第四話 スパイが来た! ※
「はぁ~」
「・・・ハル、元気出せよ」
溜息を漏らすハルに横からアクトの慰めの声がかけられる。
先日、アクトの兄のウィルから持ち掛けられた別れ話をハルは未だ引きずっていたからである。
「だから、ハル。ウィル兄さんから言われた事なんか気にしちゃだめだ。俺が君を裏切らないのは解っているだろ?」
「ええ、解っている・・・だど・・・それでも、ごめんね、アク・・・いや、アーク」
思わず「アクト」と呼んでしまいそうになるハル。
ここは大学の研究室内なので、今は「アーク」と呼ばなくてはならないが、それすら忘れがちになるほど精神的に疲れてしまっているハル。
尤も、この研究室にはアクトとハルしか居ない状況なので、今は彼を「アクト」と呼んでも何ら問題ないのだが、それでも普段から「アーク」と呼ぶ事に徹していたふたりのルールをちゃんと守るべきだとハルは考えていたので、これは良くない。
それほどまでにアクトの兄の口より出された別れ話が、ハルにとって相当なショックだった。
ハルはこの大学で魔道具の開発が終了すれば、同郷のサガミノクニの人々を探すためにエストリア帝国の方々へ旅に出る事を考えていた。
当然、その旅にアクトも同伴する。
そんな彼と別れるなんて、ハルにはもう考えられないし、アクトも同じ気持ちだ。
この先がどうなるかはハルにも解らなかったが、それでもいずれはアクトと一緒になることを熱望していたし、当然アクトも同じである。
つまり、ハルはブレッタ家の嫁になると言うことだ。
そうなれば、必然的にアクトの兄であるウィルとは義理の兄の関係となる。
そんな人物から、結婚を・・・というか、付き合う事すら反対されてしまうのは完全に予想外であった。
ハルは以前よりアクトからウィルの為人を聞き、アクト以上に真面目で天才的な剣術の才能を持つ人物だと理解していた。
そんなウィル・ブレッタはロッテルの率いる帝国中央第二市騎士隊に所属しており、その組織の中では見習騎士という職位の立場だ。
しかし、彼は普通の見習騎士ではない。
このウィルは先のクリステ解放で特に大活躍した英雄のひとりであり、ラフレスタに近い帝都ザルツではアクトの名声がよく耳に入ってくるが、当地のクリステではウィルの方が大人気の英雄であることはエレイナからの情報である。
ウィルに愛を語る美女の存在も両手の数では足らないらしい。
それでも、このウィル・ブレッタという男性はそんな美女から寄せられる好意の全て断り、己の鍛錬のみを追い求める孤高の存在であるとエレイナから聞かされていた。
早速、このウィルは女性嫌いではないかという噂もチラホラと聞こえてくるぐらい・・・
ハルは以前からこの義理の兄になる可能性の高いウィルという男性と、どうやって付き合って行けば良いのか、その距離を測りかねていたのも事実である。
そんな状態で、前日の「お前はブレッタ家の嫁には相応しくない」の一言・・・
「はぁー」
再び溜息を漏らすハル。
自分でも負の無限ループに入っているのは解っているが、解決方法が解らない。
そんなハルに優しい言葉をかけ続けるアクト。
「ハル、心配しなくても大丈夫だ。ウィル兄さんの言っていることはブレッタ家に伝わる迷信だ」
アクトが言うブレッタ家の古くから伝わる家訓とは次のようなものであった。
『ブレッタ家が仕えては成らぬ者・・・それは、時の権力者、私欲に溺れた者、そして、偉大なる英雄・・・この者達に仕える、もしくは、婚姻する事を禁忌とする。もし、この禁忌を破れば、仕える相手と共にブレッタ家の人間も滅びるだろう』
「俺はこの家訓を迷信だと思っている。ブレッタ家には自分の力を過信して権力や私欲のためにその力を使うことがないようにとの戒めがあり、それを解り易い事例で言葉にしたに過ぎない」
「そうなのかも知れないけど・・・貴方のお兄さんはそれを信じているのでしょ?」
ハルがそう言うには理由がある。
実はウィルから別れ話を薦められた後、帰ってきたリリアリアから教えて貰った情報がひとつあった。
それはエストリア帝国の第一皇妃―――つまり、帝皇デュランの長女―――から、割と本気の好意をウィル・ブレッタに向けられているという情報である。
この情報に驚くアクトであったが、これよると第一皇妃から積極的な誘いを受けているウィル・ブレッタは彼女を拒絶しまくっているのだとか。
帝室に近い者には割と有名な話らしい。
ハルは当然、自分の目で見たことでは無いが、第一皇妃の容姿はとても優れていると聞く。
普通ならばそんな勿体ない・・・もしくは、不敬、と思ってしまう話であり、もしかしたらウィル・ブレッタは不能者なのではないか?という下世話な噂まで上がっているようだとか。
しかし、アクトから聞くブレッタ家に伝わる『戒』の話を考えると、確かに彼の行動原理はそれと合致する。
第一皇妃は『時の権力者』がそれに当たっているし、ハルの場合には『偉大な英雄』がそれに該当するのだろう。
