第三話 結婚証明証と結婚許可証、もうひとつ
ガサ、ガサ、ガサ
深夜の宿屋で発生する騒音。
そして・・・
ドン!
「ぐわっ」
鈍い音と男の悲鳴。
ここでハルは目を覚ました。
「また、来たかっ!」
鬱陶しく、そんな抗議の声を挙げてベッドから飛び起きる。
アクトの姿を探すが、彼は既にベッドから出ていて、ドアの隙間より外の様子を伺っている。
そんなアクトの警戒に気付いた宿の従業員から謝罪の言葉が出る。
「も、申し訳ありません。また、不審者が侵入したようで・・・もう捕まえましたから」
そんな謝罪の言葉に解ったと示すアクトは、ドアを静かに閉じる。
そして、ハルはもう完全に起きていて、アクトに様子を聞いた。
「また侵入者ね」
「そうだね。今日はもうこれで三件目だ」
アクトも面倒臭そうにそう答え、ハルと気持ちは共有している。
いや、ハルだけではない。
現在この宿に宿泊している全ての客はこの感情を共有しているだろう。
最近、この宿で起きている事件・・・それは不法侵入者の多さである。
ここは高級宿であり警備もそれなりに整っているのに・・・である。
その理由は明白である。
それは、この高級宿に多く英雄達が宿泊しているからである。
英雄ウィル・ブレッタと美姫レヴィッタ・ロイズに会いたい。
美しいエルフ家族を一目見てみよう。
戦争の活躍で多額の報奨金を得たと思い、それを目当てに強盗に入ろうとする者など・・・
理由は様々であるが、不法侵入者の絶えないこの現実は変わりが無かった。
尚、アクトとハルはエクセリア国で無名であるため、ノーマークである。
それにアクトとハルには銀龍がいる。
もし、彼らに危害を加えるような者がこの宿に侵入すれば、唯では済まされないだろう。
銀龍がたいしたことないと判断したが故に、今回の不法侵入者は放置されており、それが中途半端で鬱陶しかったりもするのだ。
「もっと警備体制の整ったところに移った方が良さそうね」
「そうだね。しかし、この高級宿でもダメなのだから、これ以上の警備体制となると・・・これはもう王城に住ませて貰うしか無いな」
アクトは冗談半分でそう言うが、ハルもそれ以外の案を考えてみる。
王城は行き過ぎとしても、他にいい住まいはないものか・・・
なかなか良いアイデアが出てこない。
アクトとハルにとってこのエクセリア国の首都エクセリンは初めて来た所でもあり、土地勘は無い。
「まあ・・・今度、ライオネルさんの所へ行った時にでも相談してみる?」
駄目元でそんなことを口にするハル・・・
しかし、その機会は意外にも早く来てしまった。
次の日の朝、王城より使い者がハル達の元へとやって来たからだ。
「・・・そう。私達に来て欲しいのね・・・解ったわ。すぐに向かいます」
部屋に訪れた使いの者にそう伝えるハル。
そして、外出の準備を始めるハルとアクト。
「何だろうね。詳しい理由は王城で話すって言われているし」
「さあ? だけど、私とアクト、それにウィルさんとレヴィッタさんも来てくれって言われたし。使いの人の様子からして緊迫した様子も無かったから、軽い気持ちでいいんじゃない」
「そうだね。とりあえず、俺は兄様とレヴィッタさんに声を掛けてくるよ」
「お願い。馬車を待たせているようだから、私は先に行っているわ。宿の玄関で落ち合いましょう。エルフ達と銀龍には出かける事を伝えておくわ」
そう言って、ハルは支度を済ませた。
こうして、四人だけでエクリセンの王城へ向かう。
王城に着いた四人は召使に案内されて応接の間へ通された。
扉を開けると、そこにはライオネル国王とエレイナ王妃、そして、先客としてレクトラ・ブレッタとリリアリアの姿がある。
