第十一話 英雄たちのその後(其の一)
ここはクリステ。
エストリア帝国の東の果て、隣国ボルトロール王国と国境で接する地域だ。
先のクリステの乱で戦場となった結果、街は大きく破壊され、多くの人の命が失われ、財産も灰へと変わっていた。
そんなクリステの荒廃ぶりは中央政府に情報としては伝わっていたものの、それでも、実際に自分の目で見るのと聞くのではその印象が大きく違うものだ。
今は戦いが終わり、復興の途中だが、それでもこの光景を忘れてはいけないと解放同盟の代表であるライオネル・エリオスはクリステ城から見渡せる荒廃した街の風景を目に焼き付けていた。
そんな多少重い気持ちに浸っている彼を探している人物が現れた。
「ここに居られたか、ライオネル殿。馬車の準備は整っておられるぞ」
「ああ、ロッテル様。私を探しておられたのですね。申し訳ない。すぐに参りましょう」
ロッテル・アクライトに申し訳ないと言うライオネル・エリオスは彼が商人だった頃とそう態度は変わっていない。
そんなライオネルの姿を見るロッテルも慣れたものであり、ライオネルに次の催促をする。
「そろそろ出発しないと、来月帝都で行われる戦勝記念式典に間に合いませぬ。英雄殿」
「私が『英雄』ならば、ロッテル様は『大英雄』ですな。ハハハ」
「そんな事を言っては駄目です。貴方は解放同盟の代表。次にこのクリステに帰って来たときは、もう『国王』と呼ばれる存在になるのですから」
ロッテルはそう言いライオネルを称える。
確かにライオネルは武の人ではなかったが、解放同盟の代表として様々な作戦の立案と運営を行ってきた。
ライオネルの的確な指示が無ければ、戦いはさらに長引き、下手をすれば負けていたかも知れない。
人心を掌握するのも上手く、政治的な駆け引きにも長けていた。
国を統べる者は目前の戦いが得意なだけでは駄目なのだ。
そういう意味ではこのライオネルという男性も得難い存在であるとロッテルは評価していたし、新しい国王としての器も十分務まると評していた。
「私が国王だなんて、過去の自分ならば飛び上がって喜びましたが、実際にそのチャンスが巡ってくるとどうも・・・難儀なモノを押し付けられた。そう思ってしまいますなぁ・・・アハハハ」
自分を嘲るように笑うライオネルのその姿は何処か哀愁が漂っていた。
「貴殿の口からそんな弱音が出るとは。しかし、帝都にはエレイナ女史がいるではないですか。将来の王妃に会えば、貴方の覇気も戻ることでしょう」
多少の冗談交じりにそんな事を言うロッテルだが、意外にもライオネルには存外に効果があったようだ。
「そうかも、知れませんね。フフ」
多少だらしなく笑うライオネルはいつもの少しだけ飄々としている姿が戻り、ロッテルはそれを観て、面白く笑う。
「まったく貴方は・・・ふふ」
「そんな目で見ないでください。これでも私は彼女を大切にしなくてはならないのですよ。既に彼女の半生を捧げて貰っているのですからね。せめて子供ぐらいを作ってあげないと、今度こそ見限られます」
「なるほど。是非そうした方がいい。彼女の実家であるセレステア家もさぞ喜ぶことでしょう」
「そこなんですよ・・・まったく、どう挨拶したものか・・・私なんかはラレフスタ家から放免されたようなもの。貴族の義務とはいえ、そんな私に実の娘を差出したセレステア家にどの面下げてようか・・・そこが悩ましいところです」
「なるほど。貴方がなかなか出発したがらない理由のひとつにもそれがありそうだ」
ハハハと笑うロッテル。
「残念ながら、私はその方面に関しては全く経験がないで、適切なアドバイスなどできませぬ」
「そんな事を言わないでください。貴殿もクリステの英雄のひとりとして数多の美女からも言い寄られていたでしょう」
解放直後から今に至るまでロッテル本人もクリステ解放の英雄のひとりとして称えられており、独身者のロッテルには相当な数の美女から公式・非公式の婚姻の申し出があったりする。