「私が英雄なんて烏滸がましいわ・・・それに、もし、そういう運命だとしても私は食い破ってみせる。私はもうアクトの一部なんだから」
「そこは『私』じゃないだろう? 『私達』だ」
そう言ってくれるアクトはハルにとって実に心強かった。
ハルは何度目か解らない感謝気持ちを心の中で返す。
『心の共有』を果たしたふたりにはそれだけで相手へ自分の気持ちが伝わる。
そんな暖かいやりとりをするふたりであったが、それでも現在の魔道具製作の作業を止めたりしないのは、ある意味、既に職人と化しているふたりである。
ハルは淡々と並べられた腕輪に自分の魔力を充填し、アクトはその腕輪を次々と箱に仕舞い、新しい物を別の箱から取り出している作業だ。
ちなみにアクトはハルが新たに開発した魔力抵抗体質の力を遮断する黒い手袋を装着している。
そのため、このような魔道具製作の手伝いもできるようになっていた。
このように、ふたりには雑念があってもそんな状況に殆ど影響を受けること無く魔道具の製造作業を持続できている。
ふたりは既に魔道具師としてプロの領域にいるのであった。
因みに、デュランから依頼のあった仮面の作製については本日予定したところまで作業を完了しており、現在作業しているのはクリステ行きとなる魔道具であった。
これはライオネルとエレイナから密かに依頼のあった物であり、月光の狼の時代に活躍した『魔女の腕輪』と呼ばれる身体能力強化の魔道具である。
実はクリステは近々、隣国のボルトロール王国から侵攻を受けるのではないかと、きな臭い噂が挙がっていた。
クリステ解放の際に怪しい犯罪者を大量に逮捕したが、その大半がボルトロール王国に国籍を持つ者だったらしい。
現在、そんな彼らを虜囚として捕えているが、それを釈放しろとボルトロール王国から強い要求が来ているのだとか。
今回のクリステの乱についても、ボルトロール王国は全く関与していないと公言しているが、その言葉を信用する関係者など一切いない。
クリステ解放に携わった関係者は今回の争乱をボルトロール王国が影で手を引いていると思っていたし、当然、罪を犯した虜囚の釈放は認められない。
そのため、ボルトロール王国の要求には『否』と回答している。
当然、ボルトロール王国はいい顔をせず、もしかすれば、それを理由に戦争を仕掛けてくる可能性もあると噂になっていた。
ハルとしてはこれから『自分の同胞を探す旅に出る』という目的もあったため、クリステに駆け付けることはできないが、それでも、ボルトロール王国の脅威に対抗するため、ライオネル達が『月光の狼』の時と同じ戦闘力を出せるようにと、彼らに魔道具だけは供与する事は約束したのである。
以前は数ヶ月で魔力切れになるよう設定していた『魔女の腕輪』と『魔女のネックレス』を一年間使用可能になるよう設定変更もしていた。
同時に、魔力についても、ハル以外の者でも充填できるようにしている。
これを全部で千組、ライオネル達に供与し、虎の子の特別部隊が編成できるようにした。
もし、これで戦争が始まったとしてもしばらくは大丈夫な筈だ。
そう思うハル。
ちなみに普通の剣を魔法付与する魔剣に改造できる『魔剣製造の布』は既にエレイナに渡している。
魔剣の魔法付与の効果持続時間や製造できる魔剣の数も、布に込められる魔力次第だが、これについてはエレイナの判断で魔剣を造ればいいと思う。
そして、姿と気配を消すことのできる『消魔布』という魔道具については返却して貰う事にした。
これはラフレスタの乱の時、ハルが苦し紛れに造った魔道具であり、敵に鹵獲された場合の安全措置を全く考えていなかった代物である。
気配を完全に消すことのできる魔道具というモノはいろいろな意味で諸刃の剣である。
もしこれが鹵獲されて敵側の手に渡ってしまった場合、暗殺に使われてしまう危険性もあるため、ハルはこの中途半端な魔道具を自分に返すよう要請していた。
ライオネル側も非常に残念がっていたが、ハルが指摘している事は理解できるため、返却する事で合意している。
もうすぐライオネル本人がこの帝都ザルツに来るため、その際に返して貰う予定である。
そんなところで、腕輪に魔力を充填する作業は完了し、本日の作業はこれで全て完了となる。
仕上げた腕輪を魔力隠蔽効果のある棚に仕舞い、ハル特性の魔法鍵でロックした。
これでハル以外に開ける事はできない。
守りは万全である。
さて、帰ろうかと思っていたところに、来訪者を知らせる水晶玉に光が現れた。
「この研究室に来客なんて・・・誰かしら?」
ハルはそう言いながら、水晶玉に魔力を流す。
そうすると、なにやら荷物を持つ小柄の女性・・・ミールが研究室の前に立っていた。
「こ、こんにちは・・・アークさん、ハルさん」
いつもながら余所余所しい態度で挨拶をするミールの姿に、ハルとアクトは互いに顔を見合わせた。
(これは・・・何だろうハル?)
