第四話 エクセリアの物件
「ここです」
公務で多忙なライオネルに代わり、王妃エレイナ自らの手によって案内されたのは、非常に広い邸宅・・・いや、広大な敷地であった。
エクセリアの中心部より少し離れたそこにあった広大な敷地は、かつてのクリステの有力貴族が所有していた土地だった。
表現が過去形なのは、現在ここを所有している者が存在しない事を示している。
ここを所有していた貴族は例のクリステの乱で没落。
敵ルバイア側に就いたその貴族の関係者は一族全てが死亡しており、既に放棄されているに等しい状態だ。
「領主に次ぐ実力を持つ貴族の所有物でしたので、土地は広大です。さあ、中を案内しましょう」
エレイナは敷地の外と中を隔てる門の鍵を開錠して、一同を敷地内へ案内する。
そこは広がるのは緑の庭・・・というよりも広大な雑草。
クリステの乱から一年が経過していたため、自然が勢力を盛り返し、そのまま放置されて荒れ放題である。
庭は雑草まみれであるものの、建物は健在だった。
広大な敷地の中に佇む母屋と数軒の建物も見える。
「広いわね。お母さんが持つ帝都ザルツの敷地ぐらいはあるんじゃない?」
「いや、儂のところよりも広いじゃろう。クリステならば帝都より土地は安いじゃろうから」
そんな通常会話をするハルとリリアリア。
微妙に自慢にも聞こえなくないが、この敷地内を見たレヴィッタは圧巻で声さえ出てこない。
彼女にしてみれば、ここに大きな公園がひとつあるのではないかと思うほどである。
そんな一行は雑草で荒れた道を進み、母屋と思われる一番大きな屋敷にやってきた。
エレイナが鍵を開けて中に入ると、そこはまだ綺麗であり、大きく荒れた形跡はない。
埃は少し溜まっているが、それもまだ掃除をすれば大丈夫なレベルであった。
広い玄関と廊下に大理石の美しい壁。
絵画が所々に飾られており、正に貴族の豪邸。
「部屋数は二十四あり、浴室とキッチンも複数部屋あります。家具は傷んでないのでそのまま使えるかと。少々掃除は必要ですが、ここならば外から離れているので、快適な個人空間が確保できます」
まるで不動産屋のような売り文句を述べるエレイナ王妃。
リリアリアとハルは建物の傷み具合や寸法を魔法で調べている。
そして、アクトとウィル、レクトラは柱や壁をコンコンと叩き、頑丈さを確かめている。
残されたレヴィッタは高い天井を見上げて、ポカーン、としているだけである。
そんな一行の様子だったが、最終的にハル達はこの屋敷を高評価した。
「悪くないわね。掃除すれば家具や設備はそのまま使えそうなものも多いし、衛生環境も悪くない。お幾らかしら?」
「土地の所有権と建屋を含めて一億二千万クロルです」
「ほう」「なるほど」「ふむ」
「ふーん」「いいね」
「げげっ!」
エレイナの示した値段に対する反応は三種類だった。
順に、モノの価値が解るリリアリアとレクトラ、ウィルの反応は同じ。
買えるなと思ってしまうハルとアクトの反応。
予想はしていたが、あまり高額に驚くレヴィッタの反応である。
ちなみに一般人感覚としてはレヴィッタの反応が正しい。
一億クロル以上の金など、一般人が一生かかっても稼げない金額である。
それでもこの建屋と広大な土地の規模ならば、どうしても高額になってしまう。
この中で自称一番常識者だと自覚している――本当はそうでもないが――リリアリアがエレイナに質問する。
「ふむ。お買い得じゃのう。ここがクリステの田舎だとしても土地値段だけで王妃の提示する金額の十倍はするとは思うがのう」
「ええ、普通ならばそうでしょうけど・・・実はここ、買い手がつかなくて・・・」
「ほう。買い手がつかないとは、訳がありそうじゃのう」
リリアリアの目がギラリと光る。
エレイナ王妃も嘘はつかず、素直にその理由を述べる。
「はい。実は幽霊が出ると噂になっていて、買い手がなかなかつかないんです」
「ええ、幽霊!?」
この中でレヴィッタは怖がった。
しかし、これはありがちな話としてリリアリアは鼻で笑う。
「ふん。なるほどな。貴族屋敷ではありふれた話じゃのう。大方、屋敷の所有者の怨念が出ると風評を撒く奴が居るんじゃろう? 落ちぶれた貴族の屋敷を安く買い叩く定石じゃて」
問題ないと鼻で笑うリリアリア。
エレイナもそれに同調する。
「ええ。実際に見たという人物も証言が怪しくて、確証は取れていません。しかし、クリステの乱が凄惨だったこともあり、こういった噂を信じる人も多いんですよ。我々としては安く売れようが高く売れようが、実はそれほど財政に影響はないのですが、なにぶんここは元々クリステで名の通った貴族の土地。あまりにも安く売るだけで済ませてしまえば、国としての権威も下がってしまいますし・・・」
「ふむ。ならば救国の英雄に使って貰えれば、国としての体面も保てると考えておるのじゃな?」
「ええ」
エレイナは素直に認めた。
中途半端に立派な土地が所有者没落により国家へ返納された不動産。
国としても足元を見られた不動産商会に買い叩かれるよりも、英雄であるブレッタ家に使って欲しいと考えたのである。
「・・・解った。買おう」
レクトラはここで即決する。
彼も質素な生活を好むが、それでも帝国で歴史ある英雄の貴族。
それなりにお金は持つ。
しかし、ここでハルが口を挟んでくる。
「いや、義父様。ここは私が払います。義父様はエストリア帝国で有力な貴族です。友好国とはいえ他国に土地を持つのは良くないのでは?」
