第二話 取り立て屋、現れる
ここは帝都大学のゼーリック・バーメイド教授の研究室。
『魔法時計』という魔道具を研究開発している研究室。
「くっそう。うまくいかねぇ」
現在、この研究室に所属している学生研究員のパンデラ・リアックは魔法陣の実験をしているが、今回の組み合わせの結果が芳しくないことを予想でき、嘆息をつく。
まだ実験が完了する前であったが、このまま進めても良い結果が得られないと判断して、魔力の注入を中断する。
こうして、彼個人の判断で実験を中断してしまった訳だが、それを見た別の男性研究員より指摘を受けてしまう。
「ん? パンデラ君、どうして実験を止めてしまうんだい?」
「だって、シルドアンさん。このままやっていても、どうせ駄目でしょう!」
パンデラは半ば怒り気味に年上の博士に意見した。
このパンデラは大学四年の研究生だ。
本来ならば、年上で、しかも、博士の身分であるシルドアン博士に意見するなど無礼極まりない行動なのだが、最近この研究室ではこれが当たり前の光景になりつつあった。
「パンデラ君、自分の判断で勝手に結果を決めつけてはいけないよ。思わぬところで予想外の結果が出る可能性もあるじゃないか。さあ、手順どおり実験を再開しよう」
若いパンデラを諭すようにシルドアンはそう言うが、このパンデラ・リアックという学生研究員は一筋縄にはいかない性格の持ち主。
「そんな、効率の悪いことをやってられねぇ。まだまだこんなに試験体があるんですよ。シルドアンさんのようにクソ真面目に実験をやっていたら日が暮れてしまいます」
パンデラがそんな事を言うのも無理はない。
彼の指した先に魔法陣が刻まれた木片が、山積みとなっていたからだ。
パンデラが言うように丁寧にやっていては仕事が進まないのも事実。
しかし、丁寧にやらないと精度の良い実験結果が得られないのも事実。
「パンデラ君、急がば回れです」
シルドアンにそう諭されるが、その一言にさえ苛立ちを覚えてしまうパンデラ。
(これだから・・・シルドアンさんは万年『博士』止まりなんだよ!)
要領が悪く呑気に仕事をやっているように見えるシルドアンに、心の中で罵りの言葉を吐くパンデラだが、この場合の正解はシルドアンの方である。
悪い意味で手を抜いた実験結果など、それこそ何も価値がないばかりか、判断を誤ってしまう可能性もある。
後になり、判断を誤ったことに気付いてしまった時、そこまで違う手順で行っていた実験結果はゴミ以下の価値になってしまうため、実験をもう一度初めからやり直さなければならない。
大きな手戻りとなるのだ。
そこに気付かないほどこのパンデラという若い研究員は能力が低く、研究者として並以下の存在であった。
尤も、パンデラはこの研究にそれほど熱意を持って行っている訳ではなく、彼の範囲で適当に研究して、卒業に必要な単位さえ貰えれば、それで良かったりする。
パンデラの実家は魔法都市ケルトで魔道具の取引を生業としている貴族のひとりである。
彼としては『帝都大卒』というタイトルが欲しいだけであり、魔道具研究者のような人気が無く、不健康で、金銭面ですぐに成果が出せないような職業に就く気は無い。
早々に卒業を果し、その後は親が所有する商会のひとつを譲り受け、そして、悠々と会長職でも熟せればそれでいいと思っていた。
そんなパンデラはシルドアンからの指摘を無視し、自分の成績のためだけに課せられた実験と言う仕事をいかに早く熟すかについて、浅い知恵を総動員することにする。
それでも愚痴が出てしまうのは、この大学研究生の品位がそれ程までに低く、また、自分の品位の低さを覆すだけの実力がない故に、彼がこの研究室から別の研究室に行けない理由でもあったりする。
「まったく、こんな面倒臭い事を・・・研究補助員にでもやらせておけばいいのに」