(何となく察しがつくわ。おそらく、私達の様子を探るようにゼーリックから言われてきたのでしょうね)
ふたりは心の中で会話する。
それも『心の共有』の魔法の効果であった。
(どうする?)
(どうするもこうするも、無視する訳にはいかないでしょう)
ハルはそう思うと水晶玉へ応答した。
「ミールさんね。待っていて。今、扉のロックを解除するわ」
ハルはそう応えると魔力を流し、扉にかけてあった『封鎖の魔法』を解く。
ガチャという、いかにも鍵が開くような音がして、扉はゆっくりと開いた。
そうすると、予想に違わず、扉の向こう側には小柄な女性が立っている。
「こ、こんにちは、ハルさん」
ミールは再び挨拶をする。
顔が少し引き攣っているのは気のせいではない筈だ。
「こんにちは、ミールさん。私達に用事があるのでしょう? 遠慮なく入って下さい」
ハルはそう言って、表面上は歓迎して彼女を自分達の研究室の中に招き入れる。
ミールは恐る恐る入ると、開いた研究室の扉は自動的に閉じた。
まるで魔女の館にでも来たような印象を受けてしまうミールだが、それは正しかったりする。
この領域はハルの牙城なのだ。
「それで一応確認するけど・・私達に何の用ですか?」
ハルは白々しくミールにそう問うてみる。
「えっと・・その・・・あ、そうだ・・・け、研究の相談に乗っていただきたいことがありまして・・・」
「どんな内容ですか? 私達には答えられることと答えられないことがあるのよ・・・ちなみに私達の研究内容については一切答えられないわ。フィスチャー・ルファイドル学科長から極秘指定を受けているので」
ハルは先に釘を刺しておいた。
ちなみに極秘指定しているのはフィスチャー・ルファイドルの方ではなく、ハルとアクト、そして、その後ろにいる帝皇デュランの方からであったので、立場は微妙に逆であったりする。
「え・・・」
ミールは言葉に詰まる。
彼女は正しく、その事について調べろとゼーリックより指示を受けていたからだ。
「まったく・・・ミールさん、アナタは間者という職業には向いてないようね」
ハルは正直すぎるミールのその態度に呆れると共に、もう少し上手くやったらどうだと逆に叱りたくなる気持ちだ。
ハルの友人と呼べる中にも、嘘と腹芸が苦手なラフレスタ神学校卒の白髪女性がいたのだが、あの娘は『素で天然』と言うだけで、度胸と明晰な頭脳を持つ立派な女性である。
それと比べてこのミールという女性は・・・あまりにもすべてに自信が無い事が解り易く、そう言った意味で嘘が下手なのであろう。
「まぁ、せっかく高級そうなお茶菓子も持ってきているようだし・・・その分だけは話し相手をしてあげるわ」
ハルのそんな言い方は自分よりも年上のミールに対して非常に失礼な言動であったが、背丈が高く、言動もしっかりしているハルの方が年長者に見えてしまうから、アクトから見てもあまり違和感がない。
「それに、ちょっと難しい事も話したいし・・・」
そう言いアクトに目配せをする。
アクトはハルの意図を理解し、頷いた。
「それじゃ。僕は少し席を外そう」
「えっ? アークさん、ちょっと待って」
ミールはアクトが部屋から出て行くのを止めようとしたが、アクトはそんなミールを気にせず、研究室から出て行ってしまった。
こうして、この研究室にはミールとハルだけが残る。
「まぁ、ミールさん、ゆっくりしていって。お茶を飲むかしら?」
ミールは黙って首を縦に振る事しかでない。
緊張しているミールを他所にハルはテキパキとお湯を沸かしてお茶の準備をする。
その間、ふたりに会話は無く、重苦しい雰囲気を感じたミールは何度か逃げ出したいと思ってしまう。
やがてお茶を淹れたハルは自分も席に着き、やっぱり要らないと言うミールに無理やりお茶を勧める。
「それで、他にゼーリックから何を聞き出せと言われて来たの?」
既にハルの口からは教授の名前を呼び捨てにしている。
お前たちの事など全てお見通しだと態度で示していた。
「え・・・そんな」