何やら話し合っていた彼らであったが、ハル達が到着したのを知ると会話を一旦中断し、一同を代表してレクトラが立ち上がり歓迎の旨を伝える。
「お、来たな。まあ座りなさい」
レクトラに促されて座る彼ら。
ここでハルは嫌な予感がしたが、それが的中した。
「お前達、結婚したらしいな」
言葉一番にレクトラから発したそれに、ウッとなるのはハル。
確かに成り行きで神聖ノマージュ公国にて結婚式を挙げてしまった。
しかし、それはアクトの記憶を呼び戻すための儀式である。
加えて、ハルがアクトを、アクトがハルを愛している気持ちも本気。
正式な結婚など、彼らの中では遅いか早いかの違いぐらいである。
既にそんな気持ちのふたりだが、それでも社会的に『結婚』とは、本人達だけではなく、家と家がひとつになる意味もある。
親に許可なく結婚を強行するのは社会通念上に望ましいものではない。
その後ろめたさがあった為、アクトとハル(特にハル)は互いの親の前に顔を出すのを躊躇っていたりする。
そんな心を読んだのか、レクトラはできるだけ優しい口調でふたりに接してきた。
「そんな顔をするな。俺はお前達の結婚に反対はしない。母さんもだ」
「そ、それじゃ!」
アクトにも一抹の不安があったが、これでスッキリする。
親から結婚を許されたからだ。
ハルも安心できたが、ここで彼女の育ての親であるリリアリアだけが少々不機嫌だった。
「まったく、お前達も困ったものじゃ・・・それ、出してみい。ヤコブの爺より結婚証明証を渡されたじゃろう?」
リリアリアが不機嫌な理由は解らないハルだが、それでも結婚に反対している訳では無いらしい。
そう思うようにして、リリアリアから要求された結婚証明証を魔法袋より取り出す。
これは結婚式の後、神聖ノマージュ公国側より渡された正式な結婚証明証である。
書類の夫と妻の欄にアクト・ブレッタとハルの名前が書かれており、法王ヤコブの正式な署名があり、正式な結婚証明証として発行されている。
それを見たリリアリアは、ハァ~、と溜息を漏らす。
「これは正式な書類じゃなぁ。ふたりの結婚は神聖ノマージュ公国が公的に認められておる・・・しかも、ヤコブの狸爺の署名がある代物。世界に十枚と存在せぬ法王署名の貴重な結婚証明証じゃ」
「お母さん、これって拙かった?」
恐る恐るそんな事を聞くハル。
「当たり前じゃ! 一般人ならば一生自慢できるような名誉的な結婚証明証となるじゃろうが、お前達のような重要人物だと訳が違うわい!」
唾を飛ばしてそう指摘するリリアリアに、ハルは目を瞑り、首を竦める。
まるで叱られた子供のような反応をだが、それがアクトには可愛く映った。
アクトはハルの肩に手を回してトントンし、優しく若妻を宥めるその姿に、毒気を抜かれるリリアリア。
「まったく、お前達は・・・因みに、儂もお前達が結婚するのは反対しとらん。ほら」
そう言いリリアリアが取り出したのは一枚の紙である。
これはエストリア帝国の結婚許可証だった。
夫と妻の欄は空欄であったが、互いの親の欄には既に署名がされている。
夫の親側の欄にはレクトラ・ブレッタ、妻の親側の欄にはリリアリアの署名がされており、結婚後の姓はブレッタとする貴族用の正式な書類である。
そして、この書類の承認の欄には、なんと帝皇デュランの署名があった。
結婚する当の本人の欄は空欄なのに・・・全く以て記載の順序が逆転している書類だが、それでも正式な書類である。
「ほれ、さっさと署名せんか。これで帝皇デュラン様も少しは落ち着かれるぞい」
リリアリアからそう促されて、多少に意味の解らないふたり。
それでも言われたとおり、さっさと署名を済ませてしまう。
正式な婚姻関係が認められるならば、親同士の気の変わらぬ内に早く済ませてしまいたいと思うハルとアクト。
