクニで一般的に使用されている東アジア言語がエストリア帝国の人に解る訳がない。
ハルは同時翻訳として、オリジナルの映像のとなりに光の魔法を駆使してエストリア帝国人でも解るよう翻訳した映像を投影する。
こうした芸当ができるのも、ハルが白魔女として能力を発揮しているからである。
映像は初等教育向けの簡単な内容であったが、その方が簡潔にまとまっており、解り易いと思ったからだ。
そして、その映像が始まる。
――――この世の人類は全世界を舞台とした大戦争を三度経験し、多大な犠牲を払い多くの事を学んだ。
そのひとつが大国のエゴ。
絶大な権力と軍事力を背景に、自らの利益のみを追求した結果が大戦争を引き起こしたのだ。
温暖化による食料不足、領土・占有権の問題、民族紛争、宗教的対立・・・理由はいろいろとあっても、最後に行き着くところは、人間として押してはならないボタンがある事、誇りと言う名の元に武力で解決しようとする事を肯とする愚かさが人間の内にあるのかも知れない・・・
異常事態を異常としない集団心理、大国は軍事力の矛先を少人数の議会で決めて、それを実行してしまう政治システムに大いなる欠陥があった事を我々人類は尊い犠牲を払って学んであった。
だから我々は民主主義を更に推し進めなくてはならない。
愚かな行いを恥と知り、常に考えて、悔い改める事が自然にできるような政治と社会システムこそが人類の安泰な繁栄に必要なのだ。
そのために民主主義はある。
小さい政府の民主主義が必要なのである―――――
そんな哲学的な前振りから映像は始まり、記録された映像が映し出される。
そこには豊かな生活のひとコマが描かれていた。
多くの人が集い、安全で清潔な街の風景、豊かな食べ物と、温かい衣服、どこにでも行ける交通手段と、楽しい家族団らんの一風景・・・すべてが極楽のような風景だが、それはハルにとっては懐かしい映像。
それこそがサガミノクニの日常であり、ハルが十六年間、普通だと思っていた世界である。
そんな平和で日常的な映像を背景にサガミノクニの民主主義システムの解説が始まる。
「この国の民主主義の根幹は、人類は皆、法の元に平等であること。戦争をしない事。そして、主権が国民にある事に始まります・・・」
ハルはアナウンスを同時通訳でゴルト語を声にして、文字もゴルト文字に置き換えて翻訳する。
そんな映像が十五分ほど続き、教育用のプログラムは終了となった。
小学生向きの簡単な内容であったが、それでも、ここに集まった全員は興味深く聞いている。
特に、主権が国民ひとりひとりにあり、王や貴族さえ存在しない社会構造には大きな衝撃を受けたようであった。
質疑応答の時間となり、法律の権威であるロンドが早速口を開く。
「興味深い社会構造だが・・・よくもそのような王も居ないで・・・」
彼が困惑するのも無理ない。
ロンドの育ったこのゴルト世界の国には、王と言う名の君主が存在しているのが当たり前であり、それが居ない世界など想像できないからだ。
「貴方が困惑するのも解るわ。でも、それが民主主義よ。主権は国民にあり、その代表が選挙によって選ばれる。代表もひとりではなく、議会と言う大きな枠組みで物事を決める。そして、それを統括する『法』という存在が上位にある。その『法』を正義として行動規範とするの。しかし、その『法』でさえも、その気になれば民衆で変更する事もできる。それが立法権ね。その立法も有効か無効かは別の機関で審査される。こうして互いに監視する事で、一部の人間だけが一方的に都合良い権力の集中を避ける。それが民主主義のシステムよ」
「そんなもの・・・何も決められないではないか」
ロンドが思わずそう口にしてしまう。
「そうね。でも、民主主義はそれが良い事だとされているわ。少人数で物事を決める事の危うさが、戦争を生み、貧富の差を生み、偏見を生むのよ。そんなことよりも、なかなか物事が決まらず、緻密な議論して、その議論の果てに物事が決まる。それが私のいたところの世界の人類の知恵なのだと思う」
「・・・」
「尤も、この論理がそのまま、このゴルト世界に当てはまるかは解らない。この世界は私のいた世界ほどに洗練されていないから・・・」
ハルのその言葉に元クリステの高級官僚であるスパッシュが反応した。
「我々を、この世界を見下すのかね」
「そう言ったつもりはないけれど・・・そうね、置かれている状況が違うと言った方が正しい表現だったかも知れないわね。訂正するわ」
ハルは例えが不適切だったと反省する。
「私のいた世界では科学技術が発展していた。例えば、この世界で月に行った人間はいる?」
ハルの言葉に皆は首を横に振る。
「そうよね。でも、私のいた世界ではもう百年以上も前に人類がそれを果たしている。世界中のどこでもほぼ一日以内に行けるし、ここからラフレスタの距離ぐらいだったら通勤通学の範囲」
改めてハルの例えに衝撃を受ける一同。
「移動でさえ、そうなのだから、他のものはもっと発展しているわ。特に通信ね。エストリア諸侯のみ持つことが許されている通信用の魔法の水晶玉だって、私の世界では国民ひとりひとりが持つぐらいよ。世界で何か争いごとが始まれば、翌日には世界中の全ての人がそれを知る事になる。それぐらいに人の目が届く世界・・・だから、下手な事ができないし、ゆっくりとした民主主義が政治システムとして成り立つ背景だと思うわ」
「・・・なるほど」
ロンドは難しい顔をしつつも、ハルの言った意味を噛みしめるようにして頷く。
「他にも決定的に違う事・・・それは、私のいた世界には魔法と魔物は存在しなかった。その要素が、この世界で民主主義を組み立てる場合、どのような影響を及ぼすか・・・これは現時点で未知数な要素なのよ」
「魔法が無いとは、つまらない世界だ」
寡黙なジルジオが珍しく口を開く。
「そうね。宮廷魔術師長からすると自分の仕事が無くなる訳よね・・・」
ハルもしみじみそう思う。
科学の申し子であるハルにしても、現在はこちらの世界で大魔女と同格の存在になってしまったから、何とも言い難い感想だ。
「そして、魔物も居ない世界よ。こことは決定的に状況が違う・・・そういう意味で『洗練されていない』と言ったの。下手にあちらの世界の民主主義を推し進めても、受け入れられない場合もあるわ」
「それでも、我々は『民主主義』を探求すべきです。最終的な判断はあの人に決めてもらいますから」
エレイナは強くそう希望する。
彼女は自分の夫となるライオネルの夢を叶えるために、ここに来ているのだから。
その事をハルも解っているつもりだ。
「そうね。愚問だったわ」
それでは、と気持ちを切り替えて、ハルによる民主主義の勉強会が再開し、様々な資料や法律に関する話が披露されて、結局、この会合は夜通し続く事となる。
初めは民主主義に対して懐疑的だった参加者達は、徐々にその思想と政治システムが洗練せれている事に気付き始め、興味を懐くようになる。
議論が活発となり、当然一夜で十分ではないと言う結論に至る。
次の会合、さらに次の会合へと続き、彼らの民主主義に関する理解は進む。
こうして、夜通しの会合が続くが、新しい知識への興味と国造りの希望に燃える彼等の心の炎はこれぐらいの徹夜の作業で消える事は無かった。