「まどろっこしいから、もう隠したり、取り繕うのは止めにしましょうよ、ミールさん。さっきも言ったけど、私は答えられる事には答える、答えられない事は答えないとハッキリ言っているわよね」
ハルはあっけらかんとそう言う態度に、ミールは完全に降参した。
「解りました・・・ハルさん。それでは、遠慮なく・・・」
こうしてすべてを諦めたミールの口から、ゼーリックの知りたがっている内容について述べられた。
そんなハルとミールの会話から敢えて外れたアクトは帝都大学の構内を当てもなく歩く。
ハルから戻ってきて欲しいと願えば、それがどんなに距離が離れていても彼の心には伝わる。
それが『心の共有』という契約魔法の効果であったし、彼の持つ魔剣エクリプスにもその機能が備わっている。
それ故にハルから戻ってこいと言われない限り、アクトは宛ても無く校内を彷徨う事にしていた。
そして、彼が人気の少ない中庭に差し掛かったところで、不意に後ろから肩を叩かれる。
それなりに人の気配を察知する事に長けていたアクトにしてこれは意外であり、驚き、そして、振り返ると、そこには更に驚きの美人が立っていた。
「やっほー。青年よ、私の事を覚えているかな?」
気軽にそう喋りかけてきたのは銀色の長い髪を持つ美人女性である。
「え? アナタは・・・シーラさん??」
アクトが彼女の顔と名前を覚えていたのは当然であり、例の芝居小屋で白魔女の役をしていた美人女優だったからだ。
長い銀髪にエメラルドグリーンの瞳、華奢な身体に出るところだけはハッキリと主張する体形の女性。
ハルが白魔女になったときの姿とよく似ており、もし、白魔女が白銀の仮面を外して、その魔法が解けなかったならば、きっとこんな姿をしているだろう・・・そうと思えてしまうほど。
それがシーラという女優であった。
それに、今、白日の元で彼女を観たアクトは新たに気付いた事がひとつある。
それは彼女の左の目元に小さなホクロがひとつあることだ。
この泣き黒子がシーラと言う彼女の魅力を更に醸し出していた。
「そう、私はシーラよ。よろしくね、ハンサムな青年さん」
彼女はそう白々しく挨拶して、握手を求めてきた。
アクトは反射的に差し出された手を取ってしまい、彼女の柔らかい手と握手する。
「自分はアークといいます」
アクトは状況に多少訳が解らずの表情であったが、それでも挨拶して、偽名で自己紹介ができるぐらいの心のゆとりは残っていたりする。
「アークさんね・・・ふーん、面白い名前よね。腰に付けた剣も二本刺しだし、ラフレスタの英雄『アクト』と似た名前だし、同じ金髪に青い瞳・・・もしかして、トリア出身だったりするのかな?」
何かを期待する口調のシーラに対し、アクトはすぐに否定をする。
「いいや、違いますよ。僕はラフレスタの学校に通っていましたが、普通のアークです」
何を以って『普通』なのかと自問自答するような答え方になってしまったが、それでもアクトはシーラが暗に指摘する人物とは別人であると嘘をつく。
「ふーん」
それを多少疑い眼で観るこのシーラという女性は、なかなかにして鋭い女の勘を持つのかも知れない。
アクトはそう思う事にした。
「そんなことよりも、何故、大女優のアナタがこんなところに来ているのでしょうか? 僕に一体何の用事があるのですか?」
「えへへ、そうよね。それを言わないとアークさんは警戒しちゃうわよねぇ?」
シーラは可愛くそうお道化てみせると、自分がここに来た理由を述べる。
「私が気に入ったお客さんに仮面のプレゼントをするのは知っていると思うけど。時々、渡した仮面達の様子を見に行くのが私の密かな趣味だったりするのよね。今日は劇の仕事がお休みなので、アナタのところに来ちゃいました? そういう訳よ」
「なるほど・・・しかし、よく、僕がこの帝都大学に在籍している事が解りましたね」
「うふふ。私だってこう見えてもファンが多いのよ? この帝都大学にも・・・ね」
その言葉に何となく察しの着くアクト。
白仮面を貰ったあの時、この大学の関係者の誰かに見られていたのかも知れない。