パンデラの呟きは尤もであり、他の研究室でも確かにそうしていた。
しかし、この研究室には無理な事である。
何故ならば、この研究室にはいくら募集しても研究補助員が集まらないからだ。
「パンデラ君。そんなことを言っても、解決できない事案です。この研究室で唯一の研究補助員であるミールさんには厳しい仕事でしょうからね」
シルドアンの言葉に再び怒りを覚えるパンデラ。
ここで彼の怒りの矛先は役立たずの研究補助員の方に向く。
「まったく、あの役立たずの女め! 教授の情婦ぐらいしか能のないヤツ」
「こら、こら、パンデラ君。そんな確証の無いことを公の場で口にしてはいけません」
「ここは公の場じゃないっつうの!」
益々口が荒くなってしまうパンデラ。
パンデラがそう言い切るのも無理はない。
今のこの研究室で周囲を見渡しても、自分とシルドアン以外数名の研究員しかおらず、痴話の愚痴話をしても他の人に知られる可能性も低い状況であったからだ。
この研究室は広いが、それに対して不似合いなぐらいの人数の少なさ。
それはこの研究室が他の研究室よりも敷地面で優遇されている訳ではない。
むしろその逆で、かつて盛況だったこの研究室は、その人数に見合う広さとして大学側よりこの部屋を提供されていた。
しかし、最近はこの研究室を辞める者が続出しており、このような寂しい結果になっていた。
そんなここの研究室ゼーリック・バーメイド教授が研究室長として担う研究テーマは『魔法時計』である。
時を正しく知る魔道具の開発を目的に日夜研究が進められている。
これまでのこの研究室の成果は、大がかり、かつ、大胆な魔道具を発表してきた実績があった。
その実績に魅せられて多くの魔道具研究者が集まり盛況であったのはここ一年半前までの話である。
この研究室を辞める原因は明白であり、ここで開発している『魔法時計』よりも優位性の高い『懐中時計』がライバルとして出現したからであった。
性能が遥かに優れていて、小型で、しかも既に製品化されている。
帝都ザルツ隣のラフレスタ領で売り出されたその『懐中時計』は売れに売れている製品であり、一般人でも少しのお金を出せば買える商品であった。
あのラフレスタの争乱で一時的に製造が止まった関係で、価格は高騰したりしたが、最近は別の商会が製造と販売を引き継ぎ、流通も元に戻りつつある。
この『懐中時計』は、もう、エストリア帝国社会の世の中に浸透しつつある商品。
そんな『懐中時計』は、この研究室で研究している『魔法時計』と比べ物にならないほど先を行っており、これでは勝負にならないと、この研究を辞める研究者が続出してしまったのだ。
特に優秀な女性研究員を含む何名かは『懐中時計』の技術を求めようと、アストロ研究組合へ転籍したぐらいであった。
それに加えて、この研究室を統べるゼーリック・バーメイド教授は偏屈で変わり者である。
普段からこの教授と反りが合わなかった若い研究者達もこの機会にこの研究室から去っていった。
彼らとしても『懐中時計』の出現により話題性を失った『魔法時計』に研究的価値を見出せなくなったのだろう。
ゼーリック・バーメイド教授に無理してまで従っていた彼らに、この研究室に留まるだけのメリットが無くなってしまったのだ。
そのような理由で、現在この研究室に籍を残しているのはシルドアン博士のような古株者か、パンデラ・リアックのように他の研究室から引取りを拒否されるような出来損いの研究大学生ぐらいであった。
そんな閑散としていた研究室に珍しくノックの音が響く。
コン、コン、ガチャ。
相手からの反応を待たずに開けられるドア。
この研究室に訪問してきたのは若い研究補助員の男女だった。
「こんにちは~。ゼーリック・バーメイド教授かミールさんはいますか?」
その女は意地悪そうな顔と声で自分の来訪を伝えると、手に何やら数字の書かれた紙を持ってヒラヒラとさせていた。
