第十三話 アクト、対、ウィル
「ウォーーーー!!!」
闘技場が再び大きな熱狂と歓声に包まれたのはウィル・ブレッタとアクト・ブレッタのふたりの御前試合が急に決まったからだ。
互いに人気の高い英雄ふたりによる試合。
それは余興として最高のショーであり、観衆達は予想外に訪れた娯楽のチャンスに興奮気味だ。
そのふたりは闘技場内にできた丸い石造のステージへ移動し、練習用の剣を振りその調子を確かめている。
ウィルの方は初めから落ち着いており、アクトの方は多少に困惑気味だが、それでも気持ちを切り替えて剣術士としての準備に入る。
数回素振りをしたところでジルジオがステージに上がり、ここでの審判役となる。
ジルジオやウィルが落ちついていることを見て、アクトはやはりこれは以前から仕組まれていた事だと理解する。
愛欲によって弛んだアクトの心を叩き直してやろうと思っていたウィル。
そのウィルに好意を寄せ、何とかウィルの役に立とうとする第一皇女。
そして、帝皇デュランが興業としてこの戦勝記念式典を成功させるため。
これら全てが微妙な思いが合致した結果が、この御前試合の実現となったのだ。
厄介な事になったと思うアクトであったが、ここで会場の奥の方に座るハルの方角に視線を向ける。
ハルの姿は遠くて見えなかったが、それでもアクトの心にはハルからの暖かい声援が届く。
(そうか・・・遠慮なくやれ、か)
アクトはハルからそんな想いが届けられて、勇気づけられる。
「遠慮なくやれ」とはハルからの願いだ。
これで自分達を別れさせようとする兄に・・・勝たなくてはならなくなった。
(気持ちを引き締めよう・・・これは絶対に勝たなくてはならない!)
アクトはそう決意すると一気に気持ちが引き締まる。
こうして戦の準備の整ったアクトとウィルは互いに石造りのステージの両端に立ち、そのすぐ外側には互いにエスコート役となる美女が戦いに立ち会っているかの如く立ち並んでいる。
アクト側には美人女性シーラが立ち、ウィル側にはこちらも美人女性レヴィッタ・ロイズ。
これは古代から続く由緒正しい決闘のスタイル。
別に彼女を掛けて戦うつもりはなかったが、それでも観衆から見ればそのようにも映る。
興奮止まない観衆達だが、それを制するように審判役のジルジオから事前の注意が述べられた。
「クリステ解放の英雄ウィル・ブレッタと、ラフレスタ解放の英雄アクト・ブレッタの御前試合を開催する。互いに剣を振るい、急所に一発入れば勝だ。また、このステージから場外に出ても負けとなる。これは帝皇の前で行う神聖な試合である。互いに健闘するように」
ジルジオの言葉にウィルとアクトは頷く。
そして、この御前試合は光魔法で映像化されて空中に大きく投影されていた。
こうして広い闘技場であっても観衆の誰もが楽しめるようになるのは魔法文化の整うエストリア帝国ならではであり、この場所が闘技場で元々そのような便利な魔法設備が組み込まれていたのも大きい。
観客席から投影された映像を眺めるハルも、この闘技場というシステムが意外に洗練されており、妙なところで感心していたりする。
そして、御前試合が始まった。
「いざ、初められよ!」
ジルジオの宣言と同時にふたりは動く・・・ことは無かった!