その中にはシーラと懇意にしているファンも居て、アークの事を彼女に伝えた可能性は大いにある。
そう思った。
「そういう訳よ。ところでアークさん。演劇に興味ない?」
「演劇ですか?」
「そう。アナタはなかなか存在感ありそうだし、その二本刺しの剣もなかなか様になっている。本物の剣術士のようだわ・・・ラフレスタのアクト役にピッタリだと思ったのよ!」
「ええ?」
アクトは狼狽するしかない・・・何せ、本物だからだ。
「どう?」
そう言いアクトに可愛く上目でウインクする。
そんなシーラの姿は何となく白魔女エミラルダがアクトにお願いする時の姿に似ていた。
アクトはブンブンと頭を振る。
「いやいや、駄目でしょう。それに現在、主役をやっている男優さんはどうなるんですか!」
アクトはあの舞台で一生懸命『アクト』役を演じている男優を不憫に思う。
「ああ、彼ね。彼は伸び悩んでいるようだし、『アクト』役で毎回、私から駄目出しをされているから、もし、他の役に換われるならば喜んで換わってくれると思うわよ」
さらっと過酷な事を言うシーラにアクトは引く。
彼女は可憐そうに見えて、実は演劇に対して鬼のような拘りがあり、演じる他の役者にも相当に厳しいのだろうか?
「い、いや・・・そんなことを言われても、僕には無理です。それに今はこの大学での仕事もありますし」
「えー、そんな事を言わないでよぉ。お姉さんサービスするからさぁ?」
アクトに身を摺り寄せようとして近付いて来るシーラ。
それを躱して、ササっと距離を取るアクト。
「シーラさん、色仕掛けをしても無駄ですよ。僕にはもう心に決めた人がいますので」
「あら!? そうなの? アークさんてモテるのね。それでも、健全な人間の心には隙間があってもいいのよ。その隙間に私も入れてよぉ?」
そんな事を言い、彼女は魅力的な自分の身体を捩て誇示する。
アークは思わずそれに目が行ってしまうが、いかんいかんとシーラの色仕掛けに争った。
「何を言っているんですか! 駄目ですって」
そう言い諦めさせようとするアクトだが、シーラの方もなかなか諦めずに、あの手この手でアクトを勧誘するのであった・・・
一方、こちらはハルの研究室だ。
「まったく、ミールさんは!」
ハルがそんなお説教する相手は自分よりも年上女性のミールである。
実年齢はハルの方が年下なのだが、ミールの方が身長も低く、いつもオドオドしている様子から、傍から見てもハルがお説教している姿に違和感は無い。
そして、彼女が今お説教をしている内容についてもミールが魔道具師として基礎を全然解っていない事に始まり、彼女に将来設計が無い事、流されて生きていることへの批判、そして、ゼーリック教授に無碍の媚びを売る行為を辞めさせようとしていた。
「あの教授について行っても何も良いことは無いわ。これだけは断言できる!」
「ええ・・・だって、私には他に行先が・・・」
「ミールさん冷静に成りなさい。アナタ、ここは大学よ。あの教授に媚びを売っても良いことは絶対にないわ! アナタは技術者として実力をつけないと駄目。自立しないと駄目!」と叱りを受けることになる。
そんな小言が一時間ほど続き、結局、ハルはこの頼りないミールに魔道具の基礎をみっちりと教える事となった。
ハルとしても、本当はそんな面倒な事をやりたくはなかったが、なんとなく情けないミールをこのまま放っておけなくなったからだ。
流石にこの研究室で日常的に教えるのはできないので、大学内の共同作業場を利用して、その一角で毎日二時間ほど教えてやる事にした。
我ながら、参ったなぁ、と思ってしまうハル。
(それにしても、アクトは遅いわね・・・)
心の中で、そろそろ戻ってきて欲しいと伝えているものの、かなかな帰還してくる様子を見せない。
何か厄介事に巻き込まれたのだろうか?
自分の相方の事が少しだけ気になるハルであったが、そんな自分こそ、今、厄介事に手を出している自覚がこの時のハルに無かったりするのは余談である。




