第十三話 英雄たちのその後(其の三)
フィッシャー・クレスタはラフレスタ城のとある区間をいつもどおりに歩いている。
厳しく立ち入りが制限された区間ではあるが、彼にとってはいつもの道程なので警備兵も顔パスで入場が許される。
そして、薄暗い階段を降りて、いつもの部屋の前まで来て、ドアをノックする。
コン、コン
部屋の中に人がいる気配はあるものの、ノックに対する応答は無い。
これもある意味いつもどおりなので、フィッシャーは遠慮なく手をかけて扉を開いた。
そして、いつもどおり、その部屋の中にはふたりの女性。
「よう」
フィッシャーは気軽に声を掛けるが、このふたりの女性の雰囲気からしてとても彼を歓迎しているようには見えない。
それもいつもどおりである。
「性懲りもなく、また来たのね」
「・・・」
若くて活発そうな方の女性は明らかに抗議の声を挙げるが、もう一方の年上の女性は椅子に座り、向こう側を向いて、無言に徹する。
このふたりの女性の名は、若い方がヘレーナ・ラフレスタ、年上の方がフランチェスカ・ラフレスタである。
そう。
先のラフレスタの乱で、獅子の尾傭兵団の魔法薬『美女の流血』によって操られて、解放同盟と最後に敵対した人物であった。
最終決戦とも言える『謁見の間の戦い』において、自分の父親であるジョージオ・ラフレスタを守る最後の砦としてその役割を果たし、そして、その結果、解放同盟に敗れた人物でもある。
戦いが終わって、束縛された彼女達にも解毒治療が施されて、現在は正気を取り戻している。
しかし、例え操られていたとしても『帝皇に反逆した』という事実は消せず、比較的短期間に決着がついたとは言え、ラフレスタの乱では多数の死人が出ている事実も考慮すると、誰かが責任を取る必要があった。
そして、帝皇デュランの下した判決とは反乱運動の中枢を担ったラフレスタ家の貴族籍の剥奪と軟禁である。
本来ならば死刑になってもおかしくない状況であったし、正気に戻ったジョージオ・ラフレスタからは自決の申し出があったほどだ。
しかし、帝皇デュランは「死して罪を償う事は認めず、生きて罪を償え」と命じていた。
それ故に、あのときに反乱側に組みしていたラフレスタ領主のジョージオ、その妻のエトワール、長男のニルガリア、次男のトゥール、長女のフランチェスカ、五女のヘレーナは、ラフレスタ籍を失い、こうしてのラフレスタ城の地下に幽閉されている。
「あなたの顔なんて見たくないわ。帰って!」
ヘレーナは敵意の籠った目でフィッシャーを睨む。
それもその筈、あの決戦の際、フィッシャーとカントの施した反射の魔法により自分達が傷付き、敗れたことを忘れていなかったからだ。
例え、薬で操られていたとしても、戦いの記憶は彼女達の脳裏に鮮明な記憶として残っている。
そして、ただ敗れただけではなく、その時の戦いでヘレーナとフランチェスカは大きな傷と代償を負っていた。
今、フィッシャーを睨み返しているヘレーナは右腕が切断され、その先が無くなっているし、顔を合わせようとしないフランチェスカはその顔面に傷を負っていた。
その傷を負わせた相手がフィッシャーとカントであったことから、彼女達がそんな相手に負の感情を持ってしまうのもある意味当たり前である。
自分達を傷付け負かした相手などに好意を覚える筈もない。
そんな解りやすいほどの敵意を露わにするヘレーナに対し、フィッシャーはそこら辺にいる普通の女性に接するのと同じように話しかける。
「そんな事を言わないでくれよ、ヘレーナちゃん」
フィッシャーの態度は彼の中で通常どおりなのだが、陽気な態度―――見方によってはヘラヘラとした態度―――は、このときのヘレーナにフィッシャーの評価をマイナスの方向に加算する事となる。
「うるさい。帰れ。近寄って来るな!」
拒絶の意思を強めるヘレーナ。
「そこをなんとかさぁ~」
対するフィッシャーも中々諦めない。
そんなやりとりが二十分ほど続き、埒があかないと悟ったフランチェスカがようやくその重い口を開けた。
「・・・フィッシャーさん、貴方も本当に執着深い人ですね」
後ろ向きに座っていたフランチェスカがゆっくりと振り返る。
そのフランチェスカの顔は左半分に大きな傷痕があり、元々の『麗の姫』と呼ばれていた彼女の面影はそこになく、とても痛々しい姿を晒していた。
もし、何も事情の知らない男性が今の彼女の顔を見たならば、逃げ出す者がいてもおかしくない程である。
女性として最悪の罰を受けた彼女だが、フィッシャーはその姿から目を逸らす事もなく、真直ぐ彼女を見返す。
そればかりか、ようやく彼女を振り向かせたことに嬉しく思い、顔をニコッとさせるほどであった。
そんなフィッシャーにフランチェスカは冷たく言う。
「貴方の目的は解っています。女を抱きたいのならば手早く済ませましょう。それで貴方が早く帰ってくれるのであれば、私達も不快な時間が短くて済みますから」
彼女はそう結論付けると自分の着ていた服に手を掛けた。
そんな彼女の行動をフィッシャーは慌てて止める。
「おい、おい、おい、おい。ちょっと待て。そう言う事じゃねぇんだよ。まぁ、俺は合意の上ではヤリたい訳でもあるけど・・・」
フランチェスカの身体を触りたいと思うその欲望自体は否定しないフィッシャー。
「どうせ、貴方の目的は女性を辱めることでしょう。『英雄』なのだから、こんな女性なんか、さっさと力尽くで捻じ伏せればいいのです。そうすれば早く終わる」