「・・・」
「・・・」
アクトとウィルは互いに剣を構えるが、力強い彫像のように相手を睨む以外微動だにしない。
力強く構えるアクトに対して、ウィルは自然体。
しかし、その姿に隙はまったく見られない。
『何処から攻めてきても打ち返してやる』・・・そんな静かな闘気を出すウィル。
このふたりから発せられる重圧は一般人でも良く解り、映像越しに観ているハルでさえ互いに隙のない状況である事は人一倍理解できた。
それはハルがアクトと心の共有を果しているためであり、アクトが持つブレッタ流剣術の心得を会得していたからである。
そんな彼女から見ても、このウィルと言う男性からは全く隙が見えない、やはり一流の剣術士である。
互いに強い力を潜ませた状態で目に見えない攻防を繰り返している。
ああ動けばこう動いてやる、こう動けばああ動いてやる・・・互いにそのような想定の間合いを図る攻防。
強い発条を互いに圧縮した状態で、それが開放される瞬間を互いに伺っている。
例えるならばそのような重圧下での攻防なのだ。
「これは・・・凄いわね」
ハルはウィルの実力を手放しに称賛したが、その直後、そんなウィルこそが自分達を困らされる存在である事を思い出して、複雑な気持ちとなる。
しかし、普通の観衆はそこまで解らない。
互いから発せられる重圧は解っても、そのふたりが何故止まったままなのかは理解できていない者も多い。
観衆の内、子供などは自分の親に「なんであのふたりは動かないの?」と質問しているが、親からは「黙って観ていなさい」と注意されたりと・・・
それは審判のジルジオも感じていたのだろう。
「なかなか玄人な戦いですが・・・これでは一般ウケが良くないです。私が少々アレンジメントしましようか?」
そう言うとジルジオの魔法が炸裂した。
無詠唱で放たれる火炎魔法。
容赦のない魔法がステージ上に立つ英雄ふたりに襲いかかる。
しかし、このふたりは共に魔力抵抗体質者。
そんな魔法に臆する事は無かった。
ウィルは守りを固めて防御姿勢をとる。
これに対してアクトは左手を大きく突き出した。
アクトが行ったのは最近彼が得意とする魔力殴りだ。
パシン、パシン、パシン!
アクトの拳が実体のない筈の魔法の炎を、まるで実態があるかの如く叩いて退かせて、黒い霞へ変えた。
「おーーーー!」
あっと言う間に魔法を無力化するその姿に、観衆達から大きな歓声が零れた。
魔力抵抗体の力を目にするのが初めてと言う人も多かったからだ。
魔法の炎を派手に駆逐するアクトは対決しているウィルにとっても好機に映る。
「覇ぁーっ!」
発奮と共にウィルは駆け出し、魔法の炎の中を突進しアクトの目前に迫ってきた。
そして、流れるような所作で剣を突き立てる。
キン、キン!
甲高い音が複数響き、ここでアクトとウィルが初めて剣で打ち合った。
キ、キ、キ、キ、キーン
凄まじい速さで繰り出す切っ先はブレッタ流剣術の醍醐味である高速の打ちである。
ウィルは目にも止まらない速さで次々と剣を打ち出すが、対するアクトもその全ての件筋を見切り、自分の持つ剣で上手く防ぐ。
しかし、あまりにもその手数が多い。
アクトは体勢を立ち直そうと後ろへ飛び退くが、それを許すウィルではない。
アクトが後方に飛んだのと同時にウィルも同じ方向へ飛び、その胴体に剣を叩き込もうとする。
しかし、それはアクトも予想していた事であり、身体を巧みに捩り、それを躱した。
これを目にした観衆達は先程の静かな攻防から一転して始まったこの激しいこのやりとりに息を呑むしかない。
目で追う事も難しいこの派手な攻防だが、これでふたりの実力がよく解り、これこそ英雄であると観衆達は再認識した。
そんな英雄アクトは空中でウィルを蹴った。
大したダメージを与える攻撃ではないが、これによってウィルと距離を取ることに成功する。
そんなふたりは空中で華麗に一回転し、そして、ほぼ同時に地面に着地。
ウィルは涼しい顔をしてアクトに語りかける。
「なかなかやるようになったな、アクトよ」
「ええ。俺も鍛えていますから!」
これぐらいできて当然と応えるアクト。
傍から見て凄まじい剣の攻防に見えたが、それは彼らにとって挨拶程度である。