そう。
この部屋を訪れたのは先日の魔術師協会でミールに代わり素材代の支払いを立て替えたハルとアークだった。
「誰かと思えば、最近入った新人の研究補助員じゃねーか。一体何の用だ!」
パンデラは先輩風を吹かせてそう凄むが、ハルはそんな事に臆することなく、遠慮なしに自分がここを訪れた理由を端的に述べる。
「先日、お宅のところのミールさんが素材を調達する際、私がその代金を肩代わりしましたので、本日請求に来ました」
ハルからの突然の切出しにパンデラは一体何を言っているのか解らない顔になるが、それはシルドアン教授が対応する。
「素材調達費ですか?」
シルドアンは自分の作業を中断し、ハルが持つ紙を受け取り、目を通す。
それは魔術師協会から発行された正式な領収書であり、その書類の支払者の欄にはハルと思わしきサインが書かれているのを確認する。
「本物のようですね。確かに先日、ミールさんがゼーリック・バーメイド教授の言い付けで魔法素材を調達に行ったようですが、やけに仕事が早く終わったと聞きます。そうすと、アナタが代わりに代金を支払ってくれたのですね」
シルドアンはハルの持ってきた領収書を見て納得する。
パンデラも興味本位でその書類を覗き込んだが、あまりの高額な支払い金額に驚くだけだ。
「これほどの金額になると私では決済できませんね・・・パンデラ君、すぐに教授を呼んできてくれたまえ。この時間ならば、西の棟の休憩室にふたりが居る筈ですから」
「えっ!? 俺がですか?」
シルドアンの言葉よりも、その休憩室と呼ばれる場所を思い出すパンデラ。
(あの休憩室って普段からあまり人の寄らない場所・・・)
そこで教授とミールが何をしているかを勘繰って、パンデラは行き難そうな顔をする。
しかし、ここで他に教授を呼べそうな者が居ない事を悟ると、パンデラは嫌々ながらゼーリック教授を呼ぶため、この研修室から出て行った。
パンデラがゼーリック教授を呼んで来る間、ハルとアークはこの研究室内で待たせて貰う事にする。
待つ間、手持ち無沙汰で、この研究室内をうろうろと見学するハルとアーク。
本来、他人の研究室内は秘密なのだが、自由に見学してよいとシルドアンが許可したからだ。
この広い研究室には数多くの開発された過去の『魔法時計』があって、ひとつひとつが巨大な魔道具であった。
その中には家の大きさぐらいの『魔法時計』さえもあったりする。
それはとても貴重で、お金のかかっている開発品だとハルは思うが、それでもそれは所詮『時計』である。
ハルは今まで他人の研究室に興味は無かったが、ここで過去にグリーナ学長より聞かされていた『帝都大学でも時計を研究している」という事実を思い出す。
「ここでは『時計』の研究をしているようね」
「そうらしいな」
ハルとアークがそんなことを会話しているとシルドアンがその会話に入ってきた。
「そうです。時を知る魔道具を作る事は、私の生涯の研究テーマですからね」
ここでシルドアンがゼーリック・バーメイド教授の名前を出さなかったのは、現在ハルとアークが眺めている魔道具がシルドアン個人による作品であったからだ。
「そうですか ・・・あら? これは」
ハルが指差した先には分解されてバラバラになった『懐中時計』の残骸があった。
「ハハハ、そうです。それは『懐中時計』です」
シルドアンは特に悪びれることもなく、分解した魔道具の正体を素直に認める。
「その『懐中時計』は、残念ながら我々よりも先に時を知る魔道具として販売されてしまいました。実用的な魔道具として既に完成しています。私としてはとても悔しい事実です・・・ですが、我々も負け続ける訳にはいけません。この『懐中時計』を調査して、先人の知恵を拝借する事も立派な研究なのです」
「・・・なるほど、ね」