ハルの指摘に少し考えるレクトラ。
「うーむ。確かに、そうかも知れん・・・」
レクトラはリリアリアを横目で見て、リリアリアが頷く。
「うむ。法的に可能か不可能かと問えば、可能じゃが。それでも今の状況はあまり良くない。何せ、例の結婚証明書ひとつで帝皇デュラン様のあの慌てよう。そこに貴君がエクセリア国に土地を買えば、ブレッタ家が帝国から出奔するのではないかと疑う可能性もゼロではないじゃろう」
リリアリアが指摘した可能性も考えられる。
だからハルが購入を申し出た。
ハルならば、いい意味でも元々から根無し草である。
エストリア帝国と友誼を保ちつつ、結果的に何処へ住もうと、複雑な問題に発展し難いと思う。
尤も、帝皇としてはエクセリア帝国に居を構えて貰うのが望ましいと思っていただろうが・・・
「そうか・・・政治的な配慮を考えれば、私ではなく、ウィルでもなく、アクトでもなく、ハルさんが所有者になるのは望ましいか・・・しかし」
レクトラが心配したのはその金銭面である。
しかし、それは問題ない。
「私もこう見えてお金持ちです。一億二千万クロルならば財産の一割も減らないし、今回の戦功でいろいろ便宜を図ってくれた結果でしょう? エレイナさん」
そんな強気のハルに、エレイナ王妃は素直に応じる。
「ええ、それは勿論。ハルさんとアクトさん、それにあの銀龍様には公にできない功績がありますからね。直接、報奨金を払えないのがもどかしいぐらいです。ですから、今回、特別にお安く提供したと言う意味もあります」
公にその正体を公表できない彼らには、正式に戦功報奨金を払う事はできない。
だから、こういう形で便宜を図っているのだと理解させる言葉であった。
「やっぱり・・・それでは商談成立ね。お金は支払うわ。いつから入れる?」
「すぐにでも」
「じゃあすぐに支払って、入らせて貰うわ。ここにエルフ夫妻と銀龍も住ませるけど、いい?」
ハルが聞くのはレヴィッタである。
「どうして私に聞くの?」的な顔をするレヴィッタであったが、それにはウィルが応じた。
「ああ、構わない。私は気にしないし、妻もそうだろう」
「ええ? きゃぁ! 私、『妻』って呼ばれているしってぇーー・・・いや、そうじゃなくて、私達も住むの?」
状況の理解が遅いレヴィッタであったが、ここにハルが呆れて理由を説明する。
「そうですよ、お義姉さん。私名義で買うけど、私も、もうブレッタ家なのよ。ここは家族で住むの。ウィルさん家族ともね。それにウィルさんとレヴィッタ先輩はこのエクセリア国で一番注目されている人物よ。アナタ達こそ、こんなところじゃないと静かに暮らせないでしょ?」
「は、はあ」
まだ飲み込みの悪いレヴィッタであったが、ハルは続ける。
「エルフ親子もそうだわ。注目が集まっているだけに、ほとぼりが冷めるまではここに住んだ方が安全よね。銀龍は放っておいてもついてくるし、そもそも彼は最も危険な存在よ。もし、誰かが彼を怒らせたら、このエクセリア国なんて吹っ飛ぶわ。一瞬でね」
そんなハルの言葉に身震いするレヴィッタ。
確かに、馬車でボルトロール王国へ強制移送されかけたとき、銀龍によって助けられたが、あの凶暴な姿を見たときは卒倒しそうなぐらい怖かった。
そんなことを思うレヴィッタであったが、ハルはこれで話をまとめる。
「それじゃあ、早速宿に戻って皆を呼びましょう。お金はあとで私が王城へ持って行くわ」
「解りました。それでは私は先に戻り契約書類を準備しておきます」
エレイナはハルにそう言うと、これで物件の売買交渉は完了。
そんな彼女達のやりとりは、王妃と英雄と言う関係ではなく、エリオス商会での一場面を彷彿させる。
互いに一年前の関係を思い出してしまうが、しかし、今はそんな気安い関係など、公には見せられない。
特に、エレイナ王妃は公人である。
名残惜しくも、次の仕事もあるため、交渉が終わったこの現場から去ろうとした。
しかし、ひとつの事を思い出す。
「あ、そうそう。一応、念のため『怨霊』の件は注意してくださいね」
「大丈夫、大丈夫。もし、魔法的な何かが居たら、アクトやウィルさんが退治してくれるだろうし、それで駄目なら銀龍が吹飛ばしちゃうわ」
それは大きな問題ではないと豪語するハル。
「解りました。それでは」
こうして、エクセリア国で新居を確保するハル達であった。
後日の余談となる。
怨霊は本当にいたのだ。
現世に強い未練を残した怨霊とはこの屋敷の所有者だったらしく、未練がましく夜中の屋敷を思念だけが彷徨っていた。
運悪くレヴィッタがそれに遭遇する。
当然、レヴィッタは大絶叫。
それを聞き、駆けつけたウィルにより怨霊は追い詰められる。
この世の怨霊とは、人の残した強い怨念に魔法的なエネルギーが結合したものである。
つまり、神聖魔法使いの浄化魔法に加えて、魔力抵抗体質者でも対処可能だったりする。
ウィルの魔法無効化でダメージを受けた怨霊は敷地内を必死に逃げ回った。
そして、最後の引導を渡したのは銀龍の吐息の一撃。
浄化の吐息は一片の慈悲も与えなかった。
こうして怨霊は完全にこの世から駆逐される。
当時はこの事をとても怖がっていたレヴィッタであったが、後にレヴィッタはその話に脚色して面白おかしく聞かせる事もある。
その相手が将来の自分の子供達であったりするのは、本当に余談だ・・・