それぐらいにこのふたりの剣術は既に高みにあり、この御前試合を遠くから観ていた彼らの親であるレクトラは、「うむ」、と短く納得していたりした。
この息子二人の実力が、故郷のトリアを発ったときよりも更に伸びていたからだ。
それは己の鍛錬を積み上げてきた結果であり、成果として出せているのだ。
今までレクトラは自分の息子をあまり褒めた事はなかったが、後ほどふたりを誉めてやろうと思った。
この短い期間にふたりの実力を測るレクトラであった。
そして、レクトラはこの先どちらが勝つかのをここで解ってしまった。
ここでこのふたりの技量差が見てしまったのである。
しかし、それは誰にも言わない。
技量の違いだけで勝敗は確定しないのだから・・・
「時の運・・・そして、想いの強さ・・・それが勝敗を分けるだろう」
そんな短い言葉のレクトラの予見は妻であるユミィにしか聞こえなかった・・・
当のふたりの兄弟には父親からの批評が聞こえた訳でもなかったが、兄のウィルは経験の差により自分と弟の実力差がよく把握できていた。
ウィルはアクトと同じ年齢だった頃の自分と比較して、アクトの腕が大幅に伸びている事も認める。
しかし、それでも自分はアクトの兄である。
その程度の伸びで三年間のアドバンテージを埋められるほどブレッタ流剣術は甘くない。
「アクトよ。早速だが、ここで勝負をつけさせて貰う。我らブレッタ流剣術は見世物ではない。今回はデュラン陛下の言葉に甘えて披露をするに至ったが、これは特別。我ら武人らしく一気にカタをつけようではないか!」
「ウィル兄さん。それは望むところだ! 俺はハルのためにも負けない!」
「まだそんな戯言を・・・だからお前は弱いのだ。邪念の乗るお前の剣では私に絶対勝てないぞ」
「やってみなければ、解らない、さっ!」
アクトはそう言うと一気に駆け出した。
真直ぐにウィルへ迫り、直前で左に飛びフェイントした。
その巧みなフェイントは遠くで観ている観衆達でさえも騙されて、一瞬アクトの姿が消えたようにも映る。
しかし、ウィルはこのことを予想し、目だけでアクトの姿を追う。
そして、側面から打ち出された剣を難なく自分の剣で迎え打つ。
キーン、キキキキキン
音がひとつだけ無かった事で、ここでの剣戟が複数だった事を示すが、それが目で追えた者などこの闘技場でごく一部。
ウィルは右手一本だけで巧みに剣を操り、アクトからの全ての剣を跳ね返し、その反動を利用した返し手でアクトに斬りかかる。
それを反射的に察したアクトは自分の剣でそれを防いだ。
あまりにも早い攻防の入れ替わりで、これにはアクトも目を見開く。
ウィルの立ち位置は全く変化しておらず、上半身・・・いや、腕の力だけでそれをやって魅せているのだ。
その剣にはしなやかさがあり、曲線でアクトに攻撃が迫る。
アクトの剣があっという間に絡め獲られ、そして、上方に弾かれたかと思った瞬間、自分の手から剣が抜けた。
「あっ!」
そんな声がアクトから発せられた直後に、アクトの剣は大きく宙を舞い、そして、クルクル回り場外に立つ美人女性シーラ脇の地面に突き刺さる。
ドスっ!
それがあっという間の出来事であり、アクトもその事実を認識して眉間に皺を寄せることしかできない。
「これで勝負あったな!」
冷静に事実だけを述べるウィル。
アクトに剣先を向けて、自分の勝利を宣言した。
しかし、アクトはこれを認めない。
「うぉーーー」
無手になったアクトは最期の足掻きとウィルに向かって駆け出す。
そんな我武者羅な行為に今度はウィルが眉をひそめた。
「無様な・・・剣術士としての誇りも失ったのか。この愚弟め!」
ウィルは往生際の悪いアクトを打ち付けてやろうと剣を大きく叩き込む。
刃先を丸めた剣と言えども金属製の剣だ。
強く叩く事で多少に怪我をしてしまうかも知れないが、それでもこれは素直に負けを認めないアクトへの罰だ。
そう思うウィル。
そして、そのウィルの剣がアクトの脳天に目掛けて振り下ろされる。
アクトの額にウィルの剣が迫った瞬間・・・驚きの事が起った。
それまでは我武者羅に駆け出したアクトだが、ここで両手を左右に大きく広げて、その両手を素早くとひとつに合わせた。
それでウィルの必殺の一撃を止めたのだ。
いや、正確に言うと、両手の掌でウィルの剣刃を左右から強く挟み込んで止めた!