シルドアンのその言葉に、ハルは微妙な気持ちだったりする。
開発が完了して、既に商品化までしている魔道具を購入し、その後にそれをどう扱おうと購入者の自由である。
先行する商品を他者が分解し、その構造を調査する行為は技術を切磋琢磨して開発する研究者にとって認められた権利であるともハルは思っていた。
しかし、この『懐中時計』は自分が開発した魔道具であり、自分の子供のような存在だ。
それをこうも無残にバラバラに分解された姿を見ると・・・やはり心穏やかにはいれないと言うのが人間の心情でもある。
それでも、ハルは自分がその『懐中時計』の開発者本人であることを、公には秘密としているため、ここで何かを言うつもりもなく、ぐっと我慢した。
ハルがそんな心情になっているとは知らず、シルドアンはこの『懐中時計』を分解して得られた知識を次々と口にした。
彼にしてみれば、この『懐中時計』に使われていた魔法陣の技術に、高い先進性を見出していたのだ。
「この魔法陣の技術はとても素晴らしいです・・・特に魔力鉱石同士を共振させて、そこから正確な時間を計測しようとする発想が素晴らしい。ここにはアストロ魔法研究組合の老練な魔女達が普段から弛まない研究を続けていた努力の結果なのでしょう。我々も見習わないといけません」
そんな絶賛しているシルドアンに多少に居心地の悪くなるハルだったりする。
当時、十八歳の自分が『懐中時計』の心臓部であるこの魔力鉱石同士の共振現象を発見し、それを技術として確立してきた事はハルが元に居た世界のクォーツ時計と呼ばれる原理とよく似ていて、ハルにしてもその技術を盗んだようなものであったからだ。
この世界で全うな研究者のひとりであるシルドアンから、その技術を絶賛するようなことを言われてしまうと、どうしても身体にむず痒いものが走ってしまう。
そんな複雑な気持ちに陥りそうなハルであったが、ここでアークはいろいろと他の研究現場を見渡していて、そして、気付いたものがひとつあった。
「ハル・・・これって」
アークから指摘を受けたハルがそちらに視線を向けてみれば、そこには様々な魔力鉱石と精密魔法陣を模したものが実験器具につながれていた。
「それは魔法陣と魔力鉱石の組み合わせについて実験しているのですよ」
シルドアンは惜しげもなく、自分達の実験についても教えてくれた。
本来、研究中の事案は『秘密』であり、関係者以外には秘匿対象となるのだが、このシルドアン教授はいろいろな意味で寛容なのだろう。
そして、シルドアンは知る由もないが、ハルはこの魔法陣と魔力鉱石の組合せの分野では高い技術と経験を既に持っている。
そんな彼女が現在着目しているのはアークから指摘のあった実験装置の組合せだ。
先程パンデラが中断した実験装置であり、強制的に実験を中断したので、不安定な状態になっていた。
ハルはその魔法陣と魔力鉱石の組合せを黙って着目し、何かを思い出すように考えていた。
「・・・」
ここでハルは何かを言おうとしていたが・・・ここで、後ろから怒鳴られて、彼女の発言は中断されてしまう。
「こらーー! お前達!! お前達はフィスチャーのところの研究補助員じゃな! 余計な事をしよってからに。しかも今日は儂の研究成果を盗みに来たのか!」
ハルとアークは怒鳴り声に驚いて、観察していた魔法陣から目を離し、向き直る。
そして、振り返った先の人物は怒鳴り声を挙げたゼーリック・バーメイド教授本人。
その脇にはミールの姿もあった。
「ゼーリック教授、申し訳ありません。このハルさんとアークさんには教授が来られるまで暇だったので、私が相手をしていただけです」
シルドアンはハルとアークが勝手に研究を盗み見ていた訳ではないと釈明する。
ゼーリックはそれに『ふん』と鼻息を鳴らすだけであり、そんな姿を見たハルとアークはこの教授の人間としての評価を一段階下げる事につながる。