しかし、ロッテルはそれを全て断っていたのだ。
その理由は解らない。
「私は女性が苦手ですので・・・」
ロッテルとしては女性を抱く事があまり好きではないようだ。
そんなことを言っているロッテルは、クリステの女性達より『クリステ解放の英雄達は女性の誘惑に靡かない』と評されてしまっている。
ライオネルも女性に迫られる機会は多かったが、彼にはもうエレイナという王妃候補者が存在しており、他の女性と関係を持つことなど将来の王妃が一切認めなかった。
なので、ライオネルが他の女性に見向きできないのも仕方がない事と納得されている。
「そうだったな・・・それにウィル君も」
クリステの英雄として称えられている人物には何人かいるが、ロッテルとライオネルに加えて、このウィルという人物が有名である。
このウィルという青年は、クリステの乱の首魁となるルバイア・デン・クリステと、その弟のシュバイア・デン・クリステを仕留めた人物であるから当然である。
「ウィル君は・・・私以上に筋金入りかも知れません。彼はシルヴィア姫殿下からも言い寄られているようですが、それさえも拒絶しているようですし」
「なんと! それは初耳です。エストリア帝国の第一皇女であるシルヴィア様から言い寄られていて、それさえも断る男なんて・・・一体どうして?」
「理由は私にも・・・まあ、禁欲に関してはあの家の伝統であるとしか言えませんな。ハハハ」
ロッテルからしてもよく解らないこのウィル青年。
そんなウィル青年は今、ここには居ない。
彼はクリステの平定が済むと同時に、一度、実家に帰りたいと言い、出て行ってしまった。
道中の旅程が同じだったため、先のエレイナの一団と共にこのクリステから旅立たせている。
そんな彼は女性関係に全くの興味なしなのだが、それ以外は非常に好青年な印象を持つ。
そう思うライオネルだが、このウィル青年とは一箇月後の戦勝記念式典で再会できる予定だ。
そう結論付けて、ライオネルはそろそろ馬車に乗る事を決断するのであった。
舞台は変わり、ここは古都トリア。
歴史のある奥ゆかしい中央エストリアの街は整然と佇んでおり、平和であった。
街の北側には海のように大きいリドル湖があり、その湖畔には選ばれし者だけが住むことを許された貴族街がある。
そのひとつの屋敷にインディ・ソウルの姿があった。
「どうだ。だいぶ良くなったようだけど」
「ええ、ありがとう。インディ」
彼に感謝の言葉を伝えているのは彼の幼馴染にして、激動のラフレスタを共に過ごした女性・・・サラ・プラダム。
尤も、彼女はラフレスタの乱において、インディとは敵側の人間になってしまったが、それは獅子の尾傭兵団による『美女の流血』という魔法薬による洗脳の結果であり、彼女の意思ではない。
そのことを初めから解っていたインディはサラのことを見限る事もなく、こうやって看病に勤しんでいるのだ。
インディはジュリオの屋敷で洗脳状態に陥っていたサラから襲撃を受けて負傷してしまい、戦線を離脱せざるを得なかった。
しかし、その後のアクト達の活躍もあり、サラは多少負傷したものの、それでも命に別状のない状態で助け出されている。
支配の魔法薬によって施された洗脳はその後の治療によってかなりの良い状態まで戻っていた。
ラフレスタには治癒技術の最高峰とされたマジョーレ司祭と、その弟子に当たるキリアが居たのが幸運だったのだろう。
ただし、『美女の流血』と言わる支配の魔法薬は成分不明の毒であり、完全に治癒させるにはもう少し時間が必要であった。
時折見られる原因不明の発作や喉の渇きは未だ彼女の身に起こっている。
尤も、サラの身体上の傷は心に負った傷に比べると圧倒的に小さい。
日に日に癒えが進むその身体と比べて、サラに対する誹謗中傷の声は益々に大きくなっていた。
それは『ラフレスタの英雄』達が称えられれば称えられる程に、敵側の勢力に組みした彼女達への風当たりが強くなってしまったのだからである。