「な、何っ!」
ブレッタ流剣術には存在しないその技に驚くウィル。
慌ててウィルは状況を脱するために剣を引き抜こうとするが、ここでアクトの力は強く、ビクともしない。
そして、アクトが掌を捩ると剣が傾いて、関節の曲がらない方向へ曲げられたため、ウィルの手に激痛が走る。
「うっ!!」
予想外の攻撃を受けて短い呻き声を発したウィルはここで堪らず自分の剣を離してしまう。
こうしてウィルから剣を奪うことに成功するアクトだが、彼はその剣でウィルを仕留めたりはしない。
奪った剣を大きく後ろに放り投げると、アクトはここでウィルの軽装鎧の両肩を掴み、そして、腹部に蹴りを入れる。
そして、その直後に自らの身体を後ろ側にして転んだ。
「う、うわーーー?!」
彼にとっては謎の体術であり、一体何が起こったか理解できないウィルからそんな悲鳴が漏れた。
そのウィルはアクトに両肩を掴まれて手前に引っ張られたことにより前転させられ、その直後に腹を蹴られた衝撃により空中へと放られる。
「うわああぁぁぁーーーー」
ウィルの身体は大きく弧を描いて、そして、石造りのステージから場外へと叩き出されてしまった。
そんなエキセントリックな攻撃で、観衆達やレクトラ・ブレッタも目を丸くするしかなかったが、この闘技場で唯一アクトの行った攻撃技の正体を知っているのはハルだけである。
「真剣白刃取りに、巴投げ??? アクト、アナタって天才? それとも莫迦ぁ?」
頭を抱えるハルはここでアクトが実行した技の正体についてよく知っている。
彼女の元の世界にあった技ではあるが・・・それは架空の物語で語られるような技である。
少なくとも『真剣白刃取り』はそうである。
ここでそれを実行できたのはアクトの格闘センスなのだろうか?
ハルと心の共有を果たした彼だから知り得た知識ではあるものの・・・あまりの滅茶苦茶ぶりに頭が痛くなるハル。
それでも相手のウィルが場外に落ちており、これで勝は勝ちである。
「勝者、アクト・ブレッタ!」
ジルジオの判定で御前試合の勝者が宣言されて、奇妙な技を目にした観衆達はここで再起動を果たす。
「うぉーーー! なんだあの技は!?」
「何だか解らねぇけど、すげぇって事だよ。やっぱりラフレスタの英雄は本物だぁ!」
「キャー!! アクト様ぁ~結婚してぇーっ」
様々な声が飛び交い、観衆達は本日何度目になるか解らない興奮の坩堝へと陥る。
その盛り上がりも含めて、主催した帝皇デュランは大満足。
「うむ。良い試合を見せて貰った。見事に勝者となったアクト・ブレッタを皆で称えようではないか!」
この帝皇の賞賛は観衆達の誰からも異論はなかった。
「「うぉーー、アクト、アクト、アクト、アクト!」」
アクト・ブレッタの健闘を称える声は止まない。
これに手を挙げて応えるアクトは英雄としての器があった。
対するウィルは非常にバツが悪い。
最後の最後で弟にしてやられた。
油断していた?・・・確かにそうかもしれない。
そんなことを考えていたウィルに駆け寄る女性がひとり。
ウィルのエスコート役のレヴィッタ・ロイズである。
「ウ、ウィルさん。大丈夫ですか? 立てますかぁ?」
彼女はウィルに肩を貸し、茫然自失状態のウィルをなんとか立たせた。
その姿にチッと一瞬だけ不機嫌の視線を送る第一皇女であったが、その所作は目立たなかったため誰にも咎められない。
レヴィッタはそんな事よりも、ここで転んだ拍子に額の一部を切って血を流したウィルに慌てた。
「きゃあ! ウィルさん、血ぃ出てるしー・・・ああぁぁ、どないしましょう」
慌てふためるレヴィッタだが、彼女はウィルを一刻も早く闘技場から退場させるべきだと判断した。
控室に戻って治療を施したかったし、それに、観衆達へウィルの情けない姿を晒すのは酷だと思ったからである。
「ウィルさん。私に掴まって! 歩けますか?」
優しくそんな言葉をかけるレヴィッタに、ウィルはまだあまり回らない頭でなんとか応じた。
「あ、ああ・・・ 申し訳ないエスコートの人・・・」
ウィルとしてもこの女性に対して申し訳ないとは思うが、それよりも自分が負けた事の方がショックは大きい。
そんなウィルにステージ上で勝利者となったアクトから声が掛けられた。
「ウィル兄さん。兄さんのブレッタ流剣術は素晴らしかった。俺も鍛錬を怠った訳ではないが、それでも兄さんには敵わなかった・・・しかし、戦いでは俺が勝てた。その理由は偶然じゃないと思う。もう一度やっても俺は兄さんに勝てる・・・そう思うんだ。何故だか解るかい?」
「・・・」
「それは俺一人で戦っていないから・・・兄さんが戦いを挑んだのは俺達だったからだよ」
アクトがこの場で敢えて口にしなかったもうひとりの女性の存在。
それを理解したウィルは彼らしくなく悪態をつく。
「くっ!」
そんな短い悔しさの感情を見せるウィル。
その後のウィルはレヴィッタに支えられて、この場より足早に去ってしまうのであった。