「それに、今すぐこの儂に金を払えと言うのか!」
不機嫌にそんなことを言うゼーリック教授だが、彼がこう答える事は噂に解っていたので、ハルとしても想定の範囲内だったりする。
「ええ。研究に必要な物を買ったのならば、その対価としてお金を支払う。それは子供でも解る理屈ですよ」
「研究補助員の分際で生意気な事をいう奴め。儂はあのアストロ出身の雌猫どもをもう少し困らしてやらんと気が治まらんのだ」
「ゼーリック・バーメイド教授、アナタが何に対して怒っているのか私には解りませんが、品物を買ったのにお金を払わないと、それは犯罪です。困るのは魔術師協会の受付の女性ではなく、素材を用意した商会、一時的に支払いをした魔術師協会の人達、そして、研究素材を手に入られない貴方達研究者になるじゃないですか?」
ハルが言うことは至極まともな指摘であり、何ひとつ間違った事を言っていない。
ここでゼーリックが主張しているのは子供染みた腹いせなのである。
「ぐぬぬぬ。この可愛げの無い研究補助員め!」
「別に、アナタがこの場で払わなくても結構ですよ。そのときはアナタの上司であるフィスチャー・ルファイドル学科長にこの請求書を回すだけです。そうなると、学科長はこの事実に大層ご立腹されるでしょうね」
ここでフフフと余裕で笑うハルには妙な貫禄があった。
ラフレスタの荒事を乗り切った彼女からしてみれば、大学のいち教授からの恫喝など、取るに足らないのだ。
逆にゼーリックは苦虫をすり潰して飲んだような顔となる。
もし、今ここでハルにそんな事をされれば、ただでさえ評判の悪い自分の立場は更に悪い事に陥ってしまう。
そこまで計算のできないゼーリック教授では無かった。
「く・・・貸せ」
彼はハルから支払いの書かれたその書類を奪い取ると、自分のサインと、自分が払う事を約束する一文、そして、一時的にハルによって支払いを代行してもらった事の言い訳を書く。
「これでいいだろう。財務のところに持っていけば金は払う。いいか、フィスチャーのところには持っていくなよ。直接、財務の担当者へ出せ」
こうして、ハルの立て替えた素材費は返してもらう事となったが、どうしてこのゼーリック・バーメイド教授という人物はここまで偉そうにしているのか、本当に理解に苦しむハル。
そんなハルにアークが慌てて肩を叩いた。
「ハル! あれって、やっぱり危険な状態になってきた」
アークからの指摘で、ハルが先程何かを言おうとした実験装置に視線を戻してみれば、そこには白熱に加熱された状態の魔力鉱石があった。
それは中途半場な状態で中断したパンデラの実験からである。
「わわっ、ヤベェ!」
当のパンデラは自分の実験が失敗した予感がして、そんな短い言葉を発してしまった。
そんな言葉を聞くが、ハルとアークだけはそれほど驚いていない。
実は過去にアークがアクトとしてハルのアストロの研究室で手伝っていた過去、似たような組み合わせの魔法陣の実験をした経験もあったからだ。
アークにはその時の失敗の記憶が残っていて、念のためハルに確認を促したのが先程の事。
ハルも『やっぱり』と思い、その魔法陣を中和するための魔法を準備する。
しかし、ここでその対処に動かされたのはここの研究室に所属している人間であった。
「けっ、面倒になっちまった こりゃ、ミールの出番だぜ。よろしくな」
パンデラからは余り緊張感の籠らない言葉が発せられる。
それが合図となり、行動を開始したのは今までゼーリックの脇に黙って立っていた研究補助員のミールであった。
彼女はゆっとりと暴走気味の実験装置に歩み寄っていく。
「待って。あの状態だと怪我するわ!」
ハルはそう注意を促すが、ミールはそんなハルの忠告に従わない。
パンデラもニヤニヤして、まったくの余裕の表情だ。