どうしてそんな敵の口車に乗ってしまったのだ、とか、目先の欲に釣られた、とか、ジュリオ皇子に身体を売った、とか、憶測と悪意に満ち溢れた悪い噂がサラやその家族を苦しめた。
加えて、就学していたラフレスタ高等騎士学校からも退学処分を言い渡されてしまいサラも納得できたが、それだけではなく、サラの両親や親戚までもが要職を解任される処分が下された事が彼女に追い打ちをかけた。
その後、ラフレスタの英雄であるインディやブレッタ家から、サラが仕出かした事を無罪放免とする申し出があり、現在はサラの両親の職の解任は取り消されている。
それでもプラダム家は世間から肩身の狭くなる扱いを受けている現状。
それをサラも敏感に感じており、心が軋む思いである。
「インディ・・・本当に、私でいいのかな?」
そんな彼女が今、自分を外敵から親身に守ってくれている最大の人に対して弱音を吐いてしまうのは、ある意味仕方の無いことである。
「サラ、何度も言うけど、俺は君の事を大切に想っている。裏切る事なんて絶対にありえない」
インディは優しくサラの手を取る。
「でも、私は・・・穢れた女。もう純潔じゃないのよ」
サラはジュリオ皇子に抱かれたことを指していた。
薬で洗脳されていたとは言え、別の男性に心と身体を開いた事実は取り消せない。
そんな自分が今や英雄となってしまったインディの相手としても全く相応しくないと思ってしまう。
「そんな事は関係ない・・・気にするならば、俺がお前の心をもっと、もっと上塗りしてやる。全てを忘れさせてやる」
「インディ・・・」
インディにされるがまま、サラは口付けを受けいれた。
温かい何かがサラの中へと流れ込み、傷付いた心は温かさと癒しを感じた。
その想いに思わず涙が流れてしまうサラ。
ふたりは長い時間口付けをしていたが、それをそっとサラから離す。
「私・・・努力する。彼の事も忘れるように努力する」
そんなサラの言葉にゆっくりと頷くインディ。
この場では敢えて彼の名前を出さなかったが、その『彼』とはインディとサラの幼馴染である青年の事である。
親友だったステイシア・ティドールの許嫁であった相手の男性。
彼女が亡くなった後に、サラはその彼の隣の座を求めていたが、それでも亡くなったステイシアの穴を埋められなかった。
そして、いつの間にか現れたあの青黒い髪の魔女に完全に負けてしまったのだ。
あの魔女は今でも彼の身体と心を支配しているのだろう。
そんな事を考えると、サラは心を締め付けられる想いが再び過るが・・・
(諦めよう・・・私にはインディがいるじゃない)
サラは自分にそう言い聞かせて、自分を献身的に愛してくれるインディに誠意を返すべきだと思う。
それは愛なのか、それとも・・・
そんな自身の迷いに打ち勝とうと、再び彼に口付けをしようとして、ここで邪魔が入る。
コン、コン
ドアのノックされる音でふたりの行動が止まった。
どう対応するか迷うふたりであったが、再びノックの音が響く。
やがて、相手が業を切らせたのか、ドアが開けられてひとりの男性が部屋に入ってきた。
「やあ、おふたりともお元気かい?」
多少に呑気な挨拶をする相手を目にしたインディとサラはここで驚くことになる。
「あ、あなたは!」
ここで入って来た相手とはサラが想うあの『彼』とそっくりな青年である。
そんな青年はインディの頬に残る唇の跡を見て、逢瀬の最中であったことを悟る。
しかし、青年はあまり慌てず、この場から去ることを決め、その去り際に自分の用件を相手に伝えた。
「弟のことを当事者達に聞こうと思って来たのだけど・・・また、出直すことにするさ」
その青年はそっとドアを閉めた。
「ウィルさん、待ってください!」
去ろうとするあの『彼』の兄の存在を必死に止めるインディ。
その姿を見たサラは直後に『彼』の事をまた思い出してしまい、再び複雑な気持ちに陥ることになる・・・