そんな投げやりな言葉を口にするフランチェスカ。
彼女がそう思うのも無理はない。
ラフレスタの乱で顔に大きな傷を負った彼女だが、彼女の受けた罰はそれだけに留まらない。
貴族籍であるラフレスタの姓を剥奪された事もそうであったが、彼女にとって一番堪えたのは婚約まで済ませていた相手の男性からの結婚を解消された事であった。
自分の伴侶になると信じていた相手の男性から見放されたこと・・・それが彼女に最悪の絶望を与えるのには十分であった。
自分が悪いでもない策謀に躍らされて、その結果がこの仕打ちだ。
フランチェスカは神を罵り、絶望に涙する日々が続いた。
そして、数箇月ほど経った今となっては涙も心も全てが枯れてしまった。
もう、彼女には何もない。
そんな空虚のフランチェスカにフィッシャーは真剣に語りかけた。
「俺には責任があるんだよ。傷物にした女性にはよう」
フィッシャーはそう言うが、フランチェスカの心には何も響かない。
「だから、フランチェスカさんとヘレーナちゃんを、俺んところのクレスタ家の籍に入れば、少なくともこんな場所に軟禁され続ける理由なんか無くなるんさあ」
「それは私が貴方の第一婦人、妹のヘレーナが第二婦人になることを意味していますよね」
「・・・そうなる」
「嫌です。私にもラフレスタ家としてのプライドがあります。父様や母様、ふたりの兄達を残してこの場所から去る事などできる訳がありません」
「そこをなんとかしてさぁ。あいつ等はお前たち以上に難しいんだよ。自由になるよう俺もなんとか努力はしているんだけどさぁ~」
フィッシャーはそう説得するが・・・
「貴方なんて、信用なりません」
「そうよ。絶対、嫌!」
フランチェスカは無表情に、そして、ヘレーナは怒気を露わに、フィッシャーからの説得を拒絶。
「もう少し俺のアピールポイントが必要だな。それならばこうしよう。結婚してもアレは無しにしてやる。所謂プラトニックな関係だ。まぁ、結婚式のキスぐらいは大目に見て・・・うがっ!」
そんなフィッシャーの言葉にヘレーナが殴り掛かる。
片腕が無く、小柄なヘレーナには攻撃力などほとんど無かったが、それでもフィッシャーは殴られて後退ってしまう。
全く以って軟弱者だ。
「辞めなさい。私達は身体を許す事が最も嫌な理由ではないのです。理解をしなさい」
フランチェスカは無表情にそう言いフィッシャーからの必死の言葉を両断した。
「・・・まったく、強情だな!」
「どちらが、ですか?」
フィッシャーにそんなことを言い返すフランチェスカだが、彼女は早くもこの千日手に似た状況をどうやって終わらそうか、そんな思慮が巡っていた。
そして、ふと思いついたことを口にしてみる。
「まったく、貴方は諦めない人ですね・・・ならばこうしましょう。もう少ししたらラフレスタの英雄を称える『戦勝記念式典』が帝都で行われると聞いています」
フランチェスカの言うとおり、あと一箇月もすると戦況記念式典が帝都ザルツで行わる事になっており、ラフレスタでも大きな話題となっていた。
ラフレスタとクリステ解放に尽力した英雄達を称えるため、帝都で特別に企画されている凱旋祭典であり、ここに英雄達を集めて帝皇デュラン自ら褒美を与えるという大々的なイベントなのだ。
勿論、この目の前にいるフィッシャー・クレスタも参加する事になっており、一族を挙げての名誉的な出来事であった。
「その式典よりも私達の方を取るというのならば、貴方からの提案を考えてやらんでもないです」
「・・・・」
「尤も、あくまで考えてやるだけですからね。婚姻を約束するものではありません」
そう念を押すフランチェスカ。
それは非常に失礼な物言いであり、相手に不快を与えるには十分な言動であった。
利口な彼女もその事を解っていて言っている。
そんなフランチェスカに対してフィッシャーはあまり間を置かずに即答した。
「解った。絶対だぞ! 男と女の約束だ」
フィッシャーはそう念を押し、そして、あっさりと帰って行った。
もう少しごねるものだと予想していたフランチェスカであったが、こうあっさりとフィッシャーが引き上げた事で、相手の心の中が何となく解ってしまう。
「お姉様。あんな約束をして・・・」
「ヘレーナ、大丈夫よ。彼はもう絶対に来ない」
フランチェスカは彼女の心の中でそう確信していた。
帝皇より英雄として称えられるフィッシャーが戦勝式典を欠席するなんてあり得ない、と思う。
もし、そんな事をすれば、本人はおろか、クレスタ家自体が帝皇デュランの顔に泥を塗るような背信行為であったからだ。
今回、去り際も虚勢を張るフィッシャーだと思うが、そのフィッシャーはもう二度と自分達の前に現れることは無いだろうと評していた。
そして、かなり低い確率ではあるが・・・もし、彼自身が我儘を通して戦勝記念式典への欠席を決意したとしても、クレスタ家がそれを許さない筈である。
また、そこまでの恥知らずだとは思えないが、もし、彼が戦勝式典に出席した後に再びここに来ようものなら、それ以降はそのことを理由に私達は『正当に』拒絶する事もできる。
もしかしたら、そのとき、彼の逆鱗に触れ、力尽くで犯されてしまうかもしれないが・・・別にそうなっても構わない。
どうせ今の自分達の女としての価値は『その程度』にしかないのだ。
そんな事を考えて、思考を完了させたフランチェスカは静かに目を閉じる。
涙などはもう一滴も流れないほど乾いてしまったのだから・・・