こうして、二枚綴りの書類に互いのサインを書き、ふたりはエストリア帝国で正式な夫婦として認められた。
ホッとするハルでだが、リリアリアからの小言は続く。
「まったく、お前達が神聖ノマージュ公国で結婚を結ぶから、その件でヤコブの狸爺から帝皇デュラン様に自慢する連絡が入ったんじゃ。『これでアクトとハルの市民権を公国にあるとも主張できるぞ』と・・・勿論、冗談じゃろうが・・・」
その一言で、ハルは大体の事態が想像できた。
自分とアクトの国家帰属権を神聖ノマージュ公国に奪われると危惧した帝皇デュランが、慌てて自国の結婚許可証を準備した訳だ。
「お母さん、私達って神聖ノマージュ公国に永住する気は無いわよ。勿論、あの国が嫌いなは無いけど」
「それを、帝皇デュラン様に言っておくれ」
多少に疲れた表情を見せるリリアリアに、ハルは帝皇デュランが相当焦っていたのだと思った。
しかし、それを笑い飛ばしたのはレクトラである。
「ハハハ、別にもういいじゃないか。ふたりが好き合うのはもう知っているし、一緒になるならば早い方がいい。俺も孫の顔を早く見たいからな」
そんな言葉にアクトとハルの顔は赤くなる。
リリアリアはまたブツブツと言っていたが、それでも結婚は成立した。
覆しようもない。
こうしてエストリア帝国に新たな家族がひとつ誕生した。
「良かったな、アクト。それにハルさんも。末永く幸せに。そして、これからは家族だ。よろしく」
ウィルはそう言いアクトとハルを祝福する。
レヴィッタもそれに続いた。
「ハルちゃん、あめでとう。羨ましいわ。私達もいつかは・・・」
その言葉にレヴィッタの手を強く握るのはウィル。
このふたりも、今回の一件で絆が深まったようだ。
互いの意識が一段階進んでいるようにも見えた。
やがて、アクトとハルのように結婚する・・・そう考えていたのはウィル本人達とアクト達である。
しかし、ウィルの親であるレクトラは、ここでもう一枚の紙を取り出す。
ウィルはその書類を見て驚く。
「ええっ! 父様・・・これって!?」
何事かとレヴィッタが脇から覗いてみると、それは結婚許可証だった・・・自分達の。
「え!? えーーー!」
驚いて椅子に座るままに後ろに転ぶレヴィッタ。
喜劇的で大げさな反応のレヴィッタ。
彼女は時折、こうした間抜けな姿を披露してしまうが、それにも慣れてきた一同。
転んだレヴィッタを助けたウィルが、ふたりでもう一度この書類の内容を確認してみた。
「うーーー、親の欄にはレクトラさんと私の親の名前が書いてあるやん・・・しかも帝皇様の署名があるしぃーーっ・・・あ、アカン・・・」
余りに突然の出来事に、フラフラとなるレヴィッタであったか、ここはハルが背中を叩いて「しっかりして」と声を掛ける。
レヴィッタは本気で驚いていた。
完全に方言が出てしまっているので、その感情は嘘ではないだろう。
そんなふたりにレクトラは結論だけを述べる。
「ウィルにも、このように正式な結婚許可証が発行された。帝皇デュラン様がお前達も他国に行ってしまうのを危惧して、多少強引に事を進めたようだ。しかし、お前達がまだ早いと判断するならば、この話は無かった事にもできる・・・」
そう言って書類を破る所作を見せるレクトラ。
そこに、ウィルの手が挟まれた。
力強くレクトラの腕を掴んだウィルの手は結構本気だった。
「いや、待って、父様・・・私はこの話を受けたい。帝国貴族の責務として・・・いや、それよりも、これは私の願望。レヴィッタさん、いいか?」
「え!? ど、どうしよう・・・」
突然に迫られたレヴィッタは焦る。
しかし、ここでウィルは男を魅せた。
彼は椅子から立ち上がり、レヴィッタの前に出て片膝をつく。