「いいから。黙って観ていな。これから面白いもんが観れるからよ」
パンデラがそう言うと同時に、ミールは魔力に溢れて暴走状態の魔法陣と魔力鉱石に手を伸ばした。
そうするとどうだろう。
普通ならば、魔法による高熱で火傷しかねない状況だが、ミールが手を近付けると、その魔力が歪み、掌から魔力が遠ざかった。
それはいつもの事なのか、ミールは何事も無いように両手で魔法陣と魔力鉱石を抱え込んで、ゆっくりと実験装置から外す。
これは魔法陣学の常識からすると驚愕であり、常識外の行為であったが、ハルにはその理由が解ってしまった。
「・・・なるほど・・・ミールさん、アナタ、魔力抵抗体質者なのね」
「そうさ。珍しいだろう?・・・まぁ、この女はこういう時にしか役に立たないけどな」
何故か得意気なパンデラ。
他人の持つ才能も、自分と同じ場所で仕事をしていると言うだけの理由で、これが自分の力であると勘違いしているのだろうか・・・ここでハルはパンデラと言う人間をそんな低い評価をした。
こんなパンデラとは対称的に、ミールは何かを諦めたように黙り込み、暴走中の魔力鉱石と魔法陣を強く抱き、自分の魔力抵抗体質の力で抑えつけようとしていた。
しかし、暴走を百パーセント止める事はできず、包み込んだ彼女の腕からは時折に余剰な魔力が光となって漏れていた。
「その暴走中の魔法陣の試験片は、いずれは自戒するとは思うけど・・・本当にそのままっていうのはどうなのかしらねぇ~」
ハルがそう指摘したのは失敗に終わったこの試験片をこの後どう処理するかである。
「ハルさん。それは私がしばらくこのまま持っていれば済みます。私が抱えている限り、外に被害は出ませんから」
何かを諦めようにそんなことを言うミールは憐みを感じさせる一言であった。
ハルが思うにこのミールと言う女性はこの研究室でいつもこういう事に駆り出されているのだろうと思った。
そして、ハルはそんなミールに過酷な現実を告げる。
「しかし、ミールさん・・・私の見立てだと、この魔力鉱石とその魔法陣の組み合わせではあと八時間このままよ。本当に我慢できる?」
「え?」
ハルの口から出た衝撃の事実にミールは固まった。
そんな長丁場になるとは予想していなかったのだから。
「まったく・・・魔力抵抗体質者を安全装置なんかに使って・・・コストは掛からず、お手軽かも知れないけど、いつもこんな無茶な事をやっているから、安全対策が疎かになってしまうのよ・・・今回は特別よ。アーク、お願い!」
ハルはこの研究室の安全対策レベルの低さに呆れを覚えるとともに、ミールをそのままにすることも忍びないと思い、アークに『お願い』をした。
アークはハルからの『お願い』を正しく理解して、そして、ミールの持つ暴走状態の試験片へ手を伸ばす。
「アークさん。駄目よ! 危ない・・・・ええっ!?」
暴走状態の試験片は普通の人には危険であり、アークに危険な事をさせられないと身を捩るミールだが、アークはそんなミールに構わず、暴走状態の試験片に片手を伸ばす。
するとどうだろう。
即座に黒い霞が現れて、暴走状態の試験片を包んでいった。
試験片は何かに抵抗するように少しだけ輝いてみせる。
しかし、抵抗はそれだけで、その後、周囲に漏れていた魔力は全て黒い霞へと変換される。
そして、あっと言う間に、そこには何の変哲もない魔力が抜けた魔力鉱石と魔法陣の残骸だけが残った。
「!!!」
それはあっと言う間の出来事である。
ミールを含めて、ハル以外の全員が言葉を失うほど、この現象に驚くだけ。
やがて、しばらくすると黒い霞の全てが消えて、アークは処理終了の宣言をする。
「危険な魔力は全て飛ばしました・・・これで安全です」
そして、アークは呆然と口を開けて少し間抜けな表情をするミールに優しく微笑みを返して、こう告げた。
「魔力抵抗体質者は貴女だけではありませんからね」