そして、こう述べた。
「レヴィッタさん。私はアナタの事が好きだ。結婚して欲しい」
そう言って手を差し出す。
気が動転しそうになるレヴィッタであったが、それでもなんとかウィルの手を取れる。
「・・・うん」
いっぱい、いっぱいになりながらも、何とかウィルに承諾の意思を伝えるレヴィッタ。
その仕草や言葉がウィルには嬉しかった。
「レヴィッタさん、ありがとう。ああ、一生幸せにするさ!」
ウィルはガシッとレヴィッタと抱く。
それは熱い抱擁であり、いつも冷静な姿のウィルとは違う側面を魅せる。
この男も中身は熱い・・・冷静を装っているように見えても、中身はアクトと変わらない、そんな事を思ってしまうハル。
「レヴィッタ先輩、おめでとう」
ハルはパチパチパチと拍手を贈り、祝福した。
そして、何故か涙目である。
理由は解らないが、なんか嬉しかった。
そんな幸せな雰囲気は周囲へと伝染し、拍手が広がっていく。
こうして皆から祝福を貰い、ふたりの結婚も成立した。
今更にウィルとレヴィッタは恥ずかしくなり、顔は真っ赤だったりするのだが・・・
「いやぁーー、いい縁談でしたね。私とエレイナも幸せな気分をお裾分けして貰った気分です」
ライオネル国王はそう言って話をまとめる。
そして、こんなことを付け加える。
「これならば、我が国からも結婚証明証を発行しましょう」
「何を言う! ライオネルめ。話をこれ以上ややこしくするではないぞ!」
「リリアリア様。そこに大きな意図はありませんぞ。これは幸せのお裾分けです。我がエクセリア国からも祝福をさせて頂きたいのです。別にウィルさんとアクトさんの永住権をこの国が持つとかは主張しませんから」
「何を言うか、この似非国王め!」
「似非・・・ああ、いい響きです。そうです。帝国からしてこれは似非な結婚許可証と思って貰えればいいのですよ。正規なものは帝国の発行した『結婚許可証』に、歴史的に価値のあるものは神聖ノマージュ公国より発行された『結婚許可証』ですから、我が国から発行した『結婚許可証』は名誉的なものです。救国の英雄へ贈る副賞のようなものですよ。アハハハ」
軽いものだと主張するライオネル。
しかし、結婚証明証はあとで公的な証明証として主張できる事もあり、アクトとウィルがエクセリア国の国民であると主張されかねない。
ここで難色を示すリリアリアだが、最終的にはライオネルの主張が通った。
この場でメリットとデメリットを説明し、帝国側にデメリットが無い事を証明した。
彼は元一流の商人である。
今回の交渉も、最終的にライオネルへ軍配が上がる結果が得られたのだ。
こうして、ウィルとレヴィッタ夫妻、アクトとハル夫妻の結婚許可証は、エクセリア国側から発行されるもう一枚が追加される事となった。
これで、彼らが呼ばれた理由は終わりとなる。
幸せ気分で帰ろうしたハルだが、ここでライオネルにお願いする事があったのを思い出す。
「そう言えば・・・宿に不審者が一杯来て困っているのよ。私やアクトはここでノーマークだから良いとしても、ウィルさんやレヴィッタさんは有名人だし、エルフ達も珍しいから、彼らを一目見ようと不法侵入者が後を絶たないのよねぇ~」
そんなハルの申し出に、ライオネル国王からは申し訳ないと謝罪の言葉が出る。
対策を考えるライオネルだが、ここでひとつのアイデアを思い付く。
「もし、ハルさん達が良ければ、なのですが・・・家をひとつ買って頂けませんか?」
「家を?」
「ええ。今はまだですが、警備体制もバッチリとできそうな良い物件がひとつありまして・・・お安くしておきますよぉ」
ここでそんな売り込みを掛けるライオネルの顔は完全に商人の顔だったりする。